2話ー⑬
彼は―ノアはレイティの小鳥の囀りのように可愛らしくまた美しい声に反応して優しげな微笑みを浮かべる。
しかし、ノアは直ぐに顔を辛そうに顔を歪めてしまう。兄弟の繋がりが薄いノアは第9の姫が静かに眠る葬儀の場でもその瞳に写るのは彼女が死んだという事実だけだった。なのにそんな彼が顔を歪めてしまったのは何を思ってかは簡単に分かる。
「レイ…」
ノアは不思議な色をした半透明な薔薇を踏み分けながらレイティに近づいてくる。そして正面まで来るとしゃがみこんでレイティとの目線の高さを合わせる。
「君が辛そうにしていたら僕も辛い」
ノアはそう言うとレイティの頬に手を添えてよく顔が見えるように軽く持ち上げる。
「大丈夫?」
早く元の明るく元気な姿を見せないといけないと感じるのに、ノアの手の温もりが、優しさに余計に涙が出る。
王子王女は王宮から出ることを固く禁じられている。それは国民に姿を見せないようにするためであり、引いては能力の優劣をつけないようにするためである。だから名前すら無い彼らが亡くなったからといって喪にふくす人はいないし、涙を流す人もドラゴニスタ王国にはいない。
ノアは頑丈な王宮の防護魔術―逆に言えば閉じ込めておく為の檻を抜けてを禁戒を犯してでも会いに来てくれたのだ。王宮に帰れば間違いなく彼は国王からの謹慎が言い渡されるだろう。
レイティは下唇を噛んでできるだけいつも通り振る舞えるように努める。
「心配かけてごめんね…、第9の姫が亡くなってだいぶ弱くなっているみたい…」
レイティは少しでも自分を気遣ってくれるノアに感謝が伝わるようにノアが頬に添えた手と自分の手を重ねる。
「でも大丈夫、もう少ししたら復帰できるから。今は執務も立て込んでるけどひと段落したら、わたしとノア、それからフィンクスも一緒に3人でお茶会をしよ!」
言い終わった後にノアを安心させれるように微笑して顔を見る。しかし、レイティは安堵できるどころか、彼の顔を見て絶句してしまう。ノアの表情は辛さと悲しみ、そこに隠れた怒りが混じったような何とも言い難いものだった。
それは最後に見た第9の姫の表情を連想させた。不意に光の加減でシルバーブロンドは美しい白銀色に、瞳は薄い紫色のように見える。
「ああ゛」
せっかく枯れた涙がまた溢れ出てくる。しかも定期的にくる悲しみの波よりもずっと深く暗い。
「ごめ…ん、ごめんなさい…」
誰の何に対しての謝罪か分からない言葉が口から漏れてしまう。ノアの手を添えていた自分の手ごともう一方の手で包み込んで縋ってしまう。レイティは涙を止めり方法を知らず、ノアは彼女を慰める方法を知らず、ただひたすらレイティは涙を流し続けた。
その日はいつもと変わらず多忙な日だった。いや、空の色も風の香りも木々の葉も秋深まる普通の日ではあったがほんの少しだけ胸踊る特別な約束があった。
レイティは手に持っている『姫からの晩餐への招待状』と可愛らしくも整った読みやすい形をした文字で書かれたカードを執務室の自分の机の上に置いて溜息を吐く。このカードは2週間前、目を輝かせた第9の姫がレイティに渡したものだった。
しかし、予想していた以上の忙しさに愛らしい妹のような存在の大切な友人との食事会とはいえ王女の晩餐へ参加する程の体力も精神力も残っていなかったため、昨日断りを入れたのだった。
(また今度……せめて今の山場を乗り越えた後に…)
そうレイティは考えていた。第9の姫が朝から花瓶に飾る花を選び場所を整え、どれほどその約束の時間を楽しみにしているか、それは一度共に食事をした事があれば理解できる筈であった。だけれど、それを考える以上にレイティは疲弊していた。
レイティは第9の姫との食事を楽しめないと判断したのだった。そしてまた頑張って用意してくれた姫を落胆させてしまう、そういう確信が心のどこかにあったのだと思う。
秋になると冬至へ向けて日照時間が短くなっていく。執務室から入る光は気付かないうちに橙色へと変化していた。レイティは明日締切の書類が終わったところで筆を置いて椅子から立ち上がる。
当初の予定ではレイティはこれから第9の姫と夕餉を食べるため、今日はフィンクスと別々に帰るつもりだったが、キャンセルをしたため普段通り早く終わった者が後の者をあの裏口前のベンチに座って待っておくことになる。
帰る準備に机の上を軽く整理整頓をし、鞄の中へ家へ持ち帰れる数枚の難しい書類をファイルに丁寧に挟み入れる。これらは公爵邸での夕食時にレイティの父である現役の側近のミナミノ公爵から意見を貰いたいものばかりだ。
というのも平常時ならば、将来の側近候補なだけであるレイティとフィンクスには回ってこないような事案まで回ってきているのだ。そのため、2人では処理しきれない為、家へ持ち帰り父親に意見を聞くことも少なくない。
「先に失礼しますわ」
「了解、これが終わったら私も終わるな」
レイティが隣で忙しくペンを動かすフィンクスを横目に見てそう言うと彼は書類から顔を上げることなく言い放つ。
「執務以上に急ぎのものは無いので終わらせてからで大丈夫ですわ、読みたい本もありますし」
「すまん…」
未だに忙しそうに働いている官僚達に「お疲れ様てます」と会釈しながら執務室を出る。
「お姉様ぁ!!」
出て息を着く間もなく鈴を転がしたような愛らしい声がレイティを呼び止める。
「姫様…」
振り返ると廊下の窓からの夕陽を背中に浴び、目に溜まっている涙が橙色の光を反射してその色に輝く第9の姫がいた。その表情は不満と落胆の色で満ちていた。
「どうしてわたくしの誘いを断ったのですか?」
「ごめんなさい。最近とても忙しくて、お父様にもお伺いしたいものがいくつかありましたの。ひと段落ひた頃にまたお誘いしてくれないかしら?」
第9の姫は拳を胸前で握り締めて口を固く結ぶ。
「わたくしではお姉様の役に立てないのですね」