2話ー⑦
「ご機嫌よう。何か私に御用でしょうか?」
「えぇ。帰ってくれないかしら」
第9の姫は単刀直入にそう言う。
「何故?」
「お姉様…レイティ様に用があるのですわ」
フィンクスがここに留まることをさせない、有無を言わせない突き放した言い方だった。
「私はレイティから聞いていないが」
レイティは先に帰って欲しい場合は必ずフィンクスにひと言掛ける。今日それは無かったから第9の姫が独断で言っていることだと思われる。一緒に帰り始めたきっかけは親の催促であるが、習慣化した今では先に帰ってしまうとレイティは怒りこそしないが次に会った時に謝るまで肩を落として拗ねたような口調を続ける。
「フィンクス様がお姉様から聞いている必要がどこにあるのかしら」
第9の姫は可愛らしく首を傾げる。長い髪が肩から落ち夕暮れの背景は絵になるが、フィンクスにはただ不快なものでしか無かった。
「深い話があるならば、数日前…せめて前日までに約束を取り付けておくのが礼儀というものだ」
「わたくしとお姉様は貴方が考えているよりもずっと仲がよくってよ。それにミナミノ公爵には3日前に了承を頂いてますわ、これはお姉様へのサプライズなのです」
親しき仲にも礼儀あり。フィンクスが第9の姫に伝えたい1番の言葉だ。彼女の中で既に用意完璧かもしれないが、サプライズを受ける方のレイティは全く用意ができていない。当日まで秘密のサプライズは時に失敗することもあるのをわかって欲しい。
自信しか見えない第9の姫の様子にフィンクスは呆れて言葉が出ない。
「それにフィンクス様は少しお姉様を語りすぎだわ。ただ婚約者というだけの関係で仲はこれっぽっちだと言うのに」
あからさまな侮辱を含んだ声色にフィンクスは眉を顰める。第9の姫はそんなフィンクスの様子を嘲笑し、「怖い怖い」と呟く。
「確かに姫様が私よりもレイティと今現在の仲は良いだろうな。だが、私は其方よりも長くレイティと過ごした時間がある。彼女が今どんな物が欲しくて何が食べたいかは知らないが、彼女がどんな性格で何を大切にして生きてきたは知っている」
「へー、そう」
フィンクスの言葉に対し、第9の姫はつまらなそうに生返事を返す。
「第6の君程じゃないですけれど、フィンクス様もずるいですわね」
第9の姫の瞳に嫉妬の色が見え、その仄暗さにレイティの身を心配する。
(彼らを恐れなければならないのは死だけではない)
執拗な依存心や利己心、寧ろこれらの方が恐ろしいのでは無いかとフィンクスはそう感じてしまう。
第6の君だって対人時は常に穏やかな微笑みを浮かべ砂糖のように甘く優しい言葉を吐く。人々は彼を理想の王子だと持て囃すが、それ故に一人の時の無表情が恐ろしい。
レイティが昔呟いた第6の君の瞳は無機物みたいだという言葉、まさにそれだった。何も写っていないのではなく全て写り、そして流れていく。故に彼の瞳に景色が留まることが無い。
フィンクスは目の前にいる第9の姫をどう落ち着かせるか考える。下手に彼女にとって都合の良いことを期待させればレイティが危うい。だが、ここで更に機嫌を崩されればフィンクス自信が危うい雰囲気を漂わせていた。
「レイティをよく知っている私から姫様に言えることは1つだ」
フィンクスがそう言うと第9の姫は不愉快そうに顔を顰める。彼は苦笑する。予想通りの反応とはいえ、体が竦む。
「彼女はどんなに小さな思い出も大切にできる優しい子だ。其方との思い出も彼女はとても大切にしているだろうよ」
第9の姫は少し驚いた様子で目を開きフィンクスを見る。
レイティはたった2回一緒に遊んだだけの第7の姫との思い出を忘れはしていなかった。幼い日だったからフィンクスですら朧気でしかない記憶を彼女は懐かしむように偶に語る。
それはレイティにとって忘れないようにするためだったのかもしれないが、今はもういない王子王女の有象無象の1人だった第7の姫にとって誰かに覚えていてもらえることは嬉しいのではないかと思う。
「今日は姫様の根回しのおかげでレイティにこの後の予定は其方との食事以外ありません。楽しい食事になることを願っています」
フィンクスは好青年をイメージさせる表情で作法に乗っ取り礼をし、第9の姫に背を向けて立ち去る。レイティがそろそろ仕事に切りをつけ出てくる頃合だろう。まだ言いたいことは多いが、フィンクスだって友人同士が言い争いを見せられるのは嫌だ。
回想が終了したところでフィンクスが叩いて数分した扉を開けてルイーズが顔を出した。
「お、おにいさま!!」
フィンクスの腰あたりまでの身長しかないルイーズは出てくるのに数分掛かったことに対する焦りを顔に浮かべ、怖がるようにフィンクスを見ていた。
ルイーズは漆黒の滑らかな髪は貴族令嬢としては珍しく肩よりも少し長めに切りそろえてあり、瞳はブラックダイヤモンドのように大きく美しい輝きを持っており、顔立ちはフィンクスが父親に、ルイーズが母親に似たのかそれほど似ていないが、筋の通った鼻が同じ血を証明する。
フィンクスは焦っているルイーズを安心させる笑顔を見せ、彼女の頭を撫でる。
「今日は何をしていたんだ?」
「えっとね!」
ルイーズは顔を上げ、目を輝かせる。そして扉を開けると「はいって!」とフィンクスを部屋に招き入れる。彼は慣れたように部屋に入る。