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自分はどうするべきか

「…………」


 家に戻り、自室に篭った俺は一人ベッドに腰掛けながら台本を読んでいた。

 何やら玄関で出会った姉さんが「あ、葵くんがお友達と夜遅くまで遊んで!?」などと喜んでいたような気がしたのを覚えている。

 確かに中学時代の俺ならこんなことはなかった。

 周囲の環境も、明らかに変わっている。


 それは、佐倉との関係も―――


「本当の自分、か……」


 ふと、集中が切れる。

 その代わり脳裏に浮かぶのは先程の帰り道。

 眠らない街に照らされた彼女の笑顔と……胸を刺されるような言葉。


 佐倉は自分が分からないと言っていた。

 自分の定義に関しては人によって様々なものがあるだろう。

 たとえば、どんな姿であれ他者に流されず意思を突き通せる我こそ自分だと答える者もいれば、率直に湧いてきた感情こそ自分だと言う者もいる。

 結局、広辞苑に乗っている程度の言葉では測れないものなのだ。ある意味哲学的側面もある。


(まぁ、今の佐倉はどちらにも当て嵌まらないわけだが)


 別に今更佐倉が佐倉じゃなかったとしてもどうこう思うわけがない。

 他人から見える自分を偽り、今まで騙してきたのだとしても、そこに惚れたのは自分だ。

 失望なんかするわけがない、ましてや嫌いになることも。大人になれば自分を偽り、周囲の空気を読んで過ごすなど当たり前と言ってもいいぐらいなのだから。

 ただ、佐倉は人より……そう、《《周囲より早く大人になりすぎた》》。


「…………」


 ボーッと、天井を見上げる。

 思考が変なノイズで遮られているような気分だ。

 一人の女の子のことを考えているだけでこのような気分になっているのだから、より一層惚れている自覚が湧く。


(苦しい、んだろうなぁ)


 そうでなければ「役者になどならなければよかった」と口にはしないだろう。

 自分を見つけられない苦しみは、きっと周囲と比較して異端だと感じる部分からきているのかもしれない。もしくは、純粋に何も感じられないか。


 喜怒哀楽という言葉が漏れるのではなく出しているから。

 似ているようで少し違う。

 自分の意思で感情を引き出すか、自然に感情が出てしまうかの違い。

 あぁ、役者としては紛れもない才能だろう。

 役者じゃなくとも、社会という世界では紛れもなく生きていける立派な処世術だ。

 だがそれはあくまで自分を知っている大人であればの話。

 学ぶべきことが多い子供の話ではない。


(……可哀想)


 二度も人生を歩いている俺ならそこまで悲観することではない。

 割り切っているし、そもそも自分の中で自分をしっかりと持っているから。佐倉を好きだという気持ちも、己の中で「自分」だと定義付けができる。

 ただ、佐倉は? まだ子供と呼べる年齢なのに感情の差異が分からないなのだとしたら?

 姉さんのように活発で己の表現の仕方を自然に出せている者や、綺紗羅のように仕事と自分を割り切れている者がいる中で、自分だけ仮面を被っている。

 ……確かに、可哀想だ。もう、聞いているこっちまで悲しく思えてくる。


(これは同情なんかじゃない)


 佐倉だからこそ、そう思う。

 同時に《《助けてあげたい》》のだとも。


(だったら、俺がするべきことはなんだ?)


 一人の女の子を世間の知っている『佐倉柊夜』から取り出す方法。

 佐倉は言っていた―――俺と一緒にいるとたまに珍しいと思える感情を抱くと。

 なら一緒にいればいいのか? そんな単純な方法か?

 しかし、今までと一緒のやり方では佐倉は一生「懐かしい」というままで終わってしまうような気がする。


(馬鹿か、それじゃダメだろうが)


 懐かしいと思われてほしいんじゃない。

 当たり前だと、この感情は自分なのだと認識してもらわなくてはならない。

 きっと、佐倉は自分の感情の色ぐらいは理解している。ただ、引き出し方が分からないだけ。

 自分がとじ込められた箱の鍵が見当たらない状況……それだけ。

 だったら、俺はその鍵の在処を教えてあげればいい―――いつでも自分を見つけられるように。


「ただ、それが簡単なことじゃないのは分かってる」


 そうでなければ、佐倉があんなに長いこと苦しんでいるわけがない。

 だからせめて……せめて、一度でいいから佐倉という女の子を彼女に見せてあげたい。

 箱から取り出して、答えを差し出して、ゆっくり解答方法をこれからなぞっていけるように。


「葵くん、ご飯できたよー!」


 唐突に部屋の扉が開かれる。

 姿を現した姉さんはエプロンを身に纏い、いつものように明るい笑顔を向けていた。


「……って、葵くん。どうかした?」


 姉さんが俺を見て首を傾げる。


「どうかしたって?」

「うーん……なんかいつもと違う? こう、気合いが入ってるような、感じ?」


 姉さんは自分が思っていることによく分かっていないのだろう。

 俺自身も、姉さんが思っているように自分の顔がどうなっているのか分からない。

 ただ、分かるのは―――


「俺はさ、なんだかんだ恵まれてると思うんだよ」


 姉さんがいて、見放さないでくれた両親がいて。

 後悔だらけの一度目の人生だけでも振り返れば自分を表明できるような場所があった。

 逆に佐倉は周囲の環境が狭くて、どこにも自分を曝け出せる場所が存在しなかった。


 だから、俺は。


「そんな場所を、俺は作ってあげたい」


 どうすればいいかは絶対に見つけ出す。

 惚れてもらうためでも、並び立てるような男になるためでもなく。

 佐倉柊夜という女の子に……苦しんでほしくないから。


「……そっか」


 姉さんは何を言うまでもなく、柔らかい表情を浮かべる。

 具体的なことは何も言ってないのに、突然脈絡のないことを言ったのに。

 そして、俺の下に近づいてそっと頭を撫で始めた。


「頑張れ頑張れ」


 今だけ、姉さんの言葉が胸によく染み渡った。

 頭に伝わる感触は、とても温かった。


 窓から注がれる月明かりが、今日はどうも明るく見える。

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