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本当の自分とは

 街灯りが激しい夜道。

 人通りは多く、店の中から聞こえる喧騒や通り過ぎる人の話し声が耳に届く中を、俺は小さな歩幅で歩く。

 そして、隣には夜空に浮かぶ月のように輝く髪を携えた少女が並んでいた。


「こうして御崎さんと二人で歩くというのは初めてですね」


 佐倉が俺の顔を見て笑みを浮かべる。

 騒ぎにならないよう着用した黒縁の眼鏡のギャップが俺の胸を高鳴らせた。

 ただでさえ、佐倉と二人で歩くだけでドキドキするのに。


「まぁ、いつも誰かが横にいたからな」


 こういう時、役者としての技術を学んでいてよかったと思ってしまう。

 二人で一緒に帰れるなど、前の俺だったらすぐに顔に出て上がっていただろうから。


「言われてみればそうですね」

「佐倉の周りにはいつも人がいただろ? やっぱり、人気者は違うよ」

「人気者、ですか……」


 ピタり、と。佐倉の足が止まる。


「皆さんが好感を寄せてくれている人って誰なのでしょう?」

「佐倉……?」

「本当に、私のことを好きになってくれているのでしょうか?」


 大した会話もまだ交わせていない。

 それでも足が止まってしまったということは、きっと……俺が何かに踏み込んでしまったからだ。

 失敗したな、と。思う反面、この先を聞きたいとも思う。

 多分この先が俺の感じた違和感の答えなのだと、なんとなく理解した。


「実はですね、御崎さん……私はこれまでずっと後悔しているんです」


 ポツりと、往来中で佐倉が口を開く。


「役者になどならなければよかった、と」


 その言葉は今の佐倉を否定するようなもの。

 重たい声音が冗談を言っているような気がしなかった。


「もちろん、女優業は楽しいですよ。忙しいですがやりがいもありますし、お金もたくさんもらえます。きっと、この先の人生には困らないぐらい色々なものが手に入るでしょう」


 子供の頃から芸能界に足を踏み込み、これまで一線で活躍してきた佐倉なら確かにこの段階でも色々なものを手に入れてきただろう。

 お金もそうだ。人脈も、経験も、知名度も、技術も。

 束縛だらけの世界ではあるが、それ以上の恩恵が今の佐倉は持ち合わせている。

 でも───


「けど、数年前のある日……叔父を亡くしてしまった葬儀の際にふと思ってしまったんです」


 佐倉は、瞳から一筋の涙を流した。


「《《あぁ、この場面では泣けばいいんだ》》」


 ……なるほど。

 ようやく佐倉の言いたいことが分かってきた。


「見てください、御崎さん。今の涙も流そうとして流したものです。私って簡単に泣けてしまうんですよ」


 いつでも涙を流せる技術があるのだと、そうアピールをする。

 ……いや、佐倉が言いたいのはそこではないだろう。

 問題はその手前───叔父を亡くしたことに悲しむのではなく、周りの状況に合わせて態度を作ったという点だ。


「……佐倉は」

「はい」

「《《自分が分からないのか》》?」


 俺がそう言うと、佐倉は涙を流したまま微笑んだ。


「ふふっ、流石は御崎さんですね。察しがよくて多くを語らなくてもいいみたいです」


 ───俺は佐倉柊夜という人間を勘違いしていたのかもしれない。

 お淑やかで、物腰が柔らかく、器も大きく、上品で誰に対しても優しい女の子で、努力家で、周りをよく見ていて、自分に厳しい女の子。

 前も、今までも、俺は佐倉をそういう風に認識していた。

 けど、実は? ただ、《《そういう風に作っていただけなのだとしたら》》?


「……初めは、役作りに一生懸命でした」


 佐倉は俺の横を通り過ぎて先を歩き始める。


「できてしまいました。どうやら私には才能があったみたいです。なら次はどうでしょう? テレビに出る機会が増えましたので、カメラに映る自分を世間に好まれる姿で作ることにしました」


 歩く歩幅は女の子らしい小さなもの。

 横に並ぶのに大した苦労はないはずなのに、並ぶのに苦労する。一歩が……とても重い。


「これまたできてしまいました。更に次は? 今度はスポンサーや周囲に迷惑がかからないよう普段の自分を変えることにしました」


 落ち着いた態度は大人から見れば礼儀正しいと、同年代からは大人びていると思われるだろう。

 両側面を取ってみてもメリットばかり。大人ぶっていると石を投げられることもあるだろうが、それはメリットの前では些事にしかならない。

 更に、佐倉柊夜というキャラクター作りも同時にできてしまう。世間の印象を固定させることは認知にも繋がるはずだ。


「そうして、今の私がいます。それから何年この私で過ごしてきたでしょうか……初めは違和感などなかったのですよ? ただ───」

「佐倉の叔父さんが……」

「はい、亡くなった時に気がついてしまったのです。私は《《自分がどこに行ってしまったのか分からない》》」


 先を歩く佐倉が振り返る。

 背景には人混みと、聳え立つビルのテッペンにある巨大な広告看板が映った。


「本当の私って何? 今の私が本当に私? そもそも、一人称が私で合っていた? 好きな食べ物は? どんなことが嫌い? どれをもらったら嬉しい? 何が一番辛い? 考えても考えても、試しても試してもまったく分かりなせん。どこを掘っても答えが見つかりません。台本でも教科書でも小説でもなんでもいいので設定がほしい。宛てのない道を歩くような感覚。結局、私は自分を作って演技するしか覚えていないんです」


 演技をし続けていたからの弊害。

 加えて、他者よりも才能があったからこそそうなってしまったのだろう。

 いち早く社会に溶け込んでしまい、周りに顔を合わせ、偽り続けていたからこそ元の自分を忘れた。

 多分、叔父が亡くなった時に「泣けばいい」のだと思わなければ、演技し続けていたことにすら気づかなかったのかもしれない。

 悲しいという感情が、ごっそり抜けているのだと頭に浮かばなければ。


「ですが、御崎さんと出会って……私は懐かしいと思えるような感情を少しずつ抱くようになりました」

「…………」

「少しではありましたが、ワクワクする高揚感も、興味も、御崎さんからいただきました。知らない感情も抱きました。こんな話をするのも、実は御崎さんにだけなのですよ?」


 だからあの時に水を差してしまったのでしょう、と。

 佐倉は申し訳なさそうにはにかんだ。

 ただ、今の話を聞いてその表情が素なのか演技なのか……俺には見分けがつかなかった。


「御崎さんは私にとって───です。親よりも、綺紗羅さんよりも、クラスメイト達よりも。他の人からは抱けなかった私を教えてくれるんですから。でも……まだ私は《《私を思い出せません》》。思い出したいと、心底思っているのに」


 佐倉は両手を広げて笑みを浮かべる。


「ねぇ、葵くん」


 その姿は看板に映る彼女の姿と何一つ変わらなくて───



「あなたは、《《ちゃんと私を見つけてくれる》》?」



 俺はその言葉に何も返すことができなかった。

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