私はか弱き乙女ですので。
祝福の鐘が鳴り響く小さな教会。
神の御前でふたりは永遠の愛を誓い合う。
それがたとえ、政略結婚だったとしても。
★★★
私の実家である男爵家家訓は、『強い者こそ正義』です。
そのためか弱い私は、駒として侯爵家へ嫁がされてしまいました。
「……なにをしている? さあ、早くサインを」
美しいウエディングドレスに身を包んだ私に、一切の褒め言葉もなく冷たい視線を浴びせかける夫となる男性。そんな彼にエスコートされ、今は婚姻の署名をするところ。
なかなかサインをしない私に彼は苛立ちを隠せず、小声でそう宣いました。
「いいのですか? 神の御前ですが」
「なにを言っている……さっさとしないか!」
私は神の御前での誓いに躊躇いが生じておりました。
とはいえ、か弱い私です。
私自ら「愛など存在しない! この婚姻は無効だッ!!」などと発言することがどうしてできるでしょう。
私は『よよよ』とばかりによろめきながら、渋々サインを書きます。
神様ごめんなさい。
ですが、か弱い私がこうして夫となる男に強制されたことだけは、神様にもしかと覚えていただきたいものです。
そんなこんなで私と彼は夫婦になったのです。
先に屋敷に帰った私は、ずらりと並んだ侯爵家家人に出迎えられたあと、私室へ案内されました。
通された部屋はなんと、日の当たらない使用人部屋でした。
私の顔は非常に朴訥であり、見た目的には人畜どころか虫も殺さなさそうな無害面をしています。
私はその人畜無害面で柔らかな笑顔を作り、尋ねました。
「あなた、侍女長よね?」
「まあ! 名前も覚えてらっしゃらないとは流石は下位貴族の……ほぶッ?!」
すかさず平手を打ちました。
か弱い私ですが、目障りな虫はそれが比喩であろうと、躊躇なく叩く所存です。
ちなみに叩くは比喩を考慮しチョイスした単語です。虫なら即、殺しますね。
侍女長は人として生を受けたことに感謝すべきでしょう。
「名前はもう結構。 お会いすることもないでしょうから」
「そっ……そんな横暴がまかり通ると」
「横暴? 自分の給金がその下位貴族から出ていると理解できないような無能、不要なのは当然でしょう? 不敬で斬られたくなければ黙ってさっさと出ていきなさい」
騒ぎを聞いて駆け付けた者だけでなく、嘲笑おうと見ていた者達がいるのはとっくに気付いています。
侍女達は躾が必要なようです。
全部追い出してもいいけれど、選別するのが面倒なのでやめておきましょう。
「申し訳ございません、奥様。 私がご案内致します……」
「貴方はどなた?」
「執事長のバートンと……」
「あら、執事長! 初めまして」
「ッご挨拶が遅くなりまして大変申し訳ございません!!」
「……まあ、いいでしょう。 特別に今後の働きを見て評価して差し上げます」
不安でいっぱいのか弱い若奥様に対し出迎えと挨拶に来なかったのは許し難いですが、ここは寛容さを見せておくことにしました。
案内された部屋は、紛れもなく領主夫人の部屋でした。
これがもし客室だったら当然すぐクビです。
なにぶんか弱い私ですもの。
信用出来ないものばかりの屋敷で暮らしていく気はございません。
「で、ここは誰が入る予定だったのかしら?」
「勿論奥様です!」
「ふ~ん……ま、いいわ」
そして初夜。
か弱い私は初夜のスケスケネグリジェの上に毛布を羽織り、旦那様(仮)を待っていました。か弱き乙女に冷えは大敵です。
来なけりゃ来ないでいいものを、旦那様(仮)はやってきてこう吐かしやがりました。
「いいか? これはただの政略結婚だ! お前を愛することはない!」
「じゃあなんで来たんですか?」
「政略結婚だと言っただろう! 不本意極まりないが貴様との子が必要だ!」
「不本意極まりないのはこちらの方ですね。 なんでそう横柄な態度に出れるのか、度し難いです。 お金が必要なのはココ。 貴方の家でしょうが」
「不敬な!」
「不敬もクソもございません、夫婦になったからには不本意にも私は侯爵夫人。 お金は私が握っている。 貴方はもう私に権力を振り翳すことはできません。 現実を認識し直すことをお勧め致します」
そう言うと頭の弱い旦那様(仮)は私に詰め寄り、右腕を大きく振り上げました。
ハッキリ言って隙だらけです。しかも予想通りの動きです。
私は思い切り彼の腹目掛けて足を突き出しました。
「ぐうッ?!」
意外と飛びました。
か弱い私の蹴り程度でこんなに飛ぶだなんて。もっと体幹を鍛えた方がよろしいようですね。
「ああ……私のようなか弱い人間にはなにをしても構わんと思っているクソ野郎が夫となった悲運たるや。 ちなみに無理矢理サインをさせて愛を誓わせておいて、『愛することはない』とか宣った挙句に子を成そうとし、弁舌で勝てないとなると暴力に訴えるあたりがクソ野郎であることの証左ですけれど、なにか文句がお有りですか? このクソ野郎様」
私の実家である男爵家家訓は、『強い者こそ正義』です。
そのためか弱い私は駒として嫁がされてしまいました。
か弱い私ですが、そこは魑魅魍魎蔓延る我が男爵家。何も出来ないわけではありません。
血を分けた家族を『魑魅魍魎』などと言うのは些か憚られますが、事実ですから仕方ありません。
私は魑魅魍魎の筆頭……いわば魔王である父とは違い、人としてマトモに育ってきたものですから(※あくまでも主観です)、婚姻直前にも彼の意を確認しています。
その上でこの体たらくですから、かける情けなどございませんね。
「政略結婚だからこそ、これから互いに寄り添えれば、と思っておりましたが……無駄だったようですね。 離縁致しますか?」
離縁して困るのはほぼ侯爵家側です。
私が困ると敢えて言うのであれば、魑魅魍魎の巣窟に戻ることぐらいなもので。
か弱い私は充分酷い仕打ちを受けました。
魑魅魍魎の巣窟だけあり猫を百万匹程被った男爵家の評判は頗るよく、この人畜無害面の私が悲痛な面持ちを湛え事実を(都合よく抜粋して)そのまま語れば、こちらの憂き目など蚊に刺された程度のもの。
いくつか分岐のある魔王の指示的にも、なんら問題ありません。
「すまなかった……離縁しないでくれ」
「あら意外」
旦那様(仮)は己の言動を突きつけられ、いたく反省しているご様子です。
今まで誰も指摘してくれなかったんでしょうか。侯爵家家人の質にも問題がありそうです。予想はしていましたが。
「愛するように努力する……出来るかはわからないが」
旦那様(仮)は聞いてもいないのに、自分の過去を語り出しました。
父である前侯爵様は家庭を省みず、麗しい見目から誑かした女達の家を渡り歩くという放蕩生活。家を支えていた母には感謝しつつも、詰め込み式にされた過度な教育と、毎日のように手を上げられる日々だったとのこと。
良家に見目よく産まれた弊害的に、寄ってくる女性が見ているのは爵位と見た目ばかり。それも侯爵家が傾きかけているという理解のないお馬鹿ちゃんしかいなかったそう。
「あら、じゃあ愛人はいらっしゃらないの?」
「縋ることのできる愛があったら、こんな家はとうに捨てている……君はその、男爵家が乗っ取りのために送ってきた刺客だと」
「まあ!(正解じゃないですか!)」
旦那様(仮)は私の感嘆詞に人のいい受け取り方をしたようで、「すまない」と謝りました。
いやいや間違ってませんけどね?
そんなお人好しだからこそ、葛藤からクソ野郎と化したのでしょうか。
人って不思議な生き物ですね!
「しかし、断ってはこちらも後がないので乗るしかなかった……何も無い私には家しか残っていないから……」
「なるほどなるほど……」
「……軽いな、なんか」
「あら、そんなことございませんよ?」
まったくもってなるほどです。
私は深く理解しました。
人とはやはり相互理解を求めるための意識が重要だということを。
「ならば問題ありません。 旦那様、今夜は一先ず寝ましょう」
「え?」
「相互理解には物理的接触も大事でしょうが、なにぶん私はか弱き乙女です。 旦那様も今日はお疲れでしょうし、睡眠を重視致しましょう」
そう、なにひとつ問題はありません。
無事に『旦那様(仮)』は『旦那様』に昇格致しました。
これからのことはこれから。
窮鼠猫を噛むとはよく言ったもので。
か弱い私はか弱いですので、男爵家の後暗いところはいざと言う時のためにキッチリ抑えてあります。
当面は侯爵家立て直しのために、男爵家を使わせていただきましょう。
それにまだ、『旦那様』の昇格は『とりあえず』ですしね。
相互理解はする姿勢こそ大事であって、真に他人をわかるだなんて思ってはいけません。
それを継続できるかどうかが大事なのだと思います。
「そうだな……乙女に無体を強いようだなんて、どうかしていた」
「ふふ。 素直なのですね」 という私の言葉にばつの悪そうな顔をした旦那様。
根が素直な方なんでしょう。
もう既に私は、この方が嫌いではありません。
暫く沈黙した後、彼は誰に言うでもなく言いました。
「……私だって、温かい家庭には憧れがないわけではない」
「それが互いだとよろしいですね。 そうでなくとも、円満な解決方法を模索致しましょう」
「君は……」
呆れたように呟いた彼の言葉は続かず、灯りが消えて静かな宵闇が広がりました。
結婚初日。
どうなることかと思いましたが、まずまずのスタートと言えるでしょう。
だからか眠りが深い私には珍しく、夢を見ました。
内容は私にはとても恥ずかしくて口に出せませんが、か弱き乙女である私にピッタリの夢でした。
──まあ、夢とは往々にして、勝ち取るものですからね!