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哀れ、国王

 声を聞いた途端、唱の体はすくみ上がった。


 な、なんだ今の不気味な声……いや、声というより、これは……


「おい! 今、聞こえたよな!」

「聞こえました! いや、聞こえたっていうより、頭の中に直接響いてくるみたいな……」

「なんだろう。めちゃくちゃ気持ち悪いよ! 寒気がする」


 すると、蠅の悪魔が急に激しく動き出した。


 蠅の悪魔は渦が巻きあがるように飛ぶと、今度は水が零れ落ちるように階段に向かって落ちていき、それが砂のように積みあがっていく。


「……これ、ただの悪魔じゃない! こいつがもしかして……」


 唱が叫んだ時、目の前には黒い人影ができていた。

 その人影に、うっすらと紅い口が浮かびあがると、再びあの不気味な声が聞こえてきた。


――音楽騎士達よ。私がディレトーレだ。お前達が、魔王と呼んでいる者よ。


 ……魔王……!?


 突然の事態が信じられずにいた唱達だったが、人影はゆらゆらと揺れながら、ゆっくりと一歩ずつ階段を昇って来る。


「う、うわぁ! なんだこれは! ままま、魔王って……?」


 ペザンが叫んで尻餅をつく。唱達も、恐怖のあまり、思わず後ずさった。


 まさか、魔王とこんなに早く接触することになるなんて。しかも、どうしてわざわざ自分から……?


 突然の事態に、唱の背中にはだらだらと冷や汗が流れた。


 しかし、唱達以上に驚いた人物がここにはいた。


「な……ディレトーレ、だと……? バカな……その姿は、悪魔そのものではないか……貴様、余を、この国の王である余を、騙したなぁ……!?」


 玉座の間で見た威厳はどこへやら、国王は、腰を抜かして階段の上に足を投げ出しながら叫んだ。


 くすくすくす、という笑い声が聞こえてくる。


――あら、国王様。騙したつもりは毛頭ございませんことよ。


 声が聞こえた途端、黒い影が女性の姿に変わった。


「ぎゃー! に、人間になった!」


 一人大騒ぎしているペザンなど目にも入らぬように、女性、いや、魔王は薄い笑みを浮かべながら近づいてくる。


――私は国王様の願いを叶えにやってきたのでございます。そして、その願いは叶いつつあるのではないですか? で、あれば、私が誰かなどは些末なことでございましょう。


 その声に、うっとつまった国王は黙り込んだ。


「……ちっ。やっぱり国王自らこの国売りやがったのか」

「愚かだな。欲望に負けて、得体も知れない奴の言うことを簡単に聞くとは。大方、自分なら何とでもできるとでも思ったんだろうが、得てして、過信は破滅に直結するもんだ」


 RYU-JinとYAMAの呟きなど耳にも入らない様子で、国王はまるで言い訳をするように一人ぶつぶつと言い出した。


「そんな……そんなバカなことがあってたまるか。神書など、ただの言い伝えにすぎぬ話ではないか。魔王なんぞ、この世にいるわけがない。余は、余は信じぬぞ! こんなこと、断じて信じぬ。余が信じぬものは、あってはならぬことじゃ……!」


「ばっか野郎が。目の前で起きてんだから、今更そんなこと言ってどうなるよ!」

「全く愚かの極みだが、放っておくわけにもいかない。おれとリュウで引っ張り上げよう」


 そう言って、YAMAとRYU-Jinが、階段で腰を抜かしている国王の体を持ち上げようとした時だった。


 ざっ、という音がして、魔王の体は崩れ落ちるようにまた蠅の大群に姿を変えた。そして、列をなして飛ぶと、まっすぐ唱達の方に向かってきた。


「ショウ様、危ない!」


 唱の目の前に、ランテが立ちふさがる。


「くらえ! 忌まわしい魔王め!」


 叫びと共に、矢が放たれた。


 矢は、蠅の大群を切り裂くように貫いた。すると、蠅の列はそこからぱっくりと左右に割れた。


――邪魔が入ったか。まぁ、良い。先に、用済みの者を片付けよう。


 声が聞こえると、蠅の軍隊が、まるで両翼を広げるように国王の周りを取り囲んだ。


「な、なんじゃと? ディレトーレ、気でも触れたか。余がいなくなったら、困るのは貴様じゃろうが」


 くっくっくっと笑い声が響く。


――つくづく人間というのはおめでたい。自分の価値が特別なものと思うておる。人間など掃いて捨てるほどいる。代わりなど、いくらでもいるのだよ。


 国王は激怒した。


「ディレトーレ、貴様ぁ! 恥を知れ。余は国王じゃぞ。誰が貴様の願いを叶えてやったと思ってるのじゃ。図に乗るな!」


 しかし、蠅は容赦なく国王の体を包み込んだ。国王の悲鳴があがる。


「ぎゃああ、なんじゃこれは、助けてくれ。体が消えてしまう……! ディレトーレ、やめるのじゃ。わかった、望みを叶えてやろう。何でもくれてやる。何が良い。この国か? 国民の命か?」


 RYU-Jinが顔をしかめた。


「このヤロウ。国王のくせに、国民みんな犠牲にするつもりかよ」


 しかし、嘆願むなしく、国王はじわじわと下半身から蠅に食われていく。


「ひぃぃぃぃ。やめてくれ、頼む。助けてくれ。お、おい、貴様ら! 音楽騎士のくせに何をやっておるのじゃ。余を助けよ! 助けた者には褒美をくれてやる!」


 あれほど威張り散らしていた国王が、惨めなものだった。彼はすでに、ただの下品で哀れな老人に過ぎなかった。


 歌が効かないのであれば、唱達になすすべはない。呆然と目の前の老人が食われていくのを見守るしかなかった。


 国王は、階段を這いずるようにしながら喚き散らした。


「ディレトーレ、頼む、助けてくれ。何でもする、命だけは……」


 すると、悪魔の一部が再び分岐して動き出すと、片方は人型となり、再びディレトーレの姿に変わった。


「……おお、ディレトーレよ……!」


 国王が、薄ら笑いを女性に向ける。


 ディレトーレ、いや魔王は、国王の側に歩み寄ると、足元に無様に転がる国王を見下ろしながら言った。


――国王様。今まであなた様は、刑に処される囚人の命乞いを聞き届けたことがありましょうか?


 国王の表情が凍り付いた。女性は、糸のように細い笑顔を作った。


――そうでございましょう。であれば、それが答えでございますよ。


 そして、その顔は縦にぱっくりと割れ、国王はその中に飲み込まれるように消えた。


 それと同時に、ディレトーレの姿は砂が崩れるように失われ、蠅の群体が羽音と共に宙を舞った。


 再び、不気味な声が聞こえた。


――音楽騎士達よ。私のところへ到達できると思うな。闇は、まだまだ深いのだ……


 そして、辺りは静寂に包まれた。


「いなくなった、ね……」


 Taiyoが言い、全員、へたへたと腰が抜けたように階段に座り込んだ。


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