国境
「……それではショウ様、タイヨウさんとリュウさんも、どうかお気をつけて。戻られる日をお待ちしています」
ランテが、目に涙をいっぱいに浮かべながら頭を下げた。
「……はい、今まで本当にありがとうございました。お陰で馬にも乗れるようになりました。たくさん助けてもらって……本当に、助かりました……」
唱は、ランテと目を合わせないまま呟くように言った。目を合わせると、涙がこぼれそうだったからだ。
ランテが、隣に立つマーニを促す。
「ほら、マーニ。どうしたの。ショウ様や皆さんにご挨拶は?」
しかし、マーニはうつむいたまま、頭をぶんぶんと振るだけだった。
「ごめんなさい。離れるのが悲し過ぎるんでしょうね、ずっとこの調子で……」
そういえば、コモードの家に来てから、マーニは一言もしゃべっていない。
唱はしゃがんで、マーニの目線になった。
「マーニ。色々ありがとう。また戻ってくるからな。そしたら、また一緒に旅しような」
マーニが顔を少し上げ、唱の顔を見た。
唱は少し驚いた。マーニの目は、悲しみというより、どちらかというと恐れや不安といった物に満ちているといった感じで、何か言いたいのに我慢しているような、そんな顔に見えたのだ。
「マーニ……」
思わずつぶやいた唱の声は、クリワ達の会話でかき消された。
「安心してください! ショウ君が戻るまで、お二人はしっかりお守りしますよ!」
「ああ。おれ達は、シフレー組と連携して、お前達が戻れるように働きかける。だから、それまでの辛抱だ」
「まぁ、離れるのは寂しいだろうがよ。ショウの方はおれとタイヨウで面倒見るから、ランテちゃん達も安心してな」
「マーニちゃん! おれ達が戻ってきたら今度こそ一緒に歌えるように、頑張るね!」
ランテは不安げに唱とクリワの顔を見比べていたが、やがて、小さく微笑むとうつむいた。
話し合った結果、クリワの四人は二組に分かれ、TaiyoとRYU-Jinが唱と一緒に国外へ行き、ランテとマーニを守るため、YAMAとKassyは国内に残ることにしたのだった。
ランテとマーニも今は手配こそされていないが、次にどんな危険があるか予想がつかなかったためだ。それに、このまま国外に逃げっぱなしでは何の解決にもならないのも事実だった。
コモードが、ランテとマーニに近づいた。
「では、お二人は馬を連れて、この地図に書かれている場所に向かってください。私の仲間がいます。あとは、彼らがお二人を無事に家まで送り届けてくれる手はずになっていますから」
そう言って、マーニに封筒を渡すと、コモードは振り返った。
「さあ、ショウさん、皆さん。ゆっくりしている時間はありません。仲間との約束の時間まであと少しです。急ぎましょう」
コモードの声に唱は慌てて立ち上がり、クリワの四人と顔を見合わせてうなずき合った。YAMAとKassyは護衛も兼ねて、国境までは一緒に行くことになっているのだ。
最後に振り返ると、祈るように手を合わせているランテと目が合う。笑顔を作ったつもりだったが、うまく微笑みを作れたか、自信がなかった。
ドアが開くと、コモードを先頭に、一人ずつ静かに通りに出る。皆、フード付きのマントを頭からしっかりかぶり、遠目からは誰だかわからないようにしていた。
時刻は真夜中だ。
にぎやかなセレナドも、深夜にはさすがに人通りがなくなる。
静まり返った通りを黙々と歩き、大通りに抜けると、更に東側に向かって直進する。
このセレナドの町は、中心にある広場から、放射状に道が広がる構造をしている。敵に攻め込まれにくいように道が入り組んでいるオルケスとは対照的に、たくさんの荷馬車が行き交うセレナドは、道幅も広く、規則正しく通りが走っていた。
「万一、アクシデントが起きた時は、馬をつないでいる屋敷が集合場所だ。自分の身を最優先に守って、とにかくそこを目指す。道はわかるよな?」
コモードの借家を出る前、YAMAに言われたことを思い出す。縁起でもない、と唱は思ったが、逆にそれが安心にもつながった。YAMAのリスク対策に、他のメンバーが信頼を寄せているのもよくわかる。
中央広場を抜けると、東に向かう通りに入った。目立つのを避けるため、あえて、大通りではなく細い道を選ぶ。
ここをまっすぐ行けば、もう国境が目の前である。
もう少しだ。あともう少し。
唱は高鳴る鼓動を必死に抑えながら、コモードの後をひたすらについて歩いた。
いつもはにぎやかなクリワの四人も、静かについてきている。
やがて、通りの先に、高い塀のようなものが小さく見えた。
唱の胸は高鳴った。
「コモードさん。あれが国境ですか?」
ささやくように声をかけると、コモードが前を向いたまま答えた。
「……はい。あれが、国境です」
コモードの答えが終わるか終わらないかという時、唱の耳が、何か音を捕らえた。
ん? 今のは足音? それも一人じゃないような……
急な違和感に、唱は思わず足を止めた。
「おい、ショウ……」
唱の後ろにいたYAMAも異変に気づいたようだった。
「すみません、コモードさん。おかしいです。今、何か……」
唱が言いかけると、コモードも立ち止まりゆっくりと振り返った。
その顔は、ひどく悲しそうな、申し訳なさそうな表情で、唱とは目を合わせない。
「ショウさん、本当に、申し訳ありません……」
瞬間、唱の心臓はドクンと大きな音を立てて飛び上がった。
え? コモードさん、なんで謝ってんの? まさか……
心臓の鼓動に合わせて、視界がコマ送りのようにチカチカと動いていく。
まるで、映画のスクリーンに現れる登場人物のように、通りの向こうに、一人の人間が現れるのが見えた。暗くて、顔はよく見えない。
「ショウ、待ってたぞ。全く、ちょこまかとネズミみたいに隠れやがって、手間をかけさせるやつだ」
「その声は……ペザン?」
遠くに見える国境の壁を背景にして現れたのは、ペザンと、ペザン組の仲間達だった。
……やられた! 完全に、はめられた!!
唱は瞬時に状況を理解した。
コモードに連れてこられたのは、国外逃亡の手助けをしてくれる仲間のところではなく、ペザン組が待つ場所だったのだ。
つまり、コモードとペザンはグルだったのだ。
唱の脳裏には、城まで案内してくれた時の親切なコモードの姿が、悪魔に体を食べられても自分たちを逃がそうとしてくれた必死な顔が、おいしいお茶を振る舞ってくれた笑顔が、娘の話をするデレデレの顔がぐるぐると渦のように浮かび上がる。
「嘘だろ……コモードさん、嘘だって言ってくれよ……」
唱の祈るような言葉もむなしく、目の前のコモードは、ただ黙ってうなだれているだけだった。




