目覚めのとき
外の騒々しさに、唱は目を覚ました。
「……なんだよ。もうちょっと寝かせてくれよ……」
夜の見回りから戻ってきた唱は、入れ違いに起きてきたヘオン夫妻に寝室を借りて、床にブランケットを敷くなり泥のように眠っていたのだ。
おそらく、まだ四時間程度しか眠っていない。ここのところ睡眠不足だった唱にとっては、あともう四時間は寝かせて欲しいところだった。
外の騒音に耳を傾ける。どうやら、人の怒鳴り声らしい。
「ここに手配中の音楽騎士がいるという密告があったんだぞ。隠し立てするのであれば、どうなるかわかっているんだろうなぁ?」
その聞いたことのある声で、唱の目は完全に覚めた。飛び起きるなり、寝室の窓からそっと様子をうかがう。
ヘオンの家の前は、大騒動となっていた。
二十人ほどが隊列を組んで道を占領しており、住民も何事かと集まっている。
「あいつ……ペザンじゃないか……」
隊列の先頭には、やけに偉そうにふんぞり返ったペザンがいた。よく見ると、その後ろにはニシモなど、見知った顔がいる。
彼らと向き合うように、ヘオン夫妻が立っていた。
「とんでもございません! 全く身に覚えのないことで、何かの間違いです。どうか、どうかお引き取りを……」
「このような、赤ん坊が生まれたばかりの夫婦でございます。なぜそんな恐れ多いことができるか……どうぞお察しくださいませ」
二人は、ひれ伏さんばかりに頭を下げている。
唱は血の気が引いた。
やはり、昨日の悪魔騒動で、村の住民に唱のことがばれたらしい。唱のことを悪く言う人はいない、とヘオンは言ってくれたが、快くなく思う人もいたということだろう。密告され、ペザン組が派遣されたということと思われた。
ヘオン夫妻は必死に唱を守ろうとしてくれているが、このままだと、ペザン達は夫妻を国家反逆罪で捕まえてしまうかもしれない。唱は、選択を迫られた。
くそっ……やっぱり、逃げきれないか……ここはもう、覚悟決めておれが出るしか……
そうこうしているうちに、窓の外の怒号は、更に激しさを増していた。
「貴様、この音楽騎士様を前に良い度胸だな? よし、体に聞いてやるから、覚悟しろ! おい、エネル!」
「……は? お、おれっすかぁ?」
ペザンに呼ばれて、ひと際体の大きい男が前に出てきた。
「そうだ! お前以外に誰がいる。この二人を痛めつけてショウのことを聞き出せ!」
エネルと呼ばれた男は、あからさまに嫌そうな顔をした。
「えぇえ? いやっすよぉ、そんなこと。おれ、そんなことするために音楽騎士になったんじゃないっすから」
「何ぶつくさ言ってる? こやつらは国家に仇なす重罪を犯しているんだぞ! 不届きな奴らを懲らしめるのも、立派な音楽騎士の仕事だ! さぁ、やれっ!」
口を尖らせながら、エネルは背負っている棍棒を取り出した。
「はぁあ……すまんねぇ。うちのカシラがああ言ってるもんでさぁ。じゃあ、お父さんから――」
申し訳なさそうに言うと、エネルはヘオンの胸倉をつかんで持ち上げた。苦しそうに、ヘオンの顔がゆがむ。
エネルという男は身長が二メートルくらいあり、かなりの巨漢だ。あんな男に棍棒で殴られたら、ひとたまりもない。
はじかれたように唱の体が動き、家の扉を開けようと、手をかけた時だった。
「あなた達、おやめなさい」
澄んだ声と共に、ざわめきが聞こえた。
え? この声――
唱は、再び窓から外の様子をそっとうかがう。
「ん? 誰?」
キョトンとしているペザンに、ニシモが言った。
「あれ、光の巫女様じゃないすか、服装違うけど。 ほら、一昨日から行方不明の」
「――!? あぁあっ! 光の巫女様!? こ、こ、こんなところにいらっしゃったのですかぁ!」
ペザンはバカでかいリアクションで叫ぶと、地に頭をこすりつけんばかりにひれ伏した。
いやいやいや。ビビり過ぎだろ、いくら何でも。
突然、低姿勢になったペザンに唱はドン引きした。
「こらっ、お前達、何という無礼! 頭を下げろ! ――ほらエネル、お前も!」
「えぇっ? もう、忙しいなぁ」
エネルはヘオンを離すと、ペザンと並んで土下座した。
離されたヘオンは地面に転がり、ゴホゴホと咳き込む。
タメラは、ひれ伏しているペザン達を見下ろすように立った。
「ここには、あなた達の探している音楽騎士なんていませんよ。私が言うのだから、間違いありません」
タメラは毅然として言った。まるで、お姫様のような振る舞いだった。
ペザンが困惑したように顔を上げる。
「お、お、お、恐れ多くも……密告があった以上、調べなくては……それに、ここに光の巫女様がいらしたということは、この村全体に光の巫女様の拉致疑惑――国家反逆罪の疑いがあるということにも……」
「私は、自分の意思でここに来たのです。そして、この村のどなたの助けも借りていません」
タメラはぴしゃりと言い放った。
「もし、国家反逆罪というのなら、私を捕まえなさい。お城を抜け出したのは間違いないですし、それが罪ということなら、そうなのでしょう」
ペザンは素っ頓狂な声を上げた。
「ととと、とんでもない! 光の巫女様を国家反逆罪になど、まさか!」
タメラは、ツンとしてペザンを一瞥した。
「だとするならば、この村を調べたり、村の人を捕まえたりするのはやめなさい。いいですね?」
さっきまでの威勢はどこへやら、完全に気圧されおどおどしているペザンに、とどめの一言が放たれる。
「もし、私の言うことを聞かないと言うのなら、私は今後、二度と歌うことはありません。そして、その理由はあなた達にあると国王様にお伝えします。そうなったら、あなた達の方こそ、国家反逆罪になるのではないですか?」
この世の終わりのような顔になったペザンは、また地に頭をこすりつけた。
「そ、それだけはご勘弁を……しょ、承知しました。すぐに引き上げます。ですが――恐れ多きことではございますが、光の巫女様におかれましては、何卒城まで我らと共にお戻りいただけますよう――」
タメラは、ふうと大きく息を吐いた。
「いいでしょう。戻ります。ですが、くれぐれも、この村に何もしないようにお願いします。もし、何かあった時は、わかっていますね?」
そう言うと、タメラはすたすたと歩き出した。ペザン隊はさっと左右に分かれ、彼女のための道を作る。
「良かったじゃないすか、ペザンさん。ショウは取り逃がしても、一応、お手柄っすよ」
「そ、そ、そうだな! うん。おれは最初からこういうことも見越していたのだ! 予定通り、予定通り! さぁ、みんな、帰るぞ!」
ニシモに持ち上げられ、ガハハと笑いながら、ペザンが光の巫女の後に続いた。
唱は、段々と小さくなるタメラの後ろ姿を見ながら思った。
もう、彼女は、昨晩に唱と話をした気弱な少女の姿ではなかった。
ハルプ村で見た、神々しい光の巫女、そのものだった。
タメラ――光の巫女は、一度も振り返ることなく、ペザン達に囲まれながらペトラン村を去って行った。




