光の巫女の嘆き
食堂のテーブルの下に、借りたブランケットを敷くと、唱は靴を脱いで横になった。
ああ、横になって眠れるって幸せ……
唱は、喜びをかみしめながら毛布をかぶった。
夕食もお腹いっぱいに食べたので、横になった途端、睡魔に襲われる。
オルケスを出てから、ほとんどまともに眠っていないのだ。時間にしては三日程度のことだったが、ひどく長い時間が経ったような気がしていた。
ペトラン村の男――名はヘオンといった――の家は小さく、夫婦と赤ちゃん、そして二人の客が寝るには部屋が足りず、唱は一人食堂を借りることになったのだったが、それでも十分に体と心を休めることができそうだった。
うつらうつらしていると、ふと、ぼんやりとした視界の端に、細い足が見えた。
「わっ。びっくりした! あ、えーと……な、何かな……」
驚いて体を起こす。そこには、寝間着姿に着替えた光の巫女がいた。
「ごめんなさい。こんな夜更けに……ちょっとだけ、お話いいですか?」
彼女は、おずおずと言った。
突然の訪問にビックリしすぎて心臓がバクバクしていたが、勤めて平静を装った唱がこくこくとうなずくと、光の巫女は、ドアの方を指さした。外に出て話そうと言うのだろう。
家人を起こさないようにドアをそっと開けると、外は真っ暗闇だった。
悪魔避けのために、どこの家でも、寝る時も部屋に灯るランタンの火を絶やさないのだが、それゆえに、余計に闇が黒く映った。
唱と光の巫女は、玄関の前に、ランタンを置いて座り込んだ。
夜に、少女と並んで座っているなんて、なんだか妙な気持ちだった。
ちらりと横を見ると、光の巫女は、黙り込んで抱えた膝の間を見つめている。
なんだろう、光の巫女がおれに話って。あんまり楽しそうな話じゃないのは間違いなさそうだけど……
そんなことを思いながら緊張していると、やっと、彼女は口を開いた。
「あの、なんでこんなとこに、って思ってますよね……その……私がここにいたこと、絶対、誰にも言わないでもらえますか?」
祈るように手を組み、光の巫女は真剣な面持ちで言った。
「あ、ああ、わかった……大丈夫だよ。安心して、誰にも言わないから」
まぁ、言う相手もいないけどね。
答えながら、唱は自虐気味に思った。
光の巫女は、ほっとしたように表情を緩めた。その顔を見ていると、どこにでもいるごく普通の少女のようで、神のごとく崇められている存在には見えない。
あ、そうだった。この子に、空を晴らす力はたぶんないんだった――
マーニの言葉。原典の存在。そして、唱自身の力。これらをつなげて考えると、光の巫女はでっちあげということになる。つまり、今、目の前にいる少女こそ、この国の民を欺いているのだった。
しかし、YAMAが言っていたが、彼女一人でこの盛大な嘘をついているとは考えにくい。嘘を真実に見せかけるだけのことができるバックがついている。つまり、組織的な陰謀に、彼女も加担しているということだった。
唱の脳裏に、あの日、処刑された新聞記者の叫びがよぎった。
光の巫女が、ふうと大きく息を吐いた。
「私――実は、逃げ出してきたんです。昨日」
ぽつり、ぽつりと彼女は話し出した。
「この前、音楽騎士さんが亡くなってからは、戻ってもお城がずっと慌ただしくて……それで、変装してお城から抜け出したんです。城に野菜や果物を運んでいる馬車の後ろにこっそり乗って、道の途中で飛び降りて……歩いてるうちに、この村にたどり着いたんです」
確かに、寝間着に着替える前の彼女は、城の使用人が着るような地味な色の、体に合わないサイズのワンピースを着ていた。
「でも、どうして? 一人で逃げてきても危ないでしょ? お城の方が安全だと思うけど――」
唱の質問に、光の巫女は顔をしかめた。
「こんなことを言ったらいけないと思うんですけど……もう、耐えられなかったんです」
そう言うと、彼女は膝に顔をうずめた。
「詳しいことは言っちゃいけないんですけど……私のやりたかったことって、こんなことじゃないんだって、ようやく気付いたんです……」
ああ、間違いない。やっぱり光の巫女は嘘なんだ。そして、本人も嘘に苦しんでるんだ――
ランテから、城の庭園での話を聞いた時は、光の巫女の印象は良くなかった。しかし、その時にランテがフォローしたように、光の巫女――いや、タメラという少女は、本当は気の弱い子なのだろう。
それだけに、唱は不思議に思った。
「君は、どうして光の巫女になろうと思ったの?」
少しの沈黙の後、か細い声が聞こえた。
「私、ずっと、憧れていた子がいたんです。その子は私の幼馴染で、歌呼でした。あの子の呼ぶ天使様は、とっても美しくって、私も、ずっとあんな風に天使様を呼べたらなって思ってたんです。私には、歌呼の力は無かったから」
マーニのことだ。と、唱は思ったが、何も言わなかった。
「私のうちは、歌呼の多い家系で、おばさんやおばあちゃんもそうだったし、親戚にも何人もいたんです。私は、一人娘だったから、期待されてたんですけど――」
よく見ると、タメラは目に涙をためていた。
「私、歌は大好きなんです。教会の神父様も、村の人も、みんな歌を褒めてくれました。でも、家族や親族に褒められたことは一度もなくて……ただ、歌呼の力がないことばかり言われて……悲しかった……」
タメラは顔を覆った。
「だから、あの人が来て、私の歌には歌呼以上の力があるって言われて、私の歌の力が必要なんだって言われて嬉しかったんです。それでオルケスに来たんですけど……やっぱり、もう無理……」
タメラは肩を震わせている。おそらく、今までため込んだ気持ちを誰かに吐き出したかったのだろう。
しかし、唱は、彼女の言った一言が気になった。
あの人? あの人って、誰のことだ?
タメラはしくしくと泣いている。彼女の気持ちを無視して質問することに気が引けて、タイミングを狙っていた時、目の前の闇に何かを感じた。
はっとして、足元にあったランタンを目の前に掲げた。
目の前の家の白い壁の前に、大きな黒い影が映る。
その影は、大きな猫のような形をしていた。




