森の木の下で
少女の名はマーニといった。近くの村に、姉と二人で暮らしているらしい。
「へぇ、二人だけ? 家族は他にいないの?」
パンを平らげ、やっと人心地ついた唱は、名乗った後、少女に様々質問していた。
「うん、お母さんは、あたしを産んでしばらくしてから病気で亡くなっちゃったんだって。それからは、ずっとお父さんとお姉ちゃんと三人で暮らしてきたんだけど、お父さんはあの時……」
ずっとにこにこしていたマーニの顔が曇った。
「食べられちゃったから、悪魔に」
唱は、思わず飲んでいた水を吹き出した。
「悪魔? この世界、悪魔がいるの?」
今度はマーニが驚く。
「えっ? お兄さん、悪魔のこと知らないの? うそうそ、なんで? どうして?」
マーニは、唱の頭からつま先までをじろじろと見た。
「そういえば、お兄さん変な格好してるもんね! ショウっていうのも珍しい名前だし……そっか、わかった。外国の人なんだ。どこから来たの?」
唱は、うっ、と詰まった。まさか、この世界とは次元の違う世界などと言っても信じてもらえるわけがない。
「え、えっと……ずっと、遠くの方……きっと、知らない国だよ……」
相手は子供なんだし、と思った唱は適当にごまかそうとしたが、マーニは許してくれなかった。
「遠く? えー、すごい! 西の方? それとも北の方? わぁ、外国ってどんなとこ? あたし、ずっとこの村から出たことないの。すごく知りたい!」
好奇心に満ちたきらきらと純粋な目を見て心苦しくなった唱は、これ以上嘘を重ねたくなくて、無理やり話題を変えた。
「いやそのえーっと。そんなことより、悪魔って何なの?」
唱の目論見は、すんなりと功を奏した。が、マーニの表情が、また暗く沈む。
「うん……悪魔は、恐ろしいモノよ。あんな恐ろしいモノは、見たことがなかったわ」
マーニは、言葉を小さく区切りながら言う。唱は、はっとした。
そういえば、さっき、お父さんが悪魔に食べられたとか言ってたような……やばっ。つらい記憶思い出させちゃったかも。悪いことしちゃったな。
焦るも、こんな時、何と言ったら良いかわからず、唱はあたふたとしながら言葉を探した。
「そ、そうだよね……ご、ごめんね。そりゃそうだよね。悪魔なんて恐ろしいに決まってるよね。でかくて角とか生えてて、凶暴な獣みたいな外見だったりするんだよね、きっと……」
すると、マーニはキョトンとした後、ぷっと吹き出した。
「やだ。そんなの悪魔じゃないよ。お兄さんたら変なこと言うね!」
えっ? おれの中の悪魔って、顔が牛ですごいツノとか生えてて、バッキバキのマッチョな人間の体とかしてるやつなんだけど?
マーニの反応に目を白黒させていると、彼女はぽつりと言った。
「悪魔は、たぶん生き物じゃないんだと思う。あれは……闇……」
風が吹いてきて、木がざわざわと音を立てた。
急に気温が下がったような気がして、唱はぶるっと震えた。マーニが空を見上げる。
「あ、雨が降るかも……お兄さん、ここにいると濡れちゃうよ。行こう」
「えっ。行こうって、どこへ?」
「あたしん家! お兄さん、どうせ今日泊まるところとかも決まってないんでしょ。家においでよ!」
そういえば、彼女の言う通り、確かに身を寄せる場所のあてなど考えていなかった。あまりに都合が良すぎる展開に、逆に不安になるが、このマーニという少女が自分を騙すようなこともないだろう。唱は彼女の言葉に甘えることにした。
「そ、そう……? なんか、悪いね。お姉さんも大丈夫かな」
「大丈夫よ! 滅多にお客さんなんて来ないから、お姉ちゃんも喜ぶと思う」
マーニは立ち上がって唱を手招きし、唱もつられて立ち上がる。
歩き出すとすぐに、ポツポツと雨が降ってきた。
「大変、降ってきちゃった! お兄さん、走れる? すごい雨になるかも!」
マーニが言うや否や、雨が大粒になってきた。
「きゃあ、ひどい雨。しょうがない、一旦、雨宿りしよう!」
必死に走り、やがて二人は森の入り口に生えている木の下に身を寄せた。
とは言え、木の枝は雨を凌ぐのに十分ではない。唱は、びしびしと体に当たる雨粒が気になり、
「かなりどしゃぶりだね。ここだと濡れちゃわない? もう少し、森の中に入らなくてもいいの?」
と言ったが、マーニは首を振った。
「ううん、これ以上森に入ると、悪魔がいるかもしれないから」
「えっ? 悪魔って、森の中にいるの?」
びっくりして、唱は背後の森を振り返る。
元気印のマーニだが、悪魔の話をするときだけ、顔つきが一気に深刻になる。
「森の中だけじゃないよ。悪魔は、暗いところによくいるの。だから、あんまり森に近づかない方がいいんだけど……」
そう言われて、唱はもう一度森を振り返った。
背後は真っ暗だった。まさに、漆黒の闇。唱は、数時間前まで自分がさまよっていた森の中を思い出して、背筋が寒くなった。
悪魔がいるなんて知らなかった。襲われないで良かったぁ。
安堵のため息をつきながら、ふと自分の足元に目をやる。
黒い黒い影が伸びている。その影は、まるで、森の中からにゅうっと生えているようにも見えた。