嵐の日に
とどろく雷鳴と光る稲光。ゴオゴオと吹き付けるすさまじい雨。空を埋め尽くす真黒な雲。
コンセール王国の首都オルケスは、大嵐に見舞われていた。もう、三日もこんな悪天候が続いている。まだ昼食前の時間だと言うのに、すでに外は夕刻のように暗かった。
「まったく、気の滅入る天気じゃわ」
自室の窓から外を眺めていた国王マイスター八世は、憎々し気に一人呟いた。
王の不機嫌の理由は、本当のところ、天気ではない。先日の戦争で、思ったような成果を上げられなかったことによるものだ。
綿密な準備をして臨んだ戦争で、まさしく必勝のはずであった。
しかし、予想に反して、拠点となる城を落とすことができなかった。結局、ひと月にらみ合った挙句、勝ち目がないことを悟って軍隊は退却せざるを得なくなったのだ。
知らせを聞いた国王は怒り狂った。
戦争の指揮を執っていた将軍たちを処罰し、捕虜とした隣国の兵士たちを、見せしめのように残虐な方法で処刑した。
しかし、幾人もの命を引き換えにしても、国王の気持ちが晴れることはなかった。
国王はむなしかった。
なぜ、全てを手中に収めたいとこれほど願っているにも関わらず、世界はわが手に落ちてこないのか。
世界の支配。
目がくらむような財宝も、美しい女どもも、この甘美な響きに比べれば、ゴミのようなものである。
すべてを意のままに。これ以上の愉悦がこの世にあり得ようか。
マイスター家八代目の当主となるコンテ・ルート・マイスター王は、幼き頃より、世界を支配することだけを望み続けてきた。
先代の王、兄グラヴェが若くして病で没し、二十八歳で王位に着いた時から、多くの財を使い、人間を使い、ただそれを得るためだけに生きてきた。
もともと小国だったコンセール王国だったが、国王の野心に伴い、その領土は大きく広がっていた。
しかし、気付けば、もう老齢である。
この身が朽ちる前に、どうしても、この世界を牛耳りたい。たとえ、何を犠牲にしたとしても。
日に日に、この思いは強くなるようだった。
窓の外で吹き荒れる雨風は、やむ気配を見せない。まるで自分の心の中を表しているようだ。国王がそんなことを思った時だった。
突然、閃光が目の前を走ったと思ったら、地が裂けるような轟音が鳴り響いた。
「む、雷が落ちたか?」
部屋がぐらぐらと揺れ、ランプの灯がふっと消える。
部屋は夜のように真っ暗になった。
「誰か! 誰かおらぬか! 明かりをつけよ!」
隣の部屋に侍しているはずの召使に声をかける。が、誰も出てこない。
何をさぼっているのか。明かりをつけ終わったら、二度とさぼる気が起きぬように罰を与えてくれる。
いら立ちを覚えていると、真っ暗な部屋の中にうっすらと人影が見えた。
「そこの者! 何をやっておるか。早く明かりをつけんか!」
しかし、その人影は明かりをつけることもなく、ゆっくりとこっちに向かってくる。
その途端、国王は味わったことのないようなおぞましさを感じた。全身が総毛立ち、嫌な汗が背中をつうっと流れていく。思わず叫びたい衝動に駆られた、が、国王として、そのような見苦しい行動を取るわけにはいかない。国王は腹を決めて、こちらにやってくる人影をじっと見据えた。
「国王様、そのように、警戒なさらずとも大丈夫でございますよ。わたくしは、危害を加えようなどという恐れ多いことは微塵も考えておりません」
人影が言った。女の声だった。
とても奇妙な声だ。若く艶やかな声なのだが、なぜか老婆を思わせる。それに、歩いてくる女の方から聞こえてくるというより、部屋全体から沸き上がるように聞こえるのだ。
このような声の者が召使たちの中にいたであろうか。国王は不安に駆られた。
ゆらり、ゆらりと揺れながら、声の主がこちらに近づいてくる。国王の背中に、汗が幾度も流れる。
ふいに、ぽっと明かりがついた。女が、手に持っているランプに明かりをつけたのだ。
小さな明かりの中に見えたのは、黒っぽい服を着た、若い女性だった。黒く豊かな髪、真っ白い肌、黒い宝石のような瞳、紅い唇。
国王は、これほどまでに美しい女を見たことがなかった。言葉を全て忘れてしまったかのように、呆然と目の前の女を、ただ見つめた。
女が、まがまがしいほどに紅い色をした唇を開く。
「はじめまして。国王様。突然このようにお目にかかる無礼を、何卒お許しくださいませ。わたくしは、国王様の望みを叶えるためにやって参ったのです」
「望み……余の望みじゃと? 貴様、愚弄するか。貴様のような女に、余の渇望などわかるものか」
怒鳴りつけると、女は「まぁ、うふふ」と細い手を口に当てて笑った。まるで、母親が駄々をこねる子供に向けるような仕草だった。
「世界を統べる力。お望みなのは、そちらでございましょう?」
国王は、ごくりと唾を飲み込んだ。
いつの間にか、女は、手を差し伸べれば触れることができるほど、近くまできていた。だが、手を伸ばしたのは、女の方だった。
「わたくしには、何でもわかるのでございます。なぜならば、わたくしには未来が見えるのです。わたくしの言う通りにした国王様は、世界をその手に治めていらっしゃるのですよ」
女の細い枝のような指が、するりと国王の顎を撫でた。いつもなら、無礼者と斬り捨てるところだ。しかし、今、国王は、まるで金縛りにでもあったかのように動けなかった。汗はすでに滝のようだ。
女は、薄笑みを浮かべた。
「わたくしは占い師のディレトーレと申します。どうぞ、名前でお呼びくださいましね」
窓の外の嵐は、なお一層強まっているようだった。




