紫炎
それは、とても短い旋律だった。
歌は、聖歌の一節と思われる。
神に祈りし、我が友よ。
おそらく、フオゴはそう歌ったのだと唱は思った。
たったそのワンフレーズ。それが響いた瞬間、ガラスケースの中の悪魔が紫色の炎に包まれた。
――ヒビャアアアアアアア!!!
悪魔の悲鳴だ。耳をつんざくようなその音に体がすくむ。こんな苦しそうな悲鳴は聞いたことがない。
しかし、ガラスケースの中はもっと信じられない光景だった。本当に物が燃えるように、悪魔の体が燃えている。
全員、言葉を失い、唖然として目の前の光景を見ていた。
フオゴだけが、無表情に、燃え尽きようとする悪魔を見下ろしていた。
やがて炎が消える。後には、何一つ残らなかった。
「うおおおおおおおお!!!」
群衆から、どよめきが起こった。
「すげぇ! こんな力初めて見た!!」
「最強じゃねえか!」
「おれ、フオゴさんと同じ組がいい!!」
皆、口々に賞賛の声を上げる。
これは……おれ以上の力だな。うん、間違いなく。なんだよ。やっぱ普通にいるじゃんか、すごい人が。良かった、良かった。こんな人が同期にいるんなら、悪魔退治も安泰だな。
唱は、安堵とがっかりが入り混じった複雑な気持ちになっていた。
唱の歌よりも、はるかに速く、しかも確実に悪魔を倒せる力だ。見た目のインパクトもすごい。なんだか、自分の力がひどくしょぼく思えてくる。
「はーい、静かに、静かに。続けるよ」
ぱんぱん、と手を叩いてRYU-Jinが言う。受検者たちは自分の列に戻りつつも、まだざわめいていた。
「これ、すごいね。どんな悪魔にも効くの?」
RYU-Jinの質問に、フオゴは淡々と答える。
「全ての悪魔に効くかどうかはわからない。が、今まで、失敗したことはない」
「何匹倒した?」
「……さあ……二、三十匹くらいだと思う。いちいち数えていない」
二、三十っ……すご……やっぱりおれなんか全然かなわないじゃん。
唱はますます打ちのめされた。この後に試験をやるのは、非常にやりづらい。
「こりゃ頼もしいね。さしずめ、“炎の歌”ってことかな。はい、ありがと! んじゃ、次の人」
げっ。きた!
すでに意気消沈気味だった唱は、半ば青ざめながらRYU-Jinの前に出た。
「と、常磐津唱です……え、ええと、歌で悪魔を消滅させられます……」
唱を見るなり、RYU-Jinはぱっと笑顔になった。
「おっと、また、すごいのきたね! ちょっと今、こんな悪魔しか残ってないんだけど、これでお願い!」
いつの間にか、さっきの悪魔が入っていたガラスケースより二回りほど小さいケースが用意されていた。中には、ネズミのように小さい悪魔がちょろちょろ走っている。
あ、良かった。小さいので。……って、もうすでに気持ちで負けてるな。はぁ……
「虫嫌いの兄ちゃん、負けんなよ」
「安心しな。そいつ、刺したりしないからよ」
周囲からヤジが飛び、どっと笑い声がした。
ただでさえ肩身の狭い思いをしていたところ、ますます惨めな気持ちになり、唱は半ばやけくそ気味に歌い始めた。歌はもちろん、クリワの『遠くへ』だ。
その瞬間、周囲がぎょっとするのがわかった。慌てて耳をふさぐ者が続出する。あちこちから「ひでえ」「なんて歌だ」「つーか、これ歌か?」という声が聞こえてくる。
どうだ、お前ら! おれの歌は、人間だって攻撃できるんだぞ!
ほとんどやけくそ気味だった。
「うわ、なかなか強烈だね、お兄ちゃん!」
RYU-Jinも耳をふさぎながら唱に向かって片目をつむる。
――ミィィィィィィーーー……
サビに差し掛かったところで悪魔の悲鳴が聞こえ、ガラスケースの中のネズミ悪魔が、いつものようにきらきらと光り出す。そして、光の粒になって消えた。
ヒュー、ヒュー、と口笛が聞こえる。
「意外とやるじゃん、兄ちゃん」
「でも、まぁ、フオゴさんのが、やっぱ最強だよな」
「あれ見ちゃうとなぁ」
唱は、何とも言えない心持になって、RYU-Jinの質問に虚無顔で答えた。
「すごいじゃん。何匹くらい倒してる?」
「三匹です……」
「今までで一番大きかった悪魔は?」
「なんだろうアレ……影みたいなやつ……大きさって言われると……」
ふんふん、とうなずきながら聞いていたRYU-Jinだったが、不意に、唱に顔を寄せて小さな声で言った。
「おれ達の曲、歌ってくれてありがとね」
その瞬間、唱は一気に天にも昇る気持ちになった。
……わかってくれてたんだ……嬉しい……!
さっきまでの惨めな気持ちはどこへやら、思わず、目の前のRYU-Jinに握手とサインを求めたくなった唱だった。




