アリア
「コモードさん、か、顔、顔!」
唱の叫び声に、コモードが、はっと顔に手を当てる。
「え? あれ? これは……」
恐ろしい光景だった。少しずつ、少しずつ、コモードの右半身がなくなっていく。よく見ると、コモードの体には悪魔のクモが何匹も取り付き、少しずつ体を食べているのだった。
くそっ、何とかしないと! 適当でもいいから歌おう!
唱はとにかく、『森のくまさん』を含め、思いつく歌を片っ端から歌った。
――ヒィィィン……
時折、蚊の鳴くような音が聞こえ、小さなクモが光りながら消えていく。しかし、どうも効果が薄い。後から後から湧いてくるクモ全体に効いている感じではなかった。唱の背中には、冷や汗が幾筋も幾筋も流れる。
やっぱり、歌によって効果が違うんだ。どうしよう。一体、何を歌ったらいいんだ……
「うわぁ、わぁ」
ついにバランスを崩し、コモードが馬から転がり落ちた。
「い、行ってください。あたしはもうダメです。この森をまっすぐに進めば、本道に……」
右半身が無くなったコモードが、地面に這いつくばりながら言う。
「置いてくなんて、できるわけがないでしょう!」
唱は頭をぶんぶん振りながら叫んだ。
そうは言っても、コモードをすぐに助け出す手立てが見つからない。唱は焦った。
こんな下手な鉄砲方式で歌うしか方法はないのか? これじゃ、時間がかかりすぎる。何か、こいつら全員を一発でやっつけられるような歌はないのか? 例のアニソンに似た感じの曲とか……
何かしら歌い続けながらも、必死に頭を働かせていると、
「いやぁぁあ!」
という悲鳴で唱は我に返った。
ランテが、クモに足から食われ始めていた。ランテの体が、少しずつ闇に溶けていく。
「お姉ちゃあん!」
「マーニ、触っちゃダメ!」
妹がクモに襲われないようにするためだろう、ランテが馬から飛び降りた。片足を失ったランテが、地面にがくりと倒れる。
「ショウ様、妹を連れて、逃げてください……」
ランテが、目に涙をいっぱいにためながら言うのを見て、唱の中に、人生で初めて味わう感情が湧いた。
……この悪魔め。絶対に倒してやる!
その怒りは、唱にある記憶を呼び起こさせた。
そうだ。あの時の悪魔の悲鳴。間違いなく、断末魔だったぞ。
唱は口を大きく開くと、歌いだした。Create the Worldの「遠くへ」という歌。これは、一年ほど前に、異世界転生モノのアニメの主題歌になっていた歌だ。
そして、唱がこの世界にきて、一人さまよい歩いたあの森で、闇雲に歌った歌の一つである。
思い出したのだ。あの時、悪魔の悲鳴が聞こえた時に歌っていたのが、この歌だったことを。
はたして効果はあった。
――イイイイィィヒィィィィイイイ……
飛行機が空気を切り裂きながら飛ぶような音。周囲から、沸き上がるように次々に聞こえ始める。まるで飛行機の大合唱だ。
それと同時に、クモが一匹ずつ、光りながら消えていく。さっきまでのおぞましい光景とは裏腹に、光がふわふわと浮かんでは消える光景は、幻想的で美しさすらあった。
きらきらと、周囲が小さな光の粒で照らされた後、再び森に静寂が訪れた。
慌てて、倒れた二人の様子を確認する。
「ランテさん、コモードさん!」
二人を見るなり、唱は驚いた。
「体が……戻ってる……!」
失われたかと思われたランテの足も、コモードの右半身も、何事もなかったかのように元に戻っていた。二人とも、地面にぺたりと座り込みながら、ポカンとしている。
「なんと……こんな不思議なことが……」
コモードが自分の右手を見つめながらつぶやいた。
「お姉ちゃん!」
「マーニ! 大丈夫? 無事?」
マーニが泣きながらランテに飛びつき、姉妹は抱き合って喜んだ。
「よ、よかった……」
腰が抜けたように、唱も地面にへたり込んだ。
すると、コモードが小走りにやってくる。
「ショウさん! ありがとうございました。あなたは命の恩人です。もう二度と娘に会えないかと覚悟したんですが……いやはや、一度ならず二度までも、お見事でした」
コモードは、うるうるとした目をして唱の手を強く握った。御礼の握手のつもりだろう。
「いえいえ、時間かかっちゃってすみませんでした……ってか、コモードさん、本当に体何ともないんですか?」
コモードが自分の体を動かしながら、くまなく見回る。
「ええ、今は全く何ともないですね。食われる前と変わりません。どこも痛くないですしね」
なるほど。たとえ悪魔に喰われても、悪魔さえ倒せば元に戻るんだ。
一時は暗澹たる気持ちにもなった悪魔との戦いだが、これは一つの光明だった。悪魔を倒すのに時間がかかったとしても、最終的に倒すことさえできれば、被害を最小にすることができるということだからだ。
「本当にありがとうございました。ショウ様」
「ショウ様、お姉ちゃん助けてくれてありがとう!」
姉妹もやってきて、唱にすがりつくようにして涙を流す。
「いやいや、そんな大げさな」
苦笑いした唱だったが、まんざらでもない。
その様子をにこにこしながら眺めていたコモードが言った。
「さぁ、皆さん。そろそろ出発しないと、夜までにこの森を出られなくなってしまいます。先を急ぎましょう」




