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静寂の森の中で

 森の中は、ほとんど闇夜のようだった。


 先頭をコモード、真中にランテとマーニ、最後尾に唱という順番で、森の中の細い道を慎重に馬で進んでいく。一人ずつ持っているランタンの明かりが、かろうじて視界を保証してくれていた。


「コ、コモードさん。この森以外の道ってないんですか? こんなの、悪魔が出るんじゃ……」


 マーニから聞いたことを思い出し、唱は不安になったが、コモードの声はのんきだった。


「いや、すみませんねぇ。本当は、迂回できる道もあるんですが、そっちだと山越えになって余計に一日かかっちゃうんですよ。そうすると間に合わなくなっちゃいますからねぇ」


「あ、あれ? じゃあ、コモードさん、どうやって城からリヴ村まで来たんですか?」

「ありゃ、言ってなかったでしたっけ? あたしは元々、隣村にいたんですよ。あの辺の村々で音楽騎士を集めて城にお連れするためにね。でも、今回はショウさんしかいなかったってわけです」


 なるほど。どうりで使者が来るのが速かったわけだ……


 ルートがこの森しかないとわかって、唱はがっかりした。


 こんな真っ暗じゃ、悪魔が出たって気づけないよ。歌っちゃダメかな……


 一人だったら、間違いなく歌っていた。

 今思えば、最初に迷い込んだ森で、恐怖を紛らわすために歌ったときも、偶然悪魔を攻撃したのだろう。あの不気味な声は、悪魔の悲鳴だったのだ。


 悪魔の攻撃を回避するために唱が歌い続けるというのは、戦術としては有りだ。しかし問題は、唱の歌が人間に対しても悪影響をもたらすことであった。


 唱が大声で歌っていたら、悪魔よけにはなっても、他の三人がまともに馬を進められるどうかもわからない。例えていうなら、出るかどうかもわからない虫のために、部屋中に殺虫剤をまくようなものだ。


 びくびくと周囲を見回していた時、ふいに、視界で何かがさっと動いた。


「えっ?」


 唱が声をもらすのとほぼ同時に、乗っていたカルが、突然いななきながら後ろ足で立ち上がった。


「うわぁっ」


必死でしがみついたが、あえなく唱は地面にお尻から落ちる。


「いてて……」

と腰をさすった途端、目の前に何かがすさまじい勢いで通り過ぎた。慌ててランタンをかざすと、黒い大きな塊のようなものが、木の間をすごい速さで飛び回っているのが見えた。


「ショウ様! 大丈夫ですか?」


 ランテも、コモードも、馬を止めて唱を振り返っている。


「何かいます! 気を付けて! 悪魔かもしれない」


 そう叫ぶなり息を大きく吸うと、唱は、夕べ悪魔を倒した時に歌ったアニソンを歌い始めた。


「うわぁお。これが音楽騎士の攻撃ですね! これは効果がありそうだ」


 コモードが耳をふさぎながら言った。ランテも、マーニも、耳をふさいでいる。馬たちも不快なのか耳を動かして騒いでいる。


 これはやっぱり悪魔よけに歌ったりなんかしなくて良かったな。事故になるとこだった……


 間違ったことはしていないはずなのに、唱はなんだか情けない気持ちになった。


――ウギュルウウウウゥゥゥゥゥ……


 しばらく歌っているうちに、唸るような低音が頭の中に響く。この悲鳴の聞こえ方は間違いない。やはり悪魔がいるのだ。


――グギュルギュルギュルゥゥゥゥゥゥ……


 歌い続けると、先ほどより苦しそうな唸り声がした。


 よし、もう少しだ。


 そう思ったとき、突然、黒い、大きな何かが唱に覆いかぶさるように向かってきた。


「うわっ」


 体を転がして必死に避ける。誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、慌てて態勢を立て直して前を向いた。


「え……熊……?」


 ランタンの明かりの中に浮かび上がったのは、巨大な黒い熊だった。立ち上がった姿は、二メートルを優に超えているだろう。


 いやいや、ちょっと待って? 今、おれ、『森のくまさん』歌ってないよ? 熊さん呼んでないよ? ……いや、これ熊ちゃう、悪魔や! 熊の形の悪魔やん!


 はっと我に返り、再び唱は歌い始めた。


――ギュオオオオオオォォォォォォ……


 熊の悪魔は、さっきより激しく唸り声を上げる。


 よし、効いてるぞ。もう少しだ。


 安堵から、緊張が少しほどけた時だった。突然、熊、いや悪魔が怒ったように、唱めがけて太い手を振り下ろしてきた。とっさに避けようとした。が、間に合わない。


「ショウ様!」


 叫び声がしたと思ったら、耳の横を何かがすり抜け、背後でドスッという音がした。

 熊の背後から、ランテが弓矢を放ったのだ。


 振り下ろされた熊の腕に矢が貫通して千切れて飛んでいくのを、唱は後ろに倒れながら見た。


 や、やば……ランテさんが攻撃してくれなかったら、おれ、死んでたかも……


 地面に座り込んだ唱の背中には嫌な汗がいくつも流れ、全身が総毛だった。心臓も、口から飛び出すほどにバクバクと脈打っている。


「ショウ様、歌!」


 マーニの声ではっとした。熊の攻撃をくらいそうになった驚きで歌を止めてしまっていたのに気づいた。慌てて声を出す。


――ギュウゥギュウウウウウゥ……


 熊が唸りながら、身をよじっている。さっきの攻撃が最後の力だったのか、熊は急激に弱った様子を見せ始めた。


 昨晩の悪魔と同じように、段々と体が透明になっていき、やがて、きらきらと光る粒子に姿を変えていく。粒子は、まるで上昇気流に乗るようにふわっと上に向かって飛んでいき、熊は跡形もなく消えた。


 森の中は静かになった。


 ランテも、マーニも、コモードも、息を呑んで、こちらを見ている。


 静寂の森の中で、唱の荒い息遣いだけが響いていた。


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