旅立ちの朝
遠くから、カポカポという音が近づいてくる。
やがて、薄闇の中、ぼんやりと明かりが見えたと思うと、一頭の馬が霞の中から現れた。
「お……おはようございます」
馬上に向かって、唱は恐る恐る声をかけた。
軽くいななく声が聞こえた後、馬は歩みを止める。馬上から人が降りるのが見えた。
「やあやあ、おはようございます」
フードをかぶった、中年の男性が唱たちに向かって歩いてきた。人のよさそうな顔つきの、小太りの男だった。
男性は、唱と姉妹の姿を見止めると、怪訝な顔をして、胸元から一枚の紙を取り出した。
「おや? リヴ村の音楽騎士は一人だと聞いてたんですがね」
唱はごくりとつばを飲み込んだ。二人を連れていることを納得してもらわなくてはならない。
「えーと……すみません。実は、この方たちから馬を借りたんですが、おれ、馬に乗れなくて、乗馬の先生としてついてきてもらおうと思っていて」
「おや、音楽騎士様は馬に乗れないんですか。そいつは困りましたね」
「ですよね。なので、おれがちゃんと乗れるようになるまでの間だけでも」
なるほど、と男性は口ひげをなでながら、姉妹を代わる代わる見た。
「乗馬の先生は、年上の女性のことですよね。こちらのお嬢さんは?」
マーニが何か言いかける前に唱は遮るように言った。
「先生の妹さんです。ご両親がいなくて、家に一人残すわけにはいかないということで」
ほうほう、と男性はうなずく。
「なるほど。そりゃそうですな。あたしにも同じくらいの年の娘がおりますから、ご心配よくわかりますよ。よし、承知しました。では、参りましょう。あたしはコモードといいます。短い旅ではありますが、その間、どうぞよろしく」
会釈すると、くるりと踵を返し、コモードと名乗った男は馬の方に向かった。
あれ? やけにあっさりしてるな。そんなんで、いいのか。
唱は拍子抜けしていた。
「ね? 大丈夫だったでしょ?」
マーニがささやき、ウィンクする。唱は、苦笑いを浮かべた。
ランテに助けてもらいながらカルに乗ると、唱の旅が始まった。
アジにはランテがマーニと二人乗りし、カルと並列に並びながら、時折カルに指示を出している。カルも、大人しくランテの言うことを聞いて歩いている。
「これから首都オルケスまで向かいます。この速さだと、明日の夕方くらいになりますでしょう」
先頭からコモードが声をかけてくる。
「首都……そこで何が予定されているんですか?」
「国中から音楽騎士として推薦された方々が集まっています。今は未曽有の国難ですからね。国王陛下直々に、激励のお言葉があるらしいですよ」
「そうなんですか。あ、コモードさんは役人さんなんですよね。お城について、色々教えてください」
唱が言うと、コモードがにこやかに返した。
「いえいえ、あたしは役人なんて、そんな立派なもんじゃございませんよ。その役人に仕えているしがない雑用係です」
「そうなんですか。雰囲気から、てっきりえらい方なのかと」
「ははは。それは嬉しいことを。腹が出ているからですかね」
コモードが嬉しそうに笑った。
「いや、なりは恰幅がいいですが、実はまだ新米なんですよ。あたしは、元は商人やってたんですけどね。所帯を持ったもんで、もうちょっと落ち着ける仕事をと思って職を転々としているうちに、今の仕事になったというわけでして。
昔ほど稼げるわけじゃありませんが、何しろ家族と長いこと離れ離れなんてこともないんでね。まぁ、満足ですよ」
屈託なく、コモードはそう自分のことを説明した。どうやら、話し好きのようだ。
良かった。怖い人が迎えに来たらどうしようかと思ってたけど、なんかいい人そうだ。
唱は、ほっと胸をなでおろした。
「ショウ様、良かったですね。私たちのこともすんなり許していただけて」
「うん。おじちゃん、家族思いでとっても優しそう」
ランテとマーニも、同じことを思っていたようだった。まずは、第一関門クリアということか。
丘をいくつか上っては下り、さらに平地を行く。
すでに二時間くらい移動しただろうか。五時に出発したから、本当なら、日が昇っていても良い時間帯だ。だが、空の色は、夜の暗さから日の落ちた夕方くらいの明るさになったくらいで、薄暗いままだ。
「本当に夜が明けないんだね……気持ちも滅入りそうだ」
「はい、もう半年くらい、ずっとこんな感じですから」
ランテが隣で言う。
「日が当たらないので作物も育たないし、多くの人が仕事を失い、困っています。早く、何とかしたいものですね……」
ランテは前を向きながら悲しそうな顔をしていた。
ふと、昨晩の戦いのことを思い出す。
きっとランテさんは、おれに悪魔を倒してもらいたいと思ってる。昨日の感じだったら、おれだって、きっとやれる。彼女の願いを叶えるんだ。そうしたら……
「あれ? ショウ様、どうしたの? なんだかすっごく嬉しそう」
悪魔を倒して英雄となった唱に、ランテが思いを寄せてくれる妄想をしていた唱は、マーニに声をかけられ、我に返った。
「えっ? は? あ、いや? ななな、何でもないよ!」
マーニの純粋な目にじっと見つめられ、気まずい唱であった。
「皆さん、あの森の手前まで行ったら、一度休憩しましょう」
前からコモードの声がした。
彼が指さしている先を見ると、草原の中、細い道が真っすぐ続くその先に、黒々とした森が長々と広がっていた。




