旅への夕べ、そして
「さぁ、ショウ様。旅の前ですから、しっかり食べて体力つけてくださいね」
ランテが唱の前に皿を置いた。ポトフのような、じゃがいもとにんじんと肉の入ったスープだった。
改めて気づいたが、食材は元の世界とさして変わらないようだ。安心ではある。
「あ、ありがとうございます。すみません。いただきます……」
唱はカゴにあるパンを一つ取ると、ちぎって口に入れた。
なんだか妙なことになっちゃったな。まさか、二人とも一緒に着いてくるだなんて。
結局、唱は、同行すると言う二人の申し出を断ることができなかった。
一応、迎えに来るという役人が許すかどうかわからないとは言ってみたが、
「だって、肝心の音楽騎士様が馬に乗れないんだったら、仕方ないでしょ」
とマーニは平然と言った。
「いや、じゃあそもそも、お前なんか失格だって話にならないのかな」
「それはないと思うわ。だって、悪魔を倒す力って貴重なはずだもの。ショウ様、自信もって大丈夫よ!」
むしろ、なぜかマーニの方が自信たっぷりな様子だった。
「もし、問題があるようでしたら、ショウ様が馬に乗れるようになるまでとお願いしましょう」
ランテもそう言って、三人での旅が決まったのだった。
まあ、いいか。なんか勢いで流されてたけど、この世界に来たばかりでいきなり音楽騎士とかやらされるの、ちょっと不安だったもんな。心強いと言えば心強いよな、うん。
塩味のスープをすすりながら、唱は自分を納得させるように心の中でうなずいた。
姉妹がにこにこと、スープを口に運ぶ唱を見ている。
「ショウ様。スープおいしいでしょ? お姉ちゃん、料理上手なの」
「え? ああ、うん、おいしいよ。ランテさん、おいしいです」
「まあ、良かった。お口に合って。ちょうど、今日はいいお肉が手に入ったんです。いっぱい食べてくださいね」
美しい微笑みを浮かべるランテに顔を赤らめながら、唱はスプーンを口に運ぶ。
スープはとてもシンプルな味わいだった。おそらく、調味料が塩だけなのだろう。時間をかけて煮込まれた野菜や肉の旨みはしっかりと感じられ、滋味あふれるといった味だった。
食事をしながら、ランテが思い出したように言った。
「ああ、そうだわ。ショウ様、旅支度はできていますか? そのお召し物だと、長旅にはあまり向かないかと……」
そう言われて、唱は思わず自分の格好を確認する。
大きめのパーカに細身のジーンズ、スニーカー。動きにくいわけではないが、旅支度と言われてしまうと自信がない。それにそもそも、この世界でこの格好のままでいるのも不安だった。
「いえ、それがこのように身一つで……あの、旅支度って、具体的に何をどうしたらいいんですかね?」
「そうですね。まず防寒用の外套が必要ですわ。あとは手袋と丈夫な革靴。それとカバンも」
「はぁ、なるほど……それ、どこで手に入りますかね?」
ランテと話している唱のことをじっと見ていたマーニが、突然口を開いた。
「そういえば、ショウ様がどこから来たか聞いてなかった! ねぇ、結局、ショウ様はどこの国から来たの?」
げっ、今更この質問……
せっかくうやむやにできたと思っていた話題がまた復活し、唱はぎょっとした。
「そう言えばそうね。ショウ様のお召し物って珍しいと思っていたけれど、外国の方でしたのね。遠くからいらしたんですか?」
ランテまでもが気にし始める。こうなったらもう、前のように煙に巻くことはできない。唱は頭をフル回転させながら、もごもごと答えた。
「外国……と言えば、まぁ、そうですね」
「ホルテノ国? それとも、クレセンド国とか?」
「えっ……? いや、まぁ、その、遠い国。たぶん二人とも知らない国、だよ……」
適当に誤魔化していたが、ふと姉妹を見ると、不思議そうな表情を浮かべている。親切な二人に、隠したままでいるのは気が引けた。
「あの、実は、おれ、気が付いたらこの村はずれの森にいて、どうやってここまで来たかわからないんです。あんまり変なこと言って、驚かれるのも怖くて……隠していてすみません」
嘘は言ってないよな。本当のことだし。
少し後ろめたい気持ちもあったが、これ以上説明のしようがない。何とか、これで納得してくれ。そう祈っていたら、ランテが「まぁ」とつぶやいた。
「こちらこそごめんなさい。話しにくいことだったのですね」
「えっ、ショウ様、記憶喪失ってこと?」
「こら、マーニ! やめなさい。人には色々事情があるのよ」
姉にたしなめられると、妹はぺろっと舌を出した。
「まぁ、いいわ。そうだ。お姉ちゃん。ショウ様の旅支度の話だけど、お父さんの服があったんじゃない?」
「そうね! ショウ様、父の服をお貸ししますね。ちょっと大きいかもしれませんけど、ないよりはいいと思います」
「えっ、そんな。いいんですか? 何から何まで……」
「いいんですよ。もう、使うこともない服でしたので」
少し寂し気な笑顔を浮かべたランテに、はっとする。
「大切なものを、ありがとうございます。では、ご厚意に甘えて、お借りします」
唱はランテに頭を下げた。顔を上げた時に、ふと気づく。
あれ? このドアって、こんな黒い枠がついてたっけ?
不思議に思って、入り口のドアをじっと見ているうちに、その黒々とした色の記憶がよみがえる。
あの、道に伸びる黒い影。闇の色。
背筋に冷たい物が走った。
「あ、――悪魔だ!」
唱が叫んだ瞬間、ドアの隙間から黒い“モノ”が、鉄砲水のように吹き出してきた。




