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あの日

「それじゃあ、先生、ありがとうございました」


 教会の扉を開けると、マーニは先生の方を振り返って、ぴょこんとおじきをした。唱も、手に推薦状を持ったまま、深々と頭を下げる。


「そうだ、マーニ。大切なことを言い忘れていました」


 すぐにでも扉の外に飛び出していきそうなマーニに、先生が慌てたように声をかけた。


「タメラが、先月から行方不明なのです」

「えっ? タメラが? なんで?」


 驚くマーニに、先生は沈んだ表情で続けた。


「どうしてかはわかりません。ご両親も心配してここに探しに来られましたが、忽然と姿を消してしまったようです」


 マーニは彫刻のように固まったまま動かず、呆然としている。

 話がわからず、唱はおろおろした。


「あの、タメラって?」


 絶句しているマーニの代わりに、先生が答えてくれた。


「マーニと一緒に歌唱隊をしていた子です。彼女の家系は、歌呼を多く輩出している名門でしてね。ただ、残念ながら、タメラには歌呼の力は宿らなかったようですが、素晴らしい歌声を持っている子でしたよ。毎週の礼拝に、彼女の歌を目当てに来られる方もいたほどです」


 黙っていたマーニが、険しい顔をしてぽつりと言った。


「本当に美しい声で歌うの、タメラは。あたしのずっと憧れで……でも、どうして……」


 話を聞いていた唱には、その可能性は一つしかないように思えた。


「行方不明ってことは、もしかして――」


 唱が言いかけると、マーニは大きな声で遮った。


「そんなことない! 絶対そんなことないわ。あの子は怖がりだもの。悪魔がいるようなところに近づくはずがないわ。わかった。先生、あたしが見つけて連れ帰ります」


 先生もうなずく。


「私も、どこかで元気にしていると信じていますよ。ですが、無理はいけません。マーニ、あなたも十分に気を付けてください。そして、自分を決して責めたりしないように」


 大きく首を縦に振ると、兎がぴょんとはねるように、マーニは扉の外に出た。唱は、先生にもう一度会釈すると、慌ててマーニの背を追いかけた。


 マーニは怒ったようにすたすたと速足で歩いていく。


 しまった。迂闊だった。不安にさせちゃったよな。


 大事な友達が悪魔に食べられたかもしれないと口走りそうになるなんて、不用意にもほどがあった。振り返りもしない小さな背中を見ながら、唱は反省した。


「マーニ、さっきはごめん。タメラちゃん、見つかるといいね」


 そう声をかけた時、突然、足元に小石が転がってきた。


「ん? こんなところに危ないな……って、いてっ!」


 頭に軽い痛みが走り、唱は思わず手で頭を覆った。

 その途端、次々と甲高い声がかかる。


「出てけ! この悪魔の手先め!」

「村から出てけ!」

「お前のせいで母ちゃんは……母ちゃんを返せ!」


 驚いて振り返ると、道の脇にある畑の中から、数人の少年が仁王立ちしてこちらを見ていた。手には小石を持っている。


 唱は憤慨した。いくら子供でも、やっていいことと悪いことがある。彼らに向かって、大声で怒鳴った。


「こら、君たち! 人に石なんか投げちゃ危ないでしょ。止めなさ……って、あ、マーニ!」


 マーニが唱の手をつかんで、猛然と走り出した。こつん、こつんと背中に石が当たったが、それもすぐに終わった。少年たちも、追いかけてはこなかったようだ。


 前を行く小さな背中は、相変わらず振り返りもしない。少女らしい天真爛漫さは消えており、その背中には、言い知れない孤独と、強い意思のようなものが感じられた。


 かわいそうに。あの日、まさかいつもの自分の歌で、そんな恐ろしいことになるなんて、思わないもんな……


 教会で聞いた先生の話を思い出しながら、唱はマーニを気の毒に思った。


 彼らの言うあの日とは。

 悪魔が、この小さな村を襲った日のことだ。


 今から半年ほど前。恐ろしいほどの嵐が、この国を襲った。嵐は三日三晩続いたが、やがて雷と雨は止んだ。しかし、空が晴れなかった。


 雨が止んだ翌日も、その翌日も、一週間後も、一か月後も。

 空はずっとずっと、黒い雲に覆われたままだった。


 人々は不安になった。何か、神の怒りに触れてしまったのではないかと。


 リヴ村では、少しでも神の怒りを鎮めようと、歌唱隊と歌呼であるマーニとで、教会の礼拝堂で歌の祈りを捧げたのだそうだ。


 マーニはいつものように、天使を降ろすために歌った。

 しかし、降りてきたのは天使ではなかった。


 大量の悪魔が現れたのだ。


 礼拝堂には、多くの信心深い人々が集まっていた。そこには、マーニの父もいた。

 その人々を、悪魔は次々に食べてしまった――


 それ以来、マーニは歌を封印している。

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