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18回目 発端を取り除けば、別の原因が出て来る

 日本が平和を謳歌している1910年代。

 その後半にさしかかると、世界に暗雲が立ちこめはじめる。



 サラエボ事件の回避によって、第一次世界大戦は回避された。

 しかし、頻発する破壊活動、いわゆるテロ行為は頻発している。

 世界的に不穏や不安が増大している。

 そのほとんどが現状の地位や待遇への不満。

 あるいは独立運動などによるものだ。



 分からないでもない。

 不当な待遇に反発するのは当然だ。

 また、自分たちの境遇を国ごとおとしめられれば腹も立つ。

 これらは、人が人らしくあるためにという当然を否定している。

 だから反発や反抗もする。



 しかし、頻発するとなると何らかの意図がそこに見え隠れする。

 裏で煽ってる誰かがいるかもしれない。

 でなければ、そんなに数多く発生したりはしない。



 とはいえ、これは身から出たさびもいくらか含まれてる可能性はある。

 なにせ、フィリピン・清・ロシアで独立運動や破壊活動の後援をしたのがススムだ。

 その延長線上に今の現状がある可能性は高い。

 また、その効果を知った誰かがこの手段を利用してるかもしれない。



 だとすれば、なおさら放置は出来なかった。

 自分のやった事が巡り巡って現状のような状態を作ったのならば。

 それを自分で始末したい。



 その為に、諜報活動を展開していく。

 本当に裏に誰かいるのか?

 いるとしたらそれは何者なのか?

 それを確かめねばならない。



 だが、その間にも事態は進んでいく。

 各地で起こった様々な事件。

 そのうちの一つが予想外の展開をみせていく。



 それは独立運動をしているとある国だった。

 元々支配していた国が独立を認めていた。

 なので、時期が来れば大国の支配から離れ、独立する事になっていた。

 その時期が到来し、晴れて国として成立する事となった。

 とはいえそれは、かつて侵略を受けて征服された状態からの回復とも言える。

 それはさておき、自主独立したのは確か。

 新たに彼らは自分の足で歩き始めていった。



 ここまでは良い。

 問題なのはここからだ。

 独立したのは良いが、そこから問題だった。

 まず、独立した直後、なぜか独立運動の一派が国王暗殺に走った。

 独立を印象づける為に、国王が国内を遊説してる最中だった。

 歓迎パレードをしてる時に、拳銃で撃たれてしまう。

 新国王の姿がよく見えるようにと、オープンカーだったのも災いした。



 警備はついていたが、複数の襲撃犯によってそれらも倒された。

 その警備を乗り越えて、襲撃犯の一人が国王と王妃に鉛玉を撃ち込んだ。

 国王と王妃は即死は免れた。

 しかし、致命傷を避ける事は出来なかった。

 程なく二人は死亡。

 独立した国は、すぐに国家元首を失う事になる。



 幸いにも国王には後継者がいた。

 子供はいなかったが、兄弟がいた。

 弟である後継者は、すぐに王位に就いた。

 なのだが、これがいかにもまずい事になった。

 それは政府関係者だけでなく、ある程度教養のある国民ならば誰もが感じていた。



 独立した国は、当面は支配していた国との交流を取り持つ予定だった。

 侵略され征服された恨みはある。

 しかし、出来上がったばかりの国が一人で生きていけるわけもない。

 周りは大国ひしめいているのだから。

 なので、支配国の保護を受けながら、力をつけていく予定だった。



 しかし、兄の跡を継いだ新国王は違う。

 自国が単独で存在できないのは理解していた。

 なのだが、頼るべき相手が違った。

「我が国が頼るべきはロシアである」

 それが新国王の持論だった。



 彼はヨーロッパ人だった。

 なので、トルコとは相容れなかった。

 彼はヨーロッパ人だった。

 だからオーストリア帝国にも危機感を抱いていた。

 その両者を牽制するにはどうするか?

 それでいて、上手く取り込まれないようにするにはどうするか?

 そこで出した結論が、ロシアとの関係を深くする事だった。



 トルコにしろ、オーストリアにしろ、関係を深めていれば、いずれ吸収される。

 その可能性を彼は危惧した。

 これらの影響を極力排除するには、ロシアにすりよるしかなかった。

 もちろん、そうすればロシアに吸収される可能性が出てくる。

 だが、それを逆にオーストリアとトルコの存在で牽制する。



 いわば力の空白地帯。

 あるいは緩衝地帯。

 それを作り出そうとしていた。



 分からないでもない。

 小国が生き残るなら、力の均衡の中でやっていくしかないだろう。

 だが、それを実現するには非凡な能力が求められる。

 時に大きな犠牲を払う事にもなるだろう。



 それをこの新国王が理解していたかどうか。

 それは分からない。

 分かっているのは、彼が本来の独立路線を捨てた事。

 それにより、元の支配国の不興を買ったこと。

 あわせて、ロシアを危惧するオーストリアに危機感を抱かせた事。

 さらには、ロシアに介入する口実を与えた事。



 これにより、三つの大国が入り乱れる事態になっていく。

 更にそれに、関係のある周辺国が巻き込まれていく。

 それが大きな騒動になっていってしまう。



 まして、暗殺事件のあった直後である。

 不穏な空気が漂っている。

 その不穏な空気が疑心暗鬼をもたらす。

 もしかしたら、もっと酷いことが起きるかもと関係者に思わせてしまう。

 そういった不安や疑念は、時に暴走を生み出す。

 関係する各国の間に、好意的とは絶対に言えない感情が芽生え。

 不安がいらだちになり、いらだちが憎しみになっていく。



 そうした中で、ロシアがこの新独立国への軍隊駐留と派遣を決める。

 一個小隊くらいの小さな規模だ。

 戦力としてはとるに足らない。

 しかし、たったそれだけでも、軍隊である。

 それが駐留するという意味は大きい。



 ──ロシア、南下の第一歩としての布石を打つ



 周囲の国はそう考えた。

 考えたから即座に抗議をした。

 当然ながら、ロシアが受け入れるわけもない。

 それでも繰り返し抗議を続ける。

 撤退の期限すらも提示して。

 その間に軍隊が動員され。

 同盟各国にも通知が出され。

 撤退期限が訪れ。

 軍隊が動き出した。



 西暦1921年。

 ロシア軍の駐留に対抗してオーストリア・トルコの両軍が出兵。

 これに応じて各国の同盟軍が派兵を決定。

 ロシア、これに対抗するべく、同盟国に呼びかける。

 ここに、世界大戦が勃発する。

 後にこの世界大戦は、第一次という文字が頭につく事になる。

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