死神のサイコロ
私の職業は文章家だ。
私がそう言うと、周りの人は決まって「どんな事をする仕事なのですか?」と聞いてくる。
画家は日常だったり、空想なものを一枚の紙に表す。
写真家は景色を一枚の写真に表す。
私の職業は人の心を、数枚から数十枚の原稿用紙に表す仕事だ。
子供が産まれた時だったり、成人を祝う日、結婚式だったり、別れの日だったり、何かの記念の日だったり、その人達の感情だったり行動だったりを事細かく原稿用紙に書いて渡す、そういう仕事だ。
今はとある写真屋さんで働かせてもらっている。
そんな私も昔は小説家デビューをし、数冊出版したことがあるのだが、今では完全に筆を折った。
それは丁度、妻を事故で失った頃だ。
それから数年が経ち、今はもう三十五歳で、私は細々と生きている。
この仕事を数年以上やっているが、たくさんの幸せと悲しみを書く仕事というのは嬉しかったり、悲しかったりの連続でとても疲れる。
それでも、私が細々と生きていくには働くしかない。
今日は、とある新婚の結婚式に立ち寄って、その光景を遠くから眺めていた。
「「「おめでとう!」」」
周りから感謝の言葉が飛び交い、幸せな夫婦の顔がよく伺える。
私の仕事は事前に依頼人達(依頼するのは複数の人が殆ど)に生い立ちなどの話を聞いて、現場に直接立ち会い、その情景を目に焼き付ける。
その後、その時の感情をしっかりと聞いて私は原稿を完成させる。
作家時代、書くのが早いことが唯一の取り柄だった私にとってよく合っている仕事なのだろう。
手元に、メモ用紙と原稿用紙を置いておき、新郎新婦の姿をしっかりと目に焼き付ける。
忘れてしまっては、いいものは書けないだろうから。
「…」
黙々と作業をする。
新郎新婦やその周りを囲む人はきっと幸せそうだ。
なのに、どこか暗い気持ちを抱いてしまっているのは私だけだろう。
この仕事を始めてからも、本当に喜んだり本当に悲しむことが一切なくなった。
ただ、機械的に文字を打ち込む。
私がするのはそれだけだ。
私はメモ用紙に、ふと気づいた事を書き込んで顔を上げた時だった。
「…?」
私はさっきまで見ていた景色が一瞬にして変わったことに気がつくのに時間がかかった。
私と同じように、遠くから新郎新婦達を見つめる老人がさっきまで視界に映っていたベンチに座っていたのだ。
その老人は薄汚い黒い服を着ており、手に何かを握っていた。
その老人はただぼうっ、としたように虚な目でそれら見つめていた。
私は少し不審に思ったが、気に留める事はないかと思い作業を再開しようとした。
すると、老人が立ち上がりゆっくりとこちらに歩いて来て、私の隣に座った。
「君は『死神のサイコロ』を知っているかい?」
不意に老人が声を発する。
急な出来事に私は少し驚いたが、当たり障りのないように私は答えた。
「いいえ、知りません」
「そうか」
すると老人は手に持っていた何かを落とす。
それは地面に落ちた後、コロコロと転がり、やがてピタリと止まった。
それは黒いサイコロだった。
「すまないが、落としたサイコロを拾ってはもらえないだろうか?」
私は荷物を置いて立ち上がり、転がったサイコロの側にしゃがんだ。
サイコロは六を示していた。
私がそのサイコロを拾うと、少し不審に思ったことがあった。
一と二が出目が白色で、それ以外が赤色であった。
普通のサイコロは一だけが赤色のはずだ。
私は深く考えるのをやめて、老人にサイコロを渡す。
そして、元の場所に座った。
「君は『自殺相談所』を知っているかな」
「…ええまあ、人並み以上には」
自殺相談所。
国が認めているこの世から死にたい人が訪れる場所。
しっかりとした国家公務員が二十四時間で勤務しており、しっかりとした手続きをして、死ねる場所。
四十七都道府県全てに点在しており、時々ニュースも流れる。
「…君も自殺志願者として、一度訪ねてみたらどうだい?」
私が何かを言う暇を老人は与えずに立ち上がり、どこかへと行ってしまった。
「なんなんだあの人は…」
何故そんな事を言うのか私には到底理解できなかった。
私はさっきまでのことは忘れて、原稿用紙に向かった。
けれども、先程の老人の声が私の鼓膜に残り続けた。
そういえば、『死神のサイコロ』とは結局のところ、なんなのだったのだろうか。
あのサイコロが死神のサイコロなのだろうか。
そんな事を頭に巡らせながら、メモに数々の事を書いていく。
今日の原稿の完成具合は、微妙だった。
・・・
私は電車を降りて夜の街を歩いていた。
仕事を終えて、ほんの少しの食事を取ると私は、家を出たのだ。
私は酒は飲まない。
眠る以外で私自身のきちんとした意識を手放すのが酷く怖いからだ。
何故私がこんな事をしているのかと言うと、今日の老人の声がまだ耳に残り、気になって仕方がないので私は自殺相談所に行くことにしたからだ。
自殺相談所は都道府県全てに一つずつ存在していて、それらは県庁所在地の市役所に存在する。
市役所自体は閉まっているが、自殺相談所は二十四時間営業らしいので受付をすることができるらしい。
「ここか…」
携帯で地図を見ながら見事、市役所に辿り着く。
その市役所は真っ暗で本当に二十四時間営業の自殺相談所なんかがあるのかとついつい疑ってしまう。
私は入り口の自動ドアに近づいた。
自動ドアはしっかりと反応して、ゆっくりと開く。
私は足を踏み入れるて辺りを見てみると、至るところはシャッターが閉められていて、私の行動の選択はエレベーターに絞られた。
私はエレベーターを開き、中に入る。
エレベーターのボタンは一階と地下一階だけが点灯しており、私は地下一階を押した。
おそらくここが自殺相談所なのだろう。
ゆっくりとエレベーターは降りて、そしてすぐに止まった。
やがてエレベーターが開くと、普通の市役所の窓口のような空間が存在していた。
「こちらへどうぞ」
女性職員の人が私の姿を見るなり手を上げて、私を誘導してくれる。
私は言われるがままにその窓口に近いて椅子に座った。
「こちらの用紙に記入をお願いします」
一枚の記入用紙とボールペンを渡されて、少し戸惑いながらも記入をしていく。
来るだけのつもりだったが、この流れだと私は自殺することになるのだろうか?
「名前
伏見正義
住所
○○○×××△△△-□□□
自殺動機
」
これで記入をしてみた。
自殺動機は思いつかないので、書かなかった。
「書きました」
私がそう言うと、職員の方はそれを確認するとこう言った。
「では、これからカウンセリングとなりますのでしばらく座ってお待ち下さい」
「わかりました」
その女性職員は立ち上がって、奥の方へ消えていく。
私は言われた通りに座って待った。
私は周りを見渡す。
それらは奇妙なほどに普通で、住民票を撮りに来たり、パスポートの発行にでも来たんじゃないかと錯覚するほどだった。
壁には盗難防止や、詐欺被害の注意など、極々当たり前のポスターが貼られている。
「準備が整いました。こちらへどうぞ」
私はその女性職員に案内されて、小部屋に辿り着く。
例えるなら、警察の尋問部屋に近いだろうか。
私はその女性職員に促されて、座る。
机には珈琲が置かれていた。
「それでは、伏見さん。よろしくお願いします。今回カウンセリングを担当させていただく、長谷川です」
「あ、はい。よろしくお願いします」
長谷川さんは丁寧に頭を下げたので、私も軽く返す。
「では、開始させていただきますが、自殺動機はない事がどういう意味かご説明頂けますか?」
長谷川さんはごく自然に聞いてくる。
「えっと、そのあまり自殺するつもりはないんですが、その、どんな感じかなと思って」
「なるほど。時々そういう方もいらっしゃられますので安心して下さい」
そう言って、長谷川さんは手元のメモに書いていく。
長谷川さんの字はとても綺麗だった。
「でしたら、何か自分が死んでしまいたいと思っている事がありましたら、是非教えて下さい」
そう言われた私は過去を思い出す。
あの時、私は死んでしまおうかと思っていたな、と思い出した。
「実は数年前、交通事故で妻を失ったんですよ」
思い出すのも嫌でずっと蓋をし続けている。
何故か私はここなら蓋を開いてもいいような気がした。
「娘が産まれてすぐでした。車で三人で旅行に行くことにしたんです。その頃私は作家で出版した印税が入ったのでせっかくということで行ったのですよ」
思い出すだけで本当に嫌になる。
観光やホテルで楽しい思い出を妻と娘とたくさん作った。
しかし、その帰り道に暴走したトラックに吹き飛ばされてしまったのだ。
何故か私と娘を残して妻は私と娘の前から消えてしまった。
助手席に座った彼女だけが。
「そうだったのですか」
長谷川さんはなんとも言えない表情でそう相槌をうった。
そのあと、疑問を抱いたのだろうかこう質問をしてくる。
「娘さんはどうされているのですか?」
この質問をされるのを私は予測していた。
仮にも元作家なので彼女の心情もよくわかる。
「妻の両親が預かってくれています。私の両親はもう他界しているので、トラックの運転手の賠償金や、私の給料を渡しています」
私がそう伝えると、長谷川さんはひとしきりメモを書いた後、こう質問をしてきた。
「最初に自殺するつもりはあまりないと申されましたが、その理由はなんですか?」
そう言われて、私は何故生きているのかと今更ながらに思った。
こんな辛いことだらけの世界を何故生きているのか。
私の中にその答えはあるだろうか。
考えて考えて考えた。
何故私はそれでなお生き続けたのか。
「…娘の為、ですかね」
「…」
長谷川さんは何も言わない。
ただ、私の次の言葉を待っているのがわかる。
もう娘に何年会っていないだろう。
今はどんな子に成長しているだろうか。
「やっぱり、娘には幸せに生きてほしい。たったそれだけの理由が私にはあるからじゃないですかね」
今の仕事は不安定だし、自分には生活能力なんて殆どない。
いつもスーパーのお弁当やカップを食べるだけだ。
けれども私はこのまま生き続けて、娘の幸せだけを願って働き続ければいいのではないだろうか。
「そうですか」
そう言うと、長谷川さんは私が書いた記入用紙とさっきまで書いていたメモを丸めてゴミ箱に捨てた。
「というわけで、自殺は辞退ということでよろしいですか?」
「はい」
私は迷いなく答える事ができた。
私がそう答えると、長谷川さんは少し咳払いをすると、こう言った。
「今度時間があれば、娘さんの本当の幸せについて考えてみて下さいね」
これで、話は終わった。
僕の相談は終わったのだ。
「そういえば、どうして今日は来ようと思ったのですか?何かきっかけがあったのですか?」
私は長谷川さんにそう言われて、今日の昼の事を思い出す。
「えっと、今日とある人に教えられて、何故かは知らないですけど、ここに行ってみたらどうだい、って言われまして」
「なるほど。その人との関係だったりは教えてもらえますか?」
「全くの他人ですよ。私が仕事をしていたら、急に話しかけに来て、それで言われたんです。…そういえば、変なサイコロを持っていましたね」
「…サイコロですか」
「ええ」
「その人はサイコロを振りましたか?」
そんな変な質問をされたが、素直に答える。
「振ってはいないですけど、落としはしましたね」
「…その出た出目の数字を覚えていたりしますか?」
「確か、六だったと思います」
私がそう答えると、長谷川さんは少し考えた後、こんな事を言ってくる。
「ちょっといいですか?」
「え、はい」
長谷川さんはメモ帳から一枚メモを千切って何かを書いた。
そしてそれを見せてくれる。
「この自殺相談所では、相談者の結果を『死神のサイコロの振り目』と職員では呼んでいるんです。何故そう呼ばれているのかは今となっては誰もわからないのですが、『死』という言葉をあまり使わない為の隠語と今は思われています」
それが一体どうしたのだろうか。
「それにはれっきとした判断基準がありまして」
長谷川さんはメモに書いていく、
一、二、三、四、五、六。
「一番はこのカウンセリングを受けて自殺を辞退する。二番は自殺直前、又は自殺の行動中に辞退。そして、三番から順に、安楽死、自殺、職員による他殺。六番はその他に分類されています」
そう言って、長谷川さんは書いたメモに丸をつける。
「もしその人が何かしらの暗示をするのなら貴方へのサイコロは六になっているはずです。けれど、貴方の結果は一です」
小説なら何かの伏線になっているだろう。
「ひょっとして、長谷川さん。こういうの好きですか?」
すると、長谷川さんは目を丸くして少し申し訳なさそうにこう言った。
「まあ、えっと、はい」
私は少し笑う。
きっとあのサイコロに意味なんてないのだろうと今では思う。
何かを決めるのにサイコロ振ったところで、結局のところはやっぱりなし、で済む話だ。
サイコロを振るのは結果を出すからではない。
ただの手段だ。
サイコロの結果を自分の結果にする必要なんて全くないのだから。
「では、私は帰ります」
そう言って、私は立ち上がって、この小部屋を出ようとした。
すると、後ろから声が聞こえる。
「ええ、貴方様がもうここには来ないことを私は望んでいます」
僕はもう彼女に会うことはないのだろうか。
・・・
一年と少しの時が経った。
あの後、私は娘と再会し、私は娘の真の幸せを考えてみたのだ。
結局のところ、考えても本当の正解というものは見つからなかった。
私なりの答えは妻の両親と娘と四人で住む。
自分だけじゃ何もできないが、妻の両親と力を合わせたら娘をもっと幸せにできるのではないだろうか。
不安がないといえば嘘になる。
けれども、娘の為ならなんだってやろう。
私はこの一年間勉強をして公務員の資格を得た。
私が勤める先はもう決めている。
きっとあそこには、私以上に辛い人達が来る。
それを私は出来るだけ助けてあげたい。
きっと心を救えずに、自殺する人とも出会う事になるだろう。
それでも私は、私を救ってくれた彼女のようになりたい。
「すいません。今日から配属になりました、伏見正義です」
そういえば、サイコロの結果は六。
その他、つまりはそこへの就職に落ち着いてしまったなと、思った。
死神のサイコロとは一体なんなのだろうか。
この作品はあらすじで書かれている通り、カクヨムで2021年に連載する予定です(変更の可能性あり)。
現在はカクヨムで『立てば喧し座れば事件外の景色は百合の花』を連載中です。
よければそちらもお願いします。