7.芸妓の採用条件
そんなわけで、祖母は全く芸者未経験のまま芸者置屋の女主人となった。
三人の子供にも恵まれ、その世話は絹と女中に任せ、芸舞妓の育成に力を入れて行くこととなる。
さて、祖母の仕事の中に「採用」というものがある。
芸妓の採用──
読者がまず思い浮かべるのは、いわゆる「仕込みから舞妓になる」というルートであろう。
はっきり言う。
戦後から昭和の終わりにかけて、舞妓になったのはたった二名しかいない。
なぜか。
舞妓を育てるのは、滅茶苦茶大変だからである!!
(舞妓の育成については、のちのち書きます)
なので大抵は、採用したら舞妓をすっとばして芸妓をやってもらうことになるのだ。
舞妓は15歳くらいからじっくり育てるものなので、これはスーパーエリート。
既に年を食っている20代女性が舞妓から始めることは出来ない(おぼこくないので、衣装に色々と無理がある)ため、いきなり芸妓になるのである。
さて、芸妓候補がやって来た時、女主人はどこを見るのであろうか。
祖母曰く、芸妓に向いている女、売れる芸妓というものは、一定の基準を満たしている……らしいのである。
実際のケースに当てはめて説明して行こう。
芸妓・はつ花。
祖母が彼女を採用した時のことを説明して行こう。
はつ花は、いきなりおうぎやにやって来た。
彼女は小さな息子の手を引いていた。直接訪ねて来た彼女は、祖母を見つけるなりこう言った。
「行くところがのうて、困ってるんです。芸妓になれませんか?」
普通の企業であれば、こんな人はお帰りいただくことであろう。
実は、はつ花。この時点で、第一関門はクリアしている──
祖母はじっくりと彼女を上から下まで見て、こう言った。
「まあ、お上がんなさい。お腹空いてへん?うどんでも食べて行かんか」
そう、あの〝まっずいうどん〟。
祖母はそれを、はつ花の分とその息子の分、注文したのだ。
それを差し出すやいなや、親子は無言でがつがつと食べ始めた。
全部食べ終えたが、息子の方はまだ物欲しそうな顔をしている。
「足りんか?もう一杯注文したってもええで」
すると、はつ花とその息子はこくこくと頷いたではないか。
祖母の目が光る。
ここで第二関門突破──
「よう食べはるね」
「はい……えらい、すいません」
「ええんやで。ところで旦那はおらんの?」
「あの、いてることはいてるんです。けど、刑務所に入っとって」
「そら大変やな。すぐ部屋の手配するわ」
「え?」
即採用である。
さぞかし、はつ花は驚いたことであろう。
祖母が採用する条件は、実は以下の通り。
①子供がいる
これは水商売において最強のスキルになりうる。子供がいれば、仕事を投げ出さずに頑張る。更に、人の世話を焼いたことのある女は、お座敷で気が利くのである。
②30代以上
意外なことに、若い芸妓は人気が出ない。話題が少ないからである。年増であればあるほど、客と年が近く、話が弾む。
③行くところがない、または夫不在である
逃げる方向がない。がんばるしかない。
④とにかく食べる
食べる人は仕事が出来る。食べねばならぬためよく働くからである。
これらの条件から導き出されるのは、そう、とどのつまり──
〝食うに困っている人〟
これなのである。
「私が断ったら、死んでしまうもんよ」
祖母はよくそう言っていた。
まだセーフティーネットというものが機能していなかった戦後。
どの地域でも女の働き口がなく、死んでしまう寡婦が後を立たなかったのだ。
芸妓はそんな女たちの、最後のセーフティーネット。
無論、採用したものの、あてがわれた部屋の家具や家電を売ってトンズラしてしまう女も結構いた。
祖母は怒るかと思いきや、いつもため息を吐いてこう言った。
「少しは足しになったやろ」
私の母、志乃はそれを聞くと苦々しく呟く。
「お母ちゃんは甘いわ」
「甘うてもええわ。死なれたら後味悪りもんよ」
芸者置屋の女主人は、そんな風に女を見、採用していた。
一見華やかな世界は、こんな昭和の負の部分と背中合わせに存在していたのだ。
ほかにも売れる芸妓の条件は色々とあって、
⑤斜視・弱視(どこを見ているか分からない女なので魅力的に見え、人気が出るそうだ)
⑥元バスガイド(各地の歴史や文化、歌や踊りに詳しく必ず客と話が合わせられる。これが水商売で考えうる限り最強のスキルなので、芸舞妓になりたい人、水商売でひとやま当てたい人はバスガイドの専門学校に通うことをおすすめする)
などがある。面白い世界ですね。