5.おうぎやの歴史②祖母編
家政学校に行くことになった銘子。
縫物の腕だけは妙に輝き始める。
銘子は芸妓の着物を縫った。自分の着物も。小物も。何もかも。
銘子は自分の気持ちを落ち着かせる。
そうだ、自分は恵まれているのだ。絹の言う事さえ聞いていれば、誰よりも贅沢な生活が出来る。
奇妙な置屋の生活にも、徐々に慣れて来た。
夜がうるさいだけで、あとは何も変わらない。
銘子は家政学校を無事卒業した。
踊りを踊って、楽器をやって、縫物。
何のドラマもなく、誰よりも贅沢な日常を暮らす。
そんな時、あの戦争が起こった。
絹は慰問団として、戦場に向かうこととなった。
当時これに選ばれるのは大変な名誉で、絹はバンザイ三唱と共に送り出されて行った。
行き先は満州。
兵隊を慰問すべく結成された芸者隊は、満州を一周した。
何度も死にかけながら戻って来た絹は、戦争が終わって戦地から帰るなり、銘子にこう告げた。
「もう私、芸妓はやめにするわ。おうぎやを別の芸妓に譲ることにする」
「そう。じゃあお母ちゃん、私はどうしたら」
「ええ旦那を見つけんとな。結婚せえ、銘ちゃん」
「……そうけ」
「おうぎやはな、勝太郎はんに譲るわ。あの妓を私の養女にする。あんたにお姉ちゃんが出来るんや。ほんならあんた、このお屋敷を出よし」
養親の唐突な案に銘子はうろたえたが、反論も出来なかった。
当時、親に逆らうのは不良だったのだ。
「はい」
そう言うしかなかった。
が。
銘子の人生は、そこから急転直下を始める。
「勝太郎はん……」
「か、堪忍や、お母さん!」
勝太郎が、絹に向かって必死に頭を下げている。
「私、アメリカに行くんや。旦那さんと、そう約束してん」
「……勝太郎はん、そんな話一度もしてくれなんだやないの」
「だってお母さん、もう約束してしもたんや。向こうのご家族とも挨拶して」
「ほんなら、誰がこの置屋を継げば」
銘子は目を閉じる。
(私しか、おらんやん)
しばらくして。
「なぁ、銘ちゃん……」
(来た……)
「お話があんねん」
そんな時、とある場所ではあるひとりの青年がジャングルの中、行軍を続けていた。
ここはラバウル。
色とりどりの樹々、花が咲き乱れる島。
まさに天国。
ただし、戦場。
昨日話した人間が、今日無残にも死んで行く。
「靖国で会おう」
明日、何があるのか分からない。
「お母ちゃん」
皆、上記ふたつの言葉を最後に口にし、死んで行く。例外はない。
(天皇陛下万歳って、誰も言わんのな)
明日は我が身。
そう思っていたのだが。
次の日に連隊が集められ、告げられた言葉は。
「日本が敗戦した。隊はこれをもって日本へ帰還する!」
生存兵はしんとした。
青年は思う。
(これは嘘やな。きっと我々は捕虜になる)
彼は日本が負けたという事実を信じられなかった。恐らくラバウルが陥落し、アメリカ兵がそう言えと将校に促したのだろう。
船に乗せられても、兵達は現実を受け入れられずにいた。
「このまま、捕虜に……」
周囲でもそんな声がする。やはり全員、この船が日本に帰るとは半信半疑だったのだ。
しかし朝になり甲板へ出ると、そこには馴染みの灯台があった。
誰もが遊んだあの海辺の灯台。
帰還兵たちは叫んだ。
「日本だ!」
「帰って来たー!」
皆、抱き合って喜んだ。
その一か月後。
「圭介、お前、婿養子に行け」
「はあ?」
青年は両親から飛び出した唐突な結婚話に耳を疑った。
次回、祖父side編です。