3.お座敷のお値段
幼い私が追いやられている間、大人たちは芸者遊びに精を出す。
──のはずなのだが、最早この時代に新地に来る客は、芸者の「芸」など見に来てはいない。
芸妓は賑やかし。美しく、気持ちのいい話し相手。
料理を美味しくするための置物。
どんなに血のにじむ努力をしたって、客にその素養がなければ、芸など無駄なもの。
それでも芸妓は、高級な賑やかしになるため努力する。
さて、地元医師会の宴会が始まった。
祖父の予想通り、そこは地獄の様相を呈していた。
どかん!
大きな音がする。私は飛び起きた。
大人の叫び声がする。二階のお座敷から、ばたばたと母が降りて来た。
「お父ちゃん、お父ちゃん!」
母が祖父を呼んだ。私はただならぬ空気の予感に、のっそりと起き上がる。
酔いが回った医師のひとりが、よりによって一階の居住スペースで別の医師と喧嘩を始めたのだ。
先程の衝撃音は、もつれた二人が階段から落ちる音であった。
私はそっと襖を開け、様子をうかがう。
祖父が、母に問うた。
「増田さん、酔っとんか?」
「そうやで」
「石井さんも、酔っとるか?」
「そうや」
「べろべろに?記憶なくすぐらい?」
「そう」
それを聞き届けた祖父は医師の間に割って入ると、野球投手のように大きく振りかぶって、無言で腕を振り下ろした。
ボゴッ!
もう一方にも、拳を振り下ろす。
ボゴッ!
一発ノックダウン。
置屋は静けさを取り戻した。
私はそれを見、ほっとして襖を閉めた。
戦中青春ド真ん中世代、ラバウル帰還兵の祖父に叶う男は、多分、この町にはいない。
祖母がジコジコと黒電話を回す。
「〇〇タクシー?二台お願いしますー」
このように闇処理された泥酔医師らは、互いが互いを殴った記憶だけをタクシーへ乗せ、帰って行った。
さて、このように芸者置屋にはお帰りごとの会計システムが存在しない。
全ては「ツケ」で払われるのだ。
この地域では、ツケの徴収は年二回。半年に一回の徴収となる。
かつては年に一回だったらしいが、払えないケースが後を絶たず、戦後このようになったらしい。
ちなみに、料金表も存在しない。
お茶屋には、ファミレスのような気の利いたメニュー表など存在しないのである。
ちなみに、おうぎやの料金表にはこう書いてある。
お花代
果物
以上である。
初見では、訳が分からないことと思う。詳細に説明しよう。
お花代とは、芸妓の指名料またはお座敷代のことである。価格は特に決まっておらず、時価。何とも恐ろしい。
果物は、果物をむいて出してくれる料金のことである。この地域は果樹の栽培が盛んなため、客が土産として色々ひっきりなしに果物を持ち込む。その持ち込み料があるということを明示してあるのだ。
(多分果物に関しては、この地方の置屋特有の表記だと思う。ほかの地域では聞いたことがない)
食事代はどうするのかって?
それは料亭の言い値である。おうぎやの場合だと、春~秋は料亭「穂積」の懐石、冬はたいてい鍋かすき焼きとなる。つまり、いつも黙ってその季節の懐石料理、おすすめ料理を出されるというわけなのである。選択肢など存在しない。
しかし穂積以上の高級料亭が近隣に存在しないため、自然と客は最高級の料理をいただくわけで、文句は一切出ない。別の店のものを注文し出す奴もいない。そんな人を常連は連れて来ないし、その人が払えないようなら常連の持ち出しになるからだろう。
酒だの何だの、何か追加したいものがあれば配膳係が買って来る。全て、客と店の阿吽の呼吸で何もかもが決まる。
そんなわけで、料金表には値段など書いてない。
ジャンルだけが明記されているわけである。
常連はそれを熟知している。
おうぎやは「一見さんお断り」
これには上記のような理由が存在する。つまり、お茶屋のシステムに同意出来ない人間を最初から排除するシステムなのだ。
だが、こうとも言える。誰かに連れて来て貰いさえすれば、お茶屋で最高のサービスを目にすることが出来るのだ。客側も、唐突に入った店が失敗だったという経験をせずに済む。信用で信用を呼ぶことが出来るし、不信を排除することが出来る。案外理に叶っているシステムなのである。
そんなわけで、今日もふらっとお客さんが入って来る。
「お母さん、おるー?」
こう言われたら、祖母を呼ぶ。
電話が鳴る。
「お母さん、おるー?」
やはり祖母を呼ぶ。
このように、おうぎやはゆるい予約制を採用している。一見さんお断り、でも一見さんじゃなければいつでもウェルカムなのだ。
何か聞きたい話などあれば、感想欄へどうぞー。