19.舞妓、甲子園へ
恭一の在籍する野球部が甲子園に出場することを知ったのは、テレビでの報道だった。
小さな山村の小さな高校。
部員は、なんとその学校の男子ほぼ全員らしい。
普段はそれぞれ別の部活動をしているが、野球をする時だけは全員で野球部になるという、世にも珍しい「寄せ集め」の野球部だった。
何かの間違いで地区予選を勝ち抜き、甲子園出場を果たしてしまったのだ。
祖母銘子からも早速電話が来た。
いわゆる強豪校にあるような金集め組織がなかったため、急遽「甲子園に向かわせる会」が市内に発足し、寄付金を募っていたのである。
母は野球が好きだったため、すぐに寄付をした。
夏休みがやって来た。
私達はおうぎやに帰って来ていた。
無論、テレビは甲子園中継に繋ぐ。
今日がその、恭一の出場する試合当日。
おうぎやゆかりの芸妓、祖父母、親戚縁者がテレビの前に集合していた。
あれから。
その田舎高校はトーナメントのくじ引きでかつて春夏連覇を経験した強豪校と当たってしまい、大方が一回戦敗退であろうという予想であった。
しかしその状況におのれらの叶わぬ夢を託してしまうのが、高校野球ファンという生き物の性。
メディアの報道は日に日に過熱し、奇妙な注目が日本中から彼らに集まっていた。
生徒も親も少なく、アルプススタンドに人が集まらないというので、全国から高校生を呼び寄せ、座ってもらう。
村中をカメラが徘徊し、村人のインタビューを重ねる。
兵庫の高校生たちに、急遽ブラスバンドを組んでもらう。
少し可哀想なぐらいの期待を乗せられ、田舎球児たちはマウンドに立っていた。
そのマウンドに、不安そうな表情の恭一がやって来た。よりによって、一番バッターだったのだ。
その時。
急にアルプスにカメラが切り替えられ、おうぎやの面々は目を疑った。
恭子の遺影を抱く、恭一の祖母の姿がそこにある。
「小松君は、昨年お母様を亡くされたということで」
アナウンサーの冷静な声がブラウン管に響く。
「今日はこのように、天国のお母さんが見守る中で、バッターボックスに立ちます」
初めて恭子の遺影を目にしたはつ花と綾は泣き出してしまった。テレビ的には、格好の画が撮れる球児であろう。
私もつられて、目をこする。
これを見ている人は、きっと知らない。
彼の母が美しい舞妓だったこと。
血のにじむような努力を毎日していたこと。
男に殴られて逃げたこと。
息子が火をつけたこと。
新地にいられなくなって、去ったこと。
親友に別れも告げず、死んで行ったこと。
かつて野球少年だった祖父圭介は、ぐっと画面に顔を近づけて見知ったバッターを見守る。
相手チームのピッチャーは、いきなりコントロール抜群の速球で好投ぶりを見せつけた。
恭一は手出し出来ない。
Sが点灯する。
「ああー」
芸者置屋に力のない絶叫が響き渡る。
「まだや。行けっ、恭一!」
ヤクルトファンであり、アンチ巨人の母が叫ぶ。
相手投手の、何かを確かめるような際どいボール。
恭一はしっかりと見逃し、Bが点灯した。
「よっしゃよっしゃ」
圭介が手を叩いた。
「このピッチャー、ストレートが随分真っすぐやぞ」
「打ち所がよければ、ヒット行けるわ」
当たり前のことを興奮気味に言い、父と娘は頷き合った。
そして次の、真っすぐなストレート。
恭一が冷静に、それをはじき返す。
高く上がる打球。塁へ走った恭一。
一瞬、球は大きく弧を描いたかのように見えたが──
打ち取られてしまった。
置屋の居間はしんと音が鳴った。
「ま、こんなもんやろ」
「何せ相手が悪すぎるわ。絵に描いたような強豪と弱小対決やもん」
全員で肩を落としながら、テレビに視線を戻す。
テレビは次々と球児を映し替えながら、野球中継を続けていた。
結局、5-3で恭一の高校は負けた。
「いやでも、ようやったわ。10点以上開けられてもしゃーないくらいの強豪校やんか」
どこかすっきりした顔で、母が言う。
「惜しかった。あそこで手ぇ出さんと見送っとけば、押し出しの一点を取られずに済んだんやんか」
祖父はまだ煮え切らないようだった。
テレビの向こうでは、恭一の高校が誰一人として甲子園の土を持ち帰らない旨を、どこか悔しそうにアナウンサーが伝えていた。
メディアの撮れ高に振り回された夏に、別れを告げるように。
球児たちは他人だらけのアルプススタンドに頭を下げた。
かつて彼が火をつけたテレビに、恭一の笑顔が映し出されている。
芸者置屋の面々は、惜しみない拍手を彼に送った。
色々フェイクありですが、概ね事実です。




