16.恭子のアブナイ息子
あれから恭子(と女主人銘子)は額賀家との話し合いを重ね、太一との離婚が成立した。祖母はこういう時の立ち回り方を知っていたので、案外すんなりと離婚成立となった。
太一は親の方針で、別の県に引っ越しをさせられた。ほうぼうで元嫁以外にもやらかしており、街に居場所がなくなっていたらしい。
志乃はそれでようやく安心し、再び高校教師になった。その先で知り合った同僚と結婚し、東京へ移り住んだ。そして私が産まれ、私は五歳になった。
さて、話はようやく私がいる現在のおうぎやに帰って来る。
芸妓・司は私の目の前で、にこやかに微笑んでいる。
私は司が好きだった。何せ、テレビでも滅多に見ないような美人だったのだ(若い頃の若尾文子さんに似た、妖艶さとかわいらしさを併せ持つ人だった)。かつて舞妓だったという経歴も、子どもの私をときめかせるのに充分であった。私は司を見てはその美貌にため息をついた。彼女の顔面を殴った男がいたなど、信じられない美しさだった。
太一はこの司に「芸妓のくせに」と言って殴っていたという。
見下しているような発言に見えて、実際は彼女に何一つ勝てないことを痛感していたしょうもない男だったのだろう。
だから、唯一勝てる「力」での支配を目論んだのだ。
幼児の私にもその哀れさが分かるぐらい、彼は伝説上の「馬鹿な男」なのであった。
(芸妓の間でこの一連の話は共有されており、何かの折ごとに彼の悪口で盛り上がっていた)
しかし、それも私にとっては「知らない人」「いなくなった人」なので大して問題ではない。
目下の問題は──
司の息子、恭一。
こいつがとんでもなくヤバイ奴だった。
恭一は小学生。普段の昼間は家から学校に通っていたが、夏休みだけは預け先がなく、おうぎやに預けられていたのだ。
恭一は、普段は何かを我慢するようにじっと黙っている子だった。
だが何か気に入らないことがあると、暴れて周囲のものを壊すのだ。
私は彼にそのスイッチが入ってしまうと、自発的に家を出て、その怒りが収まるまで近所をうろつくしかなかった。
行く場所は大体、検番か、裁縫の先生の家と決まっている。
母もそれを分かっていて、恭一を一通り暴れさせた後、私をどちらかに探しに来ていた。
だから私は、夏に恭一が来ることに絶望していたのだ。
そんなある日。
私は恭一に、食べていたお菓子を取り上げられた。
「返してよ!」
珍しくもみ合いになった時、母が飛んで来て私にこう言った。
「結子はん、そのお菓子は恭一君にあげなさい。あんたには別の買うたるさかい」
そこまで言われては、私も引き下がらざるを得ない。
(今でも覚えている。パフにイチゴチョコをコーティングしたお菓子だった)
「……はーい」
何とか心を落ち着かせ、私は恭一を横目にする。
恭一はすぐさまそのお菓子をたいらげた。苛立つ私に、恭一は勝ち誇った顔をしていた。
(むかつくやっちゃな)
普段東京弁なのに、心の中で関西弁で毒づく。
と、そこへ母が帰って来た。
「結子はん、これ好きやろ」
差し出されたのは、きなこのわらび餅。
「わーい。食べるぅ」
私は先程の喧嘩も忘れて、わらび餅に舌鼓を打った。
恭一は無言でそれを眺めている。
母が去り、私が餅相手に必死になっていると、なにやら焦げ臭い匂いが漂って来た。
気づいた時には。
私の目の前で、大型テレビが炎上していた──
目を丸くして、恭一を眺める。
恭一はライターを手にしたまま燃え盛るテレビを眺め、謎の微笑を浮かべていた。
幼児の私は思った。
(これはアカン……!)




