12.見世出しの瞬間
志乃視点で描きます。
志乃はその美しい光景に目を見張る。
割れしのぶに結った黒髪にはべっ甲の簪。
白塗りの首筋に、三本の襟足が入る。
黒紋付を結ぶ金色のだらりの帯には、扇の紋。
そこには紛れもない、舞妓「司」の姿があった。
早朝からこの新しい舞妓を作るためだけに、商店街の多くの人が集い、協力してくれた。美しい司の姿に、誰もが幸福な嘆息を漏らした。
かつての男衆だった老人数人が準備室の前で手を合わせ、文字通り舞妓の後姿を拝んでいる。海老茶の着物を着た薄化粧のはつ花が横に付くと、舞妓となった司と共に店の外に出た。
今日ばかりは、はつ花は脇役。
おうぎやの前には噂を聞き付けた人々や事前に打ち合わせていたテレビクルーが集まり、拍手とフラッシュで新しい舞妓を迎えていた。司とはつ花は頭を垂れつつ、女主人に促され料亭穂積へと急ぐ。沿道の人々は熱い眼差しで舞妓の背中を追い駆け、すぐにおうぎやの前は娘の志乃と父圭介だけになった。
これから彼女らは、穂積で固めの盃を交わすのだ。これにはカメラも入れず、関係者のみが立ち入りを許されている。志乃と圭介は部外者なので、何もすることなく自宅へと帰って行く。
時計を眺め、志乃は次の行程を確認する。
固めの盃の儀式が終ると、舞妓の商店街行脚が始まるのだ。
商店街には色とりどりの司のポスターや看板が出ている。商店街を上げて、新地の新しいスターを盛り立ててくれているのだ。
ずらりと並んだ商店街の店主らに頭を下げながら通り抜け、舞妓らは地元の神社に向かう。
志乃は先回りして、祈るような気持ちで神社前に待機していた。しばらくすると、群衆から大きなフラッシュの波が湧き上がった。
神社脇の暗い路地の奥から銀のビラ簪がきらりと光り、はつ花と連れ立った舞妓・司が現れた。志乃はその浮世離れした光景に、恭子との長い同居生活を胸に秘めながら見入った。
白塗りの舞妓はしとやかに観客達に会釈して神社に参る。社の前で柏手を打ち、だらりの帯が微かに揺れる。舞妓司はゆっくりと祈り終えた。
芸舞妓二人は前に向き直ると、ちょっとだけその神々しい姿をカメラに撮らせてから「おおきに」とだけ言い置いて新地の方へ戻って行く。一部のカメラマン達が更に追いかけて路地へ吸い込まれて行った。彼らはこれから、彼女らの新地の挨拶回りも撮るのかもしれない。
志乃が群衆に紛れてその後ろ姿に見惚れていると、ふと隣から声をかけられた。
「志乃?志乃やないか」
志乃は聞き覚えのある声に、嫌々ながらも振り返る。
「お前はんは……太一!」
太一は、志乃の幼馴染み。彼とは小学校から高校まで同じの腐れ縁だった。
「あれ、志乃んところの舞妓やろ?」
「……」
「綺麗やん。紹介してや」
志乃は思い切り太一の足を踏んでやった。
「あだっ……何する……」
「あの子はうちの大事な舞妓はんなんや!恭子ちゃんにちっとでも近づいたらボコボコにしたる!」
「へぇ、恭子ちゃん言うんや」
「馴れ馴れしく呼ばわって。殺したる!」
「おー怖」
そう、二人は犬猿の仲だった。
司を羨望の眼差しで見送る太一。
この出会いが、おうぎやと恭子の歯車を一気に狂わせることとなる。




