1.芸者置屋で夏休み
灼熱の海辺。漁師町。
5歳の私は母・志乃に手を引かれ、水着のまま海水浴からの帰り道を歩く。
海岸線から公園に入り、その隣の神社を突っ切って、商店街へ。
浮き輪を抱えたまま、商店街の人に挨拶をしながら、母と私は歩く。
しばらくすると、遠くに赤いアーケードが見えて来た。
「鏑木新地」
そこから先は古めかしいお屋敷が立ち並ぶエリアが広がっている。そのアーケードをくぐった瞬間、我々は急に明治時代にタイムスリップするのだ。
京町家風の木造二階建てが悠然と軒を連ね、赤いガス燈もどきが鈍い光を発する。
誰かが踊りの練習をしているのだろうか。検番の二階から琴の音が、昼間の潮風に乗って聞こえて来る。
香を焚きしめす香り。
うどん屋の岡持ちとすれ違う。
新地のひときわ大きい京町家風の建物。
それが、私が夏に必ず帰る家、「おうぎや」だった。
おうぎやの玄関では浴衣姿の祖母が打ち水をしていた。
玄関頭上には『おうぎや』の屋号を筆で縦書きにした、箱型の照明がぼんやりと光っている。
「おばあちゃん、ただ今」
「おう、結子はん、もう帰って来たんか」
「暑いもん」
「入りよし。サイダーあるわ」
私は水着のまま、芸者置屋「おうぎや」に足を踏み入れる。
四畳ほどある広々とした玄関に入って右の土間続きの通路を歩く。その先のおうぎの紋が染め抜かれた暖簾を掻き分けると、お勝手があるのだ。
土間を挟み、右が台所、左には一段高い板間がある。板間にはつやつやのちゃぶ台。天井近くには芸妓の名を配した千住札がぺたぺたと貼られ、はつ花、綾、司と名が書かれた桃色の命名札が三つ、きちんと貼り付けられていた。
私は土間を上がり、小さな冷蔵庫を開ける。
置屋の冷蔵庫は五つほどある。生活用、来客用、営業用と用途が分かれているらしいが、良く分からないのでその中から適当にサイダーの瓶を取る。
一方、母は台所の時計を見上げた。
「そろそろかいな」
私は頷く。
「結ちゃん、着替えたらワ?今日は芸妓さん、皆来るさけ」
私はお勝手を出て、我々が泊っている二階の部屋で着替える。置屋の客間の一室を借りているのだ。
着替え終わって降りて来ると、私は居間でくつろぐ三人の芸妓と鉢合わせる。
はつ花、綾、司だ。
みな浴衣をめいめいに着崩し、髪はまだ結っていないらしく、適当に流している。
はつ花は銀の煙管で煙草を吸っている。お客さんにもらった舶来ものだ。彼女はこれを気に入っていて、火鉢の横でよく吸っていた。
煙草の匂いのむせる中、彼女らが取り囲んでいるのは、私の一歳の妹、陽子。
芸妓はみな、子供が大好きだ。
「まあ結ちゃんも、大きなったよ」
女ばかりが集まって、久方ぶりの再会を喜び合う。
「ヨーコちゃんも、もう歩けるんやね?」
そうは言うが、妹は若干気疲れし、目はうつろ。
はつ花が妹に煙草の煙を吹きかけると、妹の意識が遠のく。
しょうもない遊びをしているのだ。みんなそれを見て笑っている。
その時、祖父が帰って来た。
「おう。お前ら、うどんでも取るか?」
祖父は国産ボタンの工場を経営している。昼休みになると帰って来て、こっちで昼食をとるのだ。置屋を切り盛りする祖母と、長らく共働きである。
そんで、めちゃくちゃな男前である。芸妓と共にいると、見ているこっちは別世界にいるような気分になる。芸能界、とはこういう所を言うのかもしれない。周囲の明治期の風景と相まって、美男美女が集まると、この世の感じがせず、景色は急に浮つき出す。私はいつもこの風景に違和感を覚えるが、幼いながら同時に離れがたい何かを感じていた。
とにかくそこにあるのは、非常に魅力的で、且つ捉え難い世界であった。
「お父さん。もうお母さんがうどん取ってくれたさかい、ええで」
芸妓は皆、私の祖父を「お父さん」、祖母を「お母さん」と言った。
「そうけ」
「そろそろ来るで」
と。
「こんにちはー」
お勝手口からうどんやの岡持ちがやって来る。私の母が受け取って、居間に声をかけて来た。
「みんなで食べよか」
全員立ち上がって、お勝手のせせこましい板間で一斉に座る。
「いただきまーす」
ずるずるとうどんを食べる。この時、必ず私の母はこう言った。
「相変わらず、まっずいうどんやの」
みんなが笑う。帰省した母の、いつも定番のジョークだった。
小さな箱型テレビをつける。祖父はいつだって甲子園にテレビのダイヤルを回す。
これが私の、いつもの夏休み。
芸者置屋「おうぎや」。
客も身内も、全員を亜空間へいざなう、小さなワンダーランド。
うどんは付き合いで取っているので、本当にマズかったりする。