ムーちゃんのお城
王都ヘルメイト。
数百年前の大戦争以来争いのないこの平和な国は、私の膝の上で気持ちよさそうに寝ているムーちゃんが治めているらしい。
"獏"が国を治めるとはにわかに信じ難いことだが......。
王室にあるふかふかとしたソファにゆったりと座りながら、春は目の前に置いてある紅茶のカップを見つめた。
なめらかな白地に金色の装飾が細かく施されておりなんともお高そうである。
「それで貴方が何故ここに呼ばれたかなのですが…」
若干ノイズのかかった低い声に、向かいに座っているアークさんを見た。
彼は私のこの国の案内人であり、護衛役だと彼自身が話をしてくれた。私がここの環境に慣れるまでそばに居てくれるらしい。
そう聞くとまるで私が元の世界に帰れないように聞こえるが、この憶測はあながち間違っていないのだろう。
「彼、グランツが陛下に願ったからなのです。グランツ」
「ああ、俺が王様に『嫁が欲しい』って願ったんだ」
「嫁が......?」
私の隣に座っているグランツさんがアークさんの言葉に頷き返した。
だからって何故私が異世界へ呼び出されることになるのだろう。嫁なら私ではなく他にもいっぱい候補はいただろうに......。
グランツさん、もしかしてロリコン......?
私の不穏な空気を感じ取ったのか、グランツさんが慌てて弁解し始める。
「大丈夫だぞハル!お前をここに呼んだのは俺だ。俺が責任をもってお前を幸せにするから...!」
いや、そんな決め顔で言われても困ります。そしてそういう問題ではない。
グランツさんを何とも言えない気持ちで見つめると首を傾げられた。
ダメだ、こりゃ。
「えっと、私がこの世界へ呼ばれた理由はわかりました。ですが、なぜ私なんです?私でなくてもいい人はたくさんいるでしょうし......。あと『願う』とは?」
とりあえず頭に浮かんだ疑問を尋ねると、アークさんはひとつ頷きノイズがかった声で流暢に話し始めた。
「はい、少々話が長くなりますが、まずは国の歴史と異世界人の関係性について。ハル様は数百年前の大戦争についてはもうご存じですか?」
「えっと、グランツさんから少し聞きました。数百年前の戦争で大勢の人が巨大な穴に落ちたとか......。それで魔物は元は穴に落ちた人間ではないのではという話も」
「そうですね、そんな噂もあります。では、魔法石については?」
「それはエネルギーの塊ぐらいとしか......」
アークさんはなるほどと頷くと、国の歴史と異世界人、魔法石についてわかりやすく説明してくれた。
要約するとこうだ。
この異世界は魔石に覆われてできている。
世界の糧となる魔石は人々の感情、主に『喜び』から形成されている。魔石はグランツの言う通りエネルギーの塊で、魔道具を用いて活用されることが多い。魔道具とは魔石をはめ込むことで使えるようになる道具のことで、例えば、コンロに似た魔道具に赤の魔石をはめこめば火を起こせるというような代物である。大昔から存在するもので生きていく上で欠かせないものとなっている。そして、喜びとは逆の負の感情は魔石のエネルギーを削り、大地を枯渇させ、最終的には地面が陥没するという"大崩落"が起こる。これが数百年前の大戦争で実際に起こったことである。
多くの人が死に、大地は再生不可能な状態になった時に王様──ムーちゃんは現れたという。
ムーちゃんは大地に広がる負のエネルギーを体に取り込むと異世界の人々をこの世界に招き始めた。激減してしまった人口を戻し、魔石を形成する基となる『喜び』を集める活動を始めた。そして異世界人には歓迎と感謝の意を持って贈り物を何でもひとつ贈っているという。
「俺もハルと同じ異世界人だ。王様によると俺の腕っ節を見込んでこの世界に呼んだようだ。まぁ、元の世界でも魔物狩りをしていたしな」
二カリと眩しい笑顔で話すグランツに春は心の中で一人納得した。
グランツさんは異世界人だから願い事をムーちゃんに叶えてもらったと......。
ん?ということは、私はそれに巻き込まれたってこと?マジで?
「あの、私を元の世界に返していただくことは......」
「残念ながら、できません」
ですよね──。
あー、分かってたけど頭痛くなってきたなぁ。グランツさん、マジでどうしてくれる。
私が一人頭を抱えていると、膝の上でのんびりと寝ていたムーちゃんがのそりと起き上がった。今まで一緒にいてわかったことだが、この王様は相当マイペースでいらっしゃる。
おはようと声を掛けると「ムー」というのんびりとした返事が返ってきた。
可愛いなぁ、もう!
ムーちゃんのふわふわな毛並みを撫でて堪能していると、ムーちゃんはアークさんに向かってなにか話し始めた。ムーちゃんの話をじっと静かに聞いていたアークさんは、ムーちゃんが話し終わるとこちらへと向き直った。
「陛下が話はそれくらいにして、今日は夕食をとってお休みになられたらどうか、と...」
「あっ、もうそんな時間なんですね......」
アークさんの言葉に窓へと目を向けると、空はオレンジ色に染まっていた。
緊張で忘れていた空腹感と疲労感がどっと押し寄せてきた。
やばい、お腹鳴りそう......。
「ハル様、陛下がしばらく城に滞在すればどうかと仰っています。話し合うこともまだありますしね」
「おっ、さすが王様!それじゃあ、お言葉に甘えて...」
「グランツ、お前は帰れ」
「なっ、なんでだよ!」
「お前には帰る家があるだろう。前に『お嫁さんが来る!』とか言って張り切ってただろうが」
「あー.....」
「お前、まさか......」
たははと笑うグランツにアークは溜息を吐く。
アークの反応にただ事ではないと感じた春は恐る恐るアークへと問いかけた。
「あの、何かまずい事でも......?」
眉を下げながらおずおずと尋ねると、アークさんは「いや、こいつがどうしようもない奴ってだけですよ」とだけ言い、私の背中を押しながら長い廊下を進み出した。
ちらりと後ろを振り返ると、グランツさんがしょんもりとしながら着いてきている姿が目に映った。