09.質疑応答
エコーが連れてこられたのは、魔法によって鍵がかけられた部屋の前だった。
新人の受付嬢が扉に描かれた魔法陣に手を置くと、その魔力の波長を陣が読み取って、かちゃりと施錠が解除される。
「先輩! 朗報です! エコーさんが帰ってきました!」
内装は質素というほかなく、装飾などはなにもない。人が五人も入ればいっぱいいっぱいになってしまう小さな一室だ。
そんな部屋の中央には台座があり、その上には大きさの白い宝石が大事そうに保管されていた。透き通ったその宝石の内部には三次元の領域で構築された非常に複雑かつ精巧な魔法陣――立体魔法陣が内包されている。
それのそばで苦い顔をしていたのは、熟練のギルド職員――エコーも名前を知っている、ギルド登録時からの顔見知りでもあるランだ。
彼女は新人の受付嬢の言葉を受けて、その手を引かれているエコーを認識すると、これでもかというほど目を見開かせた。
「え、エコーさん……? 本当に……い、いえ! とにかく今は早くこちらにお願いします!」
「は、はひっ!?」
ランに催促されて、エコーは立体魔法陣が埋め込まれた宝石のそばに急いで歩み寄った。
(これ、なんだろう。立体魔法陣ならサリアちゃんが何度か簡単なものを前に見せてくれたけど、これは見たことない術式……)
よく観察してみようと中を覗き込んでみた、その瞬間。
『おい! ラン、貴様急になにも言わなくなってどうした! 返事をしろ!』
「ひゃいっ!?」
すぐ目の前の宝石から放たれた怒鳴り声が部屋中に木霊して、びくっ、とエコーは肩を震わせた。
(って、あれ? 今の声、どこかで聞いたことがあったような……)
この宝石は遠くの相手と会話をするための魔道具、遠話の魔水晶と呼ばれているものだった。
数十年前、世界で初めて立体魔法陣を提唱した稀代の天才魔導師。その魔道士が直接手がけたという三次元術式のうちの一つ、空間跳躍術式が内部に刻まれている道具である。
空間跳躍と言っても、それにより物質の瞬間移動が可能というわけではない。いや、魔力さえあれば理論上は可能なのだが、必要となる魔力量が尋常ではないのだ。
街一つぶんの人類を生贄に捧げれば一メートルくらいは移動できるかな、という程度のもの。そんなものを有用化するのはまず不可能と言っていい。
遠話の魔水晶が可能とするのは、物質ではなく音の瞬間移動。つまりは遠くの相手との通話、電話の機能である。
相手の声を聞いたことがある。そう感じたのはエコーだけではなかったらしい。
遠くで同じように遠話の魔水晶を使っているだろう相手も、エコーと同様に疑問の声を発した。
『……ランではないな? その声、どこかで……貴様、いったいなにものだ』
「んと……私はエコー。エコー・ランカル。あなたはいったい……あれ?」
『エコーだとっ?』
サリア以外と――いや、今はサリアとアルメリア以外か。あの二人としゃべる時以外は必ずと言っていいほどどもってしまうエコーが、とてもスムーズに自己紹介することができた。
そのことに疑問を覚えたのは他ならぬエコー自身だ。見知らぬ相手にこんな威圧的な態度を取られて、まともな対応なんてできるはずがない。そんなしょうもない自負が彼女にはある。
なのに今、エコーは一切詰まらずに話すことができた。
というか、声の主はなにやらものっそい聞き慣れたような非常に偉そうな口調で……そのおかげでエコーもまるで旧知の人物と話すかのごとく流れるように言葉が出てきたというか――。
「まさか、サリアちゃん……?」
その呼び方に、ぴくり、と。見えていないのに、魔水晶の向こう側でその人物がかすかに眉を動かしたのがわかった。
『だからちゃん付けはやめろと……! いや……まだ貴様が本物と決まったわけではないな。ランや他の冒険者ギルドの者どもが私を騙そうとしている可能性もある』
「や、そんなことは」
『私は騙されんぞ! あの超絶人見知りコミュ障が顔も見えず正体もわからなかった相手にあんななだらかに自己紹介できるはずがないだろうが!』
なんと固く熱い信頼であろうか。疑う余地のなさに思わず涙が出そうになる。
「う……い、いやでも、私は本当にエコーなんだよ、サリアちゃん……」
エコーも無意識にサリアと気づいていなければまず間違いなくサリアの言う通りになっていただろうだけに、あまり強く反論できなかった。
『ふんっ、ならばいくつか質問させてもらおう。これに一つでも間違えれば、ギルドの責任として今すぐこの魔水晶を破壊してやる。こいつは確か何千万くらいかしたはずだからな。相当な損失になるだろう。この私を騙した罰としては軽いくらいだがな』
「は、破壊!?」
『ああ。冗談ではないぞ。私は本気だ』
それをしたらしたでサリアもただでは済まないはずなのだが、サリアが臆す様子はまったくない。
サリアとしても、エコーがスムーズに自己紹介なんてできないという、ただあれだけの理屈ですべてを否定し切れるわけではなかった。
聞き慣れた声音、しゃべり方。これほどまでに自らの記憶と違わないものを嘘だと断定するには、もっと決定的な証拠がなければ、サリア自身も自分の中の疑いを晴らすことができない。
無論その逆、それはエコーの言いぶんが本当だと証明するためにも必要な手順でもあった。
「わかりました」
「ら、ランさん!?」
「大丈夫です。エコーさんはエコーさんです。嘘ではないのですから、気後れする必要はまったくありません」
ギルドの所有物なので勝手に了承はできない。どうしようかと戸惑っていたエコーだったが、ランが横からサリアの要求に応答した。
遠話の魔推奨はギルドの資産だ。一介のギルド職員でしかないランにそれをどうこうする権限はない。
つまり、もしも壊されれば独断で了承したランはただでは済まないということ……。
軽く泣きそうになったエコーだったが、ランは「大丈夫です」と軽く微笑んで、危ないのは自分の方だというのにエコーを気遣ってさえくれた。
(や、やるしかない。ランさんのためにも……!)
意を決して、エコーは魔水晶に向き合った。
『ふん。大した自信だな、ラン。ならば試させてもらおう。まず一つ目だ。そうだな……エコーの好物はなんだ?』
「……私が好きなのはイチゴだよ。イチゴのデザートとか、そういうのは大体好きだね」
『む……ならば次だ。やつが所有する剣はどこでつくられたものだ』
「ファームの北東の方にあるドワーフが店主の鍛冶屋さん。素材が丈夫なリグレイト鋼だから結構長い間使えてきたけど、前にサリアちゃんと一緒に行って調整してもらった時にそろそろ危ないって言われたから、近いうちに買い換えないとね」
これまで刃こぼれするたびに研ぎ直してきたが、そろそろ金属自体に限界が近いと言われている。
エコーの剣の素材であるリグレイト鋼は魔力によって変質した非常に丈夫な金属だが、そのお相手も魔法的要素を内包する人類の天敵、魔物である。
ゴーレムのように岩の体を持つ無機物生物や、並みの金属よりもはるかに硬い甲殻を持つ巨大な虫などなど。そんな相手と戦い続けていれば、いくら金属が丈夫であろうと限界はそう遠くない未来にやってくる。
エコーは次にサリアが帰ってきた時、一緒に鍛冶屋に行って新しい剣を注文するつもりだった。一人で行かないのは例のあれである。コミュ障の人見知りだから。
『な、ならば……』
少しサリアが動揺していた。聞かれたことだけでなく、サリアと一緒に行った際に言われたことまで語ったことに効果があったらしい。
あとひと押しだ。よーし、とエコーは気合を入れ直す。
『……よし。次はこれで行こう。エコーが剣を覚えたのは、剣を主体として戦うのはなぜだ?』
「それは……サリアちゃんが魔法使いだったからだよ。今のサリアちゃんは一瞬でいろんな魔法を使えるけど、昔はそうじゃなかったから。無防備になるサリアちゃんを守らなくちゃって、必死に独学で覚えたんだよ」
エコーとサリアはクラン――複数人で集まってギルドに登録することで特有の恩恵を受けることができるシステムの一つ――を組んでいるわけではない。よく一緒にパーティを組みはするが、今回のように別々で依頼を受けることだってそれなりにある。
それでも昔はそうじゃなかった。六年前にエコーとサリアは一緒に冒険者ギルドに登録をして、その時の二人の年齢はわずか一〇歳。
あの頃の二人はあくまでただの子どもでしかなかった。当時の彼女たちは、冒険者という厳しい世界で一人で生きていくにはあまりにも小さく、弱すぎた。
だからこそ力を合わせる必要があった。
優れた身体能力と反射神経、超人的感覚を持っていたエコーと、スポンジのごとくあらゆる魔法を吸収し、他の誰よりも高威力で放つことができる才があったサリア。原石でしかなかった二人は互いを支え合うことで成長し、今やファームの街を代表するとまで言える討伐Aランク冒険者となっている。
自分と一緒に生きてくれる、一緒に前に進んでくれる唯一の友達であるサリアを、絶対絶対、絶対に守るために。
その決意のもとに、エコーは自らのすべてをかけて剣術を身につけた。その努力は今も確かにエコーの力となってくれている。
『むぐ……』
ただ答えただけではない。その奥に確かに存在する決意と思いがこもった返答に、サリアの言葉が詰まる。
『な、ならばこれはどうだ! エコーが大事にしているぬいぐるみの名前は!』
「サポーちゃんでしょ? サリアちゃんのサと、私の名前のエコーの響きをもじってサポーちゃん。五年前にサリアちゃんが総合ランクが上がった記念にプレゼントしてくれたんだよね。嬉しかったなぁ」
『エコーが暮らしている宿は!』
「朝露の泉亭って宿。サリアちゃんも同じとこ」
『神さまなんぞ!』
「この世界にはいない?」
『将来の夢は!』
「友達一〇〇人っ!」
ここだけ気合がものすごい。
『なら、エコーの胸のサイズは!』
「うぇ? ……その、今ランさんたちもいるんだけど……」
『いいから答えろ!』
(……数値は恥ずかしいし……)
「……B」
『この裏切り者が!』
「なんで!?」
どう考えてもサリアがA以下でそれにコンプレックスを持っているから以外にない。Bなんてそう大きい方でもないのに。
というかエコーはサリアに自分の胸の大きさなんて教えたことなどないので、この質問サリアは答え知らなかっただろう。
『くっ……ま、まさか本当に……いや、だが……つ、次だ! エコーに関しての質問になら答えられてもこれならば無理だろう! 貴様、この私の好物を言ってみろ!』
「好物かぁ……嫌いなものならすぐ思い当たるんだけど……辛いものとか酸っぱいものとか、あと苦いのもダメだよねサリアちゃんって。調子に乗ってブラックのコーヒー飲んだ時なんか『にゃ、にゃんだこれは! 魔物の体液か!?』とか言ってたし」
『下手な物真似をするな! 第一、私と同じがいいからって同じものを頼んでおいて、ひたすら砂糖を盛りまくってた貴様に言われたくないわ!』
「あはは、私も苦いのはちょっと苦手だからねぇ。んー、サリアちゃんの好物、好物……あ、もしかしてあれかな? 卵焼き。前に一緒に食べた時、すっごく頬緩んでて幸せそうだったし」
『べ、別に緩めてなどいない!』
頬が緩んでいたことに関しては否定するサリアだったが、卵焼きが好きなことは事実らしい。
『むぐぐ……』
さて、これで通算八回目の正解。ここまでくれば、さしものサリアも認めざるを得ないだろう。
というより、最後の質問の途中で「貴様に言われたくない」と言ってしまっていたように、途中から――いや、本当は初めからサリアは気がついていた。
それでも、その感覚をより確かな形にしたかった。確信にしたかった。
エコーが帰ってきたと――行方不明になってしまっていた、唯一無二の友達であるエコーが生きていたと。そんな残酷なぬか喜びをしたくなかった。
だからようやく一〇〇%の確信を得ることができたサリアは、
『ぅ……ほん、どに、エコー……なのか? ほ、ほんどう、に……え、えごー……な、んだな……?』
「え……う、うん」
『よ、よがっだ……ほ、ほんとうに……よ、よかっだ……!』
サリアはエコーがいる遠話の魔水晶の向こう側で、どこか別の冒険者ギルドの遠話室で。
ぽろぽろと魔水晶に涙を落としていた。
そこでようやくエコーはどれだけ自分が彼女に心配をかけていたかを正しく理解した。
「……ごめんね、サリアちゃん。心配、かけちゃったね」
アルメリアという新しい友達ができた喜びで、サリアが抱いてしまっていただろう不安まで頭が回らなかった。
エコーがサリアを大事に思っていたように、逆もまた然りだった。そんなこと、少し考えればすぐにわかったことのはずなのに。
申しわけなさと、ほんの少しばかりの嬉しさを胸に、魔水晶の向こうで泣いているサリアをなぐさめるように、エコーはそっと魔水晶の表面に手を置いた。