08.ちょっと騒がしい?
「それじゃあ、これでしばらくお別れれすね」
アルメリアと出会った日から早五日。毒が完全に治療され体調が万全となったエコーは、アルメリアの居住スペースの前で別れの挨拶を交わしていた。
名残惜しそうにするとエコーが出て行きにくいからか、それとも単に恥ずかしいからか、アルメリアはできるだけそっけない態度を取るように意識しているようだった。ただ、それも完全ではなく、その表情にはわずかながら寂しさの色が浮かんでしまっている。
それも当然と言えば当然か。いくらゴーレムたちが一緒だったとは言え、アルメリアにとって、まともに誰かと会話をすることなど八年ぶりだった。
本当は、四日目にはエコーの毒はほぼ完治してした。それでも病み上がりだからということでエコーは一日余分に滞在した。
だから最後の一日は、エコーはベッドで寝込んでいたのではなく、アルメリアやゴーレムたちと地下通路の中を散歩したり、ゴーレムたちも混ぜてかくれんぼなんかして遊んだり。アルメリアが錬金術をやっているところをエコーが横で見学したりもした。
人の心が見えてしまうがゆえに、善意も悪意もすべてわかってしまう。そんなアルメリアにとって、エコーは家族以外で気兼ねなく接することができる初めての相手だった。一緒にいて楽しくなかったわけがない。
「うん……その、時間ができたら絶対また来るから」
「ありがとうございますれす。でも、お仕事はちゃんとしないとダメれすよ」
「うん。それじゃ、またね。アルメリアちゃん」
「はい、れす。また会いましょうれす、エコーさん」
サリアが護衛の依頼で街を離れる時は彼女をからかってみせたエコーも、あの時だってその実本音の部分ではかなりしょぼくれていた。アルメリアと別れなければならない今だっておんなじだ。
後ろ髪を引かれつつ、最後に名前を呼び合って、エコーはアルメリアのもとを後にした。
「あ、ゴーレムさんたち」
厨房の辺りに差し掛かったところで、待機していた四体のゴーレムと鉢合わせする。
エコー、エコー、エコー、と。もはや鳴き声の一種と化してしまった親しい者の名を呼んで、彼らもまたエコーへとしばしの別れの言葉を口々にする。
「ねぇ、一個だけ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
ゴーレムと意思疎通ができるエコーは一通り彼らの言葉を聞き終えると、彼らの顔を見渡した。
「私たちもアルメリアちゃんと一緒で……もう友達で、いいんだよね?」
「エコー」
答えたのはベータだ。
『もちろん』という簡潔な意思伝達に、エコーの頬はふにゃりと緩んだ。
「えへへ。ありがとね、皆」
ゴーレムたちの先導で、この地下空間の出口へと向かう。盾のゴーレムことアルファがいなければ、出入り口の扉は開かない。
やがて巨岩の広場まで出てくると、爛々と地上を照らす太陽の光が、薄暗さに慣れていたエコーの眼を刺激した。反射的に瞼を閉じてしまって、けれども日差しはそれ越しに明るさと温かさを伝えてくる。
「んー! 久しぶりの外の空気!」
大きく息を吸って、はくとともに一気に脱力。ぽかぽかとした陽気と心地いい緑の匂いが相まって、この草むらの布団に寝転がって日向ぼっこでもしたくなってきてしまう。
(アルメリアちゃんと一緒にそういうことできたらよかったんだけどね……)
彼女は絶対に外に出ようとはしない。こんな出入り口のすぐそばにさえ。
そしてその母の言いつけを必ず守ろうとする意思が、外に出ないという一点のみに限らないこともここ数日一緒に過ごしてエコーには理解できた。
たとえば彼女は、幼い頃に自身の母に教えてもらったように整理整頓、及び掃除や片づけを決して怠らず定期的に行う。地下にはゴーレムたちしか来ないからと言ってだらけた生活は送らないように心がけており、毎日朝起きた時には体をほぐす体操を行う。さらにその母に少しでも近づけるようにと、自主的に錬金術の勉強を毎日欠かさずやっている。
アルメリアにとって母親という存在は本当に大きなもののようだ。
「そういえば、どっちに進めば森を出られるのかな」
「エコー」
「あっち? あ、皆はよく森を散策してるんだったね。アルメリアちゃんのために食材とか錬金術の材料を取ってきたりとか……わかった。あっちに行けば出られるんだね?」
「エコー」
「うん、ありがと! そっちこそ元気で! それじゃ、また!」
四体のゴーレムたちに手を振って、巨岩の広場を立ち去る。ゴーレムたちもまた、エコーの姿が見えなくなってもばいばいと手を動かし続けていた。
あの巨岩の広場にたどりつくためには特定のルートを通る必要があるが、出る際にそういった手順は必要ないようだ。
歩き続けていると森の木々の数が明らかに少なくなり始め、森を抜けて草原に出る。
ここまでくれば周囲の景色もじゅうぶんエコーが見慣れたものになっている。
少し遠くに見える街道に近づいて、それに沿ってファームの街の方角へ歩いていく。
「ついたー」
ファームの街は水堀で囲まれている。そして跳ね橋を渡るには身分確認を通過する必要があるため、エコーは門の前にできている列に並んだ。
列にはエコーと同じ冒険者もいれば、商人や吟遊詩人、飛脚――手紙を届けることを専門とした組織に所属し、生業としている者――、ほかには冒険者を護衛につけた、少し離れた村や集落へ足を運んできただろう医者なんかもいる。
基本的に、その街の冒険者ギルドを拠点として登録している冒険者以外が出入りする場合には入市税が必要だ。
冒険者だけが特別である理由は、魔物退治を行うために危険区域に赴くことが多い、つまり街を何度も出入りする必要があるため、そのたびに税を支払っていたら冒険者だけ払う桁が違ってきてしまうからだ。
仮に税を取り続けてしまうと、それでは低ランクのうちはまるで稼げないからと冒険者になる人の総数が減ってしまう危険性もある。そうなれば駆除されなくなった魔物によって街が襲われる危険にも結びつくかもしれない。
冒険者は他と比べて仕事の内容上、死亡率が格段に高いので、それを補給、供給し続けるためにもギルドと国と提携してある程度の優遇処置が取られている。
自分の番が来ると、エコーはいつものように冒険者カードという証明証を提示した。
「あの、お、お願いしますっ……」
エコーは人見知りであるが、この作業に関して言えばほとんど会話をせずとも差し出して確認してもらうだけで済むため、サリアがいなくとも逃げ出さずに一人で行うことができる。
というかさすがにそれくらいのマニュアル通りの簡単な応対くらいはできないとまともに活動できない。
「確認しました。どうぞお通りください」
と、門番の人の許可を得て、エコーはファームの街にようやく帰ってくることができた。
(んー、なんかちょっと久しぶりな気さえするかも。ほんの数日離れてただけなのに……)
ここ数日はアルメリアとゴーレムたちしかいない地下空間で生活していたせいだろう。あちこちに人の営みが窺える街の風景がなんだか懐かしく思えた。
ほんの少しだけいつもと少し違う気分で歩き続けて、冒険者ギルドの前までやってくる。
(サリアちゃんはたぶん、もう護衛の依頼に行っちゃってるんだろうなぁ)
いつ出発するなどの詳しいスケジュールは聞いていなかったが、サリアが街を出る話を持ちかけてきた時点で、すでに依頼の受注は打ち切られていた。あれから五日も経っているのだから、おそらくもう街を出て王都へ向かってしまっている。
できれば、会って新しい友達ができた嬉しさを共有したかった。エコーは少し残念に思いつつも、冒険者ギルドの扉をくぐる。
(あれ? なんだろう、ちょっと騒がしい……?)
今の時間は昼前だ。
任意の依頼を受け、期限内にそれを完遂させればいい冒険者に、明確な仕事の時間の括りはない。しかしほとんどの冒険者は朝から探索や遠出に向かう。もしくは、朝や昼間にちょうど危険区域にたどりつくくらいの時間を見計らい街を発つ。
それはのんびり昼間から出かけたりなんかして、危険区域の探索中に夜になってしまったりすることがないようにするためだ。視界が悪い真夜中に危険区域を出歩くことは自殺行為に等しい。相応の対策を取れば夜でも活動できないこともないが、その対策を毎回行う手間をかけるくらいなら、素直に朝早くから出かけた方がいい。
だから冒険者ギルドは昼間にはあまり冒険者はいない。いるとしたら、それはギルド職員か、ギルドに依頼を持ちかけてくる商人、鍛冶屋などの職人、あるいは街から少し離れた場所にある村や集落から、魔物退治の依頼のためにやってきた代表の村人などだ。
今日もそれは例外ではなく、人自体はそう多くはない。しかしこれまで昼間に訪れた時よりもいくらかギルドが、正確にはギルドの職員たちがにわかに騒がしい。エコーはそう感じ取って、どうしかしたのかな、と小首を傾げた。
「……用事のついでに聞いてみよっかな……」
ギルド職員に自分が無事に帰還したことと、捜索依頼の取り下げをお願いをする。そのついでになにがあったのか聞くくらいならば、人見知りコミュ障たるエコーでもぎりぎり可能だ。
「ふぅー……よし」
いつものように胸の前に手を置いて、心を落ちつかせる。そして、ちょうど空いた受付へ向かう。
「あ、あの……」
「はい。こちらは冒険者ギルド窓口となります。本日のご用件、は……」
受付に立っていたのは、調査依頼で森に向かうことをギルドに告げる際、初めにエコーの対応をした新人の受付嬢だった。
その彼女は営業スマイルとともにマニュアル通りの対応を口にする途中で、徐々に言葉をしぼませ、その表情に驚愕をあらわにしていった。
(一日で帰ってくるって言ったのに、五日もいなくなっちゃってたしね……ギルド内で情報の行き交いもあったはずだし、行方不明になってた人が急に帰ってきたら驚くに決まってるよね)
なんてエコーは思ったものの、受付嬢が驚いた理由はあいにくとそれだけではなかった。
「ちょ、ちょうどよかった! エコーさんですよね!? あの、少々お時間をいただいてよろしいでしょうか!」
「うぇ? そ、あ、ぇ……か、構わない、ですけど……ぃ、いったいなんの」
「ああよかった! ではこちらへお願いします!」
新人の受付嬢はカウンターから飛び出してくると、事情を話す時間も惜しいとばかりにエコーの手を掴んで、職員しか入れない奥の方へとエコーを連れて行った。
いったいなにが起きているのかてんでわからないが、新人の受付嬢がなにやら焦っていることだけは理解できる。
きっとただごとではない。そう認識し、自然とエコーの顔も強張った。