01.エコーとサリア
「ま、待ってサリアちゃん! す、捨てないで! 私のこと捨てないでぇええええええ!」
ここは冒険者ギルド。
世界中に蔓延る魔物の生息地で狩猟や採取などを行うことを主な生業とする、冒険者という職業の者たちが集う斡旋所、及び集会場である。
各所に設置されたテーブルではいくつかのグループが腰を落ちつけて話し合いをしている。
これから受ける依頼について打ち合わせでもしているのだろう。
そんな中、突如としてこだました修羅場を醸し出す悲鳴に、すわ何事かと視線が集中した。
「こ、これまで一緒にやってきたのに、きゅ、急にそんなこと言い出すなんて……い、一緒に夜を過ごした日だってあったのにぃ! 私のことは遊びだったんだね!」
「ええい、人聞きの悪いことを言うな! 第一、一緒に夜を過ごしたって部屋で夜通し遊んでただけだろうが! 遊びだったんだねというか事実遊びだったろう! あ、ちょ、服を引っ張るな伸びる伸びる伸びる!」
そこにいたのは、涙目ですがりつく青い瞳の少女と、そんな少女を引き剥がそうと四苦八苦するアメシストの瞳の少女。
冒険者たちは騒ぎの主がその二人であることを確認すると、何事もなかったかのように話し合いを再開した。
青い瞳の少女の名を、エコー・ランカル。そしてもう片方の少女は、サリア・スカルビオラ。
この二人が騒がしいのは割といつものことだった。
「この……いいから落ちつけ!」
「ふぎゅっ!?」
サリアが振り下ろした拳が頭に命中し、情けない声を上げて、エコーは床に突っ伏した。
どうにか解放されたサリアはため息をつきながら、近くのイスにどっかりと腰を下ろす。
普通に本気で殴ったのだが、サリアはエコーが石頭であることを知っている。どうせすぐに起き上がってくるだろう。
「ひ、ひどい……泣きっ面に塩、傷口に蜂を塗るレベルの鬼畜の所業だよ……」
サリアの予想通り、エコーはあいかわらず涙目ながらも、サリアと対面となるイスにのそのそとよじ登った。
「逆だそれは。なんだ蜂を塗るって」
「傷口にはちみつを塗るレベルの鬼畜の所業だよ……」
「まぁ、確かにそれは痛そうだな……」
「はちみつおいしいよねぇ。この前食べたはちみつパンとかすごいおいしかった!」
「……貴様はあいかわらずだな、エコー」
はちみつパンの味でも夢想しているのだろう。さきほどの騒ぎなどすっかり忘れて一人でニヤけ始めたエコーを眺め、サリアは肩をすくめた。
エコーとサリアは、一〇歳頃に冒険者として登録して以来の付き合いで、いわゆる幼馴染みというやつである。
初めて会った時から二人はよくコンビを組んできた。
冒険者にはランクが存在し、総合と依頼の種類による個別評価で別れているが、二人ともその実力は確かであり、ともに総合がBランクで個別における討伐がAランクだ。
こと魔物との戦闘において、今現在このギルドでこの二人以上の実力者は存在しない。それほどの力を持っている。
よくああいった騒ぎを起こしていることもあって、冒険者ギルドではいろんな意味で一目置かれていた。
「それでサリアちゃん、なんの話してたんだっけ?」
「貴様なぁ……というか、ちゃん付けはやめろといつも言ってるだろうが」
「ごめんごめんサリアちゃん。つい、ね?」
「……はぁ。まあいい」
呼び方について言っても聞かないのはいつものことなので、サリアは早々に流して本題に入ることにした。
「さっきも言ったが……私はこの街を離れることになった」
「ま、待ってサリアちゃん! す、捨てない――いたっ!」
さっきもこうなったので次のエコーの行動が丸わかりだったサリアは、また騒ぎ出そうとしたエコーに素早くでこぴんを繰り出した。
「最後まで聞け。別に貴様に嫌気が差したとか、そういうわけではない。少し、王都への護衛依頼を請け負うことになってな」
「ご、護衛の依頼……?」
ぱちぱちと目を瞬かせたエコーに、サリアは「言いたいことはわかる」と手のひらを見せて静止した。
「いや、私は遠慮したのだ。完璧な存在たる私に安易に頼るなど笑止千万だと。しかし、しかしな。奴らがどうしてもと、天才魔法使いであるサリアさまのお手を借りたいと言うのだ。普段ならやはり断るところなのだが、たまには慈悲の心も見せなければならんと思ってな……」
「はあ」
さきほどまでとは裏腹に、急に淡白な反応になったエコー。
サリアはむっとしたように唇を尖らせる。
「だから、神である私がいなくなって寂しくはないか、大丈夫かと私は聞いているのだが? まあ、さっきの貴様の様子を見る限りでは全然大丈夫そうではなさそうだがな」
「や、私のこと嫌って出ていくわけじゃないなら別にいいよ」
「そうだろうそうだ……はあっ!? 今なんと言った!」
得意げに鼻を鳴らしていたサリアは、エコーの返答が予想外だったらしく声を荒らげて詰め寄った。
「だから別にいいんじゃないかなって。私たち冒険者だし、護衛とかそういうのでちょっと離れるくらいたまにはあるよ。むしろ何年も同じギルドでやってきたのにこれまで一度もなかったのが不思議なくらいだよねー」
「だよねー、じゃない! 貴様……私への信仰心が足らんぞ!」
寂しく思ってほしいのか思ってほしくないのかどっちなのか。
十中八九前者なのだが、サリアは素直に寂しがってほしいとは言えないツンツンなお年頃なのであった。
(サリアちゃん、慈悲の心がどうとか言ってた辺り、ほんとはあんまり気が乗らなかったけどいい感じに煽てられて調子に乗って引き受けちゃったんだろうなぁ……)
口調からもわかる通り、傲岸不遜を地で行くのがサリア・スカルビオラなのだが、その内面は至って単純だ。
目を閉じて想像を広げてみれば、その時の光景が瞼の向こうに見えるかのようだった。
とは言え、この明らかに問題児になりそうな、というか絶対になる彼女を煽ててでもどうにかこうにか護衛メンバーの一人に仕立て上げた辺り、それが本気で重要そうな依頼であることは察せられた。
サリアは神を自称したり天才だとか自分で言ったり、いろいろと言動がアレなところはあるが、その実力はかなりのものだ。
だからこそ、エコーには一つだけどうしてもわからないことがある。
(……私には声、かからなかったな……)
エコーとサリア、二人の仲がいいことはよくパーティを組むことからも認知されている。
ならばいっそのこと二人でハッピーセットにした方がお得かつお買い得でいろいろとコントロールしやすいはずなのだけども……。
エコーも相当の実力は持っているつもりだ。魔法の腕は本職の魔法使いであるサリアには遠く及ばないが、剣を用いた近接戦闘はこのギルドでも随一の能力を誇っている自信がある。
サリアが遠距離、エコーが近距離。二人揃えば鬼に金棒である。
だというのにエコーには声がかからなかった。はてさて、本当にどうしてだろうか。
「ふん……まぁ、あれだ。寂しくないのならいい。寂しくないのなら……本当に寂しくないのなら、な」
どうやら意地でもエコーに寂しいと言ってほしいようで、サリアはなにやらもったいぶった口調でちらちらとエコーを見ながらひとりごちている。
もしかしたら、いや。もしかしなくとも、本当はサリアもエコーとは離れたくないのだろう。
だというのに、いい感じに煽てられて護衛任務を引き受けさせられた……。
なんとも不憫である。
それに加え、自分からは決して寂しいとは言い出さないつっけんどんな態度。それが少しおかしくて、エコーはにやにやと笑みをこぼしてしまっていた。
「……くっ、そんな道端を元気に走り回る犬の親子を眺めるような目で私を見るな!」
要は微笑ましいものを見る目である。
「本当に、本当に寂しくないんだな!? 一人でも平気なんだな!? 私がいなくても大丈夫なんだなっ!?」
「……逆に聞くけど、サリアちゃんは寂しくないの?」
「なに、私か? ふん、そんなもの寂しいわけがないに決まっているだろう! そもそもとして神とは孤高であるべきものだ。今は貴様のそばにいるが、私は本来は――」
「そっか……なんにも寂しくなんかないんだ……」
うるうる。瞳を潤ませてみる。
気分はさながらお父さんお母さんと離れ離れになった迷子の子犬である。
くぅん、くぅーん。
「うっ……」
迷子の子犬になりきったエコーの泣き真似に、サリアは言葉を詰まらせた。
「私はサリアちゃんのこと友達だと思ってたのに、サリアちゃんは私のこと、なんとも思ってなかったんだね……」
「なっ、い、いや、ちょ、え、そ、その、ま……ちが、違うぞっ? 断じてそんなことはない! わ、私はエコー、貴様を、貴様のことをちゃんと……」
「……私のことを?」
「……と、とと、と……と、ともだち、だと、思っている……だ、だから……だから、その、えっと……」
「じゃあ、私と離れ離れになっちゃって、寂しい?」
「そんなことは……う、いや……そんなこと……ある、かもしれん。これまで毎日のように顔を合わせてきたのだ。きっとお前がそうであるように……私もずっとお前のことを、相棒のよう、に?」
「ぷ、ふふ……ふふ、あははは」
もう堪え切れない。口元を押さえ、声を上げて笑い出す。そこに至ってサリアはようやくからかわれたことに気がついたようだった。
護衛の話を持ち出した際にエコーが淡白な反応しかしなかった時よりも、さらに彼女の唇が尖る。
頭のてっぺんに生えているアホ毛も、ぐるんぐるん回転をし始めた。わずかながら頬に赤みがさしているのも、さて、本当に怒りだけによるものだろうか。
「エコー、貴様……この私を謀るとはっ!」
「あはは、ごめんごめん。サリアちゃんのつんけんした態度が可愛くって、つい、ね?」
「はぁっ? 神である私が可愛いのは自明の理だろうが!」
その自信はいったいどこから湧いてくるのだろう。確かに客観的に見てもサリアという少女の見てくれは普通に可愛いのだが、そういうことは得てして自ら自信満々に認めるようなことではない。
しばし恨めしげにエコーを睨んでいたサリアだったが、笑みを絶やさないエコーに堪え切れなくなったように、がたっと席を立った。
「ふんっ、もうエコーなんぞ知らん! 少しでも神の慈悲を与えんとした私の方がバカだったわ!」
(あ、ちょっとからかいすぎたかも……?)
「いや、神である私がバカとかありえん! バカは貴様だ! エコーのバーカバーカ! アホー! このコミュ障め! ふらふらしててタンスの角にでも子指ぶつけてろ!」
小学生レベルの悪口だ。
そして内容もしょぼい。
「サリアちゃん、待っ――」
妙に実感がこもった地味に痛そうな悪態を捨て台詞に、エコーが止める間もなく、サリアは踵を返して冒険者ギルドから出て行ってしまった。
一人ぽつんと残されたエコーは、少し気まずそうに項垂れた。
「うーん……ちょっと悪いことしちゃったかな」
エコーの身体能力なら今から追いかけて追いつくこともできなくはないが、サリアは魔法使いだ。逃げるために魔法を使われたら、エコーでも捕らえるには時間がかかる。
それなら無理に追いかけるよりも落ちついた頃に素直に謝った方がいいだろう。
「……私を嫌って出ていくわけじゃなくて安心したけど……しばらく一人、かぁ」
すっくと立ち上がり、依頼が貼り出された掲示板へふらふらと向かっていく。
その足取りにはどことなく覇気がない。そしてそれはサリアと喧嘩したことだけが原因ではなかった。
エコーはサリアが護衛依頼を受けたことには反対せず、むしろサリアをからかってみせたりもしたけれど、一度だって「寂しくない」とは言わなかった。
なんだかんだ言って実はエコーもサリアと離れるのは寂しいのだ。
でも、それを言うとサリアが護衛の依頼に集中できなくなってしまうと思ったから、その言葉をぐっと我慢した。
サリアを寂しくないかとからかったのも、サリアがエコーを「寂しい」と言わせたがっていた心情と同質のものだ。さらに逆もまた然りなので、今はぷんすかモードで街中を歩いているだろうサリアも、いざ落ちついた後ではエコーと同じようにしばらく会えない事実で元気をなくすはずである。