4蹴 2歳=32歳
「オマイラ(おまえら)!キイテオドロケ(聞いて驚け)!
2タイダド(2歳だぞ)!タンゾービダゾ(誕生日だぞ)!」
しゃべるとこんな感じだが、二歳の誕生日が来た。
まあ、何がすごいって、生まれた日が死んだ日で、死んだ俺の生まれた日もまた同じ日だ。
だから、昔の俺が生きていたら、32歳ということに・・・ならないよな。
目に付いた新聞を見て驚愕した。俺が死んでから、10年経っていたのだ。まあ、実際に死んだのかどうかはわからないのだが、魂ってものが存在するとしたら、それが赤ん坊の体に移っている時点で、元の体はからっぽだろうな。だから、死んだことにしたほうが何かと納得できる気がするのだ。自分以外に納得させる必要はないのだから、納得しなくてもよいが、そう考えるだけでまだましだ。たしかに前の母さんのことは気にかかるけど…俺がひかれたあと俺のままで生きているならもっと怖い。今の俺はなんなのだ。別人に乗っ取られているとしても怖い。それならむしろ死んでいたほうがよく思えるところではある。
それはともかく、2歳だ。もう歩き回っても不審に思われない。
ある程度であればしゃべってもおかしくない。しゃべれるだけでもいいもんだ。意思が出せるので、前みたいに泣かなくてもいい。トイレも自分で行って不思議ではないし…ああ、青春かなぁ(※絶対違います)。自由なのだ。確かに、子どもとして大人より語彙力がないので、語彙力なんて言葉も使えない。ゼッタイ!とかイッパイ!とかは言えるけど…四字熟語なんて使おうもんならみんな飛び上がって逃げ惑う…こともないだろうけど死にかけの爺さんがすっげー元気になりそうな…元気なばあさんが瀕死になりそうな…そんな感じである。四面楚歌とか、猪突猛進とか、酒池肉林とか焼肉定食とか…(変なの混じってる気がするが気にしない)難しい言葉は使えないにせよ、制限に燃えるのは人間の性か、あるいはオタクの血か…割とこの状況を楽しんでいる。
なにはともあれ、ようやく話せるようになったので、サッカーボールをねだってみたらすぐ買ってくれた。小さいやつだがこれでいい。まだ足を細かく動かせるわけではないが、蹴ることはできる。両手でも持てる。目標のサッカー選手への第一歩が、ようやく踏み出せたわけである。親の妨害もあるが、乗ってやるしかない。これは今でも悔しいところである。4歳にでもなったらフェイントテクニックの一つも覚えておきたいところだ。父、裕斗は運動ができるほうみたいなので、もしも抜くことができたら、もうそんじょそこらの小学生には負けないレベルなんじゃないか。こういった小目標を掲げるのも大きな夢をかなえるために重要だとテレビで聞いた。ちっとずつでも頑張るぞ!
年齢的に区切るのはここまで。タイトルに年齢書くかもだけどここから年はあまり関係なくなります。