犠牲の上に成り立ったもの
「ぷはぁ!やっぱり風呂は最高だな!」
風呂がある生活に慣れてしまっている俺には今までが辛すぎたのだ。
ただ、ただだ。素直にこの幸せなひとときを満喫できているのかと問われれば微妙であると答える他ない。
くっ、これも全部レティのせいだ!
まさか朗読というのがレティが読むのではなく、俺が読まされる方だとは思いもしなかった。
幼き日の俺の純粋な心を弄びやがって!あれは永久に未来永劫、次元の果てに封印されるべき書物だ!
どんなことがあったのかというと、
「で、今回はどんな俺の痴態が暴露されることになるんだよ!傷つく準備はできている!どこからでもかかってこい!」
「光太酷い。私はそんなつもりでこれを披露しているわけではない。みんなに光太のことをもっと知ってもらうために読んでるだけ。涙が…」
くっ、どの口が言ってるんだ!
その紙束さえ取ってしまえばこっちのものなのに!これでもかと見せつけやがって!
「ああ、ごめんな?どれどれ、泣かないでくれ、レティ。」
そろー、そろーっと近づいてレティの出てもいない涙を拭うフリをして、とりゃあ!
「やったぞー!ついに俺は成し遂げたんだ!これでもう…あれ、涙が。」
「じゃあ、そこの文を読んで。この、猫さんこんにちは。から。」
あ、あれ?聞き間違えの上に見間違えだろうか?
なんだろう、この取られたのに全く焦ってない声音は。そしてあのレティの手にある紙はなんだろうか?そして俺の手にあるたった一枚の紙切れは…
くっそー!そういや、コピー済み的なこと言ってたじゃないか!信じたくない事実から目を逸らしてしまっていたのか俺は!
それにこんな紙切れ一枚な訳ないじゃないか!してやられた!
「なっ!これって俺が小さい頃のやつじゃないか!俺の痴態じゃないのかよ!」
「そんなの読んでもらうのにおも…しんせ…クオ様やリルに光太のことを分かってもらうのに適切なものじゃないからに決まっている。」
レティめ、わざと言い間違えをしてしまったみたいな感じ出してるな!レティはそんな凡ミスは決してしないだろ!
「いーやーだ!読みません!大体、朗読ってレティがするんじゃないのかよ!」
「私がこの超大作を語るのなら朗読なんて言い方はしない。光太に読んでもらうからそう言っただけ。」
超大作だと⁈バカにしやがって‼︎
「それに読まないのなら私、いや私達が突入するだけ。そして私たちのあられもない姿を見た光太は己の内の野獣を解放してしまい、欲望のまま私達をむさぼ」
「しないから!あまり人前でそういうこと言わないでもらえるかな⁈」
忘れてはいけない。ここは部屋でもなんでもない、食堂なのだ。
周りにはエマを始め、この宿の宿泊客も夕食だか真っ只中の今、いないわけがないのである。
ほら!あの商人っぽい恰幅のいい人なんか俺のことまるで性犯罪者を見るかのごとくじゃないか!あっちの駆け出し冒険者感がすごい子なんかは俺のことをまるで変態紳士のように!
レティは人から言われるのを嫌うクセに、俺をいじるためなら盛大に自分の容姿を利用してくるからタチが悪い。考えるだけでも殺気を放ってくる感の良さも持ち合わせているから余計にだ。
「しないの?」
そんな可愛く小首を傾げてもしませんから!
こんちくしょー!なんでみんなして俺がクソ野郎みたいな目を向けてくるんだよ!話聞いてる⁈俺否定してるよね⁈
みんなが俺を虐めてくるんだ!助けてくれー!
「俺はこんなことではめげないぞ。屈してなるものか!」
「じゃあ、読んで。そこの一番上から。」
くっ。俺のひとときの安寧と未来の為、一時の屈辱を受け入れるしかないらしい。
「ね、ね、猫さん、こ、こんに、ちは。」
「もっと感情を込めて。でないと、約束は出来ない。」
絶対いつかその書物を根源から絶ってやるからな!
「猫さんこんにちは。今日はお日様がポカポカ気持ちいいからお散歩日和だね?一緒に散歩しない?」
「その調子。」
それからその紙の裏表にびっしりと書かれてあった小さい頃の俺の一日の会話を再現させられる羽目になった。
こんな動物との会話なんて子供がやってるから微笑ましい光景なんだ。俺みたいな高校生、こっちではもう成人を迎える年だぞ!そんな奴がやってたらいい笑いものだ!
まれにこの年齢でも許されることがあるかもしれないが、それが許されるような格好よさも可愛さも俺は持ち合わせてないんだぞ!
ということがあの後あったのだ。
せめてもの救いは、この世界に魔法があり、そしてレティが前にワイバーン相手にやっていたように少なくはあるが魔物などとの意思疎通ができる魔法があるということだ。
それでも幾人かは堪えきれず吹き出したりしていたが。顔は覚えたからな!
そのおかげでこの最高であるはずの時間は、思ったほどのものでもないと感じさせる。
こうなったら今度、ティアに頼んで王城にあるはずの想像もつかないほど豪華絢爛な風呂に入らせてもらおう!その時はきっと最高のひとときを味わえるはずだ。
なんだか、貴族とか王族とかの面倒なしがらみよりも風呂のことを優先してしまう俺って…
「まあ、でも。久し振りに作ってよかったなぁ。これだけ魔方陣を複雑化しとけば解読できないだろうし、隠蔽も完璧だ。」
これまでこの領域の魔方陣に誰一人としてたどり着けなかったのには何か理由があるはずだ。
スキルによる隠蔽以外にも、魔方陣をフェイクを入れまくったりして偽装工作を行なった。
この世界にないものではない。ただ、簡略化されているのにさらに便利というだけで。
なので、分からないようにしていればきっと誤解してくれると思う。
それと、持っていかれても面倒なのである程度の距離を離れたら自動的に元の場所に戻ってくるというありふれた効果をつけておいた。これで防犯完璧。
「色々あったけど諦めればよかったとは思わせないから流石だよなぁ。風呂の魔力だな。」
風呂には魅了の状態異常付与の効果でもあるんだろうな。きっと風呂は闇属性の魔法なのだろう。
「せっかくだから、色々と忘れて満喫しようかな。あまり嫌なことを思い出してこの時間が損なわれるのは勿体ないよな。」
忘れられるはずもなかったが、無理矢理にでも思い出さないようにしてこのひとときを満喫した。
久し振りの幸せなひとときは、苦渋と苦悩、そして俺の精神という様々な犠牲の上に成り立ったものであった。
今度どこかに精神に効能がある温泉がないか探しておこう。この世界だとMNDアップとかいう感じで絵空事でもない気がするけど。




