八月の出来事・②
★○梅の山寺編
:出発点
「まったく。またアイツらは、まだ来ていないの?」
待ち合わせの駅に藤原由美子が着くと、そこには困った顔をした佐々木恵美子だけがポツンと立っていた。
「王子、おつかれ」
「ホント、つかれたわよ。こんな山奥」
由美子は周囲を見まわした。改札の内側にある駅の待合室は山間の駅らしく日陰で、空調設備が無くとも何とか耐えられる温度になっていた。
だが、あるのはベンチと、いつの時代から使用しているか判らないほどの古いスタンド式の灰皿があるのみ。壁の掲示物だって、時刻表を除けば数年前の梅祭のポスターがあるのみだ。
「あ、もしかして同じ電車?」
後ろから声をかけられて振り返ると、ちょっと驚いた顔をした岡花子が立っていた。
華道部である花子の今日のよそおいは紅柄色の浴衣であった。ところどころに入ったカズラ模様がよく彼女に似合っていた。
小物を入れたらしい巾着袋を提げて、足元はかわいいポックリであった。
まるで小鳥がするように、ツツツと二人に駆け寄ってきた。
「あら、いい浴衣ね」
そこらへんの夏祭りに繰り出す女子が身に纏っている物と明らかに質感が違った。家でも和装が多いという花子である。名のある逸品なのかもしれなかった。
「ま、まあね」
褒められて照れたのか、口元を覆って頬を染めてみせた。これがまた優雅と表現するしかない所作なのである。
一○○年経ってもこの域には到達できないだろうなと思いつつ、由美子は微笑み返した。
「やっぱり和服はハナちゃんね」
身長差から二人を見おろした恵美子も褒めた。
「そういうコジローだって、オシャレじゃない」
「これ?」
自分の体へ視線を移した恵美子は、その場で半回転してみせた。
「わ」
「ダイタン」
恵美子の着てきたのは、下はデニム地のロングスカート、上は背中から腰まで開いたホルターネックであった。肩胛骨や背骨など骨格に従ってできた肌のくぼみまで丸見えである。また野暮な下着のラインが出ないように、下は淡い桃色をしたボディストッキングという、出るところが出て引っ込むところが引っ込んでないと似合わないチョイスであった。
「はあ」
花子が羨ましそうな溜息をついた。こんな着る人を選ぶオシャレなんて彼女にとっては夢のまた夢なのかもしれなかった。とくにお互いの体の一部分を見比べると、さらに残念そうな溜息が出そうになった。
「あたしにゃンな格好、似合いそうも無いわぁ」
由美子も素直に白旗を揚げた。しかしそれも仕方が無いと言えば仕方のないこと。何せ相手は生徒会(裏)投票の『学園のマドンナ』で連続一位をとっている恵美子なのだから。
「そういう王子のオシャレも、なかなかいいじゃない」
「あたし?」
言われて自分を見おろした。
由美子は黒のメッシュタンクトップにストレートジーンズ、ハイカットスニーカー。上にリーフパターン迷彩のサマージャケットをはおっている。上に着たタンクトップがメッシュなため、バストを赤いビキニ水着のトップで覆っているが、ぱっと見て男の子のようであった。
「うん。ボーイッシュというよりマニッシュ?」
「意識はしてないンだけど」
「大丈夫。お似合い」
花子も反対側から賛成してくれた。
「ボディガードとして頼りになりそう」
「そこかい」
くわっと牙を剥きそうになってしまった。ただ女の子だけで集まっていると、不逞の輩が寄ってきそうなものだが、そろそろ夕陽に切り替わりそうな空の下、駅の待合室には人気がなかった。
東京都○梅市。そこは日本ではなく外国だと一部関係者から陰口を叩かれる場所。地方から来られた方には意外かもしれないが、東京も西部に行けばまだまだ山ぶかい土地であった。
美少女三人を見ているのは、線路に迫った山に生えている木で煩いほど自己主張している蝉たちだけであった。
「で? いま何時よ?」
機嫌を損ねた声で由美子は二人に訊いた。巾着袋の口を緩めようとする花子に先んじて恵美子が待合室の壁面にある時計を見上げた。
「集合時間まで、あと十分かな」
「遅れたらコロス」
今度こそ由美子は牙を剥いて宣言した。
「それは無理なんじゃないかな」
気を呑まれたのか花子が消え入りそうな声を出した。
「なんで?」
「だって単線だよ?」
中央東線から分岐した支線が東青梅で単線となる。ココはさらにその先に位置する無人駅なのだ。往復が別の線路ならば山手線のように三○秒単位で列車が運行しても事故は起きないが、生きも帰りも同じ線路を走る単線ではそうもいかない。数駅ごとに待避線を設けて上下線をすれ違わさないと、正面衝突してしまう。そして電車は、由美子たちが乗ってきた立川よりの下り電車が出たばかりだ。こんな辺鄙な無人駅に交換設備があるわけもなく、次の下り電車がやってくるとしても、上り電車が通過した後になるはずだ。
こんな山奥の単線が過密ダイヤで電車を走らせているわけもなかった。壁の時刻表を見る限りでは三○分に一本という、本当にここは東京都なのかという本数である。
遠くから電車のタイフォンの音が聞こえてきた。二人を降ろした電車が走り去っていった方向であった。少なくとも次に到着する電車は東京方面からやってくる下り電車ではない。
音が聞こえた方向を見てみれば、短いトンネルを抜けて前照灯を点した電車が顔を出すところだった。プラットホームの向こうからレールを伝って走行音まで聞こえてきた。
等高線に沿った緩いカーブのままに、一面一線のホームへ上り電車が滑り込んできた。
何事もなく定位置に停車すると、圧搾空気の作動音と共に扉が一斉に開かれた。
だが視界の中で降車してくる姿は無かった。新宿駅の、誰かにぶつからないと歩けない雑踏とは正反対の風景であった。
(まったく、もう時間じゃねえか)と乱暴な男口調で由美子が思いながら壁面の時計を眺め直していると、遠くから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「いや〜、遠回りした〜」
「まったく、誰だよ『終点には風情がある』なんて。ただの乗り過ごしだろ」
「…、反省はしよう」
車掌が発車の笛をけたたましく吹く中で、三人娘は顔を見合わせた。
ちょっと待合室から身を乗り出して理解した。どうやら先頭車両から降りた客がいたようだ。こちらに歩いてくる三つの人影があった。その内の二人の姿が見慣れた物でホッとする間もなく、由美子の表情は凍り付いた。
(な、なにかがやってくる!)
「あ! 姐さんだ! ねえさ〜ん」
雑草の生えたプラットホームを駆け出してくるモノを認識するのを大脳が拒んでいた。
(な、なんだアレ! なんだアレ!)
「まった? ねえさ…」
「うわあああああああ」
目の前に立ち止まったソレに、由美子は手近にあった物を手に取り殴りつけた。
「な(ドカ)ぶ(ボク)う(ズガ)お(バキッ)」
「ちょ、ちょっと王子!」
慌てた恵美子が由美子を羽交い締めにして止めた。
「いくら郷見くんでも、灰皿で殴ったら死んじゃうよ」
「はああ?」
そこでやっと自分が、待合室に置いてあったスタンド式灰皿を手にしていたことに気がつく由美子。
そして無愛想なコンクリート製の床に広がって行く赤い血溜まり。絵ヅラは出来たての殺人現場であった。
「あいてて」
鼻血が噴き出した顔面を押さえてその者が立ち上がった。
「うわあ…」
後ろで花子までもが小さく呻いていた。
「何だよ、その格好」
「? 似合うでしょ? あたしのオシャレ」
その場でクルリと回ってみせた。
「そりゃ似合うけど…」
羽交い締めしたまま恵美子も絶句した。
「ま、まあ。遅刻しなかったことだけは褒めてやる、郷見」
「もう」
オシャレをしてきた郷見弘志は頬を膨らませてみせた。
「郷見じゃなくて、サトミ」
唇を柔らかく動かして訂正を求める弘志…、いやサトミ。
今日の彼は安物通販で売っているようなチャイナドレス(もちろん女物)にハサミを入れてミニスカート風にし、フリルをところどころに縫いつけた、俗に言う『チャイナメイドスタイル』であった。足下は赤いドレスにあわせた色のパンプス。髪型はヘアピースで増量して、ツインテールに黒いリボンを結んでいた。
その女顔と痩せた体のせいでパッと見て女の子であった。
他人から女装を求められると嫌がるくせに、こういう時の弘志は『サトミ』と呼んで、女の子のようにあつかわないと、まったく不機嫌になる習性があった。
いままでの彼の女装は、学校で女子用の制服を着るとか、せいぜい外でもロングスカートを履いているとか比較的温和しい物だった。
「ほら。夏は女を大胆にする、ってヤツ?」
ニコニコと微笑む笑顔もまるっきり女子の物であった。
「ほら、やっぱり怒られた」
ダンボール箱を抱えた権藤正美が追いついてきた。
デカデカと○系新幹線がプリントされたTシャツにジーンズという、男子高校生としてはまっとうな正美の横に、ブリキのバケツを一つ提げた不破空楽が並んだ。
「…」
「?」
彼が絶句しているのを見て一同が訝しげな顔になってしまった。
空楽の視線は浴衣姿の花子に固定されていた。
「え、えっと…」
ガン見されて花子が戸惑っていると、ようやく空楽が口を開いた。
「痛くなかったのか?」
「はい?」
話しが判らず目を瞬かせていると、空楽は心配げに眉を顰めて訊いた。
「天国から落ちてきてしまったんだろ? マイ・エンジェル」
「ま…」
さっと体ごと後ろを向いた花子のうなじが赤く染まっているのが見て取れた。
「やめんか、そういうこと」
由美子の『アームストロングパンチ』が炸裂している間に、なんとか火照った頬を冷ました花子がこちらを向き直した。
「そういう不破くんのお召し物も、なかなか似合っていますよ」
「あ、そう…」
拳がめり込んだあたりを押さえながら空楽は答えた。今日の彼は藍染めの甚平姿であった。少し着崩した様子がこれまた筋肉質の彼によく似合っていた。この日のためにしつらえたというより普段から愛用している物なのだろう、いい感じに擦れているのがこれまた風情があった。
「で?」
詰め物をしているとは思えない自然なカーブをした胸元から取りだしたティシュで鼻血を拭い、空になった血糊の袋を灰皿へ捨てているサトミに由美子が訊いた。
「調子よく『いいところがある』とか言ってたけど、まさかここで花火をするわけじゃないだろうな」
誰もいない駅の構内ではあるが、ここで火気を取り扱ったら消防どころか警察もぶっ飛んでくること間違いなしである。
「まさか。ちょっと移動するよ」
先日、由美子がサトミに押しつけた花子製のプリントには、清隆学園高等部の裏にある雑木林で花火大会を開催すると書いてあった。しかし流石に学校敷地内において無許可で火気を扱うことに問題があるとサトミが反対した。これが彼にしては珍しく正論だったので由美子にはグウの音も出なかった。
その後、打ち合わせを『正義の三戦士』がほったらかすという事件が一回あったが、喫茶店〈コーモーディア〉で協議すること数回。本日の花火大会開催と相成ったわけである。
場所は先程の由美子のセリフどおり『弘志のアテ』ということで了承したが、それがこんな山奥だったとは思わなかった。由美子にも中央線の通勤電車で行けるところならば都会だろうという油断があった。
「ちゃんとソコを管理する人に許可も貰っているから、花火やっても大丈夫なハズだよ」
「ホントかな〜」
いまいち不安が拭えない由美子。
「さ、ほら移動しないと、暗くなっちゃうよ」
ICカード式乗車カードを取り出しながらサトミが一同を促した。当たり前のようについていく男二人を見送ってから、三人娘たちは顔を見合わせた。
「…」
とくに花子が何か言いたそうにしていたが、結局無言でその後について歩き出してしまった。
簡易型スイカ改札機で精算して駅舎を出た。すぐに幅の広い階段が下の舗装された道路に繋がっていた。
だいぶ手入れの届いていない標識に寄れば旧街道のようだ。しかしここにも人気はまったくなかった。行き交う車すらなく、ただ蝉時雨に埋もれていた。
階段の脇に、これまた錆びたバス停の看板が立っていた。昭和が取り残されたような古い円盤表示に時刻表の板がついているタイプだ。由美子が住んでいる辺りでは滅多に見られなくなった物である。
行き先表示も時刻表も錆びに錆びており、なんと書いてあるかは読み取れなかった。
「よっと」
胸元から懐中時計を出したサトミは現在時刻を確認した。
「そろそろバスが来ると思うよ。乗ったら七番目のバス停だから」
どうやらこの後の予定は頭に入っているらしい。突拍子もない行動や発言で忘れがちになるが、彼は学年でも上位にはいるほどの頭脳の持ち主なのだ。スケジュールの暗記ぐらいお手の物だろう。(その割には遅刻が多いような気もするが)
「どこまで行くんだよ」
由美子はどんな山奥に連れて行かれるのか不安になった。
「ん? 向こうの集落だけど?」
サトミが指差したのは川を挟んだ反対側にある山の斜面だった。もちろん川だってまだ急な流れであるから、駅から一回だいぶ下りてから再び上ることになるはずだ。
「森の中とかじゃなく集落の中…、端かな? まあ電気も通ってるし、そんなに構えなくても大丈夫だって」
サトミが調子のいいことを言っている間に、人気のない町並みを掻き分けるような感じで路線バスが現れた。駅前のバス停に六人もの人影を見つけると、運転手が窓越しに不審な顔をした。
その運転手が訝しむ様子を知ってか知らずか、サトミは大きく手を上げてバスに合図した。
道に少し傾斜があるためか、よっこいしょという感じで停車したバスは、六人の前で中央にある乗降扉が開いた。後ろ乗り前降りのシステムであるようだ。
ピッと乗降口にある端末にICカード式乗車カードを触れさせて、まずは空楽が。次に両手で荷物を抱えた正美がちょっと苦労して乗り込んだ。
「涼しー」
車内から流れ出てくる冷気に表情を緩めながら恵美子と花子も後に続いた。
「どしたの? 姐さん?」
一人だけ躊躇した様子を見せた由美子に、サトミが振り返った。
「し、信じてるからな」
「ここまで来てそれ言う?」
なにせ思っていたのとは違い人気が感じられない土地である。男どもが腕力に訴えてきたら、さすがに敵わないことだろう。
「…」
いつものサトミの笑顔を見て、由美子は溜息が出るのを止められなかった。まあ、いつも由美子の信頼を裏切ってきたサトミである。今回もろくな事を考えているハズがないのだが、イタズラはするけれど一線を守ってきた間柄でもある。
もう一度だけ溜息をついて由美子はバスのステップに足を乗せた。
バスは新道に出てすぐに交差点を曲がり、川に向けての坂道を下りていった。視界が開けたため涼しげな川面に、オレンジが強くなった陽差しが反射しているのが見て取れた。山間部なのでやっぱり河原はそんなに広くなかった。
高度経済成長期に架けられたような古さの橋を渡ると、そこはもう夜になっていた。
駅側の土地は方角の関係で日没まで夕陽が差すが、反対のこちら側では山に隠されて早々に陽が差さなくなる。そんな仕組みだから同じ時刻でも、もう星が見えて早めの夜となるのだ。
ポツポツと農作業帰りかなにかの老人が歩く道を走るバスは、二台ほど並走した軽自動車と分かれて集落の中へ舵を切った。
途中で乗ってくる者は誰もおらず、また夜も段々と深くなってきた。
外灯もまばらになり、明るいのは車内だけになってきた。
「ほ、ほんとにこんなトコを行くの?」
二人掛けの椅子に、花子と並んで座った恵美子が不安げな顔を見せた。
「まあ、もうすぐだから」
わざわざ離れて座った由美子の隣の席に、信号の合間に移動してきたサトミが、その詐欺師のような笑顔を向けた。ミニスカート風にカットされたドレスから、ムチムチの太ももが覗いている。その先についているのはむだ毛処理などしなくてもツルツルの細い足。そこだけ見たら間違いなく女の子であった。由美子は自分がジーンズを履いてきた幸運に感謝した。
「不破くんも行ったことあるの?」
不安からか恵美子の声が少々上ずって聞こえた。
「んにゃ」
一人で席に座るなり、いつものごとく腕組みをして船を漕ぎ始めていた空楽が声だけで答えを返した。
「…」
不安げな顔のままその後ろの席でダンボール箱を抱えている正美に視線を移した。
「僕も行ったことないんだ」
四人分の不安げな視線がサトミに集中した。
「またまた、みんな不景気な顔してぇ…。あ、次だよ! おりまーす」
妙に明るくサトミがバスのブザーを押した。
無関心そうに車内放送まで機械に任せていた運転手が、はじめてルームミラーで車内を確認した。
外を見ればポツポツとしか外灯がなく、人家が確認できないところまでバスは来ていた。周囲はそれでも森などではなく、何かしらの耕作地であるようだ。道も極端な坂になっておらず、暗いことだけ除けば清隆学園周辺にある果樹園のような風景である。
ポツンと外灯に照らされた標識だけの停留所に、バスは停車した。
「さ、おりるよー」
まずサトミが席を立った。周囲の暗さに他の者の腰は重かった。最後まで立たなかった空楽には由美子のゲンコが落ちた。
前部の扉を開けてくれた運転手が、何か言いたそうにコチラを見ていた。
「あ、大丈夫ですよ」
天使の笑顔でサトミ。
「ちゃんとサブローさんには許可をとってありますから」
「それだったらいいが」
まだ何か言いたそうな運転手に、サトミの必殺ウインクが飛んだ。
「大丈夫ですって、オジサマ」
それで黙った運転手の横にある精算機で料金を支払った一同は、アスファルトに降り立った。バスはすぐに逃げ出すように走り去った。
季節を先取りするかのように秋の虫の声があたりを圧倒していた。陽が差していた時にあれだけ鳴いていた蝉の声は、不思議と消えていた。
「こっちこっち」
こんな暗さでも道を完全に把握している様子でサトミが先頭に立って歩きだした。周囲はやはり耕作地のようだ。畑などでなく拗くれ曲がったように見える樹木が整然と植えられている。暗くてよく見えないが鳥避けのネットとかも捲いて置いてあるようだ。
冷房に慣れた体から噴き出す汗に不快感を感じながら、由美子はサトミの後に続いた。
道はすぐに鉤となり右に曲がっていた。
しかしサトミはそこを直進した。
「寺?」
鉤の突き当たりに、ちょっと見窄らしい山門がポツンと点る蛍光灯に照らされてあった。
そこからは両脇が瓦葺きの土塀となっており、その向こうにもう一つの山門があるのが覗いて見えた。参道には二箇所だけ明かりが設けられていて、足元には不自由の無いようになっていた。
「そうそう」
山門に掲げられた寺号は風化が激しくて読み取ることができなかった。
「人んチから適度に離れているし、管理している人にも許可取ったし、花火してても火事とかにならなきゃ怒られないし、邪魔もされないよ。いくらでも騒げるし、音楽だって流し放題」
「何でこンなトコ知ってンだよ」
「そりゃあ、ほら…」
笑って誤魔化そうとするサトミにジト目を向けて由美子。
「爆弾とか地雷とか?」
「そうそう。実験するには最適でさ…。あ」
慌てて口元を押さえてももう遅かった。しばらくその顔を見ていた由美子は、仕方なさそうに言った。
「でも、まあ。花火がやり放題っていいわね」
「でしょでしょ」
取り繕った笑顔に導かれるままに参道を歩いた。
足元は一枚の大きな岩が敷かれていた。舗装がない時代に荒削りのままに置かれた様子であった。自然のままに凸凹があったが、お参りする人の足が長い年月をかけてすり減らしており、かえってツルツルに感じるほどだ。
程なく内側の山門に到着した。
こちらの山門は中に仁王像を収めた立派な物で、見上げると圧倒感すらあった。金銀細工など一切使用されていなかったが、木彫りの意匠で飾られている質素な感じがまた年代を感じさせて風情を感じさせた。
だが頼りない蛍光灯の明かりで透かしてみれば、木彫りの仁王像には大きな裂け目ができており、文化財に指定するならば大がかりな補修が必要になると思われた。
参道は真っ直ぐにこれまで来た距離と同じぐらい延びた先で本堂に行き当たっていた。ここまでの一枚岩と違って、山門から先は普通の石畳と砂利敷きのよくある仏閣と同じ様式のようである。
本堂自体も大きすぎず小さすぎず、都内でも見かける有名でない寺院ほどの大きさであった。
「こっちこっち」
境内でポツポツの点る蛍光灯でそれだけを見て取った由美子に声がかけられた。
山門の右側にサッカーができるほどの草地があり、サトミがそちらへ誘導するように手を振っていた。どうやら車で参拝に来た檀家のための駐車場兼近所の子供の遊び場といったところだ。
広場には手前に一つ、対角線にもう一つ、これまでと同じような蛍光灯の外灯が設けてあるだけだ。しかも奥の外灯は管球の寿命が来ているのか、だいぶ暗い明かりしか落としておらず、さらに不規則に明滅までしていた。
サッカー場の広さでそれだけの明かりであるから、花火をやるには都合が良かった。そして周囲にはまったく人家の明かりは見えなかった。
たしかにサトミが言ったとおり、いい場所であることには違い無かった。
「たくさん買い込んできたよ」
嬉しそうに正美がダンボール箱を地面に置いた。それを開けると市販の花火セットが複数入っていた。
「これはどうする?」
空楽がぶる提げてきたバケツをその横に置いた。今まで気がつかなかったが、中にはコンビニのレジ袋が入っていた。
「飲み物は出して、水をそこの水飲み場で汲んで来て」
サトミが差した暗闇の先には何か黒い物体があった。広場を長方形と表現するなら短辺を行った先だ。
目を凝らしてみれば公園によくある石造りの水飲み場であるようだ。第二○代石見家直系を自称する空楽は、そんな暗闇でも難なく歩いていき、蛇口を捻って勢いよくバケツに水を溜め始めた。
「飲み物は適当に取って。たぶん空楽以外のみんなの好みに合う物が入っていると思うから」
「俺のぶんは?」
非難する声が飛んできた。それに対してサトミは両手を口元に添えて言い返した。
「空楽の好みはアルコールでしょ! あたしみたいな女の子が店で買えるわけないじゃない」
その主張に納得しかけて由美子は首を一回振った。
「女の子って…」
恵美子も同意見のようだ。
女子たちの思惑に気がついているのかいないのか、サトミは笑顔のままで作業を続けた。長めのロウソクをダンボール箱から取り出して、地面の平らなところに立てる。そして胸元から取りだした金属の箱から小さな部品を抜き出すと、箱の表面で擦ってみせた。小さな棒状をした部品の一端に火が点った。
「わあ」
恵美子が感心した声を漏らした。
「パーマネント・マッチだよ。使ったこと無い?」
ロウソクへ火を移したサトミは、特に消す動作もせずに小さな棒を金属の箱へ戻した。
「サトミならライターかと思って」
「ライターならあっち」
恵美子の素直な感想に、サトミは正美を指差した。ちょうど彼がジーンズのポケットからジッポを取り出して蓋を開けるところだった。
シュボっと一発で火を点けると、別のロウソクに火を点した。
「…」
ロウソクの明かりの中で期待するような視線が一人に集まった。
「?」
水を汲んできたバケツを置きながら空楽は不思議そうな顔をして見せた。
「なんだ?」
「いや、不破くんならどうやって火を点けるのかなって」
恵美子と花子の視線に応えるように、空楽は懐から小さな包みを取りだした。
「もちろんコレだ」
包みから出てきたのは火打ち石である。
「使えるのかよ、オマエ」
見るからに新品のそれに不信感を抱いた由美子の問いに、エヘンと胸を張る空楽。
「まだ一回しか成功してない」
空楽を除いた全員が頭を抱えた。
「それ使えてるって言わない」
サトミの指摘に心外そうに空楽は言い返した。
「火起こし弓なら何度も成功しているぞ」
「火起こし弓…」
みんなが一度は、縄文時代を体験するなんていう名目で、小学校時代にやらされたことがあった。
「一番肝心なのは、必要なときに必要な道具を使いこなすことだろ」
そう言いつつ空楽は、サトミが点けたロウソクから火を分けてもらった。
「ま、まあ確かに」
気を取りなおしてサトミは、正美が抱えてきたダンボール箱の中を覗き込んだ。蛍光灯の明かりの中で花火の包装をドンドンと開けて種類ごとに分けていった。
「ドラゴンは最後に残しておく?」
地面に据え置いて吹き上げるタイプの花火だけでも結構な量であった。
「ん〜」
由美子は脇から覗き込んで眉を顰めた。
「打ち上げ花火は無いんだな」
「だって、派手なのをやろうとすると、姐さん怒るでしょ」
「まあな」
それでも不思議そうな顔になって、由美子は再度ダンボール箱を確認した。
「にしてもバズーカ砲も核弾頭も入っていないンだな」
「姐さんは、あたしを何だと思ってるの?」
女言葉の柔らかさのままサトミが膨れて見せた。
「いや、すまなかった」
「そんな嵩張る物を持ってくるなら、装甲車を借りだしてるわ」
「…」
頭痛を感じた由美子は、一回だけ頭を押さえてからサトミに手を出した。
「あたしの謝罪、返せ」
:夜の山寺
図書室のいつものメンバーでの花火大会はつつがなく進行した。
学園内で浸透している異名が『科学部の火薬庫』というサトミがいたわりには、ミサイルもバズーカも出てこない、まっとうな花火を楽しむ夜になっていた。
最後にと、とっておいた吹き上げ花火が燃え尽きていくのを、ちょっとだけもの悲しく見送ってしまった。硝煙のせいだけでない潤いを目元から拭っていると、サトミが由美子を振り返った。
「さて」
意識しておどろおどろしい声を出していた。
「ここの寺なんだが…」
クルリと向いた顔の下から懐中電灯の明かりをあてたサトミが白目をむいてみせた。
「なんでも、江戸末期にはすでに廃寺になっていたらしいよ〜」
「ふん。脅かそうったって無駄だよ」
鼻を鳴らして由美子が長めの髪を揺らした。
「お堂の基礎がコンクリートじゃない。だまされないわよ」
切れ長の眼で睨み返した。山門から覗いただけだが、そのぐらいの明かりは境内に灯っていた。
「それがね…」
陰気なままの声で、弘志が言葉を続けた。
「…平成になってから宗派の本山から坊さんが派遣されてきて、お金をかけて修繕したんだけど…」
意味ありげに声を小さくしていき、言葉を切った。
「やだ。郷見くんこわい」
横の恵美子が、隣の正美と腕を組んだ。
「夜な夜な墓地の無縁仏を葬った塚からアレが現れて…、最初に赴任した住職は心臓発作で亡くなったそうだよ…」
その言葉に声を失う一同。それにかまわず弘志はさらに続けた。
「次に来た住職は、原因不明の高熱から脳炎を発症し発狂、再起不能に…」
さあっと一同の顔から血の気が引いていた。
「三人目は二年前の今頃、旧盆の供養中、突然倒れた墓石の下敷きになって…」
サトミはそんな一同の顔色をチラリと確認した。
「助からなかったそうだよ…。それ以来この寺は再び廃寺になったという…」
サトミが語り終えるのを待っていたかのように、山の方角から烏の悲鳴のような一鳴きが聞こえてきた。夜だというのにその鳴き声は異様に通り、抜群の効果音となった。
「ひっ」
目を硬くつむった花子が傍らの空楽にすがりついた。
つまり今回の幹事役を引き受けたサトミの考えは『花火』がメインではなく、どうやらもう一つの夏の風物詩である『肝試し』の方が本命だったようだ。どうりで花火の方が温和しいわけだ。
「というわけで、お堂の横からお墓を抜けると階段があるからそこを下ってね。下は駐車場になってるから、そこで牧夫先輩が車で待っていてくれているハズだよ」
蛍光灯の明かりの下で、サトミの細い指が地面に簡単な地図を描いた。
「まきお先輩?」
正美と腕を組んだままの恵美子が聞き返した。
「あれ? コジローは知らないか。大学の理学部の山奥牧夫先輩。ワンダーフォーゲル部で家がこの近くなんだ」
どうやらその先輩はサトミと仲が良いらしい。ここが借りられたのもその先輩の口利きがあったのかもしれなかった。
「ぶぁかみたい」
力んだ声で由美子が一言で切り捨てた。
「あたしは来たとおりに帰るワ」
と、足を山門に向けた。
「あ、そう」
あっさりとサトミ。
「ちなみに終バスは終わっているから」
え? と全員がサトミの顔を見た。
サトミは含み笑いをしながらスマホを取りだして、○梅線の駅から乗ってきたバスの時刻表をネットで呼び出した。
「ほらね」
「最終が八時五…。って、ここは本当に東京か?」
サトミのスマホを睨み付けるように見た由美子は、裏返った声をあげた。その画面に表示された時刻表が正しいのであれば、確かに終バスは行ってしまったようだ。
「どうする? このままココで夜を明かす?」
再び陰気な声を出したサトミはニヤリと笑った。
「ぜ、全員で行けばいいじゃないの」
由美子がどこか力の入っていない声を漏らした。
「それじゃあ、つまらないでしょ。ここは一人ずつ…」
「いや!」
空楽にしがみついている花子が悲鳴のような声をあげた。
「ハナちゃん?」
いつもは物静かな花子の意外な過剰反応にサトミは目を丸くした。
「ぜったいにイヤよ!」
いつもは冷水のような静けさを纏った花子である。しかし今は目を血走らせ唇は白く、顔面のそこかしこは恐怖のあまり痙攣していた。
他の二人からのすがるような目線を受けてサトミは溜息をついた。
「じゃあ、せめて二人組でどう?」
長身のサトミは花子の顔を確かめるように腰を曲げた。
花子は一瞬泣きそうな顔になったが、弱々しくうなずいた。
「よし、決まり。で組み分けだけど」
「これでいいんじゃない?」
なにやら含み笑いをした恵美子が提案した。
「俺はハナちゃんと、正美がコジローとか」
空楽がしがみついている花子を確認した。
はからずも和装同士の二人と、洋装同士の二人がペアになるようだ。
「ちょっと待て」
あわててサトミと由美子が顔を見合わせた。
「またこの組み合わせかい!」
「やだよ。たまにはコジローと腕が組みたいよ〜」
「なに? アタシだってオマエなんか願い下げだよ」
「二人とも照れちゃって」
ぷぷぷっと口に手をあてて微笑む恵美子。彼女は何でか知らないが二人が恋仲になるべきだという信念の持ち主なのだ。
「だれが!」
「照れるってなに!」
「だって、私と権藤くんは洋服だからお揃いで、ハナちゃんと不破くんは着物でお揃いでしょ。で、王子とサトミもお揃いじゃない」
そう恵美子に言われて二人は再度顔を見合わせた。
マニッシュなオシャレをしてきた由美子とガーリッシュな弘志…、いやサトミ。ある意味二人はお揃いだった。
じぃーっと見つめ合っていたが、由美子が先に折れた。
「じゃ、じゃあ。これ」
ダンボール箱から灯籠のような形をした提灯が出てきた。数は人数分あったが、その一つだけにロウソクの火を移した。
「じゃあ、最初に誰が行く?」
サトミが全員の顔を見た。
「わ、わたしたち…」
またまた意外にも、一番恐怖を顔に出している花子が、小さく手を挙げて名乗りを上げた。
本心は、はやくここから帰りたいということであろう。
「大丈夫?」
他の女の子二人が心配した声をあげた。
花子は空楽の甚平にしがみついたまま弱々しくうなずいた。
「よし。空楽うまくエスコートするのだぞ」
「…」
サトミの呼びかけに反応せずに空楽はただ立っていた。
「空楽?」
反応はやはりなかった。
「もしかして、寝てる?」
「…」
少しうつむき加減の空楽の顔を覗き込み、それからサトミはフルフルと首を横に振った。
額に青筋を浮かべた由美子は、両手を組み合わせると、おもむろに指を鳴らし始めた。
「はっ、寝てません!」
慌てて気をつけの姿勢になって、ビシッと敬礼してみせる空楽に、溜息をつく由美子。
「じゃあ最初は空楽とハナちゃんだ。先輩に今から行くって連絡しとくね」
弘志はスマホを操作して文章を送信した。
「さ、残る人間はゴミ拾いして待ってよう」
花火の燃えがらで一杯になったバケツにサトミは手を伸ばした。
:和風なカップルの場合
四人に見送られて空楽と花子は参道に足を踏み入れた。見おろしてくる仁王像の間を抜けて本堂の脇に続いている石畳を進んだ。
石畳はすぐに墓の間を進む道となった。
墓石がわずかに届く星の光を反射していた。
墓石の間を通る石畳の道に、空楽の草履の音と、花子が履いているぽっくりの音だけが響いていった。
と、どこか遠くで猫がケンカするような声が上がった。
空楽の右袖をつまんだ花子が震えた声を出した。
「な、なにかいる」
「気のせいだ」
空楽は前を向いたままぶっきらぼうにこたえた。
「ハナちゃんは気にしすぎだ。そう簡単にアレが出るならば、テレビでやっている」
あくまでもつれない態度の空楽に、花子はちょっと不満げな視線をやった。
わずかな星明かりが彼の輪郭を闇に浮かび上がらせていて、友人たちに「黙って起きていれば男前」と言われる横顔には見とれるほどの魅力があった。
「ふ、ふわくん…」
「…」
相変わらずの素っ気なさである。じつは夜に女の子と二人きりというシチュエーションに、ただ慣れていないだけなのだ。経験不足から、どういう言葉をかけてよいか全く判らなかった。そして、そういう未熟な自分が恥ずかしくて、前に進むことだけを考えていたのだ。
「z…」
訂正。不破空楽。特技は寝ながら歩く。
聞こえてきたイビキに、花子は自分がこんなに怯えているのに、彼が心配していないと察して、ちょっとふくれた。
「不破くん!」
今度は強い口調で呼びかけた。
「…半鐘はおよしよ。オジャンになるから…」
寝ぼけた寝言がかえってきた。なぜに落語ネタ? 半眼の寝ぼけた顔で足だけが正常に前に出ていた。
花子は彼の右袖をつまむ手はそのままに、空いた方の手を空楽の尻にのばし、遠慮無しにつねった。
「qあwせdrftgyふじこ!」
その場で飛び上がる空楽。和装のくせに痛さの悲鳴はとってもデジタル的であった。
少し涙目で花子を振りかえった。
「今のは痛かった」
そういう口調も相も変わらずぶっきらぼうだった。
「だって…」
柳眉をあげて抗議しようとした花子を、空楽は手をあげて制した。
「シッ」
今までの寝ぼけた態度とちがって、一瞬で真剣な顔になっていた。周囲の気配に目だけを動かして異常がないか窺っていた。
ふたたび悪寒を感じたように花子は体を震わせた。
「な、なに?」
「気配がする」
静かな声で空楽。
「やだ」
花子の声は消え入りそうだ。
「いや、違う」
空楽は進行方向左側に目線を走らせた。
「この気配はその手のものじゃない」
「違うの?」
「なにか生きている者だ」
空楽はふと気がついて、花子にやわらかい表情をしてみせた。
「猫かなにかだよ」
花子はおおげさに浴衣の前を押さえて溜息をついた。
「さ、急ごう」
ふたたび空楽は提灯を手に、前を歩き始めた。
ときおりチラチラと左右に目線をやるが、特に行動はおこさなかった。
墓石どころか周囲の闇さえ恐ろしい花子は、そんな空楽の背中に視線を固定した。
これならば余計なモノが目に入らないはずであった。
しばらくそのまま進むと、空楽はおもむろに立ち止まった。あまりに唐突だったので顔から彼の背中に埋もれてしまった。
「ど、どうしたの?」
花子は仕方なしに彼の背中から視線を外した。
見ると、今まで歩いてきた石畳がそこで左へ直角に曲がっていた。
その角には他の墓石とは違った、大きくて古い石灯籠のようなものが建っていた。
下半分は意匠の凝った墓石といった感じで、その上には同じ石でつくられた球体に梵字が刻んである。さらに屋根のように意匠された石が一番上にのせられていた。
それは大きな塚であった。
「な、なに?」
それを見上げている空楽につられて花子もそちらを見てしまった。
「いや…」
首を傾げて空楽がつぶやいた。
「…気のせいか」
「!」
空楽が訝しげな態度を解いた瞬間に、花子が大きく息を吸い込んだ。
「?」
「いま、そこ」
震える人差し指がその石灯籠もどきの脇に向けられた。
「しろいもの…、なかった?」
空楽は花子に怒ったように振り返った。
「気のせいだ」
彼に強調され、右袖をつまんでいた彼女の左手を、彼のほうから握ってきた。
「どうやら弘志の言っていた階段とはこれらしい」
左に折れた先に、枯れた雰囲気の木門がもうけられており、そこから長い下りの石段がのびていた。
下りきったあたりに人工の光がふたつ点っていた。
おそらく、あれが出迎えの車のヘッドライトであろう。
「足下に気をつけて」
手をつないだ二人はその光に向かって降りていった。
:洋風なカップルの場合
「はいは〜い」
サトミはかかってきたスマホを切った。それが癖なのか、反対側の耳に突っ込んでいた人差し指も抜いた。
「空楽たち下についたって」
「じゃあ次は私たちね」
恵美子が生き生きとした声を出した。
その様子とは対照的な正美に、弘志は含み笑いをしながら話しかけた。
「正美。恐いからってコジローを置いていっちゃダメだよ」
「う、うん」
しかし、そう言っている正美の膝は明らかにガクガクと震えているのが、夜目でもハッキリと確認できた。
「本当に大丈夫かよ」
由美子が訊くと、首を不自然なくらい大きく縦に振ってみせた。
「せっかくなんだから、楽しみましょ」
恵美子は正美の左腕を取りなおした。
「それじゃあ、しゅっぱーつ」
「おー」
元気よく拳を上げた恵美子につられたように、正美も(力の抜けた)声をあげた。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
弘志は再びスマホを操作して文章を送信した。
二人に見送られて、正美と恵美子は参道に足を踏み入れた。
そのまま境内を進んで本堂の脇から墓場へと入っていった。
足下を照らす明かりは、空楽たちと同じ提灯である。
石畳を照らす小さな光の輪が小刻みにぶれているのは、それを持っている正美自身が震えているからだ。
「わくわくするね」
星の光に薄く輝く墓石の間を通る石畳。そこを恵美子は軽い足取りで進んだ。
一方の正美は、顔色が青色を通り越して白くなっていた。
「こ、こわくないの?」
「え? ぜーんぜん」
にこやかに恵美子。
「この前は海に行ったでしょ、プールも川遊びもしたし、今日は花火だったでしょ。そして肝だめし。夏の風物詩、全制覇じゃない」
下から提灯に照らされた『学園のマドンナ』の美貌が、ちょっと不安そうな顔に変化した。
「権藤くんは楽しくないの?」
「た、たのしいけどさ」
我に返ってみれば、こんな時間に女の子と二人きりである。それが二人ともお年頃なんだから、間違いの一つや二つ起きても不思議ではなかった。
しかも、まあ優等生を絵に描いたような銀縁眼鏡愛用の正美はとりあえず置いておいて、片や清隆学園高等部の男子生徒のほとんどが美少女と認める『学園のマドンナ』である。
こんな陰気くさい場所でなかったら、正美ですら左肘のあたりに感じる温もり&柔らかさを堪能しているはずだ。
「せっかくの夏だよ? 楽しまなくっちゃ」
同じぐらいの背の恵美子が、わざわざ正美の顔を下から覗き込んできた。
正美の視線は美しいその顔でなく、その向こうに見えるふたつのふくらみに固定された。ホルターネックで強調されており、さらに屈んだことにより、服から双丘がこぼれ落ちそうにも見えた。
意識してそんな挑発的なポーズをしてみせているくせに、正美に対しては『いい遊び仲間』以上の感情は持ち合わせていない。もし正美が一線を越えようとしてきたら、剣道部エースの腕ではり倒す準備はできている恵美子だった。
(全学年男子あこがれのコジローと二人っきり。クラスの誰かにばれたらリンチかな?)
そんなことを考えながら、ぎこちなくも正美は恵美子に微笑みかえした。
「ふが〜」
その途端、白く光るホッケーマスクを顔につけた大男が、後ろから二人に飛びかかってきた。
「えっ」
大男がふりまわす大鉈をかわしてから、二人は目を点にして、仲良く悲鳴をあげた。
「きゃああああ」
「ぎゃああああ」
二人は大男から逃れるように前に走り出した。大男は石畳脇に生えていた灌木の枝を無意味に鉈でなぎ払い、そして大声をあげた。
「うご〜!」
「なによアレ!」
「わ、わからないよ!」
遠吠えのように大男の叫び声が背中を追いかけてきた。後ろに気を取られていたのが行けなかった。二人の前方に、紫色の炎をあげた火の玉が、墓石の影から無数に現れた。
それはユラユラと二人の顔の高さを行ったり来たりしはじめた。どう見ても人魂である。
「ひいいっ」
腕で顔面を庇い、二人は少しかがんでその下をくぐりぬけた。
人魂の集団をやりすごしたと思い、二人が顔を上げた瞬間に、その目の前を人間の腕の肘から先だけが横切った。
その切断面から生暖かくドロッとした飛沫が飛び散って、二人の顔面にピピピッと斑点を作った。
それをぬぐった掌が真っ赤に濡れていた。
「血ぃぃ!」
走っていた足が鈍ったとたんに、上半身の肌が露出したあたりを、いくつもの見えない冷たい感触が触って行った。
「いやあああ」
「うぎいいい」
すでに正美の言語能力は失われていた。
二人は、なりふりかまわずに、先を争って走り始めた。
おそらく夜の墓場で記録を取ったならば、往年のコ○ール君ターボにすら勝てたであろうという俊足であった。
二人の進む石畳は左に曲がっていた。
暗い中で二人がその直角コーナーを確認した時に、後ろからガサガサと紙袋をいくつも握りつぶすような音が聞こえてきた。
悲鳴をあげそうになりつつ、二人が走りながらも振りかえると、後ろに何かがいた。
それは白装束姿の老婆で、石畳に四つんばいになったまま、二人を必死の形相で追いかけてきていた。
「おいていかないでおくれ〜」
うらめしそうな声をあげ、老婆は右手を二人に差し出した。
不思議なことに、二人が全速力で走っているにもかかわらず、這っているはずの老婆との距離は縮んでいた。
「なによなによなによ」
「○△□*」
恵美子は自分がなにをしゃべっているか認識していなかった。正美に至っては、恐怖のあまりに人間の言語を口にしていなかった。
「ぎゃあぎゃあぎゃあ」
「↑↑↓↓←→←→BA」
「おいていかないでおくれ〜よ〜」
二人が角を曲がると、その先は小さな木門が、墓場と外界をへだてていた。
なぜか閉まっていた門に二人は体当たりする勢いで飛びついた。
門の先からは長い下りの石段がのびていた。
その先には、ふたつの人工の物と思われる強い光があった。
二人は悲鳴をまだあげながら、転がり落ちるように、そのライトに向かっておりていった。
:そして藤原由美子の場合
「ほいほ〜い」
サトミはかかってきたスマホを切った。
「正美たちも下についたって」
「じゃあ、次はあたしらか」
由美子が落ち着いた声を出した。
「あら、二人で行くの?」
妙なシナなんかつけてみせるサトミ。
「はあ?」
由美子は切れ長の眼を見開いた。
「せっかくなんだから、一人ずつ行かない?」
「なンでだよ」
普通の女子高生よりもよっぽど艶っぽいサトミの流し目に、同性には感じないはずの由美子も、ドキッとさせられた。
「せっかくの肝だめしじゃない」
「オマエ、一人のほうがいいのかよ」
「そうよ。姐さんは一人で行くのが恐いの?」
サトミが再びいたずらっ子のような、なんとも微妙な微笑みを浮かべた。
「バカ言わないでよ」
由美子は怒った声をあげた。
「それとも…」
色気のある流し目を再び。
「…わたしから離れたくないとか(ポッ)」
少女のように頬を赤く染める弘志。見た目はチャイナメイド姿のツインテール髪型であるから、どこかの十八歳未満禁止のパソコンゲームにあるような絵面だ。
「えっ?」
「そんな、いま愛の告白をされてもぉ〜」
由美子があっけに取られている間に、サトミは勝手にクネクネと身体をよじって恥ずかしがった。
「でも〜…」
由美子の腰に腕をまわすと、優しく寄り添って耳元に囁いてきた。
「姐さんが相手なら、クチビルでも、その次でも、それからわたしの大事なモノでも、あ・げ・る(はあと)」
目を半分閉じて、期待に震える唇を由美子によせた。
「ぐわああああっ!」
鳥肌をたてた由美子は、そこで我に返ってサトミをぶん殴った。
「ぐえ」
「テメエ、心にもないことをよくも並べられるなあ!」
「あいてて。あ、バレた?」
「オマエといるとあぶないワ! 一人でいく!」
「了解」
その気が無い癖にちょっと残念そうな顔をしてみせて、弘志は三たびスマホを操作して文章を送信した。
「荷物、どうすんだヨ」
広場に残されたダンボール箱とバケツを指差すと、サトミは何でもないような顔をしてみせた。
「大して重くないと思うよ」
バケツに入った花火の燃えがらは水を切ってダンボールに戻し、張っていた水はそこら辺にまいて処分して軽くした。サトミはその二つを重ねて両手で抱えてみせた。
「一番重い飲み物はみんなで飲んじゃったし、これぐらい軽いでしょ」
見た目が女の子でも、そこはやっぱり男の子であった。
「はい、姐さん」
火を点けた提灯を差し出しながら微笑まれてしまった。
「はあ」
今日何度目か判らない溜息をついて由美子はその明かりを受け取った。
サトミを残して参道に出て山門をくぐり、本堂の脇を通過する。そして他の二組と同じように四角い墓石のあいだを黙って進む由美子。暗闇に怖がる様子も見せずに胸を張って歩いていく姿は、さすが『拳の魔王』と図書室常連に恐れられるだけの胆力であった。
「ふが〜」
しばらく進んだところで、白いホッケーマスクを顔につけた大男が、由美子に飛びかかった。由美子はもちろん知らなかったが、先程、正美と恵美子を襲った怪物であった。
ボグッ
「ぐえっ」
由美子は容赦なくその大男の鳩尾に拳をめりこませた。
「オマエ。図書室常連の十塚だろ」
白く光るホッケーマスクをつけた大男は、マスクからのぞく瞳に涙を滲ませつつ、墓石の間に逃げ込んでいった。
「ふん」
由美子は鼻をひとつ鳴らして見送ると、もう未練は無いとばかりに先へ進み始めた。
それを待っていたかのように、前方に紫色の炎をあげる物が無数に、ユラリユラリと現れた。
由美子は動揺を少しもしないで立ち止まると、目を細めて火の玉をよく観察した。
ひとつうなずいてから電光石火の速さで火の玉の方へ踏み込むと、手を伸ばして火の玉の上の空間を掴んだ。
そこに確かな糸のような感触を感じ、これまた遠慮無くそれを彼女は引っ張った。
「うりゃ」
「あややや」
左の墓石の後ろあたりから若い男の声がした。
しばらくそこで引っ張り合いになったが、最後には由美子の力が勝った。
墓石の向こうから長い物が飛んできて、石畳に落ちると軽い音を立てた。反対の手に提げた提灯の明かりで見れば釣り竿のようである。どうやら火の玉はこれに釣られていたようだ。
「ふん」
彼女は再び鼻を鳴らすと、つまらなそうなまま戦利品をそこらへんに捨てた。
二、三歩足を出した途端、今度は反対の右側から、人間の肘から先が飛んできた。
バシッ
それを左手だけで受け止めると、容赦なく飛んできた方に投げかえした。
「ぐわっ」
どうやら誰かに命中したようだ。
「つまンないの」
由美子はすでに弘志の仕業とわかってしまったようだ。
「あいつ、図書室常連に、声かけまくったな」
由美子は前進を再開しようとし、すぐに足が止まった。
前方を見る目が鋭く細くなった。
「見切った!」
一言叫ぶと、何もない空間に手をのばした。
次の瞬間、彼女の手の中には冷たい物がつかまれていた。
それは黒く塗られて夜の闇にまぎれるように細工されたコンニャクであった。
「子供だましをっ」
ギシギシと力比べとなったが、そう時間を置かずに宙に浮くコンニャクは、先程の火の玉と同じ運命をたどった。
「まったく」
捨てた仕掛けに一瞥をくれて、由美子は歩を進めた。程なく彼女は石畳の道が直角に左へ折れている場所にたどり着いた。
その途端に、後ろからガサガサと紙袋をいくつも握りつぶすような音が聞こえてきた。
溜息をつきそうになりながらも、彼女が振りかえると、後ろの石畳になにかいた。
白装束の老婆が四つんばいになって、凄い形相で由美子に迫ってきた。
「おいていかないでおくれ〜」
老婆は全速力で這ってきていた。
「『必殺アームストロングパンチ!!!』」
バキッ
「ぎゃあああああ」
老婆は夏の夜空に星になって消えた。
今日何度目かの溜息をついた由美子は角を曲がった。そこには小さな木門があり、そこから長い下り階段がのびていた。
その先に一対のライトが点いていた。
「あ、姐さん速すぎ」
階段下には駐車場があり、そこに軽く十人は乗れそうなマイクロバスがアイドリングしていた。ときどき回転数が変わるのは車内に空調を効かせているせいだ。
一対の明かりはこのマイクロバスのヘッドライトだった。
その車体左側にある乗降口の折り戸の前には、先に出発した四人と、見慣れない男が一人。そして図書室の常連たちと、山門横の広場に置いてきたはずのサトミが立っていた。
「姐さんは牧夫先輩を知ってたよね」
ここにいるのが当然といった態度でにこやかに笑う弘志がマイクロバスのオーナーを紹介した。
由美子は黙ったままサトミへボディブローを放った。
「あいてて」
「オマエ、なんで先についてンだよ」
「そこはまあ、色々と」
「ひどいわよ郷見くん」
半分泣いている声で恵美子。顔は涙とも汗ともわからない物で濡れていた。その横で正美が真っ白に燃え尽きて駐車場のアスファルトにしゃがみ込んでいた。
「甘いわよコジロー。ちょいと推理すればわかるじゃない」
由美子はビシッとサトミに指を突きつけた。
「こいつ到着の連絡は普通に電話で受けてたくせに、出発を連絡する時はメールだったでしょ。あれは、潜ませたこいつら全員に一斉送信して、タイミング良く脅かすように教えていたのよ」
「なんだ、ばれてたのか。じゃあ四つの仕掛けの中でなにが一番恐かった?」
サトミは楽しそうに訊いた。
「わ、わたし、さいごのおばあさんが一番こわかったわ」
力の入らない声の恵美子。
「あー、あれ。アタシ手加減無しに殴っちゃったわ」
「おばあさん?」
キョトンとするサトミ。
その横には白く光るよう蓄光塗料が塗られたホッケーマスクを持つ大男がいた。
彼は十塚敬太郎。清隆学園高等部図書室常連組の中で一番の高さ(身長)と幅(胴囲)を誇る巨漢である。
気は優しくて力持ちの典型的な男であるが、こういうイタズラには、イの一に首を突っ込んでくる困った性癖を持ち合わせていた。
ちなみに愛称は『ツカチン』であった。
「?」
彼もサトミと同じようにキョトンとして隣を向いた。
そこにはリアルな人間の下腕部の模型が顔面にめりこんだままの科学部総帥、御門明実がいた。
両手で苦労して左目のあたりにささっていたそれを引っこ抜く。そこにまるで漫画のように丸くアザが残った。こんな彼であるが、高校生の身でありながら数々のパテントを持つ天才であった。
きっとその模型も彼の手の物なのだろう。
「はあ?」
明実も不思議そうな顔になって、さらに隣を振り返った。
そこには『ミス男子清隆学園・次点』の松田有紀と、『ブラック・プリースト』左右田優が、仲良く釣り竿を持って立っていた。その先からぶる下げられた火の玉はまだくすぶっており、コンニャクの方は由美子の握力で無惨にも握り潰されていた
他には誰もいなかった。
「おばあさん?」
改めて『ミス男子清隆学園』の郷見弘志が、ツインテールの先を揺らして二人の少女に振り返った。
青梅の夜空に藤原由美子の悲鳴が響き渡った。
八月の出来事・おしまい