九十六回目『さっさと行け』
「ここが――」
少しばかり寄り道をしたが、ようやく目的地に到着した。アイバルテイク団長が殺された場所にだ。
さすがは我らが団長だ、かなり派手に暴れたようだな。
周囲の薙ぎ倒された木々や、衝撃で掘られたであろう地面を見て素直な感想を抱いた。
やはり私の予想通り、防御に関してはまさに鉄壁だ。敵のことを称賛する。
この様子だと随分と手こずっていたに違いない。
残留する魔力を感じ取り、『魔神拳』を使ったみたいだと判断する。
「にしても何なのだろうなぁ、この数多くの違和感は」
まずは、アイバルテイクと戦っていた天帝の十二士の一人が気絶したまま放置されていること。
もし天帝騎士団の仲間が関与していれば、生きているこやつを放っておくはずが無いからだ。なのに少年は未だにここで気を失っている。
私は少年が何者か既に知っている。守護者――ロベル・リーツィエ。
まぁ、私が見逃したのだから知らない方がおかしい。
「さてと……やりますか」
身体を伸ばしたり軽く準備運動をしてから作業を始めた。
こんなところで時間をかけるつもりは無い。さっさと終わらせるぞ。
――確認したかったことを全て終わらせたタイミングで、ある人物の魔力を感じてため息をついた。
「……本気か。どうしてなんだよ」
と魔力の持ち主に悪態をつきつつ、急いで次の目的地へと向かった。
ーーーーーーー
――敵が作戦本部に迫っている。アルフォンスの声が頭の中に聞こえた時には既にレイディアは動いていた。返答を手短に済ませ、目的地へと急いだ。
「ったく、貴様らが勝てるわけ無いだろ」
作戦本部に迫る敵は、誰かと交戦を開始したようだ。レイディアもその情報は察知し、明らかにめんどくさそうな顔をした。
――レイと合流したエイン。
「どうしてミカヅキではなく、あなたなんかと……」
「随分な言われようだな。こっちだって、いきなりお前と手を組むなんてごめんだ」
互いに文句を言いつつも、しっかりと倒すべき敵から目を離さない二人。
レイは二人の少女を無事に城まで送り届け、すぐさま前線に向かったが、幸か不幸かその途中でこの状況にばったりと鉢合わせてしまったのだ。
「しっかし、レイディアの話は本当だったとはな。そんなにミカヅキが気に入ったのか?」
「ええ、彼には我々には無い、素晴らしいものを秘めている。ボクはそれが気になるのですよ。ミカヅキ・ハヤミと言う人物も含めてね」
敵を前にして、余裕に雑談するレイとエイン。
だが彼らは身をもって感じ取っていた。自分たちの前に立ちはだかるのが誰なのかを。
余裕なのではなく、余裕を装っているだけなのだ。でなければこの場から逃げ出してしまいそうだった。
空気を通じて肌に伝わる膨大な魔力。その身体から放たれる痛みを感じる錯覚が起きてしまうほどの鋭い殺気。
背中を向けたら即終了。
「いやー、話には聞いていたが、これほどとは……」
「彼女を知っているんですか。さすがの情報網ですね。確かにその見解は間違っていませんよ。ボクたち二人が協力したところで、逆立ちしても勝てないでしょう」
苦笑するレイに、エインはオブラートに包むことなくはっきりと断言した。
悔しくとも腹立たしくとも、レイは納得せざるを得ない。なぜなら彼は目の当たりにしているのだから。圧倒的な強大な力を。
戦う気すら失ってしまうほどの――力の差を。
しかし、だからと言って引き下がるわけにはいかないのも道理。
天帝騎士団の中の手練れが選ばれる天帝の十二士。
そんな猛者たちの中の一番と称される者こそが彼女。本名も素性も特有魔法も不明。だが実力は本物。
コードネーム、リン。
心を荒立たせる色のはずなのに、逆に落ち着かせてくれる緋色の髪の彼女こそが、天帝の十二士の最強である。
「そこをどいて。あたしは無駄な戦いはしたくないの。道を開けるなら見逃すわ。あなたたちだって、無駄死にはしたくないでしょ?」
「提案には賛同したい気持ちはあるが、あいにくこれ以上は進ませられない。大切な仲間がいるからな」
「正直な話、ボクは戦う気は無かったんですが……彼なら逃げるなんてしないでしょう」
リンはエインが敵になっているにも関わらず、然程驚いていないようだった。あたかも初めからそうなることを知っていたかのように。
そして、彼女の提案を二人は拒んだ。
相手の実力は未知数。だが明らかなのは自分たちでは時間稼ぎができるかどうか判断がつかないほどの差があること。
それでも、託された者として、憧れた者として、彼らは戦うことを選んだのだ。
無駄かもしれない。敵わないかもしれない。そんなこと関係ない。
ここで戦うか、逃げるかだけだ。
二者択一。故に彼らは信念に基づき選択する。
リンは残念そうな表情を浮かべた。
「……そう。じゃあ、さよなら。行くよ、クー」
彼女がそれを口にした途端、寒気が全身を巡るのをレイは確かに感じた。――何かいる。
目に見えない、魔力も感じない、何も無い……はずなのに、確かにそこに“何かいる”のだ。証明できなくとも、彼はそう理解していた――刹那。
レイは自分の首が身体から離れた感覚を感じた。驚く暇も無く、束の間より短い一瞬の間の出来事。
だが、キンッと言う甲高い金属と金属の衝突音が彼の意識をこの世に連れ戻した。咄嗟に首を確認するが、どうやらまだ繋がってくれているらしい。
何が起きたのかは、一目見るだけで充分だった。
リンの剣が自分の首に当たる直前で止まっている。理由は簡単だ、別方向から伸びる剣が彼女のそれが首に到達するのを防いでくれたのだ。いや、正確には剣ではない――刀だ。
「――貴様らでは勝てんよ。さっさと前線に行け。ミカヅキも今頃向かっている頃だろう」
若干の憎たらしさを含む言葉を選ぶのを、レイは一人しか思い当たらない。
「レイディア……」
リンが一旦態勢を整えるために、後ろに飛んで距離を取った。
剣から解放されたレイだったが、少しだけ当たっていたのだろう、僅かだが血が垂れていた。
レイディアはため息をついてから彼の傷口に手を翳す。
「癒しの光」
手が温かい光に、だが眩しくもない淡い光に包まれて消える頃にはレイの傷は塞がっていた。
「ありがたい。だけど、いったいあいつは何者なんだ?」
「天帝の十二士の中で一番強い奴」
「それは知ってる」
「知ってるなら訊くなよー」
どこか肩の力が抜ける会話をするレイとレイディア。そんな戦場に似つかわしくない光景を、やれやれと苦笑しながら見つめるエイン。
「意外ですね。あなたがここにいるなんて、何か問題でも?」
「貴様ら、協調性と言う言葉を知らんな」
「あなたにだけは言われなくないです」
「お前にだけには言われたくないな」
息ピッタリの見事なコンビネーションを披露する二人に、レイディアは盛大なため息で返す。
「まぁ、とりあえず貴様らの成せることはここには無い。さっさと立ち去れってことだ」
「言うじゃないか。俺たちはお前の……」
文句を言うレイを強い風が襲い髪を揺らした。
「――まだ貴様らを死なせるわけにはいかないんだ。だから行ってくれ」
レイディアが自分たちをこの場から離れさせようとした理由がようやくわかった。
「死ぬなよ」
「私を誰だと思っているんだ?」
といつものようなやり取りを最後に、レイはエインを連れて指示通り前線へと向かった。
お互いの視線を交錯させるレイディアとリン。時間がかかったが、これでようやく一対一の構図が完成した。
ーーーーーーー
――レイはしばらく黙っていたが、意を決してエインに確認する。
「俺は、何回死んだんだ?」
本当に死んだわけではない。例えばの話で、レイディアが来ていなければ、攻撃を防いでいなければ、と言う意味である。
「少なくとも、三回は死んでいたでしょうね」
さらっとエインは包み隠さずに返答する。レイも求めたものだったのか、「だよな」と拳を握った。
レイは引っ掛かっていることがあった。この世で一番速いものは光だ。その光の速さを光速と言う。彼は光を操る特有魔法の持ち主だからこそ、光――強いては光属性に関してなら何でも知っていると言っても過言ではない。
故に彼は思う。
――あの速さは明らかに、光を越えていた。
身をもって知った事実だ。かくいうレイとて完全な光速ほどの速さはまだ実現できていない。そんな彼でも、いや彼だからこそわかることがあるのだろう。
リンは気づいた時には目の前にいたわけではない。正しくは、気づく前に既にそこにいた。移動の瞬間も、迫る感覚も何も無く、既に“いた”と言う結果があった。
「まさに瞬速ってことか」
そんな世界の常識をねじ曲げるようなことをしたのは、何もリン一人ではなかった。
レイは自分たちを見逃したレイディアが、何と呼ばれていたかをふと思い出して苦笑した。――瞬速の参謀。
レイディアが来ていなければ、文字通り一瞬で決着がついていたことだろう。言うまでもない、彼らの敗北でだ。
レイは改めて越えるべき男が、どれほど高みにいるのかを思い知らされる。こう言う場合に人がよく口にする言葉は恐らくこれだろう。
「次元が違うな」
「まったくです」
エインもレイの呟きに同意する。今は帝国を裏切って同盟についた彼も、レイと同じようにはっきりと死の恐怖を感じていた。加えて圧倒的な力の差もだ。
それ故の同意だった。
努力や積み重ねをどれだけ詰んでも、追い付けるのかと疑いたくなるほどの遠い距離に立っている。
何もできなかった。思わず歯を食い縛る。
ミカヅキに手を貸す。ミカヅキの行く末を見届ける。そのために帝国を裏切る時に死ぬ覚悟はした。したはずなのに、それを覆えしてくるような存在。
無言で悔しがる二人は、奇しくも同じタイミングで同じ事を決意する。
もう――負けない。
そう強く誓い、前線へと急いだ。志を共にする仲間のもとへと。
ーーーーーーー
足に重りでも付いていたのか、と冗談混じりにさっさと立ち去らなかった二人に文句を心の中で言いつつ、いつでも戦闘が始まっても良いように心構えは乱さなかった。簡潔に例えるなら、油断しなかったのだ。全くもって、隙を作らなかった。
二人を追いかける隙も、攻撃をさせる隙も。
目の前に立つリンと呼ばれる人物は、世界中から恐れられる彼でも、油断ならない相手と言うことだ。
しかし彼は気づいている。彼女があえて何もしなかったことに。
「目的は私一人と言うわけか」
リンは返事することはせず、ただじっとレイディアを見据えるだけ。
「私がそれほどまで憎いか。ならば貴様の怒りの全てを受け止めよう。殺したければ殺せ……だが、やれるものならな」
侮辱するような笑みを浮かべながら挑発するレイディア。さすがのリンも気に障ったのかついに眉をひそめた。
「あの時と違って、あたしはあなたを殺せる。あなたの特有魔法を使いこなすのは大変だったけど、今では問題ないわ」
「お、それは凄いな。私はかなり時間がかかったぞ。そこにいる奴のおかげか、それとも貴様自身の才能か。どちらでも構わん。が、私の特有魔法を、私を殺すために使うなど、面白いことをしてくれる」
視線をやや右にずらし、リンの左側、何もない虚空を見つめながら真剣な面持ちとなる。
レイは何かがいると言う、曖昧な感覚しかつかめなかったが、レイディアは違った。
そこにいるのが、何なのか。それを理解していたのだ。
恐らくリンの横にいる何かをはっきりと認識できたのは、彼女自身とレイディアのただ二人のみだろう。
他の者には基本的に認識することさえ叶わない。
レイは感覚、いや、第六感と言うべきか。そこで何となく感知したに過ぎない。だがこれはリンがあえて彼にだけ認識“させていた”からこそなのだ。
その証拠に、エインは何も感じていなかった。そこに何かがいることなど、想像すらしていなかったのだ。
レイも同じように通常ならばエインと同じだったわけだ。
しかしレイディアに対しては違う。
何もしていない。なのに彼は認識していたのだ。
故にただの敵ではなく、殺したいほど憎む者ではなく、本当の意味で戦える相手とも言える。
「準備万端みたいだな。良かろう、胸を貸すぞリン。いやこう呼ばせてもらおうか――イリーナ・ユラ・ウェンテルト」
「あなたに呼ばれたくない……っ。あたしから全てを奪ったあなたに!」
二人の刃が交錯する。
天帝の十二士最強と、瞬速の参謀の戦いの幕が今、切って落とされた。