九十五回目『僕は知っているんだ』
「俺なんかに構ってないで、傍にいてやりな」
と、ミツキは僕らをミルダさんのもとへ行くように促した。背中から不意討ちされるかもと警戒したけど、ミーシャはそんな僕とは対照的に素直に頷いた。
だから僕もつられて従うことにした。
相変わらず傷は酷い。僕やミーシャと一緒に、どうして治してくれなかったんだろう、と今更ながら悪態ついてみる。――欲張りだな。
こればかりは僕たちで何とかしなくちゃいけないんだ。かと言っても方法なんて思い付かない。まともな治癒魔法が使えないこと自分が恨めしい。
どうすれば助けられるのか、何度問答を繰り返しても明確な答えが思い浮かばなかった。
こんな一番大事な時に何も知れないなんて、意味が無いじゃないか。何が知識を征す者だ、全然征せれてないじゃないか!
創造の力じゃ命を造ることはできない。できたとしたら神様のそれと同じだからだろうなんて考えたっけ。
駄目だ。
思考が纏まらない。
弱々しくなって、呼吸すら小さくなっていくミルダさんを目の当たりし、冷静でいられなくなる。
ミーシャは再生神の末裔だけど、その力を完全に使いこなせるわけじゃない。なら他の……。
「これじゃ変わらない。あの時と、何もできなかったあの時と変わらないじゃないか」
両親の時はあまりにも無力だった。
祖父母の時だって同じだ。僕は成すべきことがなせなかった。たった今突きつけられる現実は、何の力も知識も無かった頃の自分を彷彿とさせた。
今はあの時とは違うはずなんだ。
魔法が存在する世界にいて、特有魔法なんて特殊な魔法も使える。それでもこの手は未だに届かない。
挫けそうに背中を丸める僕に声をかけたのはミツキだった。そして僕に一つの希望を提示した。
「俺の存在が歪みとなるなら、それを無くせばミカヅキ・ハヤミは――本来の力を発揮できる」
なぜか、ミツキは微笑んでいた。たくさんの感情が入り交じっている。今までの人生が凝集されたような、全てを詰め込んだような、寂しさを僕の胸に抱かせる優しい笑みだった。
その表情のまま、疑問符を浮かべる僕にこう言い放つ。
「願えっ、ミカヅキ・ハヤミ! 貴様が本当に望んだものを!!」
「僕が、望んだもの……。それは守るための力だ! 僕の中にあるはずだ。ならそれを全て使って助けてみろ。助けたい人を……守りたい人を!!!」
頭の中に言葉が流れ込んでくる。知らないはずの言葉。本来なら知るはずの無い言葉。だけど僕はそれを知っている。
なぜなら、僕は――知識を選んだのから。もう目を背けたりなんかしない。
「僕は知っている。助ける方法を、守る方法を。知識を征す者であり、創造の力を使える僕だからこそできる方法があるんだ。僕が書き換える――彼の者の一振り」
何をすべきかはわかっている。
誰かに指示されたわけでも、願ったわけでもない。僕が望んだことだ。
立ち上がってミルダさんに両手を翳す。背中に二つの温もりを感じた。確かめなくてもそれがミツキの両手だってわかった。
僕の身体が淡く白い光に包まれる。どうやら僕だけじゃなくて、後ろにいるミツキや、前にいるミルダさんと同様の現象が起きているらしい。
ミーシャってば、驚きすぎだって。
でも仕方ないかもしれない。驚かせている張本人の僕にだって信じられないことが起きているんだから。
ミルダさんから流れ出た血が巻き戻るように身体に吸い込まれていく。同時に傷も塞がれていく。まるで何も起こらなかったとでも言わんばかりに。
余計な感情を一旦隅において、ミルダさんに意識を集中させる。
一息ついて目を開ける頃には、光は消えて傷は跡形も無く消えていた。もうミルダさんは大丈夫だ。
信じられないと言った表情のミルダさんに、ミーシャは遠慮なく飛び付いた。
「ミルダァ……」
「あ、はい……はい、わかります。助かったのですね」
ミルダさんはさすがの理解力で状況を把握して、ミーシャに抱き返した。ぎゅーっと、それはもう熱い抱擁を。
二人とも涙を流していた。でもさっきまでの悲しみから来るものじゃない。喜びから出てしまったものだ。
なら、止める必要は無いだろう。
「これが、お前の……答えか……」
呟きが聞こえたと思ったら、背後でばたりと倒れる音がした。
ハッとなって振り返ると、ミツキが苦しそうに肩で呼吸していた。
「――ミツキ!」
「お前なら、成し遂げられるかもしれないな。俺の叶わなかった願いを、果たすことが……。ミカヅキ、お前に一つ、忠告してやろう――」
僕は意図を察して、耳を口元に近づけて確かに忠告を聞き受けた。「何だって!?」と思わず声を漏らす僕を見て笑う。
「敵はお前たちが思っている以上に……強大だ。心してかかれ。まぁ、お前たちなら……心配ないだろう……。手を取り合うことができた、お前たちなら……」
僕たち三人に視線を送り、最後に空を仰ぎながら言う。
「やっと、俺は――」
心残りを無くすかの如く、全てを吐き出したミツキの身体から力がすぅーと空気が抜けた風船のように無くなった。
ミルダさんを助けていた時に、ミツキは自らの魔力の全てを僕に流し込んだ。そして、魔力と一緒に曖昧なものだったけど、記憶も少しだけ混ざっていた。
どうしてミツキがこうなってしまったのか。僕はその記憶と、ミツキの言葉を胸に刻んだ。絶対に忘れない。
城の玉座はオープンテラスみたいになったり、ミルダさんが怪我したり、ミーシャが暴走したりと、悪いことばっかりだった。
でも良かったと思うこともあった。
だってそうじゃないか。
ミツキの最期の表情が、何よりもそうだと僕たちに伝えた。
たぶん、言葉にするならこうだろう。
「――本当に綺麗な表情だ」
この後、ミルダさんを医務室に運んで、今更ながら騎士団員が駆けつけたりと騒がしくなった。
色々なことが一度に大量に起きた影響で、僕は一つ重要なことを見逃していた。――ミツキの左手首に腕時計が無いことを。
ミツキの遺体は、ミーシャの指示により、丁重に埋葬することになる。世界を救おうとした英雄だと。
バタバタと忙しなかったが、一旦落ち着きを見せて、一息ついていた。傷と回復したことによって戦いに復帰できると自分の手を見つめていた時――。
「ミカヅキ?」
ひょこっとミーシャの顔が視界に入る。
「ミーシャ。ミルダさんはどう?」
「ミカヅキが助けたんだから、大丈夫だよ……って聞きたいのはそうじゃないよね。でも、ミカヅキのおかげで問題ないって」
良かったと胸を撫で下ろす。ミーシャもいつもの調子に戻りつつある。少しだけ無理してるのは、見過ごすことにしよう。
「ねぇ、ミカヅキ。あの力はいったいなんだったの?」
笑顔から一転して、真面目な表情で僕に尋ねてきた。単なる好奇心ではないみたいだ。もしそうだとしても、答えるつもりだったけど。
「……僕にも正直わからない。もし今、同じ事をしろって言われたら、できるかどうかわからないんだ」
「んー、無意識にやってたってことなのかな」
「たぶんそれに近い状態だったと思う。あの時は、ミルダさんを助けようって必死だったから」
ごめん、と付け加えて苦笑した。本当に今はどうやったのかは全く記憶に無かった。知ることすらできない。
だけど、もしこの力を使いこなすことができたら、多くの人を救うことが可能になる。そのために何としてもこの力を――。
と考えていると、ミーシャの手に僕の手は包まれた。
「その、ありがとう。ミルダを助けてくれて。まだお礼言ってなかったから……」
「僕はできることをしただけだよ。それにミルダさんを助けるのは当たり前じゃないか。今までどれだけお世話になったことか。だからせめてこの力を早く――」
「そのことなんだけど、ね。実は私は……あまり使ってほしくないの。よくわかんないんだけど、ミカヅキが遠い場所に行っちゃう気がするの」
僕はまた大事なことを見失うところだったみたいだ。
心配そうな表情を浮かべながらもじもじするミーシャに微笑みかけて、
「わかった。ミーシャ様の仰る通りに」
冗談混じりに返答した。
「もうっ」って突き飛ばされたけど、僕たちはこれくらいが丁度良いんだ。
「――無事のようだな」
歳をとったわけでもないのに、こんな何気ない時間が、雰囲気に懐かしさを覚えた。
ふと、背中に声をかけられた。気配を全く感じさせずに背後に立つなんて、誰かは察しがついた。
「はい、何とか。ビャクヤさんこそ、全くの無傷のようで……」
予想通り、レイディアの師匠であり、僕も教えを受けた人。ビャクヤさんが立っていた。
服に汚れどころか土一つ付いていない。見れば見るほど新品同様だ。
すると僕を真剣な表情で見つめて、黙ったまま固まってしまう。
え、そんなに見つめられても、緊張するんですけど!
胸中を悟られないように必死に顔を取り繕う。自分でも目元がピクついているのがわかった。苦笑、みたいな顔になっていれば良いやと半ば投げやり気味に納得することにした。
「あの、な、何か僕の顔についていますか?」
「……いえ、失礼しました。ただ、色々あったようだと思いまして。ミーシャが仰るように、無闇に使うべきではないでしょう。あなたには、まだその資格が無いですから。今後はどうなるかはわかりませんがね」
何を言っているのか全くわからない。ミルダさんを助けた力のことを言っていることくらいはおおよその検討はつく。
でも内容はちんぷんかんぷんだ。
首を傾げる僕に優しい微笑みを返し、身を翻して背中を向ける。
「では、ここで失礼します。少し様子を見に来ただけですから」
そう言い残して気づいたときにはもうどこにもいなかった。
何が何だか……頭がパンクしそうだよ。
と、こうしてる場合じゃない。そろそろ戦線に戻らないと。
服をくいくいと引っ張られる。ミーシャが物欲しげに上目遣いをしてきた。
「ど、どうしたのかな、ミーシャ?」
とりあえず聞かないことには始まらない。と言うことで尋ねてみた。嫌な予感を胸に宿しながら。
「私も、私もミカヅキと一緒に戦う!」
「え……? ん? ええええええ!!!」
嫌な予感と断言して良いものか。怒られそうだから口には出さないけど、さすがに驚きは隠せなかった。
――言うべきことを言い終え、いるべき場所に戻る途中、ビャクヤはおもむろに足を止めた。
「なるほど、それがあなたの。全部で三つ、と言ったところでしょうか。心配はいりませんよ、私は主だった行動をする権利はありません。私はあくまで世界の観測者ですから」
ふっ、と笑い、再び足を進めた頃には、既に気配は消えていた。
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ファーレント王国の城の騒ぎを耳にしたソフィは、ファーレンブルク神王国の城にいた。確かな胸騒ぎを覚えて、窓から外を見つめる。
「レイディアが手こずるなんて、相手は相当な手練れね」
ソフィは昔、父親から聞いたことを思い出していた。
正しいかどうかなんてわからない。それは彼女が決めることではないのだから。しっかりと理解している。
正しいかどうかは残された人々が、歴史が決めるのだと。
ならば自分たちにできるのは、その時に最善と思ったことを全力でやるしかないと言うことを。
一人だったら無理だったかもしれない。挫けてしまっていたかもしれない。
だがソフィは一人じゃない。それを教えてくれた人が、人たちがいた。
故に彼女は行動する。最善を成すために。
「そろそろ、あなたの出番よ。準備はできているかしら?」
「――もちろん。ご恩は返しますよ。それに放っておけないですから」
ソフィと親しげな雰囲気で接した男性は、そう言うと部屋を後にした。
「これくらいしかできませんが、どうかあの人を――」
受け継がれなかった彼女はもう悲観などはしない。待つだけなのはやめたんだ。そんなの諦めているのと同じだから。ただあの人に教えられたことを全力でやるだけ。
独りだった彼女を、連れ出してくれたあの人のために生きると決めた。
決して伝えられない気持ちを、胸に秘めながら、彼女は一歩前に進むのだ。あの人より“先”に――。