九十一回目『約束』
前線の手前に到着していたハクア。視線の先には激しい攻防が繰り広げられている。
遠目で戦況を把握していた時、背後でパキッと枝が折れる音がした。――敵だ。
理解しながらも彼は後ろを振り向かず、ましてや構えることすらしなかった。
「余裕なんですね。さすがはヴィストルティのリーダーだ」
青より深い藍色の髪を短く切り揃え、整髪料でセットしたかに思える滑らかな髪型。青と白でバランス良く彩られたローブを身に纏う姿は高貴な印象で貴族を連想させた。
天帝の十二士の一人、イーデンベルデット・ウェンツェル。
自らの手で触れた相手を無条件で殺す『終眼』の持ち主。
「僕のことを知っていますか?」
背中を向けるハクアに問いかける。
端から見れば絶好のチャンスだろうに、何らかの意図があるのだろうか。
「知っている。貴様が自身の力を嫌っていることも」
「なら、あなたならどうしますか? 僕の手は触れた者を殺す。僕は誰にも触れることができない。僕は孤独なんです」
俯き気味に落ち込んだ口調で続けた。
対してハクアは尚も背中を向けたままだ。振り返る必要が無いと意思表示だろうか。
いや、答えは恐らく表情を見せないためだ。
――孤独。
今でこそハクアはヴィストルティの組織のリーダーとして、仲間に囲まれている。そんな彼とて、過去に感じことがある感情だった。
培ってきたもののほとんどが覆され、絶望のどん底に落とされたことが。周りに頼れる者など誰もいない。信じられるのは自分自身だけ。
だがハクアは“それでも”と立ち上がることを選んだ。失ったものは多い。失わなかったものを数えた方が早いほどだ。
だとしても、全てを失ったわけではない。未来が断たれたわけではない。故に諦めることをしなかった。
そんな苦難を乗り越えた彼だからこそ、かけられる言葉があった。
「どうしても誰かに触れたいならば手を切り落とせば良い。孤独を拒むなら“そんな自分でも良い”と言ってくれる者を探せば良い。何も成せないと、勇気が出せないなら、一歩たりとも踏み出すことができないなら、いっそのことここで死ぬが良い。方法はいくらでもある」
「あなたにはわからないんだ。本当の孤独を知らないから」
「ああ、貴様の言う本当の孤独とやらがどんなものかは知らん。だがな……私は独りの寂しさなら知っている。共に戦った仲間も、信頼できる友も、愛した大切な者はもうどこにもいない。二度と会うことは叶わない」
「……」
イーデンベルデットは黙ったまま次の言葉を待った。
だが事実は違う。同情ではない、“共感”していたのだ。
手に入れたと思ったものが、いつの間にか溢れ落ちてしまっていた絶望を――知っているのだと。
「貴様に選択させてやろう。イーデンベルデット・ウェンツェル。私なら貴様の特有魔法を消滅させられる」
「なっ、そんなことが、可能なのか……?」
にわかに信じられないことを言われ、戸惑いを隠せないイーデンベルデット。疑いつつも、希望を待ち望む表情だ。
当然だろう。彼にとって自分の特有魔法は、他者との壁として君臨してきた。邪魔な壁さえ消えれば、孤独から解放される。
ずっと待ち望んでいたこと。
この時のために、生きてきたと言っても良い。
「ああ、可能だとも。文字通りの消滅だ、復活させることは叶わないと知れ。それでもと望むのならば、だがな。さて、どうするのかね?」
「……」
即答せずに考え込んだ。もう彼の中に疑いの気持ちは消えていた。
嘘をつき隙を作りたいのであれば、既に彼の命は絶たれていよう。つまりは嘘であろうと得が無いのだ。
ヴィストルティのメンバーのほとんどが魔法士であり、更に相当の実力者集団と聞いている。そんな者たちを纏めるハクアは素性が謎に包まれているものの、強さは本物だと今までの実績が証明していた。
忌まわしい呪いのような力が消えるのは人生の中で一番望んでいたことだ。
だがいざ選択を迫られた今、イーデンベルデットは迷っていた。
本当にそれで良いのか、と。
良くも悪くもハクアの話によって、“希望”を信じてみたくなったのだ。
――叶わないかもしれない、今より絶望するかもしれない。それでもやってみたい、と思ってしまった。
故に選択する。善き選択なのかはわからないが、自分が一番望んだ選択を。
「僕をヴィストルティに入れてくれ」
ハクアはここで初めて振り返り、自分の決意を言葉にしたイーデンベルデットをその目に捉える。
「言葉の意味がわかっているのか? 天帝騎士団にいれば、バルフィリアの配慮で極力戦わなくても良い。逆に我々ヴィストルティの一員となるなら戦いは避けられない。貴様が嫌う殺しをすることになるんだぞ。――構わないのか?」
「……確かに団長やイグルスさん、他の団員にはお世話になりました。だけど、皆は優しすぎるんです。僕は本当に甘えられない状況を経験しなくちゃいけない……あなたの話を聞いて、そう思ったんです。もし乗り越えることができなかったら、その時は特有魔法ではなく、僕を消滅させてください」
彼は今まで辛いことから目を背けてきたことを自覚した。
――僕はもう充分に苦しんでいる。僕には何もできない。誰も僕なんか。
だがようやく理解した。それでは何の解決にはならないことを。
故に苦しかろうと、辛かろうと、今より悪くなるかもしれないとしても、希望を信じることを選んだのだ。
言い終わった彼を、ハクアは「ふっ」と鼻で笑った。
「この短時間で、少しは良い顔になったな」
ほんの気まぐれかや偶然かもしれない。たとえ、正しくなかったとしても、良かったと思えれば満足だ。
もしかしたらハクアも彼に“共感”する場所があったのかもしれない。真実はわからないが……。
「貴様をヴィストルティの一員にするか否かは、まずはこの戦争で生き残るんだ。誰も殺さずにな。後からどうなろうと、一人でも殺せば終わりだと思え。わかったら、行動開始だ」
「はい!」
元気良く返事をして、イーデンベルデットはこの場を後にした。
立ち去る背中を見届け、視線を再び前線へと向ける。
簡単に信用したのかと問われれば、そうではないと答えよう。
バルフィリアやマリアンが優しいことを、ハクアは恐らくこの世界で誰よりも知っている。
だからこそ、このような者が出るのも仕方ないことだと理解していた。かと言って罠の可能性も拭いきれない。
だが根拠も無しに爪弾きをしてしまうのは違う。彼は裁判長でもなければ警察でもない。
ハクアは自身を特別な者だとは全くもって思っていない。むしろ一般人より格下だと発言するくらいだ。
しかし、成すべきことは成す。それだけは譲らない。
よって真意を確かめるための猶予を与えたのだ。
敵だろうが味方になろうが、ハクアにとってはどちらでも構わなかった。敵ならば排除し、味方ならば歓迎する。ただそれだけのことだ。
――ヴィストルティと言う組織はほとんどが元奴隷だった者たちだ。中には罪人など、それこそ世間から爪弾きにされた者たちで構成されている。
時には喧嘩したり、いがみ合ったりなどハクアの頭を悩ますことも……。だが一つだけ全員に共通している部分があった。
ハクアを慕っていることだ。
――皆が私の家族だ。
皆が心の中に秘めるこの言葉。ハクアから必ず一度は言われた言葉。
たった一言だとしても、彼らにとっては地位や名誉なんかより大切なものなのだ。
これはどんな人物であろうと、真正面から向き合うハクアだからこそだ。もしかしたら他にも理由があるかもしれないが、本人たちにとっては些細な部分なのだろう。
増えたり減ったりを繰り返し、今のヴィストルティは百人前後の規模となっている。
一番辛いのは、もしかしたら――。
「私は……」
視線を落とし、表情も暗くなる。
過去の出来事を思い出していた。決して取り戻すことのできない、過去を。
“それでも”と歩き出した以上、彼は止まらない。止まれない。
たとえそれがいばらの道と知っていたとしても、彼は迷わず選ぶだろう。ハクアとはこう言う人物なのだ。
ーーーーーーー
ミーシャとミルダはファーレント王国の城の玉座にて、皆が生きて帰ることを祈っていた。ずっと身構えては疲れて気が滅入ってしまうため、気分転換に自室からここに移動したのだ。
開戦してからしばらく経った頃、ミカヅキが怪我をして城に運ばれたと聞く。急いで彼のもとへ行くために、部屋を出ようと椅子から立ち上がったちょうどその時、バンッと勢い良く扉が開かれた。
「ミーシャ!」
「ミカヅキっ。怪我は大丈夫なの?」
扉を開けたのはミーシャが今会いに行こうとしたミカヅキだった。心配しつつも笑顔で迎えようとするミーシャ。
しかし、彼女の前に腕がスッと出され、歩みを止めさせた。
「どうしたのミルダ?」
頭の上に疑問符を浮かべるミーシャ。
ミルダは問いに答えるより先に、ミカヅキを若干睨むように見ながら話しかけた。
「ご無事で何より、とでも言うべきでしょうか。残念ながら、あなたに姫様は渡しません」
「え、何を言ってるの? たた、確かにまだ――」
「姫様。あの者は私たちの知っているミカヅキ・ハヤミではありません。別人です」
何かの根拠がミルダの中にはあるのだろう。困惑しながら照れる忙しいミーシャに断言した。
突然の言葉に驚愕し、時でも止まったかのようにミーシャは動かなくなった。
「ミルダさん、何を言うんですか。僕が僕じゃないって、いったいどういうことなんですか?」
別人と断言された人の当然の反応だ。やや首を傾げ苦笑しながら理由を尋ねる。
するとミルダは仕方ないですねと言わんばかりにゆっくりと息を吐き、出した分だけ空気を吸うと静かに告げた。
「私が認めたのは、あなたのような瞳をした人ではありません。あなたは誰でしょうか?」
怒り気味のキリ顔を見せつけるミルダ。
ミーシャは今一状況を把握しきれてないようで、おどおどと少々挙動不審だ。
「っ……はぁ、これ以上は無駄か。――俺の名はミツキ。天帝の十二士の一人だ」
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべ、髪をかき揚げオールバックにしながら名乗った。
見れば見るほど本人だと間違えてしまうほどミカヅキそっくりだ。いつも一緒にいたミーシャでさえ疑わないのだから、相当なものだろう。
「どうやって、と訊くのは愚問ですね。彼の名を使ってここまで入ってきた。随分と卑怯な手を使うとは思っていませんでした」
「戦争で勝つのに、真面目も卑怯もあるかよ。ルールに縛られてちゃ、勝てるものも勝てない。俺は勝つためなら何だってやってやるよ!」
ここがアニメやゲームの世界ならば、二人の間には火花が巻き起こっているはずだ。
互いに相手を睨み付ける。間に誰かが割り込もうものなら、即座に排除しかねない。そんな緊迫した雰囲気が漂っていた。
「あんたと決着をつけるのも悪くない。だけど、ここに来た目的は別にある」
言うが先か視線をミーシャへと移した。
ミルダはすかさずミーシャの前に立ち壁となった。
いつ戦闘が始まっても良いように構えるミルダに対して、ミツキは余裕の笑みを浮かべたままだ。
ミルダは何か、だが確実に嫌な予感がした。
最悪なことに、予感は的中することとなる。
ミツキは懐から赤い結晶を取り出した。
それが何なのかをミルダは知っている。――魔力結晶だ。
魔力を込めることができる珍しい結晶で、特徴はその美しいまでの赤みがかった見た目。輝きが、他の結晶とは明らかに違うのだ。
世に出ることは極めて少なく、価値は今も上がり続けている。
魔力結晶を使って、良からぬことをしようとしているのは訊かなくてもわかる。
ミルダはすぐに破壊するために、念のため部屋のあちこちに準備しておいたナイフを操り、結晶目掛けて飛ばした。
「さぁ、忌まわしき呪縛を破壊し、その身に眠りし力を世界に刻め――賽は投げられた」
しかし時既に遅し。
ミルダの操るナイフが到達する直前に、結晶は粉々に砕け散る。
「殺せ」
迫り来るナイフを、ミツキは軽く身を左右に動かすだけで躱わした。
「――っ」
心臓がドクンと大きく脈打つ。ミーシャは自分の身に何が起きたのかはっきりとわからずとも、これだけは理解できた。――自分が自分でなくなってしまうことを。
ミーシャの意識は暗闇へと誘われる。
「……ぐっ……何、が……?」
自分の手がミルダの腹部を貫くのを目にしながら、悲鳴を上げて気を失った。だと言うのにミーシャは倒れることはせず、身体は彼女の意識を離れて勝手に動いた。
ミルダから手を引き抜き、両手を広げるミーシャ。
反動でミルダは玉座前の階段から転げ落ち、床に身体を叩きつける。
薄れいく意識の中、彼女は確かにそれを視界に捉えた。
魔方陣を背後に展開させ、まるで別人のように感じられるミーシャの姿を。彼女は何が起きたのかをすぐに理解した。
「封印が……まさ、か……!」
「ご名答。さすがはミルダさんだ、察しが早い。さっきの結晶には、『破壊者』の魔力が込められていた。その魔力はミーシャに向けて使ったわけじゃない。ミーシャを縛る『封印』を壊すために使ったんだ」
封印とやらを解くことができて、さぞ嬉しいのだろう。悦に入った表情でご丁寧にもミルダに説明した。
しかしミルダは感謝などするはずがない。それどころかミツキを睨み付けた。
「あなたは自分が何をしたのか、理解しているのですか?」
「ええ、もちろんですよ。これでミーシャは――自由になれる」
その言葉を聞いて、ミルダは呆れた表情を彼に向ける。――何もわかっていない。
「やはりあなたは、何も理解していない」
「何だと?」
「あなたのせいで姫様は、ミーシャ様は――死ぬかもしれないんですよ!」
そんな馬鹿な、と予想外な発言にミツキは信じられないと言った表情で首を振りながら数歩後退りした。
ミルダはこの時、推測が確信に変わった。何者かはわからないが、ミツキと言う人物はミーシャに施された封印が彼女を苦しめているものだと信じていたようだ。
つまりは方法は間違っていたとしても彼はミーシャを――助けようとした。
皮肉だと感じた。
どんな目的があったにせよ、どんな考えだったにせよ、ミーシャを危険に晒したことには変わりないのだから。
ミルダはショックのあまり膝をつくミツキを尻目に、腹を押さえながら立ち上がる。
床の赤い部分は今も面積を広めている。
「……このまま、では」
ミーシャにかけられた封印は確かに力を封じるものだ。しかし理由は、決して彼女を苦しめるためなどではない。むしろその逆。
ミーシャを守るために、力は封印されたのだ。
ミルダは痛みに顔をしかめながら、ミーシャに優しい眼差しを向ける。
「今こそ、約束を果たす時です」
彼女の言葉は視線の先のミーシャに言ったのではない。
既にこの世から去ってしまった、ミーシャの父親にして、前国王――アルフェンベルト・ユーレ・ファーレントに告げたのだ。
絶望のどん底から救ってくれた命の恩人に――。