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ふたつの鼓動  作者: 入山 瑠衣
第八章 天帝の十二士

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九十回目『光は影と、影は光と』

「アリシア、なのか……?」


 ヴァンが名を口にした途端、彼女は距離を取った。呼吸は乱れ、落ち着きは何処かへ投げ捨ててしまったようだ。


「確かに幼かった頃の記憶は無い。けど、だからっておじストの妹じゃないわ」


 内心、まだ幼いだろとツッコミを入れて平常心を取り戻しつつ、ヴァンは何とか戦いを終わらせようとする。


 だが今の彼女は過去の記憶を失い、シャルとして新しい人生を歩んでいた。急に兄だと言われても混乱するのは当然だろう。


「戦う必要はもう無いんだ。オレたちはやっと、一緒になれるんだよ!」


「違うっ。わたしはもうアリシアって名前じゃない。今のわたしはシャルよ!」


「記憶を失っていたとしても家族と知った以上、オレはお前とは戦わない。オレはもう二度と、家族を失いたくないんだ」


「あなたが何て言おうと、わたしはあなたの家族には戻ることは不可能よ。これ以上、わたしの頭の中を乱さないで!」


 ヴァンが戦いをやめるように説得するも、彼女は自分はシャルだと彼の願いを拒む。


 本当の自分は誰なのか。シャルなのか、それともヴァンが言うようにアリシアなのか……。彼女自身すらわからなくなってしまっていた。

 だが誰が何と言おうと、今の彼女はアリシアではない。――シャル・ド・ランウェイなのだ。


 ヴァンとて一緒にいられないことなど重々承知の上だ。たとえ記憶が戻らなくとも構わない。ただ恐怖していただけだ。


 無力だった幼き頃のように、また失ってしまうことを恐れた。だから剣を鞘に収める。

 彼に戦意の二文字は既に皆無だった。


 そんな時、シャルが深呼吸をして心を落ち着かせてから少し間を開けて、


「――戦って勝利した方が正しい」


 ヴァンに決断を迫った。戦うか、諦めるかを。


 シャルは頭が割れるような頭痛に苛まれる原因は、目の前の兄と名乗る男だと断定した。故に、原因を排除すれば万事解決。


 彼にとって今までの人生で一番最悪の選択をさせたのだ。


 そのはずなのにヴァンは一切悩むことをせずに返答した。——戦おう。


「え……」


 予想外の返答に面食らうもすぐに真剣な表情で引き受けた。

 これは兄妹喧嘩と言えるのだろうか。だとすれば、こんなに悲しい喧嘩がどこにあるのか。


「どこからでも来るが良い」


 シャルは言葉に従ったか、もともとそのつもりだったかは定かではないが恐らく後者だろう。遠慮などせずに、話をする前とは売って変わって攻撃に転じて激しい魔法を次々とヴァンにぶつけた。



 ――しかし始まってもヴァンは棒立ちのまま、まるで的のように攻撃をその身に浴びた。


 戦えと懇願するシャルに、一貫して無言のヴァン。彼の全身は傷だらけとなり血があちこちから流れ出て、呼吸すらおぼつかないのか肩で息をしていた。


「どうしてよっ!?」


「言った、はずだ」


 ふらつくヴァンが振り絞るように叫びにも似たシャルの言葉に答える。


 難しいことなどではなくとても簡単な、人として当然の気持ち……想いだ。

 彼の紛れもない本心が言葉として彼女に届けられた時。


「——家族だからだ」


 微笑む彼の口から、真紅の液体がゆっくりと滴り始めたのは——ほぼ同時だった。


 ヴァンの胸を、心臓を地面から伸びる黒い何かが貫いていたのだ。


 糸が切れた人形のように倒れいくヴァンを目の当たりにし、動きがスローになるシャルは首を左右に振り声を上げながら発狂して彼と同じように倒れた。どうやら気を失ったらしい。黒い何かも、彼女の意識と一緒にすぅっと薄れて消えた。


 それが原因か、定かではないが、ノエルの動きが静止画の如く止まってしまった。

 レイは念のためにノエルの様子を確認し、終えると地面に横たわるヴァンに駆け寄った。


「おいっ、大丈夫か!」


 心配そうに呼びかけるレイの声を聞きながら、ヴァンは心の中で呟く。


 ——どうだ、レイディア(親友)。これがオレの、選択だ。


 ヴァンを抱きかかえて声をかけたが、一目でレイは理解した。——助からない。

 自分が使える基本魔法程度の回復魔法では意味が無い。

 レイは悔しさのあまり歯を食いしばった。また死に行く仲間に何もできないのか、と。


 考えるより先に身体は動いていた。ほぼ無意味なのを理解しながら回復魔法をかけていた。

『脳内言語伝達魔法』で助けを呼ぼうとしたレイの腕を弱いがしっかりと何かが掴んだ。他でもない、ヴァンの手だった。


「必要……ない」


「何言ってるんだ、勝手に諦めんな。一緒にレイディアに勝つんだろう? だからこんなところで死なせるかよ!」


 ヴァンの申し出を拒んで意地でも助けようとするレイ。


 声を荒げてでも自分のことを助けようとしてくれる良き仲間であり、良き好敵手となってくれたレイに胸が温かくなった。瀕死のヴァンの感覚は既に無い。だと言うのに、確かにその身に感じたのだ。心が温まる感覚を——。


 そんな最高の奴に今の自分ができることは……。ヴァンは頭の中に思い浮かんだことに思わず苦笑した。

 ——バカだな、と。


「ったく、人の話を聞けってのバカ野郎」


「今は何とでも言え。お前が治った後に倍にしてお返ししてやるからな」


「心配するな。すぅー、オレは死なない。だから、ちょっと……手を貸せ」


 明らかに見栄を張っているのはバレバレだったが、迷いつつもレイは結局ヴァンの言葉に従った。


 ヴァンの掌をレイの胸の中央に翳す。

 自分の手が位置に達したのを見届けると目を閉じた。


「オレは、死なない……がっ、ふー。我に宿りし力よ、主たる我が命ず」


「ヴァン、まさかお前は——」


 レイが言葉を発するのもままならない彼の真意に気づいた時には既に準備は完了していた。

 もう遅いと言わんばかりにヴァンは口角を上げる。

 実際、レイは間に合わなかった。ヴァンを止めることはできなかったのだ。


「——我が相棒に、全てを託せ」


 一陣の風が過ぎる頃には、ヴァンの体重の全てがレイの腕に委ねられていた。


 最後の言葉が頭の中に強く根付くのがわかった。恐らく、一生忘れることは叶わないだろう。そもそも忘れるつもり自体毛頭ない。


 レイの背後に足音がした。振り向かずとも誰かはわかる。たった今旅立った相棒と二人で一緒に倒すと約束した相手だ。直接見る必要なんて無い、気配だけで充分だ。

 故にヴァンを抱きかかえたままの体勢で背中越しに話しかけた。いや、吐き捨てたと言うのが正しいろう。——何をしていたのか、と。


「来るのが遅いんだよ……。お前はこの戦場の全てを把握しているはずだ」


 ヴァンの身体を優しく地面に寝かせて、勢いよく振り返った。怒りを込めた表情で、理由を問いただすために睨みつける。


「お前なら助けられた。お前の言葉なら、聞いたはずだ。なぜだ……どうしてヴァンを見捨てた!」


 無表情で地面に穏やかな表情で横たわるヴァンを見るレイディアに叫ぶようにぶつけた。

 だが依然としてレイディアは怯むどころか、レイに視線を移すことも無かった。それ以上近づかずにただ、無言でヴァンを見ていた。

 彼のこの態度がレイの神経を逆なでし、込み上げる怒りの量を増やした。


「何とか言えよっ、レイディア!!」


 たまらずレイディアの胸ぐらを掴んだ。

 ようやく視線がレイに移される。まっすぐに彼の目を見て先ほどの言葉を肯定した。


「ああ、私ならあの程度の傷を治すことなどあくびより容易いさ」


「なら——」


「貴様は見捨てなかったと言えるのか?」


 レイの言葉を遮ってなおも表情を変えずに問い返す。

 即答できるはずだった。最後まで諦めなかった、助けようとした、と。


 そのはずなのに、何故か言い淀んでしまっていた。

 疑問に思ってしまったのだ。本当に全力で助けようとしたのか。他に手があったのではないか。


「貴様はヴァンが最後に何をしようとしていたか察していた。なのに止めなった。——さて、私と何処が違うのかね?」


「なんでそんなに平然としていられるんだ。ヴァンはお前のことを、人生の中で一番の友だって、最高の親友だって言ってたんだぞ」


 レイは胸ぐらを掴む手の力を緩め、小刻みに震わせて俯きながら言った。弱弱しく、力の入ってない口調だった。


 しばしの沈黙の後にレイディアが言葉を紡ぐ。


「……知っているとも。ヴァンは私にとって、この世界で初めてできた友であり、初めてできた“親友”だ」


 次の瞬間、立場の逆転が起こる。今度はレイディアがレイの胸ぐらを掴んだのだ。

 その表情は先ほどまでの無表情とは正反対の感情が前面に出ていた。

 レイはすぐに怒りと悲しみだと見抜く。正直面食らってしまった。レイディアがこんな感情を露わにすることなど滅多に無いからだ。普段ならまずありえないと言っても過言ではない。


「あいつが助けを望んだか? あいつが傷を治してくれと願ったか? 違うだろう? あいつは生きることではなく、他の誰でもない貴様に己の力を託すことを選んだ。この私に、親友と認めた者の最後の願いを踏み躙れと?」


「レイディア、本当はお前も……」


「それ以上は必要無い。あやつが選択したことに口出しはせん。だが、文句は言わせてもらう」


 手を離してヴァンの元へと歩み寄り、しゃがんで顔を覗く。


「ったく、はた面倒な。良い表情(かお)しやがって、文句を……言えねぇじゃねえか」


 レイは確かに聞いた。微かに震えるその声を。


 胸に閉まっておこうと決めた時、レイディアがこっちに来いと彼を呼んだ。


継承(・・)が済んでいない。貴様の手をヴァンの胸に翳して、私の言葉を復唱しろ」


「ちょっと待てよ、まだ終わってないって――」


「さっさと言う通りにやりやがれ。――我は託されし者なり、()の者に宿りし力よ、主の命に従い、我に宿れ」


「乱暴だな」


 と言いつつも、いつものレイディアに戻ったようで少しばかり安心した。ヴァンの感情が移ったのだろうか。


 などと考えてから、指示通りに手を翳しながら言葉をなぞって詠唱した。


「我は託されし者なり、()の者に宿りし力よ、主の命に従い――我に宿れ」


 詠唱が終わると同時にヴァンの身体が淡く黒い光に包まれ、一度全身を覆うと、光は手を翳している一点に集中していく。


 訳もわからず唖然としていると、光が浮かび上がりレイの手に吸い込まれるようにして消えた。驚く間も無く一瞬の出来事だった。


「これで継承は完全に終わった。さらばだ、我が親友。また会おう」


 最後に微笑みかけてから立ち上がった。

 レイはヴァンをこのまま放ってはおけないと言ったが、返事の代わりにため息が返ってきた。


「私とて連れて帰れるならそうしてる。だがな、継承が終わった以上、肉体は消滅するんだよ」


「そ、んな……」


 まさかと思い振り返ると、ヴァンの全身が今度は淡く白い光に包まれていた。そして手足の指先から光の粒子へと変化し、蒲公英(たんぽぽ)の種の如く空へと飛び立っていく。


 全てが飛び立つのを見届け、レイも立ち上がった。そんな彼にレイディアはとある話をした。


「特有魔法は本来、一人につき一つだけしか発現しない。歴史を見ても二つ目はまずありえない。二つの特有魔法を操る者は、今の貴様のように、別の誰かから継承されたと考えて間違いない」


 レイは素直に頷きながらも、矛盾があることに気づいた。

 ありえないことがありえているじゃないかと。


「その話が正しいのなら、ミカヅキはどうなるんだ? もし誰かから継承されたとしても、『創造の力(アーク)』なんて特有魔法は聞いたことがない」


「よく気づいたな。私にもわからない謎だ。まぁ、答えは二つしかないがな。貴様が言ったように何処の誰かから継承された可能性。奴が歴史上で初めて、二つ目の特有魔法を発現させた魔法士(ランカー)の可能性」


「やはり歴史上で初めての魔法士なんじゃないか?」


「いいや、残念ながら結論づけるのはまだ早い。二つ目の特有魔法の『創造の力』より、一つ目の特有魔法『知識を征す者(ノーブル・オーダー)』の方に、継承された可能性が残っている。たとえそっちが真実だとしても何者なのか、何の意図なのかはわからんがな。知識の欠落は、継承が不完全だったとも考えれる」


 レイに説明しながら近くに倒れていたシャルへと歩み寄った。

 そばに着くとしゃがんで手首を掴んで脈を確認する。発狂していたからどうなっているかと気にしたが要らぬ心配だったようだ。

 時間が経過したからだろう。幸いにも脈に異常は無かった。


「なぁ、レイディア。もう一つ訊きたいことがある」


「貴様、さては勉強をしていない奴だな?」


 まだ尋ねて良いかを確かめる段階のレイに素晴らしいしかめっ面を向けた。レイディアは何を訊きたいか察しているようだ。

 まさかの先読みに微妙か表情をするレイ。仕方ないと言いたげにニヤニヤしながら答えるレイディア。


「『継承』とは、魔法士が己の特有魔法を別の誰かに託すことの総称である。だが誰もがいつでも行えるわけではなく、強く託す相手のことを思い、尚且つ死の間際でなくては詠唱ができない。更に託された者が特有魔法に適していなかった場合は即座に死亡(粒子化し霧散)する。そう言えば、詠唱しなかったなんてのも聞いたな」


 思い出すために首を傾げる。途中に「うーん」と何度か唸ることもあった。

 レイは感心していた。こうもあっさりと説明されるとは思っていなかったからだ。彼は幾つかの質問したいことが頭の中にあったが、まずは話を聞いてからにしようと考えた。


「そもそも存在自体が隠蔽に近い形だ隠されていることから、一般的に知ることすら叶わない。王国でも片手で数えるほどの人数しか知らない。かくいう俺も、詳しく聞いたのは初めてだ」


 色々とあったはずなのに、愚痴みたく溢し、レイディアの言う通り勉強不足だと実感せざるを得なかった。惨めに感じてしまい思わずため息が出てしまう。

 ヤバい、レイディアの癖が伝染し(うつっ)てしまっている、と危惧して首を横に振って邪念を振り払った。


「だろうな。ここまで継承について知っているのは、世界中を探しても私くらいのはずだ。何故なら私自身がわざわざ直接調べたのだ」


 盛大にドヤ顔をレイに見せつけた。

 呆れたとため息をつくレイ。内心では情報の価値に驚いていたのは隠しておく。


「さて」と言ってレイディアはいつもの無表情に近い顔に戻った。


「私はやることがあるんでな。二人を王国に連れ帰ってやってくれ。貴様の速さならすぐだろう?」


「俺は運び屋じゃないぞ。ヴァンの妹だから、丁重に扱うとするよ。ちなみにあの子は何者なんだ?」


 レイは立ったまま停止しているノエルに視線を移しながら尋ねた。


「ん? あー、生きた屍とでも言おうか。それとも動く死体の方がわかりやすいか。虚光の奇術士ことノエル・ビエルト・ウォーグルは二年前に死んでいる。偽物ではなく、正真正銘ノエルで間違いないさ。今は……そんな話よりさっさと連れていけっての」


 話の途中で我に帰ったかのように催促するレイディア。珍しくいろんな表情の彼に苦笑しつつも、レイは二人を担いで王国へと急いだ。と思いきや、言い残したことがあるのか振り返った。


「――大丈夫なのか?」


 何がだ、なんて野暮なことを聞き返す意味は存在するまい。そっと気を失った二人の少女の顔を覗くレイを、レイディアは「ふっ」と鼻で笑った。


「当たり前だ。それに幸か不幸かは知らんが、記憶はヴァンのおかげで戻っている。だからこれからどうするかは他の誰でもない、その者自身が決めることだ。シャルであり、アリシアである一人の少女がな」


「そうだな」と満足げな表情を返して今度こそ王国へと向かった。



 ――数分後、魔力感知でレイが離れたことを確認し、全身の力を抜いてふぅーと息を吐き出す。

 別に気を張っていたわけではないが、やはり一人の方が気楽だと思ってしまう。


「私は……」


 もう見えなくなった背中に謝罪した。何に対してなのかは、レイディア本人にしかわからないことだろう。

 万が一誰かに聞かれていた時のために、彼は言葉を選んだのだ。自身の胸中を誰にも知られないように。


 ――最後に勝つのは私でなければならない。そのためなら何だってやろう、何者にだってなってやる。


 孤独な笑みを浮かべる彼を見る()は誰もいなかった。


「ああ、だから勝負は随分先になるから、ちゃんと強くなっていろよ」


 風が強く吹き荒ぶ。木々が音を立て、地面へ落ちるはずの滴が宙を舞った。

 そして風が止む頃には、レイディアの姿は無くなっていた。

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