八十七回目『才能なんて』
フェニクシド騎士団団長――ヴォルフガング・S・ベルセルク。
天帝の十二士、赤の槍者――ケイ・コーゼフ。
両者の勇姿を最期まで見届けた者がいた。
戦いが終わるまで物陰で気配を消していたのだ。妙な企みがあるわけではなく、純粋に邪魔をするべきではないと判断したからだ。
地面に背を預ける二人のもとへとゆっくりと歩み寄る。
「まったく……はた面倒な」
彼は二人の顔を覗き込むと、自然とため息が出てしまった。
人生の最期を迎え、黄泉の国へと旅立つ。
そんな門出に相応しい良い表情だ。穏やかで、見ている者さえ心を落ち着かせてしまうような、優しい笑みを浮かべていた。
「これは、弔うしかないな」
二人の騎士に敬意を表して、そう呟いた。
彼の名は――ハクア。
ヴィストルティと呼ばれる組織を束ねる者だ。
本名、出自、経歴不明。性別は男性であるのと、実力が並外れている程度の情報しか無い。加えて謎の武器を使うことも数少ない情報の一つだ。
彼がいったい、何処の誰なのかは各国が調べたが、全く正体がわからなかった。まるで煙を手で掴めないように。
彼の組織――ヴィストルティは各地の戦争に突如介入し、どちらの味方になるわけでもなく、双方にダメージを与えて強制的に終わらせることが主だった行動だ。
ただ不可解なのは、戦争が行われていた場合しか戦わないと言うこと。
戦争自体を無くしたいのであれば、それぞれの国を攻めれば良いはずだが、何故かそうはしない。
戦力は、相対した者たちなら口を揃えて言うだろう。
――化け物たちの集まりだ、と。
一人一人がかなりの実力の持ち主。下手をすれば、天帝騎士団に一子報いることができるのではと言う者も少なくは無かった。
化け物と称される者たちを束ねるハクアが、ここにいる。それ即ち、
「――そろそろ時間だ」
彼らが動き出すことに他ならない。
この戦争の勝利を手にする者は何者なのか。
もはや誰にもわからない。
ーーーーーーー
ファーレンブルク神王国の領地の外れ。
「まさか、僕たちすら利用するなんて……。さすが、レイディア・オーディンと言うべきか」
魔方陣の一つがある場所にレイディアはあえて味方を配置しなかった。そこにはヴィストルティのメンバーの二人が来るべき戦闘に向けて控えていた。
そこに転移してきた天帝の十二士、重複士――ホビエ・ホーデンス。
藍色の短めの髪をボサボサにした、翠色の瞳の年若い男性だった。
ハクアと別行動を取っていたが、最早戦闘は避けることができないようだ。
気配は消していると言うのに、ホビエはまっすぐ彼らを見据えていた。
「それで隠れているつもりかね?」
「ちっ、バレたか。みんな、各自所定に位置にて――行動開始」
リーダー各の黒髪の少年が、隣にいる同い年くらいの茶髪の少女に指示を出した。
「(みんな、各自所定に位置にて、行動開始して!)」
少女は『脳内言語伝達魔法』を使い、少年の指示を復唱して仲間に伝えた。
みんなの了承の返事を聞き、少女は頷いた。
「私も行くね。気をつけて、アルマ」
「当たり前だ。お前も死ぬなよ、リリカ」
黒髪の少年――もといアルマの言葉に「うん」と力強く頷いて、少女――もといリリカは指示通りに所定の位置に向かった。
さて、とアルマは自分を上から見据えてきやがるホビエに視線を移す。
「あんたの相手は僕がする」
「ほお、君が俺の相手か。じゃあまず訊きたいことがある」
「なんだ?」
「君は魔法士かい?」
質問に真面目に答える義理は無い。ましてやここは戦場だ。
手の内を晒すことはそれ即ち自分の死に直結するなんて話はざらだ。
アルマは訝しげな表情ではぐらかすことを選んだ。
「どっちだろうと関係無いだろ。あんたと僕は敵同士。なら、戦いで確かめれば良いだろ」
「もっともだ。じゃあ、君の提案を受け入れることにしよう」
アルマは攻撃に備えて構えた。が、対するホビエは服装を正して彼の方に体の正面を向けた。
「我が名は――ホビエ・ホーデンス。特有魔法は使えないけど、基本魔法は使える。と言うより、基本魔法しか使えないんだ。俺は魔法士ではないからな」
誇らしげな表情で名乗りと共にぶっちゃけるホビエ。アルマの中での印象は――変な奴だ。
だが同時に彼は知っている。戦場ではそう言う奴ほど厄介だと。
「アルマだ」
「んー、良い名だ」
アルマの名乗りに満足そうな笑みを浮かべて、ホビエは今度こそ構えた。
「いつでも、どこからでも来たまえ」
いかにもどこぞの達人が相手を誘う時にやりそうな、手のひらを空に向けてやる、あの指くいくいをホビエはやった。
「じゃ、遠慮なく」
アルマは挑発じみたそれに素直に応え、先手を打つことにした。
ホビエの言葉が嘘か否かなど関係無い。敵は倒す、それだけだ。
「――落ちろ」
呟くように口ずさんだその言葉を、ホビエの耳は微かに捉えた直後、全身が急に重くなった。
「おっ、これは!」
「そのまま潰れろ」
アルマの特有魔法は重力を操る魔法。
ホビエが感じる重さは、彼の重力魔法によるものと言うわけだ。
徐々に重力は強さを増し、体は確実に重くなって立っているのもままならなくなる。
「でも、この程度じゃ俺はやられないな」
……常人ならば、の話だが。
ーーーーーーー
ホビエは強力な特有魔法を使うことはできない。彼の特有魔法は発現していないからだ。
これからどうなるかはわからない。
彼の家系は代々一つの特有魔法を親から子へと遺伝のように受け継がれてきた。
彼も親から受け継ぐはずだったが、残念ながら特有魔法は発現しなかった。本来ならば産まれた時には使えるはずなのだが、彼は片鱗すら感じられなかったのだ。
原因は大体想像がついている。ホビエには双子の弟がいる。
家系的に双子が産まれた例は過去に無く、初めてのことだったらしい。
その結果は弟が特有魔法を受け継ぎ、兄のホビエは……。
弟は期待の眼差しで見られ、兄ではあるが特有魔法を使えないホビエは、次第に家族の輪からもはみ出るような扱いを受けるようになっていった。
実際問題、特有魔法を受け継ぐ家系ではこんなことは珍しくない。
憧れていた騎士団には、弟が先に入団した。
ホビエはおいてけぼりを食らった。毎日弟への悔しさが募る日々。
そんな最悪な日々を過ごしていく内に、彼はこう思うようになった。
――特有魔法が何だって言うんだ。そんなに特有魔法が大好きか。
このまま無意味な日々を過ごし、無意味に死ぬんだと諦めていた十八歳の時、彼に転機が訪れる。
魔力を持たない弱者と罵られ続けた者が、“騎士王”になったと言う話を耳にしたのだ。
ホビエはいてもたってもいられず、家族に何も告げずに家を飛び出した。
未練など無い。あの家に自分の居場所はもう無いも同然なのだから。
「俺もいつか――」
希望を胸に宿して、天帝騎士団の扉を叩いた。
入団するのも覚悟していたほど難しくなく、憧れの存在――マリアンと出会うのに然して時間はかからなかった。
幸運にも手合わせする機会をもらい、文字通り全力で挑んだ。
結果は――完敗だった。手も足も出なかった。
まず動きが違いすぎるし、視野の広さも半端ない。
だが、手合わせしてわかった。魔力を一切感じない。つまり本当に魔法を使わず、身体能力だけで驚異的な強さをホビエに見せつけたのだ。
疑っていたわけではなかったが、やはり疑問に思うことはあったため、余計なことを考えていたと自分を戒めた。
「ホビエ・ホーデンス、と言ったね」
「はい!」
通路ですれ違った際に、まさかのマリアンから声をかけられた。加えて名前を覚えていてくれたのだから、感極まるには充分だったおかげで、返事の声が上ずったのは言うまでもない。
「貴様は何故、騎士になろうと思ったんだい?」
「そ、それは……あなたのように強くなりたくて」
嘘偽りなんて無い、素直な気持ちを答えたはずだった。
だが、マリアンはゆっくりと息を吐いてからホビエにこう告げた。
「半分、か。その言葉の本気度だよ。もう半分には別の理由がある。詮索するつもりはない。ただ、己の理想と、周りの期待が同じとは限らないものだ。故に、人は何をすべきかで悩むのだよ」
言葉が何も出なかった。失礼なのは百も承知なのに、返事することさえ叶わなかったのだ。
マリアンは、ホビエの本質を見抜いた上で言葉を選んだ。
一度の手合わせで見込みが無いと判断したからではない。むしろ逆だ。
道を見誤ることが無ければ、強くなると確信していたからこそだった。
頭が真っ白になっていたホビエは、最低限の礼儀として会釈をしてその場を後にした。
彼は自室に戻って、服装が乱れることも気にせずベッドにダイブした。程よく反発してくる感触が心地よい。
枕に顔を埋めて、マリアンの言葉を思い返す。
そして、これから自分が何をするべきなのか、何を目標とするのか。
答えを出すのに一晩を要した。
マリアンと再びすれ違った際に自分の決意を話した。
どんな返答が返ってくるのかとそわそわしていたら、マリアンはホビエに微笑みを返し、ただ一言だけ述べて歩みを進めた。
「――待っている」
涙が出そうになって、天井を向いたのを彼は、月日が経った今でも鮮明に覚えている。
――俺が次の騎士王になります。
答えは初めから決まっていたのかもしれない。でも、他の色々なしがらみが邪魔していたのだろう。
マリアンはそれを知ってか否か、彼に決心をさせたのだ。
ーーーーーーー
ホビエは重力に全身を重くさせられようと、焦らずに落ち着いて周りの状況を確認していた。
そして、重くなっているのは、自分の周囲だけだと気づく。
「魔法は……特有魔法だけではないのだよ」
特有魔法の発現などもうホビエには関係無い。彼には基本魔法があるのだから。
才能が無い。諦めろ。一族の面汚し。お前が騎士になることはできないと言われ続け、基本魔法を極めた男。
「改めて……」
天帝の十二士の中で唯一特有魔法が使えないにも関わらず、その実力は騎士王にも届くとさえ称される。
その者こそが彼、
「重複士――ホビエ・ホーデンス。俺はいずれ騎士王になる男だ!」
名乗った途端、先程までとは雰囲気が一気に変わった。
アルマも気づくほどだ。
同時に彼は目の前の能天気男の評価を改める。正直言ってすぐに終わると思っていたが、今は違う。
気を引き締めなければ――殺られる。
相手の実力を見定めた時、背中越しに何かの気配を感じた。
そこには火球が五、六個生成されていた。
しかし、アルマは後ろを向くことはない。向く必要が無いからだ。
火球はアルマの背中に容赦なく突進する、かと思われたが、実際は直前で地面に急降下して爆発、土煙を巻き上げた。
「結界か?」
目の前で起きた謎の現象にホビエは眉を潜める。
彼の恐るべきところは実力もさることながら、何よりも知識量であろう。
彼は既存の軽く千を越える数が存在する基本魔法の全てを熟知している。使い方はもちろん、対処方法までもだ。
だが、彼の頭の中に今起きた現象の原因となる基本魔法は存在しない。であれば特有魔法であることは間違いないことになる。
次は“どんな”魔法なのかだ。
全身が重い。風……ではない。服があまり揺れていないし、身体が脳に伝えるものは風が吹いている感触とは違う。
「強化」
魔法の範囲外に出ると、全身が羽のように軽く感じた。
ホビエはこれで一つの結論に至る。
突然の全身の重み。火球の急な落下。
――重力だ。
彼の推測は当たっていた。アルマの特有魔法は重力を操る魔法である。
手の内がわかれば対処のしようはあるとし、一気に距離を詰める。が、ホビエはアルマの手前一メートル辺りで足を止めた。
「足下はどうよ、アース・エッジ」
アルマの足下の地面が棘のように盛り上がる。
途端に後ろに飛び退くことで、串刺しにならずに済んだ。
「危ないな。もうバレたってことか。だけど、負ける気は無いんでね!」
アルマが片手を前に突き出すと、ホビエの体は何かに引っ張られるように後ろへと吹き飛んだ。
範囲魔法なのはホビエは見抜いており抜け出そうとするも、身体を捩っても全く止まる気配が無い。このままでは距離を取られてしまう。
「グランド・ウォール!」
地面が盛り上がり、四角形の壁が生成される。ホビエの体は勢い良くその壁にぶつかりダメージを食らうも、なんとか飛ばされるのを阻止することに成功した。
だが、同時に隙が生じてしまっていた。
「拘束重力」
全身が縄で縛られたような感覚に襲われ、ホビエは身動きが取れなくなる。しまった、と心の中で呟いた。
顔にも出てしまっているのを、残念ながら本人は気づいていない。
「あらら、捕まってしまったか」
「最初から負ける気だったんでしょ? 攻撃に殺気が全く無かった」
「ありゃあ、バレてたか。命令なんでね」
アルマの追求に、いたずらがバレた子どものような表情を見せる。
しかし、下手すれば殺されるかもしれないと言うのに、焦った様子どころか、妙に落ち着いていた。
「なんでそんなに落ち着いているんだ?」
「む。焦る必要が無いからだが、焦った方が良いか?」
「いや、それこそ必要無い。欲しいのは情報だ。帝王の目的は何だ?」
表情だけではなく、雰囲気までもコロコロと変わるホビエ。続ければ彼のペースに呑まれてしまうとし、アルマは話題を変えた。
訊かれたくないことだったのだろう。わかりやすく目を逸らした。
「教えるわけないだろ。話すくらいだったら、こっから逃げ出すね」
それが口から出たでまかせではないことくらい、アルマは彼の実力を認めていた。
故にこうもあっさりと捕まったことに疑問を持つ。やろうと思えば、まだ戦えただろうに。
さらに付け加えれば、同盟にではなく、自分たちヴィストルティに捕まることを選んだのも謎だ。
考えても仕方ないと首を横に振った。
「悪いが話はここまでだ。あんたには――」
「じゃあ俺も逃げるとしよう」
アルマの言葉を遮ってホビエは不敵な笑みを浮かべる。
逃げる気だ、と瞬時に拘束していた重力の威力を強めるも時既に遅し。ホビエは上空に飛んだ。
唯一重力の影響が弱い部分を見つけ、そこを狙って抜け出したわけだ。言葉にするのは簡単だが、実際はこんな短時間でできるものではない。
ホビエの実力の高さをアルマに知らしめるには充分だと言えよう。
さすがと褒めてしまいそうなほどの逃げ足の速さ、まさに脱兎の如く。アルマが対応しようとした時には、充分すぎる距離を取っていた。
「……やられた」
逃げられたことにため息をつきつつも、自分も指示された所定の位置に向かわなければならないことを思い出す。
両手で両の頬をパチンと叩いて気を取り直し、移動を開始した。
ーーーーーーー
――アルマから逃げ延びたホビエは周囲の状況を確認し、敵がいないことがわかると安堵の息を漏らす。
だがそれも束の間。肌に刺さるような殺気を感じてすぐさま構えた。
「誰だ」
「さあね。俺自身もわからんよ」
位置は把握した。いつ仕掛けてきても対処できるようにするホビエ。
現実とは不条理なことで溢れている。
誰かが言った言葉が、具現化された。
「こ……これ、は……かはっ」
全力で警戒していたはずなのに、胸を今貫いているものがいつ刺さったのかがわからなかった。まるで初めからそこにあったかのように、気づいたらあったのだ。
「ミツ、キかっ。お前、なん、の……つもりだ!」
「あんたはもういらないんだ。いらないものは、ちゃんと“処理”しなくちゃ」
「いったい、誰のめ……い――」
首から上が、下の部分と離れて宙を舞ったことにより、言葉は遮られた。
それがミツキと呼ばれた青年の足元に転がって、当たる直前で止まった。
彼は視線を落として、もう二度と言葉を発することの無いそれを無表情で見下ろしてこう言った。
「騎士王になれなくて残念だったね。まぁどうせ、俺が殺さなくてもあんたはハクアに殺されてたんだし、早めに楽になれたんだから感謝してほしいな」
言い終えてから目を閉じてため息をつく。
手を開いたり閉じたりしつつ、深呼吸を繰り返した。
「せっかくあともう少しだったのに。早く行かなくちゃ。そうしないと――死んでしまう」
顔は深く被ったフードのせいで良く見えず、声でようやく青年くらいだと判断できる。輪郭だけだが、少し痩せているようにも見えた。
何を根拠にかは不明だが、意味深なことを口にし、ミツキは陽炎のように消え去った。




