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ふたつの鼓動  作者: 入山 瑠衣
第八章 天帝の十二士
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八十五回目『なんて言えばいい?』

「……団長?」


 レイディアが呼ばれた気がした方を向くも、そこには誰もいなかった。


「(参謀、報告があります)」


「……なん、だと……」


 前線への指示を行っていた最中に、アイバルテイクの部隊から送られてきたのは、信じ難い報告だった。


 ――アイバルテイク団長が、団長が……何者かによって、殺されました。


「知らない。私はこんな未来、知らないぞ!」


 突然の怒鳴りに、周りにいた者たちは肩をビクつかせる。何しろ、普段のレイディアは常に落ち着いていて、冷静すぎて逆に恐いとさえ思えるくらいだ。


 そんな彼が声を上げたのだから、驚かない方がおかしい。


「……すまない、驚かせたな。落ち着いて聞いてくれ。知っている者もいるかもしれんが――アイバルテイク団長が死んだ」


 何人かの息を飲む音がレイディアの耳に届く。中には口元を手で押さえる者もいた。


 できることならレイディアだって涙を流したい。だが、ここで彼が崩れてしまっては、同盟勢力全体に影響が出る可能性がある。


 故に悲しくても、辛くても、彼は下を向かなかった。

 模範として誰よりも先に、前に進むのだ。


「我々が今行っているのは戦争だ。人が死なない方がおかしい」


「ですが参謀――」


「だが、何者かは必ず突き止めてやる。そしてこの私が引導を渡す。それには皆の協力が必要だ、やってくれるか?」


 意見しようとした一人の言葉を遮り、堂々と宣言して見せた。

 レイディアの言葉に、反対する者など一人もいなかった。


 感謝を述べ、前線や各部隊への指示出しを再開する。合間に手掛かりになりそうなことが無いか、調べる同時進行。


 更に、魔力の限界を訴える者も何名か出始める。が、当初の予定通りレイディアがすぐに魔力を分け与えることで事なきを得た。


「まだ先は長い! 気力で負けるな!」


「「はい!!!」」


 しかし、彼自身も作業の進行速度は落ち始めていた。最初に最高位の結界魔法使用、次に味方への指示出しに連絡対応、更には魔力供給まで。


 体がいくつあっても足りないとはまさにこのこと。それを戦争開始から一時間以上も続けていれば、しわ寄せがくるのは当然だ。


 正直、本人もここまでハードだとは思っていなかった。予想外の事態が多すぎる。

 そのために自身がここにいると言っても、潮時が近いと判断せざるを得ない状況へと移行していた。


 エクシオル騎士団長アイバルテイク・マクトレイユを失ったのは大きい。ただでさえ帝国が相手だと言うのに、これでは士気が下がる一方だ。


 まだもう少しだと考えていたが、決断しなければならないのかもしれない。


 戦況を整理しながら、今後の流れを予測する。



 先のことに目を向けつつ、やはり疑問に思うのはアイバルテイクを殺した者の正体。

 レイディアは彼と何度も戦ったことがあるからこそ、実力を充分に理解している。故に、生半可な敵に倒されるはずがない。ましてや殺されることなど、あるはずがないのだ。


 ならば、アイバルテイク以上の実力者になるか。それにしても部隊の全員が気づかないはずがない。危なくなれば、いくらアイバルテイクに怒られるとしても介入しただろう。


 考えるまでもないのだが、事実は“いつの間にか”殺られていた。


「ん、待てよ。なぜいつの間にか殺られていたことを知っているんだ? 死体は無く、地面に血や戦闘の跡が残っていただけと言っていた」


 掘り下げていくと矛盾じみたものがいくつかあることにレイディアは辿り着く。明らかにおかしいと思うのだ。


 洗脳、記憶操作、幻影など様々な可能性を当てはめてみる。


 アイバルテイクが生きているかもしれない、そんな希望が彼の頭を過るもすぐに首を横に振って否定した。喜ぶのは実際にこの目で確認してからだと。


「やはり……」


 実際に自らの足で赴かなければならないようだ。事実がどうであれ、見過ごせる事態でも、誰かに任せられる案件でもなかった。


 レイディアは頭を抱えた。できればやりたくなかったとため息をつく。


 三十秒ほど迷いに迷って、苦肉にも結局頼ることにした。


「(――アルフォンス、用件はわかるな)」


「(うん、わかるよ。でも……本当に良いの?)」


 聞き返された理由など考えるまでもない。


 アルフォンスを、つまり村の住人を、戦争に参加させて良いのかと言うことだ。

 私はこの戦争にはできれば彼らを巻き込みたくないとして、「村から絶対に出るな」ときつく言いつけてきた。

 なぜなら――レイディアが行くなら俺たちだって、と嬉しいことを言いやがるからだ。


 村には結界を張り、さらにアリアにも手伝ってもらったため、世界で一番の安全地帯となっていることだろう。


 何の不思議はない――守るためだ。


 命の奪い合いなどと言う行いが、当たり前のように成立してしまう場所に、もう二度と連れてきたくなかったからだ。


 だと言うのに、私は結局、頼ることしかできない。


 事前にアルフォンス自身には伝えていた。

 私が連絡する時は――頼ってしまう、と。


 何が悔しいかって、笑顔であやつは言いやがった。


 ――これで少しは返せるかな?


 与えてもらってるのは私の方だと言うのに、奴らはそんなこと微塵も思っていない。

 私が口でいくら言っても、逆に怒られてしまう。まったく、本末転倒とはまさにこの事だ。なんて悪態をつきつつも、微笑んでしまう私も共犯と言えよう。


 だからこういう時、私はあやつらができるだけ満足するような答えで返すことにした。


「(ああ、全力で頼るぞ、アルフォンス)」


「(……うん、全力で応えるよ!)」


 実際は言ってないってのに、ありがとうと感謝されたような気がした。

 駄目だ、慢心しているのだろうか。このままではミスしてしまうな、気持ちを切り替えなければ……。



 ――アルフォンス・D・オーディン。

 アイバルテイク団長が天才と認めた少年。私も全面的に同意する。

 アルフォンスならいずれ、私を越える実力者になるだろう。確信していると言っても良い。

 半ばずるをした私とは違い、真面目に稽古して鍛え、日に日に力をつけて強くなっている。


 その速度は驚異的な成長だと称されたミカヅキよりも速い。ならば“何的な”と例えるべきか。個人的にはそこの言い回しが気になるところだ。


 無駄なことはさせないつもりだ。今後に活かせないようなことをさせても、骨折り損のくたびれ儲けだ。私がそんなことをさせるわけにはいかない。

 故に、今から託すのは、アルフォンスの役に立つと判断したことだ。


 まぁ、正直な話、活かすか否かは本人次第だけどな。


 直接言うことは無い。が、私は期待しているのだろう。

 アルフォンスが私に代わる、皆を支えることができる者となることを、少なからず望んでしまっているのだ。


 本人からすれば、はた迷惑な話だろうが……。

 力を持つ者は、その力に対して、否応なしに責任を果たさなければならないのだ。最終的にどうなるかなんて、この私とてわからないが、せめてまだ生きている内に道を見せてやることくらいは可能だ。


 いや、違うな。逆に私にはこの程度のことしかできないんだ。


 なんて、否定的な自分に抗うためにも、私は真実を解き明かしてやろうじゃないか。

 アイバルテイク団長を誰が殺したか。何者であろうと、私が……。



 程なくしてアルフォンスが作戦本部に到着した。

 皆に私の代役をアルフォンスが担当すると伝えた。すると当然、最初は驚いたが、そこはさすがは我がレイディア村きっての人気者。すぐに彼ならばと快く受け入れてくれた。


 こっそりと胸を撫で下ろして安堵する。

 拒まれたら、熱弁してでも納得させるつもりだったから、なんとか助かった。


 仲良く握手をしてから、私が先程までいた位置につき、同じように全体の情報処理、並びに指示出しを開始した。


「こりゃ、すげぇな」


 思わず感嘆の言葉を漏らす。


 私より処理速度が上だ。しかも一人一人相手に合わせた情報量で送り返している。今ようやく十秒経ったってのに、把握するの早すぎだろ。


 私は事前にここにいる者たちとは模擬練習をしていたが、アルフォンスは本番一発。


 ……もう追い越されてるかもな。


 少し心配だったので、ちょっとだけ様子見してから行こうと思っていたが、その必要は無かったようだ。


「ったく、やられたぜ」


 自慢の子たちだ、と一人誇らしげになりながら、私は皆に背中を向けた。




 ーーーーーーー




 作戦本部とアインガルドス帝国の中央地点。森と荒野の切れ目に位置するこの場所でも、既に戦闘は始まっていた。


「神王国に魂を売ったか、狼野郎!」


「はっ、笑わせんじゃねえ。俺が売ったのは未来ある少年にだ!」


「ガキに魂を売ったのか!? ハハハッ、こりゃあ笑いもんだなぁ!」


 ミカヅキを気に入り、彼の命令なら従うなどと破天荒なことを言ってのけたフェニクシド騎士団団長――ヴォルフガング・S・ベルセルクと武器を交えるは、天帝騎士団天帝の十二士(オリュンポスナイト)が一人、赤の槍者――ケイ・コーゼフ。


 互いに槍使いと言う、なんとも杞憂な組み合わせである。

 加えて、何度も槍をぶつけ合った仲でもある。いわば、好敵手と言えよう。


 十を軽く越える数を戦うと、一度たりとも決着がついていない。


 ここであったが百年目。こんなベタな台詞がお似合いの二人だ。


「ハッ、この程度か狼野郎!」


「赤毛野郎に言われたかねえ!」


 そして、この二人は見事なまでに今一会話が成り立たない。


 レイディアに言わせれば、脳みそすら筋肉でできているのだろう……二人とも。


 しかし言っていることは馬鹿馬鹿しいとまで思えてしまうが、その実、戦闘に関してはそこらの猛者にも引けを取らないほどの槍の使い手。


 槍の攻撃は、突き、払いの二つが主だった手段だ。と言うか、それしかできないと言っても過言ではない。だが、だから扱いが簡単かと問われれば、使ったことがあるものなら真っ先に否定しよう。


 剣よりも単純な稼働範囲は広いが、攻撃可能範囲は狭い。


 槍は先端部分しか刃はついていないのだ。これはつまり、そこを敵に利用される可能性が高いことを意味する。

 最悪の場合、素人なら武器を奪われてしまうことさえあるだろう。

 そうなれば敗北は遠慮なく近づいてくる。


 そんな難儀な武器を、彼らは好き好んで使っているのだ。


「今日こそ殺してやるよっ、裏切り者が!」


「俺は裏切ってなんかいねぇ」


 武器の名が知れ渡ることは多々ある。だが、使い手の名が知れ渡るのは、数少ない。


 では彼らの名はどうか――言うまでもあるまい。


 となると、もはや同時に、“武器()に選ばれた”とも言えるのかもしれない。


「お前だってあいつと戦えばわかるさ! どれだけあいつが可能性を秘めてるかってな!」


「じゃあ、てめぇはそいつに夢を託した(・・・・・)ってか?」


 火花を散らしながら槍と槍が激しく交錯する。

 一歩間違えれば致命傷になりかねない。

 長い武器を相手にする時、注意しなければならない箇所はその長さに比例する。


 互いの武器が同じ槍ならなおのこと。一瞬の隙に体を貫かれる。

 傷は新たな隙を生み、新たな傷に繋がる。


「託した……ああ、そうだ。俺は託したんだ」


「俺様とてめぇが目指したもんは、易々と他人に譲っていいもんなのかよ!」


 怒りを交えたためか、先程までより強めの攻撃を仕掛けてくるケイ。ただ、怒りに任せてのものではなかった。なぜなら強さもそうだが、正確さも比例して上がっていたからだ。


 ヴォルフとてやられっぱなしなわけがない。防御に徹していると思いきや、何度かフェイントを繰り出す。


 やはり防がれてしまうのは、お互いの実力が拮抗している証拠だろう。


「簡単なわけねぇだろ。他の誰でもねぇ、あいつだから、ミカヅキだから託せたんだ。俺たちがあの日目指した――」


「つまりてめぇは諦めたってことだ。投げ出したってことじゃねえか! 所詮てめぇの覚悟なんてそんなもんだ。昔から何も変わらねぇよ、そうやって逃げることしかしねぇじゃねえか!」


「確かに俺は逃げてばかりだった。あの時から、ほとんど変わってないかもしれない。けどなっ、今ならわかるんだ。フィーネが本当に望んでた世界は、今の俺たちじゃ……もう!」


「黙れえ!! 約束を見捨てた奴が、気安くフィーネの名前を呼んでんじゃねえ!!」


 過ぎ去ったあの日を、足掻くことを始めた日を、二人は思い出していた。

 互いに一つの夢を追い、二つの道を歩むことを選んだ……日を。




 ーーーーーーー




 彼ら二人はもともと、マーテル村と呼ばれた何処の国にも属さない、人口三十人程度の小さな村の出身だ。


 世界の各地でいざこざが起こる中、比較的平和だったこの村で、戦いとは無縁の環境で彼らは育った。いや、彼らともう一人と言うべきだろう。


 ヴォルフ、ケイ、そしてフィーネ。


 三人は村で唯一の子どもであったため、仲良くなることは必然のようだった。笑ったり、怒ったり、悲しんだり、泣いたり、いつも一緒で、何回も喧嘩して、その数だけ仲直りをした。


 ある日、ヴォルフが言った。


「村の外では戦争ってのがあちこちで起きてて、人がたくさん死んでるんだ。だから俺たちも、いつ戦争に巻き込まれても言いように、特訓しようぜ!」


「はん、良いぜ。俺様が一番強くなってやる」


「じゃあわたしは、そんな二人のお世話するね」


 物事の始まりはいつもヴォルフで、ケイが賛同して、フィーネが盛り上がる二人に自分なりの方法でついてくる。

 これが三人のお決まりの日常みたいなものだった。


 ヴォルフのこの提案で、特訓の日々が始まった。と言っても、まだ十歳にも満たない、魔法も使えない子どもができることなんてたかが知れている。


 そんな子どもたちである彼らが、剣なんて立派なものを用意できるはずもなく、仕方なく近くの森で拾える木の棒でちゃんばらのようなことをする。

 フィーネがそんな二人を見守る。


 次第にこれが、彼らの日常になっていった。



 村の大人たちは、将来が楽しみだと微笑ましいと言わんばかりに穏やかな目をしていた。だが、ヴォルフとケイにとって、そんな大人たちの目は、やけに腹立たしく思えた。


「――村のみんなは俺様たちのことを笑ってやがるんだ」


「そんなことないだろ。なぁ、フィーネ」


「そうよ、ケイ。みんな応援してくれてるじゃない」


 ケイの苛立ちは日が経つにつれて、目に見えて表立ってくるようになった。



 そんなある日のこと、ヴォルフが誤ってケイの肩を棒で突き刺してしまう。


「っつ!」


「大丈夫か!」


「ケイ!」


 ケイはその場に倒れ、痛みに悶えている。どうすることもできずに立ち竦むヴォルフ。だが、フィーネだけは違った。


「大丈夫だよ、ケイ。こんな時のために、わたしは回復魔法を勉強してたんだから」


 フィーネは真剣な面持ちでそう言って、ケイの傷口に両手を翳して詠唱をした。すると両手と傷口が淡い緑色の温かい光に包まれる。

 ゆっくりとだが、傷口が塞がっていく。大きな傷だったからか、術者が未熟だったからかは定かではないが、完全に治癒するまでには時間を要した。


「ふーっ、これで大丈夫だよ」


「すげぇ、痛みが無くなった」


「ケイ、ごめんよ、俺のせいで」


 いつもと違う雰囲気のヴォルフ。そんなしおらしい彼の姿は、ケイのいたずら心をくすぐってしまった。ニヤリと彼の口角が上がったのに気づいたのはフィーネだけだ。


「すごーく、痛かったなー。ほんと、フィーネがいなかったらどうなってたかー」


 明らかな棒読みなのに、ヴォルフは相当気にしてるようで、謝罪を繰り返した。が、我慢しきれなくなったケイがついに吹き出した。


「フッ……ハハハハハハッ。そろそろ気づけよな、ったく」


「気づけ……まさかケイ、お前!」


「ヴォルフったら。でも、ケイもからかいすぎよ」


 三人で久しぶりに笑えた気がした。



 その後も何度か怪我して、フィーネに「もう……」と言われながら治療してもらっていたら、空が夕焼け色に染まり始める。


 今まではお互いに遠慮して、怪我なんてしたことがなかった。ケイの怪我は事故だったが、これをきっかけに変な遠慮が無くなった。


「ねぇ、ヴォルフとケイは、将来はどうするの?」


 男子二人は地面に大の字に転がり、女の子のフィーネだけが行儀よく座っている構図。


 突然の未来の話に、唸りながら悩む男子勢。


 フィーネは二人の答えを待たずして話を続けた。


「わたしはね、この村みたいに、世界中を平和にしたい。こんな風に、二人とずっと笑っていられるような世界にしたいんだ」


 将来と言う漠然としたものとして捉えていたヴォルフとケイ。

 この時の彼らには、フィーネが自分たちより少しだけ大人びて見えた。


 はっきりとした夢なんて持ってなかった。戦えるようになるために特訓をしてきたが、何のためにかは決めてなかったのだ。


 だからフィーネのフィーネらしい将来を聞いて二人は……。


「なぁ、ケイ」


「んだよ、ヴォルフ。……はあー、同じこと考えてんな?」


「なになに?」


 目を合わせてため息をつく二人に、フィーネは頭の上に疑問符を浮かべた。


 どちらからだったかなんて関係無い。ほぼ同時に頷いて、起き上がって二人でフィーネの方に体を向けた。

 フィーネは急に真剣な表情で自分の方を向くものだから、少しだけ驚いて身構えた。


「な、なに……二人ともどうしたの?」


「俺たちも」


「俺様たちも、フィーネの夢に協力するって話」


「へ?」


 堂々言い放った言葉に対しての返答は、なんとも間の抜けたものだった。見事にズコッとずっこけてしまうほどに。


 ほんと、フィーネらしいなと思う二人。


「俺たちはフィーネとフィーネの夢を守るために戦う」


「そうだぜ。俺様たち三人は、いつまでも一緒だ」


 ケイが拳を前に突き出す。

 続いてヴォルフが自分の拳を突き出す。

 そして、ようやく意味を理解したのか、フィーネがほろほろと目から涙を流しながら、でも笑顔で二人と同じように拳を出した。


 三人の夢は、一つになった瞬間だった。



 ――悲劇は音も無く、だが確実に近づいていた。


 約束の日から丁度一週間経った日の夕暮れに、奴らはやって来た。


 ――誰かが言った。


「――平和は人を駄目にする」


 この言葉の通り、平和と言える日常を送っていたマーテル村の住人には、盗賊の相手などできなかった。


 まさにそれは一方的で、抗うことなど無駄なことに過ぎなかった。赤子の手を捻るように簡単に村と村人は蹂躙され、抵抗した大人は見せしめに殺され、女は弄ばれ、子どもは奴隷のように物として扱われた。


 ヴォルフとケイとフィーネはなんとか森の中に逃げることができた。が、大人の脚力に子どもが敵う訳もなく、すぐに追い付かれて動けなくなるまで男子二人は殴られ、フィーネは……。


 ケイは叫んだ。何度殴られても蹴られても、血が口から吐き出されても、叫んだ。


 やめろ。許さない。やめろ。やめろ。許さない。やめろ。――殺してやる。


 そして――ケイはついに気を失った。



 ――意識を取り戻して、目を開いて見たものは……。


「うっ、うげえぇぇぇ……」


 人だったもの(・・・・・)がそこら中にバラバラに転がっていた。

 産まれて初めて見たあまりにもグロテスクなものに、胃の中身が外へ我先にと飛び出した。


 一通り出した後に顔を上げると、そこには見覚えのある背中が見えた。


「ヴォ、ルフ……なのか?」


 聞こえたのは返事ではなく、静かにすすり泣く声。

 全身の痛みを堪えながら、ゆっくりとヴォルフのもとへと近寄った。


 恐らく骨が折れているのだろう。痛みを我慢しても、体の一部は思うように動いてくれなかった。


 時間をかけて、ようやくヴォルフのもとにたどり着いた彼は――思考が停止した。


「……っ、ぁ……ぁ」


 肩を僅かに揺らして、小さな声ですすり泣くヴォルフ。彼は、フィーネを抱き抱えていた。力なく項垂れるその体を抱き抱えて、小さな滴を一滴、また一滴と地面に落としていた。


 何があったかなんてわからない。でもこれだけはわかる。


 フィーネが――死んだ。


「――」


 口から放たれたそれは、もはや咆哮だった。


 ずっと一緒だと、一緒にいて守ると、一緒に夢を叶えると約束したばかりじゃないか。なのに何してんだよ。まだ夢は叶えてない。始まってすらないんだぞ。


 誰に言っているのかもわからない言葉が次々と頭を過る。いや、誰に言っているかなんてわかりきってる。もう届かないんだって理解しているんだ。


 ただ、納得できないだけで、したくないだけで、認めたくないだけで、わかっているんだ。


 いつの間にか降りだしていた雨が顔を、体を、地面を濡らす。


「――俺様はフィーネの夢を叶える。何をしても、誰かを殺してでも、必ず叶えて見せる」


「そんなこと、フィーネは望まない。フィーネが望んだのは“平和な世界”だ。誰もが笑っていられるような世界だ。誰かを殺してまで……」


 ヴォルフは自分の首筋に、尖った何かが当てられていることに気づいた。


「言ったはずだ。何をしても、誰かを殺してでも(・・・・・)ってな」


「……」


 ヴォルフは何も言わなかった……言えなかった。


 背中越しに聞こえる足音は遠くなっていく。

 止めなくては、心の中ではそう思っていても、すぐにどうやって? と自分に問われる。


 方法なんて簡単だ。振り返って声をかければ良い。


 なんて声をかけるのか?


 なんて、声を……かければ……?



 ――この日、この時、二人の道は二つに分かれてしまった。

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