八十四回目『その身を動かすのは』
ロベル・リーツィエは十五年前、今はもう存在しないとある王国で“生を受けた”。
彼は人の母体の中で成長し、産まれ出でた訳ではない。
一般的に赤ん坊と呼ばれるまでの全ての肯定を、ガラス張りの筒の中で液体に身を包みながら済ませた。
言うなれば、人工的に造られた人間なのである。
ロベルが始めてではない。
彼の王国では日常的にそんな非人道的とも言える行為が行われていた。何を隠そう、レイディアが滅ぼした王国で王族の数名以外は、人造人間であった。
科学ではなく、魔法が発達したこの世界で、それは信じ難い事実だった。しかし、人間を造るなど、人の身に許されたものではなかった。
原因は未だにわからないが、人体、または精神に異常を来す者が日に日に増していったのだ。
そして、情報を外に漏らさないために王国の外壁に張っていた結界を破り、数名の騎士が国外に出ていった。もう見つからないと思われたが数日後には王国に戻り、以前と変わらぬ普段通りの生活を送った。だが、その者たちはなぜか帰ってきてから満足気な表情をし続けていた。
やがて、その時は来た。ロベルが生まれて十二年の時が経った頃だ。彼は王の息子と仲が良く、特別に国外に遊びに出ていた。
彼らが優雅に楽しんでいる頃、王国の民である人造人間たちが一斉に異常を起こしたのである。
今までの抑えてきたものを発散させるかのように、破壊と蹂躙をし始めた。そこに広がっていた光景は、まさに地獄絵図と言えよう。
「――な、何なんだ、これは……!?」
復讐のために王国を襲撃する目的で訪れたレイディアは、目に見える酷く汚く、醜い有り様に絶句した。
見ていたらこちらまでもそれらの一部になってしまいそうな、おぞましい感覚に襲われるほど。
感情や欲求の暴走とでも言うのだろうか。
レイディアは、周囲で繰り広げられる事態を、言葉に表すことができなかった。
そしてレイディアは――王国内全ての人間を殺した。
彼の能力を持ってすれば、もっと他の方法があったのではないかと思えてくる。
だが実際は簡単な話ではなかった。レイディアもすぐさま情報を集め、救う方法を探したのだ。しかし決定的な打開策を見つけることは叶わなかった。
レイディアならば、ではない。
レイディアですら、他の手段を見出だせなかったのだ。
彼が王国の人間を一人残らず手にかけ、次に行ったのは国外に出ているであろう王国民。
どんな良識人に見えてもあのようになってしまう可能性がある以上、やるべきことは一つだけだ。
そんな彼に目の前で友だちを殺されるも、見逃された王国の唯一の生き残り。
それがロベル・リーツィエである。
レイディアが見逃した理由は、ロベルが暴走するまで猶予があったからだ。加えて、暴走しない可能性を秘めていたのも大きな決め手となった。
レイディアはあの会議でそう語った。
だからこそ一番適任であろうアイバルテイクに相手をさせたのだ。
僅かな可能性を――現実にするために。
失敗した時には責任を持って自分自身が殺すと決めている。
アイバルテイクにも伝えてある。「私がやらなければならないんだ」と哀愁に満ちた笑みを浮かべながら、レイディアはこう言ったのだ。
――できることなら私が心を強くさせてやりたい。生きる希望を持たせてやりたい。未来を望めるようにさせたい。
心の中で叫んでも、自身にはそれができないことだと悟っていた。いや、そんな資格は無いと、やるべきではないと決めつけていたのだ。
故に彼は自嘲する。
無力で、口ばかりで、何も掴むことすら叶わない自分自身を……嘲笑うのだった。
この真実をロベルは知らない。彼を成長させるために、あえて情報の開示を操作したと言うことはまだ……。
ーーーーーーー
「くっ、このままじゃ……!」
たった一つ。その為だけに生きてきた。
ぼくから全てを奪った、レイディア・オーディンを殺すために!
なのに、アイバルテイクを前にして、一つの疑問が浮かんだ。
――どうして、あんな殺戮者の味方をしているのだろうか?
だから訊いた。どうしてなのかと。答えは予想外のものだった。
わからない。わからなくなってきた。
ぼくは何をしている?
何のためにここにいる?
何で、戦っている?
言葉の一つ一つがぼくの心に直接触れてくる。こんな感覚初めてだった。
頭がおかしくなりそうだ。考えることがたくさんありすぎて、初めてのことが多すぎて、何をどうしたら良いのか。
次々と繰り出される攻撃を防ぎながら、答えを求め続けていた。
でもこのままじゃ、答えを出せずに突破される。
ぼくの『守護者』の唯一の弱点。それが防御する箇所を“意識しなければならない”こと。
完全に不意をつかれてしまったり、物凄い速さで動かれては発動できないことだ。その場合は全体防御を使えば良いが、魔力消費が激しいから、連続で使っていたらじり貧だ。
それに相手はぼくより確実に強い。
猛者たちを束ねる団長と言う立場に立っているだけのことはある。
一撃一撃が強力で、防ぐことができなかった瞬間に敗北する――死んでしまう。
「ぼくは……まだ、死ねない……」
「死を拒むか。ならばなぜ戦わんのだ? 守ってばかりで、誰を倒せると言うのか。そんな半端な覚悟で奴を倒そうなど、片腹痛いわ!」
「なっ、どうしてそれを……!」
情報を共有していたのか。あの惨劇を知っておきながら、なお、協力していると?
ぼくの目には、目の前のこの人がそれを許せるような悪人には見えない。
「復讐が悪いなどと否定するつもりは無い。だが……今の貴様では、奴に――レイディアには傷一つ付けれまい」
「そんなこと、やってみなくちゃわからないじゃないか!」
ありのままの気持ちを叫んだ。
そうだ、ぼくがあの男に負けるかどうかなんて――、
「貴様は賢い。わたしの前に未だ立っているのが証拠だ。故に、レイディアについて調べたはず。ならば、レイディアがどういう人物なのか……理解しているはずだ」
「……そんなっ」
「どんな思いで、どれほどの決意で、貴様の国の民を手にかけたのか」
拳を突き出しながら放たれた言葉は、ぼくの心を揺らがせる。
――記憶が蘇る。
突然、目の前で友だちの首をはねられた。
その時、特徴的な弧を描いた剣を突きつけてぼくに言った。
「貴様は絶望を知るだろう。我が名はレイディア・オーディン。その身に刻んでおくが良い。故に、貴様が何を成すのか……見せてもらおう」
言い終わると剣を鞘に収め、友だちを火の魔法で燃やして灰にしてから立ち去った。
何も残っていなかった。
悲しみが、怖さが涙となって止めどなく溢れ出た。
それでも何とか家に帰ろうと頑張った。
何とか王国に辿り着いたぼくが見たのは――地獄だった。
誰一人として生き残っていない。死体と、それから溢れ出た血で世界はほぼ一色に彩られていた。
ぼくは吐き気を催し、素直に従わざるを得なかった。
下を向いて込み上げてくるものを吐き出していたぼくに、話しかける声が一つ。
声の主を確めるために顔を上げると、そこにはぼくと同じくらいの年齢に見える男の子が立っていた。
彼は言った。
「これはレイディア・オーディンと言う男が行った虐殺だ。彼を殺せば、みなの無念も晴れよう」
ぼくの目的は、この時に決まった。
——レイディア・オーディンを殺すこと。
それだけのために、ぼくは“生きている”んだ。
本当に、本当にぼくは、レイディア・オーディンを……?
「わからない、わからない、わからないわからないわからないわからないわからないわからない、あああ、ああああ、あぁぁぁぁああああああぁあああああ!!!」
頭が痛い。割れてしまいそうな、今にでも砕け散ってしまいそうなほど痛い!
ぼくは——きみは……?
答えの出ない疑問を抱きながら、名前を呼ぶ声を聞きながら、ぼくの意識は暗闇に溶け込んでいった。
ーーーーーーー
落ち着いた雰囲気だったロベルが突然発狂じみた声を上げて頭を抱えながらその場に倒れた。
アイバルテイクはロベルの状態を確かめるために警戒しつつ近づいた。
「何が起きたのだ……?」
目は白目を向き、表情から相当な苦しみがあったことを感じ取れる。それが痛みなのか、感情に左右されるものなのかまではわかなかった。が、ロベルにとって想像を絶するものであったことに間違いないだろう。
アイバルテイクはこれは異常事態だと判断し、確認するためにレイディアに連絡しようとした——その時。
体が動かないことに気づく。指一本、眉一つすら言うことを聞かない。辛うじて眼だけは動いてくれた。
「——んん、こンなに早く壊れルなんて。いヤ、これハチガうな、壊れてナい」
倒れて意識の無いロベルの顔を覗き込む一人の少年。年齢は見た目からして十歳より少し上だろうか。髪は白く服装はアイバルテイクが見たことが無い不思議な白と黒色を織り交ぜた見た目のものだった。
そんな奇天烈な少年が、いつの間にかそこにいたのである。
誰だと問おうにも口も舌も喉も動かない。呼吸すらしているのか怪しいくらいだ。
だと言うのに、驚くほど意識だけははっきりしていた。体が無くなってしまったのかと勘違いしてしまいそうな、感じる全ての感覚が鮮明だった。何も見逃すな、そう誰かに言われているかの如く。
そんなことより、この少年はいつ、どこから現れたのか。今、最も考えるべき疑問が頭に浮かんだ。
音も気配も何も感じなかった。まるで初めから存在していたかのような、当たり前だとでも世界が言わんばかりに、唐突に少年を認識させた。
アイバルテイクが思考を必死に巡らせる中、幼い見た目には似合わない何者も寄せ付けない雰囲気を漂わせ、ロベルをおもちゃを見るように楽しそうに笑っている。
そして、あることが頭を過った。
——『魔神拳』が解除されている。
「フフフフフ、フフフフフフフフフフフッ、AHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!」
得体に知れない恐怖がアイバルテイクを襲った。この少年は危険だと理性よりもっと奥深く、本能が叫んでいる。――この場から直ちに逃げるべきだと。
しかし残念ながら、心では全力で願っても、体は何も反応してくれない。
体は既に死んで、意識だけが残留しているなどと突拍子もないことを考えてしまうほど、幾度も戦場を経験してきたアイバルテイクですら、これは予想外の状況だった。
「やはリ、きみは危険なソン在だ! もう充分過ギル程に準備は整った。だからもういらないね——レイディア・オーディン」
ならば意識を一点に集中させたら、どうなるのかと思いつき、少年に気づかれないように指先に全意識を向けて願う——動け!
すると願いが届いたのか、はたまた耳にした仲間の名前に反応してか、人差し指の第一関節の先がほんの少しだけ動いた。
完全に死角、故に少年に気づかれるはずが無い。
だが、現実は彼の考えの逆を突き付けた。
グルリ、音が聞こえてきそうなほどの勢いで少年の首が、通常ではまずあり得ない角度でアイバルテイクの方に向けられた。ここで初めて少年の顔を正面から間に当たりにし、衝撃を受けることになる。
少年の眼に本来ならばあるはずの白目の部分が無かった。決して眼球が無いわけではない、言うなれば黒いだけなのだ。
見るもの全てを飲み込むかの如く、二つの暗闇がそこにはあった。
「キミ、今、動イたネ?」
不自然な角度で向けられた首に合わせるために体の正面もアイバルテイクに向けられる。
顔が動かせるなら、相当奇異な眼差しで見てしまったことだろう。いや、そんな生易しいものじゃない。畏怖の感情を込めて、それに負けないように認めないように真剣な表情になっていたことだろう。
言葉にするならば相応しいものはすぐに浮かんだ。
——未知の存在。
今まで数多くの人が遭遇を夢見たことか。もし叶うのならば伝えよう。実際はこんなものだと。
ふわりと少年の体が音も無く浮き上がり、アイバルテイクに静かに迫ると、二つの暗闇は文字通り目の前で彼の眼を覗き込んだ。
「効いテない、違う。効キヅらいだけだ。原因は……これだ」
少年は意味の分からないことを呟きながら、アイバルテイクの右手首に視線を落とした。
そこには、彼が以前レイディアが日々の感謝にと渡された腕輪があった。話によると、魔除け効果があるらしく、アイバルテイク自身もデザインを気に入り、日頃から身に着けていたのだ。
魔除け効果は実際にあったのだな、と、この危機的状況で流暢なことを思った直後、右手の方から激しい衝突音と火花を交えた衝撃がアイバルテイクの全身を襲う。あまりの激しさにアイバルテイクは紙吹雪のように吹き飛ばされた。
そして何が起こったのか理解した時、彼は二つの感情を抱いた。
絶望と怒りだ。
だが、そんな彼の強き思いは、虚しくも意識と共に空前の灯の状態で消えかけていた。
しかし、そんな満身創痍なアイバルテイクに、少年は衝撃を受けることになる。
「これできみも……え?」
動けるはずが無かった。万に一つの可能性も、一縷の希望もあるはずが無い。
なのに少年はその二つの暗闇で現実を捉えていた。
邪魔な腕輪を破壊した衝撃に巻き込まれて、右手どころか、右肩までの右腕。さらに胸から腰にかけての右半身の一部を吹き飛ばされ、見るも無残な姿で生きているのがやっとのはずのアイバルテイクが立ち上がり、自分を睨みつけていると言う、あり得てはならない現実を突きつけられてのだ。
あまりにも信じられない事態に、浮きながら一歩後ろに下がった。
吹き飛んで内部が露呈した部分から外の世界との対面を喜ぶように溢れ出る温かいものなど気にも留めず、一歩、また一歩と、少年に歩みを進めるアイバルテイク。
今の彼には生き恥や謝罪などの感情は、一切存在しなかった。
彼の体を動かすはただ一つの約束。生意気な態度で振舞いながらも、相手のことをしっかりと考えれる心優しい男。まるで息子でもできたような感覚だった。
——貴様を倒すのはこの私だ。だから、私以外に負けることは、絶対に許さん。もし負けたら、団長だろうと関係無い。皆の前で全力ビンタしてやるからな。
やれるものなら、やってみろ。
百年早いわと笑い飛ばしたことを思い返していたら、不思議と身体に力が沸いた。
意識はほぼ無い。痛みも感じない。視界すらぼやけている。
だがそれでも、自分が進むべき方向、やるべきことは心も体も理解していたのだ。
「……」
「ハハッ、どうやらきみもいらないみたいだ」
言い終わると同時に、少年の眼と同じ暗闇が右手を飲み込んだと思ったのも束の間。すぐにそれは剣の様な形になり、有無を言わさぬ速さでアイバルテイクの胸を貫いた。
「君の行動は無意味だ」
「……それは、どうかな?」
心臓を的確に貫かれて体を冷たくしながら、アイバルテイクは笑った。レイディアと約束をした、あの時のように。
最後の力を振り絞り、彼の強い思いに体も応える――はずだった。
しかし、彼の最後の手段は、非常にも現実にならなかった。
「無意味なんだよ」
憎たらしさを感じる少年の言葉に絶望するかと思いきや、アイバルテイクの表情は揺らがない。
希望がその瞳から消えなかったのだ。
少年は笑みを崩すと、暗闇の剣はアイバルテイクの体を侵食して全身を覆った瞬間、彼の体は跡形もなく押し潰された。
「体を残すと厄介だから……くだらない」
少年の言葉は、暗闇に口元を覆われる直前にアイバルテイクが発した最後の言葉に向けたものだ。
「——」
少年は舌打ちをして現れた時と同様に、いつの間にかその場から姿を消していた。
——謎の少年の存在を、まだ誰も知らない。世界中の誰も、あのレイディアでさえ……知らないのだ。




