八十二回目『これで良い』
ついに全力を出してきたブラッツ。
対するは、そんなブラッツに恐怖を感じるミカヅキ。だが彼の心にはもう、逃げると言う選択肢は無い。
恐怖を感じようと、死ぬかもしれないとしても、今できる全力でことを成す。
「ふん」
ブラッツが手を前に翳して横に軽く振り払う。
ミカヅキは考えるより先に体が動いていた。その瞳には逆向きの五芒星が浮かび上がっている。
これは『知るは我が行く先』である。
『先を知る眼』より先の未来を知れ、防御優先でほぼ自動的に体が動くようにもなる。
使いようによっては攻撃に転ずることもできるが、本来の意図は文字通り防御用だ。
そしてミカヅキの判断は間違っておらず、背中越しに木々が倒れる音が聞こえた。
――体が真っ二つになるところだった。今のは、空気か?
まずはブラッツの特有魔法がどんなものか探ることに徹底することにした。
しかしそれはブラッツも承知の上。
一撃から二撃、次々と同じような攻撃を繰り返す。
棍棒も使い、なんとか防ぐものの、少しずつ体のあちこちに軽い切り傷が出来上がっていく。
「創造の力!」
ミカヅキも防御の合間に剣を造り出して、ブラッツに向かって放つが、
「無駄だ」
どういう仕掛けか全てブラッツに当たった瞬間に砕け散る。
苦汁をなめたような表情のミカヅキ。だが大体どんな能力かは察しがついてきた。
だから次の段階へと移行するべく、防御主体から攻撃主体へと切り替える。
「大地よ、我が呼び声に応えよ――グランド・スピア」
ミカヅキが詠唱すると、ブラッツの足下の地面が棘のように鋭く盛り上がる。
「俺には効かん」
地面を片足で一回踏んだ途端、鈍い音と共にクレーターが生成された。ミカヅキは自分の魔法が無力化されたことを理解する。
その後も様々な攻撃を用いるも、ことごとく防がれてしまう。
近づこうにも衝撃波のようなものが飛んできて、防ぐことで手一杯になる。その間に距離を取られてしまう、と言う鼬ごっこを繰り返していた。
それは同時に近づいてしまえば勝機はあることを意味する。
「何か、何かもう一手あれば……」
「終わりか? 良くここまで足掻いたものだ、褒めてやろう。だがこれで終わりだ」
次の攻撃が来るっ、そう思い構えるも攻撃は自分の左右の地面に落ちる。
狙いを間違えた? などと考えたのも束の間。
体が勝手に後ろに飛び退く。
直後、先ほどまでミカヅキがいた場所では、石や岩やらがぶつかり合う現象が起こった。
――地面に攻撃を当てたのはこれが狙いだったんだ。
なんとか避けることができて胸を撫で下ろしたが、攻撃はこれで終わりでは無かった。
「なっ」
前後左右、更には頭上、足下の地中から全方位からのほぼ同時攻撃。
防ぐには――
「創造の力――シールド展開!」
攻撃が来る方向に盾を造り出すことで防ぐことはできる。が、問題が一つあった。全方位からの攻撃を盾で防ぐのは良い。
しかし、それはつまり全方の視界を妨げることになるのだ。
視界の隅で、盾にヒビが入るのが見えた。体も自然にその方向から攻撃が来ると判断したのか、体の向きを変えて棍棒を構える。
だが、それが命取りとなった。
「――反十字界」
ミカヅキが背後に気配を感じた時には、既に魔法は発動されており、防ぐには間に合わないことなど言わずもがなだ。
彼の背中に十字の文字のようなものが空中に描かれる。しかしそれを目にすることはない。なぜなら一瞬にして十字から衝撃波のようなものが、空気が破裂した音と同時に放たれた。
ミカヅキは悟った。
――これを受ければ、僕は死ぬ。知っているよ、
「レイは負けないって!」
ミカヅキとブラッツの間には、いつの間にか形成されていた光の壁があった。
魔法をレイが防いでくれることを確信していたミカヅキと、防がれることを想定していなかったブラッツでは次の行動に移るのに若干のズレが生じた。もちろん、ミカヅキの方が“速い”と言う意味でだ。
創造の力で膝くらいの高さに足場を造り、ブラッツがいる後ろを振り返りながら足場を蹴って迷わず突進する。
棍棒を前に突き出す体勢になると、光の壁は消えてブラッツの姿を捉えるかと思いきや、そこには影も形も無い。
だが、ミカヅキは知っている。間違いなくそこにいると。
だから、動揺することも焦ることもない。自分の選び信じた道を突き進む。
「当たれぇぇぇえ!!」
見えていないはずの自分に迷うこと無く迫ってくる棍棒。防ごうにも動きが間に合わない。
完全な誤算だった。あのダメージでこんなに早くレイが意識を取り戻すとは。
それに今退治しているミカヅキは、レイが復活していることを知っていたように感じた。
故に防御すること無く、簡単に背後に立たせて攻撃をさせた。全てはこの一撃のために。
そして、一秒にも満たないはずの僅かな時間が、まるで数時間のように感じ、その中で一つの疑問を抱いた。
――どうして俺は、ここにいるのだろう?
答えは懐かしい声と共に導き出された。
「……ああ、そうだ。そうだよ。俺は……そうだったな」
確かにミカヅキの耳にも届いたその言葉。意味はわからなかった。
しかし意味はわからなくとも、意味があることはわかった。それがこの状況下で言うのには――。
「反世界」
ミカヅキは全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。それだけじゃない。寒い。耳がキーンとする。
このまま突っ込んではまずいと全身が叫んでいる。だが、ここで止めるわけにはいかなかった。
このチャンスを逃せば、もう隙は無いかもしれない。ならばここで終わらせる。
思い至ったら即行動。
身を翻して棍棒の軌道を真正面からの突撃から、側面からの振り払いに変更した。
ブラッツはゆっくりと視線を自分の右から迫る棍棒に向けつつ、左手はミカヅキの腹に向けられる。
ミカヅキは左手の指先がスッと下から上に上げられるのを視界に入れていた。
「――っ!」
結果的に棍棒が当たることは無く、ブラッツにダメージを与えることはできなかった。
ミカヅキの体は風に吹き飛ばされる木の葉の如く宙を舞い、投げられたボールのように勢い良く地面を転がった。
「……ぐ、いっ……かっあ、つぅ……」
視界が歪む。身体中が痛い。激痛だ。指すら動かすこともままならない。
――せっかくどんな能力かわかってきたのに、これじゃ無意味になってしまう。どうにかして立たなくちゃ、ここで食い止めなくちゃ、犠牲者が増えてしまう。
そう心ではわかっているのに、体は言うことを聞いてくれない。動こうとはしてくれない。
右腕の骨の一部が粉々になり、あばら骨すらほぼ全て折れ曲がり、肺や心臓に突き刺さっていないのが奇跡と言える。
彼はもう、戦える状態ではなくなった。証明するのは、その瞳に五芒星が消えてしまったことだろう。
「……世話が焼ける団員だ、見てらんないな。ここからはやっぱり、俺が変わるぞ」
左腕を押さえながらフラフラと立ち上がり、見栄を張っているのが丸見えのレイが声をかける。
自分と同じような重傷を負っているであろうレイが、諦めずに立ち上がろうとしている。なのに自分は指一本動かすことができない。
心にあるのは、何もできないことへの謝罪と悔しさ。込み上げるのはその二つ。
いや、もう一つあった。
「ま、だだっ。まだ、僕は……あき、らめて……いない!」
普段なら考えられないこと。出せる気力、体力の全力を振り絞って声を出す。
そしてミカヅキは、禁止されたことを――。
「発動――知るは我が行く先!」
みるみる傷が知らなかった段階に移行する。
ブラッツは回復する気だと判断し、阻止しようと行動するも、レイが攻撃することで邪魔された。
防ぎながらもミカヅキの方に目を向けると、レイの攻撃は止むと同時に、周りに四枚の鏡が造り出される。
ブラッツだからこそ、通用する心理戦に持ち込んだ。
鏡。それはブラッツにとって味方になるエインの魔法に用いられるもの。
つまりどんな効果をもたらすかは百も承知のはずだ。たとえ同じものでなくとも、何らかの効果があると考えてしまう。
故に彼が取る行動は限られる。
鏡を壊すか、その場を離れるか、はたまた――。
だが、ミカヅキはどちらかを選ばせる気など無い。
ブラッツの頭上、並びに鏡の隙間から光の剣が生成され、すぐさま放たれたのが見えた。
この段階で選択肢は絞られた。
「ふん!」
「――そうすると思ってた」
視界にその姿はどこにも無い。だが確かに声が聞こえた。と思った途端、ブラッツは腹に棒のようなものが、かなりの勢いで当たる感触を感じた。
そのまま棒は軽く腹に食い込みつつ、体を後ろの方へと投げ飛ばす。
しかし、もろに食らったわけではなく、棒が腹に食い込む途中で自分の特有魔法を使ってダメージを軽減させていた。
投げ飛ばされたとは思えない動きで空中で一回転して、軽やかに地面に着地する。それでもダメージが無かったわけではないようで、着地した直後に膝をついた。
「やってくれ――」
「レイ!」
まさにそれは一瞬の出来事だった。
ミカヅキが対応できないほど、その動きは正確で迷いなど微塵と感じなかった。
「悪いな、ミカヅキ。これは……団長としてのけじめだ」
「くっ……がはっ、そうだ、これが……戦争だ」
レイが自らの剣で、ブラッツを貫いたのだ。
ブラッツの特有魔法は、衝撃波を操る魔法だとミカヅキは判断し、レイもそれに同意した。
なぜならそう考えれば、魔法や物理攻撃などあらゆる攻撃が当たらなかったのも合点がいく。衝撃波を飛ばす、ではなく操るとしたのは、体に当たった瞬間に砕け散るミカヅキたちの武器だ。
あんな至近距離で衝撃波を飛ばそうものなら、術者もダメージを負いかねない。であれば細かく調節でき、なおかつ身に纏うように操れるとしたら、と考えたのである。
衝撃波で無い場合は、風かもしれないとも。
ミカヅキの棍棒ならどんな魔法であろうと、触れれば無効化することが可能。つまりその部分はすぐに修復はできない……となれば、攻撃を生身の体に届ける隙はそこしかない。
レイはミカヅキに最後の動きは伝えてなかった。故に驚きを見せたのである。
しかし不思議なのは、剣で貫かれてそれこそ激痛だろうに、ブラッツは笑みを浮かべていることだ。
「何を笑っている?」
「嬉しいからに、決まってるだろ? やっと俺は死ねるんだ」
「そう簡単に死なせるかよ。貴様は俺の仲間の命を奪った。その報いは受けてもらう」
「それは叶わない願いだ」
「なに?」
怒りの感情を垣間見せるレイ。その場に駆けつけたいと思いつつも、体が限界だと警告を出して膝をつくミカヅキ。
殺されかけていると言うのに、ご機嫌なブラッツと言う何とも不可思議な三人がこの場にいた。
「良いことを教えてやろう。お前が今抱くものこそ、誰もが持ちながらも抑えている感情。怒り、憎しみ、妬み、哀しみ。それらは神が俺たち人間に与えた素晴らしきもの。だからこそ、そんな素晴らしいものを引きずり出して体感させてやってる俺は、人間なんかより上位の存在――“天使”なんだよ!」
「何が天使だ! 人の命を弄ぶ者など、悪魔が相応しい!」
「クフフフッ、ハハハハハッ。お前の意見など知ったことか。第一、俺が言った感情を露にしているのは、悪魔と称された俺ではない――お前の方じゃないか!」
レイに手を翳し、まずいと判断した彼は剣を引き抜いて後ろへと飛び退く。悔しさに歯を食い縛りながら。
ミカヅキは目の前で繰り広げられようとしている――殺し合いを止めなければと思っていた。が、残念なことに体はそうではないらしい。
気を抜けば『知るは我が行く先』が解かれて、傷が復活して気を失うのは確定だ。
頭で理解していようと、体が応えてくれるかと言うと話は別だ。
既に越えてはならない限界を……越えてしまっているのだ。
「お前たちはやっぱ、幸せな奴ららしいな」
痛みは相当なものだろうに、途切れ途切れになろうと、ブラッツは話をやめようとはしなかった。
――僕は、聞かなければならないと思った。だから、レイに「話を聞こう」と伝えたのだ。
「甘い奴が。そうやって甘いから仲間を失うんだ。いずれ一番守りたいものすら失うんだよ。この腐った世界は、良い奴ほど早く殺す。どんなに足掻いたって、その事実は変えることができないんだ。だから俺は、この世界を壊してやりたいって思ったんだよ」
吐き捨てるように言ったその言葉は、ミカヅキの心に言葉にできない何かを与えた。だがこれだけは言える。負の感情に間違いないと。
「お前たちが戦う理由なんて知らねぇ、知りたくもねぇ……がはっ。はぁー、俺は……たとえ、世界に認められなくても、あいつがそう言ったんだ。俺は――“天使だ”って」
「たとえ、過去に何があろうと、貴様の行ったことは決して、天使のそれではない。故に、償わなければならない。貴様を憎む俺が認めなくとも、天使で在りたいと言うなら――証明してみろ。貴様が天使であると!」
最後は叫んでいるようにも思えた。それほど強い思い、伝えたかったことなのだろう。
「……ふっ」
初めてだった。
戦い始めて、何度か笑みを浮かべたことはあっても、こんな砕けた表情は見せたことは無かった。
それが何を意味するのかは、本人にしかわからない。
「俺は――誰にも負けない。だってよ、天使ってのは、勝利しかしちゃあダメだろ? なら俺も……負けるわけにはいかないな」
ゆっくりと手を心臓に当てて、目を閉じる。
ミカヅキはいち早くこの後の出来事を予測して動こうとし、辛うじて体が動くも、レイの手がそれを阻んだ――邪魔をしてはならない、と。
「でも!」
「奴が言ったはずだ。これが戦争だと。だから絶対に目を背けるな。それが生き残った者の宿命だ」
言い訳ばかりがミカヅキの頭を巡った。俯いたり、上を向いたり、首を振ったりと色んな動作、色んな表情を経て……ようやく深呼吸をすることができた。
その瞳は、しっかりとブラッツを捉えていた。
レイはそれを確認すると、自分も視線をミカヅキと同じ方へと移した。
「これで良いんだよ」
それはレイに向けられたものでも、ましてやミカヅキに向けられたものでもなかった。
遠い、もう二度と会うことができない、ブラッツに生きる意味を与え、同時に縛り付けてしまった人物に向けてだった。
――あなたは、私に光をくれた天使だったんだ。
ブラッツの耳には、そんな言葉が届けられた気がした。
次の瞬間、軽い衝撃と共に、ブラッツの胸に大きな穴が開いた。
その体は海に沈むように、じっくりと時間をかけながら地面へとぶつかり、だが音はしっかり立てながら赤いものを散らばらせた。
ブラッツは――自爆した。
他の誰でもない。自分で自分を殺したのだ。
二人は敵の最期を、しかとその眼に焼き付けた。
ーーーーーーー
淡い光を放ち、白く何も無い場所。
無数の小さな光の粒が宙を舞う、不思議な場所にブラッツはいた。
前を向くとそこには、何度もう一度会いたいと願ったかわからないほど、会いたかった人がいた。
「もう……遅いよ?」
頬を膨らませながら、不満そうにそんなことを言う。
「別に待ってなくても良かったのに」
だからこちらも素っ気なく返事してみる。
「何言ってるの? 案内するのも、天使の役目なんだよ」
俺の顔に自分の顔をスッと近づけて、これからの道を示してくれる。
「そう言うことか。良いぜ、天国も地獄でも、どこへだって連れてってやるよ」
どこへ行くかなんて関係無い。
「ごめんね。それに、ありがとう、私の――天使さん」
後悔なんて、もう俺には無い。だってこれからは――ずっと“一緒”だから。
二人はお互いの手をしっかりと握り、光の中へと一緒に消えていった。




