八十一回目『その瞳は』
レイディアに言われてレイのいる場所に急いで向かっている最中、僕の視界に入ったのは白く淡い光を放つ大きくてドーム状の何か。中は全然見えないみたいだ。
うわぁ、これはすごいな。
近づいてみると、それの大きさを改めて思い知らされる。
地面にめり込んだ巨大な卵が半分姿を出したような見た目。
「この中なのかな?」
パッと一周してみたけど入り口らしきところは無い。
触ったらバチっと静電気みたいなものが発生し、手が弾かれてしまった。
んー、どうしよう。
「迷ってる暇はないな。挑戦あるのみ!」
蹴ったり、砂をかけたり、『創造の力』で造った武器をぶつけたりしたみたけど、すごい頑丈で傷一つつかない。
これはたぶん結界だ。
でもこんな結界はレイディアから教わっていない。と言うことは、誰かが自分で造った、または手を加えた魔法になる。
結界に沿って地面を掘ってみたけど、地中にまで伸びている。つまりは本当に卵形なんだろう。
準備は……これくらいで良いか。
未だに僕の腕に在り続ける腕時計で時間を確認してから、
「さて、壊そ」
と呟いて棍棒を勢いよく振り払う。すると、棍棒とぶつかった途端、結界はものの見事に砕け散る――ことはなく、軌道に沿って穴が空くだけだった。
魔法の破壊ではなく、“無力化”なのだからこうなることは稽古で既に知っていた。
だから対処方法も考え済みだ!
避けるように穴が空いた部分に盾をはめ込んで、無理やり広げる。言わば力業だ。
「よし」
方法は荒くても中に入ることができた。できたのは良いけど、土煙で何も見えない。
これじゃレイどころか、敵の場所すらわからないじゃないか。
こんな中でレイは戦ってるの?
でも戦闘しているような音も気配も無い。
『先を知る眼』を発動させ、周囲を警戒しながら歩みを進める。
「……っ!」
後ろに敵がいる未来を知り、すぐに振り返ったがそこには誰もいない。
やっぱり変だ。
敵が確かにそこにいるはずなのに、見ることができない。幸い、敵も攻撃を仕掛けてくるつもりが無いらしい。
足音もしなければ気配も感じられないのに、未来のそこには確実に敵がいる。しかも一人だけ。
このままじゃ埒が明かないと判断して、僕は賭けに出ることに決めた。
「こんな結界なんか壊してやるっ――剣王大剣!」
上空に手を翳し、叫ぶように武器を呼ぶ。
この結界を――壊す!
と言う素振りを見せれば、何らかの動きがあるはず。
相手の特有魔法がどんなものかは未だにわからないけど、この結界内でしか使えない、または有効打にならない可能性がある。
たとえそれが間違っていても、結界を壊せば土煙は晴れる。
相手の動きは明らかに僕の位置を正確に把握しているもの。
なら、視界の不利が消えるならなんとかなる……かもしれないから!
来た。
僕の――正面!?
こういう時って普通背後からじゃないの!
なんて呑気にツッコんでる場合者なかった。
どこからだろうと受けて立つ。
姿が見えなくとも、
「ここだ!!」
そこに来ることがわかっていれば攻撃を当てられる。
棍棒での突き攻撃。
相手は咄嗟に持っていた武器で防ごうとする。そして、お互いの武器が衝突した瞬間、雷でも落ちたかと思うほどの轟音と、目に見えるほどの火花のような電気が周囲に飛び散った。
それと同時にぶつかった影響で衝撃波のようなものも発生して、僕と相手はお互いに後ろの方へと吹き飛んだ。
「うわああああぁぁぁあ!!」
地面をボールのように転がり、結界に強く当たったおかげで止まることができた。
でも全身が痛いと悲鳴を上げている。
わざわざそんなことしなくてもわかってるよ。
いったい、何が起きたんだ……?
相手も吹っ飛ばされたってことは、予期していなかったことなのかな。
棍棒を杖がわりに痛みに負けじと立ち上がると、周囲からパリッパリパリッとガラスにヒビが入るような音が聞こえた。と思った直後に特大のパリンッと言う音が辺りに響き、結界が砕け散った。
たぶん、さっきの衝撃波の影響だと思う。
あんなに頑丈な結界が壊れるほどの威力。
……死ななくて良かった。
胸を撫で下ろしながら安堵の吐息を漏らす。
結界の破壊、目的の一つは達成した。
けど、相手の人は大丈夫だろうか。僕が助かったように、無事だといい……なんてレイディアに言ったら「甘いな」って言われそうだな。
それにしてもお互いの武器がぶつかった時に、ほんの一瞬だけ相手の姿が見えた。体を覆っていた何かが剥がれているようだった。
さすがにこのタイミングで使おう。
あえて“知る”ことをしなかったのは、こういう不測の事態に備えてだった。
僕が今戦っていたのは何者なんだ?
「そん、な……」
相手の情報が知識として流れ込むように自分のものになる。
それは僕に衝撃を与えた。
――ブラッツ・ボーデンス。
天帝騎士団、天帝の十二士の一人で人形士と呼ばれている。
触れた生物を自分の意思で操る、文字通り操り人形にしてしまう特有魔法『人形劇』の使い手。
そして――奴隷だった過去を持つ。
それ以外にも知ることができたけど、ひとまずこれだけで充分だろう。にしても……奴隷だったなんて。
でもだからって――
「フーハハハハッ。なんだ、今のは?」
周囲に霧散して薄れていく土煙の中から、一人の男の人が息を思い切り吐き出すように笑いながら姿を現した。
この人が、ブラッツ・ボーデンス。
「どうしてあなたは、人を殺すんだ!」
「はっ、笑わせんじゃねえよガキが。戦争だからに決まってるだろうが! 殺らなきゃ殺られる、そんなこともわかんねぇのかよ」
髪を片手でかき上げながら、僕を睨み付けてさも当然だと言って見せる。
「殺さなくても何か別の良い方法があるはず。どうして殺すことに固執する!」
「お前は相当幸せな環境で育ったんだなぁ。なら、これでも同じことが言えるか?」
剣が向く先に視線を移すと、そこには気を失っているらしきレイの姿。
生きてる?
今は考えるな。助けるための方法を考えろ。
僕が考えている間にも、切っ先はレイに少しずつ近づいていく。
「さあ、大事な大事な仲間が死んじゃうぜ?」
意地汚い笑みを浮かべている。
この状況を楽しんでいるのか?
駄目だ、落ち着かなきゃ。心臓の鼓動が早くなっていくのがわかる。
怒っちゃ駄目だ。こういう時こそ冷静にならないと!
不意を突いて攻撃?
いや、さっきの原因不明の衝撃波が起こったらレイが危ない。
正面から突っ込む?
それより前にあの剣はレイの首を貫くだろう。
打つ手が……無い?
「良い顔するなぁ。絶望に打ちのめされていく顔だ。ハハハハッ、それもこれもお前が“弱い”からだ! お前が弱いから何も守れない。お前が弱いから何もかもを失うんだよ」
心底楽しそうに話す。でもその声は僕の耳にほとんど届かない。
そんな……僕は、守るために戦うって決めたじゃないか。どんなことがあろうと、大切な人たちのために戦うって。
でも、レイディアと約束したんだ。
誰も殺さない。誰も殺さずに勝つんだって。
――そんな約束、守る必要があるのか?
僕の中の誰かが問う。
当たり前じゃないか、大切な約束だ。
――真実を隠し、お前に嘘をつく奴との約束がか?
それでも良い。誰だって隠し事や話せないことはある。
――それがお前にとって、最悪な事実だとしても?
僕は信じる。仲間だから、託すって言われたから、僕が代わりに果たさなくちゃいけないんだ。
――愚かだな。
レイディアにも良く言われるよ。でもこれは譲れないことなんだ。
――ならば、進むが良い。己が選びし修羅の道を。
そうだ。
敵も、仲間も、誰も……誰も殺さない。
「……僕は、誰だろうと――死なせるわけにはいかないんだ!」
僕にはその力があるんだ!
棍棒を強く握りしめ、殺すべきではなく、倒すべき相手を見つめた。
ーーーーーーー
ブラッツは急にミカヅキの表情が変わったことを見逃さなかった。
何をする気だ、とその顔から笑みは消え、警戒心全開のものに変わる。
こいつは危険だと体が騒いでいる。しかし、彼には確かめなければならないことがあった。
これだけは誰にも譲れないものが、彼にもあるのだ。
「だが、その夢は叶わない!」
レイの首に剣を突き出す。
待つのは首から噴き出す返り血……のはずが、何かおかしい。
違和感を感じは刺した時に既に生じていた。
視線を下げると、レイの首に刺さっているはずの剣は、盾のような何かに阻まれていた。
――まずい!
すぐに自分が隙だらけだと気づき、ミカヅキに視線を戻すと、そこにあるはずの姿は無い。
周囲を見渡してもどこにもいない。
太陽が雲に隠れたのか、ブラッツの部分に影がかかった。
――違う!
本能が叫んだ――奴は上だと。
すぐに上を見上げると、棍棒を振り下ろされるまさにその直前だった。
万事休す、のはずなのにブラッツは焦っていなかった。逆にこれは好機とさえ思え、先ほどまでの笑みが再び姿を現した。
「丁度良い」
この時、ミカヅキはブラッツが自分の攻撃を防げず、棍棒が額に直撃する未来を知っていた。そう、知っていたのだ。未来はそうなるはずなのだ。
なのに現実は――違う光景をミカヅキに見せた。
棍棒が額に直撃することは無かった。
さらに完全に不意を突いたはずなのに、防御も避けることも間に合わないはずなのに、ミカヅキの攻撃は当たらなかった。
「何が……?」
当たった感覚がミカヅキの手に確かに伝わっていたのに、棍棒は地面にその先端部分をくっつけている。
頭がおかしくなりそうだ。
困惑に押し潰されそうになるが、首を降って雑念を振り払う。
今は戦闘に集中しろ、冷静に相手の情報を分析するんだ、と自分を奮起させてブラッツを見据える。
「今のではっきりした。それは『龍改棍イングリス』だな」
ブラッツがミカヅキの棍棒の正体に気づいた。
しかしそれは、逆を言えばミカヅキにも分があることを意味した。
なぜなら自分の身を危険に晒してまで確かめたかったものとなると、同時にそうする価値があるものとなる。つまりは正体がわかったとしても“警戒”しなければならないことには変わり無い。
まだミカヅキはブラッツが何をしたかはわからない。だが、自分が今手にしている棍棒がブラッツとの戦いの要になると判断できた。
――やっぱり、まだまだ支えられてばかりだ。
――龍改棍イングリス。
ミカヅキにとって、この世界で始めに戦い方を教えてくれた師匠であり、彼を守った人物ダイアン・バランティン――通称オヤジが現役騎士の頃に使っていた武器である。
現在はオヤジの弟子であるミカヅキが愛用している。
そして、注目すべきはその能力――棍棒が触れた魔法の無力化。
使いようによっては強力な能力故に、他国が驚異として、騎士団員には必ずと言って良いほど教えるほどの代物である。
対策のしようは至って簡単だ。
ただ触れなければ良いだけ。それに触れたものの魔法を無力化するため、レイやヴァンのように自分の体を魔力変換し、攻撃を避けたりができなくなる。
加えて本来なら持ち主は基本魔法、特有魔法と関係無く魔法自体が“使えなくなる”のが最大の欠点と言えよう。
しかし、それらは武器が“持ち主を認めなかった場合”に限る。逆に言えば認められれば、ミカヅキのように持ち主であろうと魔法を行使することが可能となるのだ。
これができたのはただ二人――オヤジとミカヅキだけである。
受け継がれるべくして受け継がれたと言うべきなのだろうか。
そして今。選ばれたが故にミカヅキは応えなくてはならない。
主と認めたイングリスに、何より命をかけて守ってくれた師匠の思いを裏切らないためにも。
ブラッツがイングリスを睨み付ける中、ミカヅキは驚くことに目を閉じて深呼吸していた。
「すぅー、ふぅー。僕は、ガルシア騎士団団員、ミカヅキ・ハヤミ。あなたの名前を聞きたい!」
深呼吸を終えると、警戒心全開のブラッツに対して名を名乗り、相手にもそれを求めた。
ミカヅキはブラッツの名前など当に知っている。だが、直接聞いたわけではなく、言わばずるをしたようなものだ。
だからこそ彼は、ちゃんと相手の口から聞きたかった。
真面目なのか、それとも余裕があるのか、はたまた……。
ブラッツは目線をミカヅキへと移す。そしてその瞳を見た時、彼の心に衝撃を与えた。
「――同じ、だと」
自分を地獄から救い出してくれた、あの女の子と同じ、綺麗な瞳がそこにはあった。
皮肉なものだと彼は鼻で笑った。
自分を救ってくれた人と同じ瞳をしている者を――殺さなくてはならないのか。
苦笑いを浮かべながらも、彼の口はいつの間にか勝手に動いていた。
「ブラッツ・ボーデンス。お前は今まで戦ってきた奴とは違う。それにお前たちに勝ち目は無い。特別に殺さずに生かしてやる……降伏しろ」
「生かされるのは、僕だけなんでしょ」
「お前だけは俺が特別になんとかしてやろう」
「それなら僕は退かない。僕だけ助かっても意味が無いんだ。みんなでまた、笑いながら話したいから」
瞳だけじゃない。揺るがない頑固なところも、ブラッツの記憶の中にいる女の子と変わらなかった。
だからこの問答で迷いは吹っ切れた。これで心置きなく目の前の敵を倒せる。
いや、こう言うべきだろう。
他の誰でもない。こいつを殺すのは――俺だ。
「ならばここで死んでもらおう」
言い終わるが先かブラッツの顔は、敵に向けるものになっていた。
ミカヅキもほぼ同時に構える。
そして、戦いはすぐに始まった。
「強化!」
先に動いたのはミカヅキ。肉体強化し、すぐさま距離を詰め棍棒を振り下ろす。
対してブラッツは今度は防ぐことはせず、何と棍棒を素手で掴んで止めた。
「これで動きは――」
「光よ」
自分の体で隠れるように造っておいた光の剣をブラッツにぶつける。これで終わり、になるはずもなく、光の剣はぶつかると同時に砕け散る。
それでもミカヅキは諦めていない。
右手で棍棒を掴んだまま、放した左手を後ろに引く。そのまま手の甲をブラッツに向けて突き出す。
何をするのか察したのか、ブラッツは棍棒を離して後ろへと下がった。
ミカヅキも追撃はせず、反撃に備えて武器を構え直した。
ほんの十秒にも満たない攻防で、ミカヅキの強さは大体把握した。
そして使うしか無いかと心の中で呟く。
「光栄に思うが良い。これを見ることができるのだから――開眼せよ」
「開眼だって!?」
「俺こそが『選びし者』だ」
開かれた瞳に刻まれるは十字の形の紋様。
言うまでもなく、今までとは明らかに違う雰囲気を帯びている。
ミカヅキが驚いたことはもう一つあった。
「未来が……わからない」
こんなことは今までになく初めてのことだった。
ブラッツが開眼した途端、未来を知れるはずの『先を知る眼』で、未来を知ることができなくなっていたのだ。
これはまずい状況など考えるまでもない。しかし彼はその場から動くことは無かった。
「この瞳を見せたのは、お前で二人目だ。全力で来いガキが……いや、騎士ハヤミよ。でなければ即死するだけだ」
今までとは違った笑みを浮かべるブラッツ。
その不思議な笑みを見据えている時、ミカヅキの頬を一滴の汗が流れ落ちた。
彼はあの時と同じように再び感じていたのだ――死の恐怖を。
棍棒を握る手に汗が滲むのが自分でもわかった。




