七十五回目『誰も知らない』
「――半年」
頭の中をこの言葉がぐるぐるとずっと回っていた。「うわぁー」と唸りながら髪をぐしゃぐしゃにしてみても、気が紛れることは無い。
「…………」
そんな姿をミーシャに見られて、初めてあんな冷たい目を向けられた。飼い犬に手を噛まれる、とはこんな状況を言うのだろうか。
ミーシャは飼い犬なんかじゃなくて、大事なパートナーだけどね。
思ったあとに恥ずかしくなって、一人で顔を赤くして、再びミーシャを困惑させた。
「大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
「い、いや、大丈夫、何でもない、うん。そのー、もう半年しか残って無いんだなーって思うと、なんか焦っちゃって」
苦笑する僕の言葉へ返ってきたのは、くすっと言う小さな笑い声。
え? と思い、ミーシャの顔を覗くと本当に笑っていた。
「どうして、笑うのー。僕は真剣なのに……」
むすっと頬を膨らませて、拗ねた子どものような対応をしてみる。ミーシャなら応えてくれるはず。
「ごめんね。なんだか、悩むミカヅキが面白くなって」
微笑みを向けてくれるミーシャ。この笑顔だけで救われる気がした。
ん? この考えってなんか変態っぽくないか?
と思ったけど、心の中にしまっておけば問題は無いと判断した。そう、ちゃんとしまっておくことができれば。
「今度はニヤニヤして、本当に変なの」
……しまうことができなかった。仕方がない。うん、仕方がないことなんだ。癒されるとはこんな感じなのだ。
最近、思考がレイディアに侵食されている気がするのは、絶対気のせいじゃないと思う。それはまずい。レイディアが嫌だとかそう言うのじゃなくて、僕の個性が――。
「ねぇ……レイディアってまだ出てないの?」
「そう、みたいだね。ダイキがまだ出られないって言ってた。村の子たちも元気が無いって」
「村……。あの、レイディアが世界中から奴隷の子たちを集めて作ったって言う村のことね」
うん、そうだよ、と返事をして、前に開かれた会議のことを思い出す。レイディアが村のことを話した時のことだ。
ーーーーーーー
同盟両国のトップの人たち。そして――この会議の議題となった、レイディア村に住む元奴隷の子どもたち。と言っても、僕も知ってるダイキと、武道大会でレイディアと戦ったアルフォンス・D・オーディンさんの二人だけだ。
二人は村にいる子どもたちの代表としてこの場に立っている。
「ま、ざっと説明するとこんなとこだ」
――説明を終えたレイディアが一息つく。
僕は事前に知っていたから普通に聞いていたけど、他のみんなは同じではないみたいだ。僕でもかなり驚いているがわかるくらい。
「ならば問おう。貴様はなぜ、今までこの事を黙っていた? それに、何のために彼らを集めるのだね?」
「……」
王国の四大公の一人、ヴォーデビルト・ラン・ローベンスさんの質問に、レイディアは珍しく言葉を詰まらせた。
「答えない、と言うことは、何らかの企みがあると言うことかね?」
催促するように次の質問を口にする。レイディアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。そして重そうにその口を開いた。
「――企みか。そう思われても仕方あるまい。だが私が願うのはただ一つだけだ。この者たちは、人として生きる権利がある。たとえ元奴隷で人ではなく使い捨ての物として使われることなど、私は許すことができない」
「だから、貴様が“救う”と?」
「誰がそう言った、ヴォーデビルト・ラン・ローベンス公。私にはそんな大層なこと、できはせんよ。貴様も同じであろう、ローベンス公」
空気がピリピリしてる。お互いに睨み合い、今にも飛びかかりそうだ。実際にそんなことにはならないだろうけど、雰囲気はまさにそれだ。
「良い度胸だな、小僧。貴様風情が何を知っていると言うのだね?」
静かに言ったにも関わらず、込めた怒りは簡単に感じ取れた。二人の間にバチバチと弾ける火花が見える。
これが伝説の視線の火花!?
なんて考えてる場合じゃない。このままじゃ、まずい気がするんだけど、何で誰も止めないんだ?
みんなの様子を伺っても、止める気配は全く無い。
ここで突然、レイディアが声を出して笑った。
「ははははっ、ふぅー。やはり重苦しい空気は嫌いだ。ローベンス公よ、失礼した。謝罪しよう。本題に戻ってよろしいか?」
ローベンスさんは、まだ何か言いたげな表情を見せるも、不機嫌なのを見せつけながら承諾した。レイディアもそれに礼を言い、会釈程度に軽く頭を下げて話を続けた。
こうなることがわかってたから、誰も止めなかったのかな……?
僕は一人首を捻る。
「まぁ、本当にさっき言った通りだ。だから私は村に来るのを無理強いはしない。最初は半ば強引だったが、今は来たいと望んだ者のみ連れてくることにしている」
「なるほど、“選ばせている”と言いたいのか」
「その通り。私はもう、見たくないんだ。路地裏で項垂れて虫に集られ、ゴミのように蹴られる子どもたちを……。と言っても、私のエゴには変わりはない。同盟相手であるファーレント王国には、迷惑はかけないように善処する」
こっちにまでその時の感情が流れ込んでくる。それほどの怒りを感じた。普段では見たことの無い姿に驚きつつ、レイディアもエゴなのかもしれないと思っていることを実行しているんだと知る。
そしてそれは、簡単なことではないのだと、改めて胸を引き締めるきっかけとなった。
レイディアほどの実力者でも、正しいのか判断できないことを、僕はやろうとしてるんだ。おいそれと諦めるわけにはいかないってことなんだね。
「話さなかったのは、至極単純な理由だ。……信用、できなかったからだ」
「――やはりね。あなたの言いたいことはわかるわ。でもな、王国とは同盟を組んでいるの。理想論かもしれないけど、お互いに手を取り合わさないといけない」
今まで黙っていたソフィ様が、ここに来て口を開き、気まずそうなレイディアをさらに追い詰める……じゃなくて、母親が子どもにするように諭した。
それにレイディアの言葉に対して、物申そうとした大公の人たちが、入る隙を与えないようにもしている。
静かに話しているのに、力があると言うか、そんな感じの声。こちらの心を自然と落ち着かせてくれる、そして聞き惚れてしまいそうな透き通った風鈴のような声だった。
何度聞いても綺麗な声だと思う。
「わたしからもこの件の報告をしなかったことを……お詫びします」
ソフィ様は僕たち、王国側に頭を下げる。それを見て、レイディアは本当に悲しそうな表情を浮かべていた。
「一度。過去にも私は同じように元奴隷の子どもたちの村を作ったことがある。まぁ過去と言っても、二年経つかどうかだがね。人数は今に比べたら全然少ない二十三人だった。ソフィや団長の助けもあり、なんとか成り立ち始めた矢先に……襲撃を受けた。結果は」
そこで視線を落として話を止め、耐えるように眉間にしわを作り、拳を握りしめる。まだ内容を聞いていないのに伝わってくる事実。そしてそれに対する抑えきれないほどの感情。
僕は息を呑む。そんな風に気を紛らわさないと、伝わってくるものに耐えきれそうになかったから。
暫しの静寂が部屋を包む。音がしていないのに、耳が痛くなるような静けさ。心臓の鼓動音すら聞こえそうな、そんな空間。
この部屋にいるレイディア以外の全員が、次の言葉を待っていた。
「――全滅だ。護衛のために子どもたちと住んでいた騎士団員の三人も含めてな。……誰一人とて、守ることができなかった。全員の名前も、顔も、夢も全て覚えている。忘れたことなど無い! 忘れられるはずが無い!!」
怒りを露にするレイディア。こんなに感情を剥き出しにするのを見るのはもしかしたら初めてかもしれない。いつも何の興味も無さそうな無表情か、何を考えているかわからない微笑みばかり。
こんな時に不謹慎なのはわかっていたけど、そんなレイディアが新鮮だと感じた。
――僕はふと疑問に思った。襲撃したのは誰で、目的はなんなのか、と。
そして答えはすぐに知れた。襲撃者たちの行く末まで……知ることができた。
自分でもみるみる表情が変わっていくのがわかる。でも、なんで、どうして、などの疑問と恐怖が止めどなく胸の奥底から溢れてきて止めることができない。
だから……だから、言ってしまったんだ。言いたくなかった……でも、言わずにはいられなかった。この時の僕は信じたくなかった。無慈悲に知ってしまった“真実”が――嘘であって欲しいと。
「――その、襲撃してきた人たちは、どうしたの?」
言った直後に、ボロを出してしまったことに気づいた。けど、もう後戻りはできない……ううん、そうじゃない。しちゃいけない気がするんだ。
レイディアも気づいたのだろう、険しい表情を一瞬だけ崩して苦笑する。その後、ふぅと息を吐いてから僕の問いに正直に答えた。
「……殺したよ、全員。一人残らず、な」
言葉を紡ごうと必死に思考を巡らしても、出るものは何もなくて、僕はやるせなさに下唇を噛んだ。
レイディアはそんな僕を一瞥して、一度天井を仰ぐ。
「その結果、一つの国が滅んだよ。私がやったと言う事実は、“誰も知らない”がね」
とんでもない発言に誰よりも反応したのは、大公の人たちでもなく、ましてや僕でもなくて――ソフィ様だった。
乾いた音が部屋を駆ける。そして、半ば叫ぶようにレイディアに問いかけた。
「どうしてっ、どうしてそのことを黙っていたの!? なぜ……わたしにも話してくれなかったの?」
上げられた手が、重力に従い力なくゆっくりと下げられる。
唐突な出来事に僕たちは何も言えず、事の成り行きを黙って窺うしかできなかった。
個人的に僕が一番驚いたところは、レイディアがソフィ様にすら事実を話していなかったこと。これほど重大なことなら、てっきりもう知っているのかと……。
次にレイディアが何をどう言うのか、一番気になっているのはソフィ様だろうけど、二番目は僕だと思う。変に自信があった。
ソフィ様に向き直り、レイディアは言葉を紡ぐ。
「我ながら不思議なのだよ。ソフィたちには話さなければならない――そう頭で理解していながら、話したくないとも考えていた。私は筋金入りの愚か者さ。大勢の命より、自分の立場の保身を謀ったのだから」
レイディアは言い終わると、なんとも悲しそうな微笑みを浮かべた。
「――ずるい」
ソフィ様は小声で言ったのか、あまりはっきりとは聞き取れなかった。そしてレイディアに対して命ずる。
「レイディア・オーディン。あなたは三ヶ月間、牢屋に入ってもらいます。その間、誰とも会ってはなりません。これは命令です」
言い終わった途端に、レイディアの胸の辺りが赤く光る。それは次第に形を成していき、紋章のようなものになる。
同時にレイディアは苦しそうに、自分の胸元を掴む。
「――」
ソフィ様に小声で何かを言ったようだけど、僕の耳には届かなかった。そしてレイディアの姿は一瞬にして消えた。どうやら牢屋に転移させたらしい。
そのあとはソフィ様は再び謝罪し、僕が真実を知っているのを見抜いていたため、事の成り行きを話した。
――滅んだ国の名前は、アーデルテイト王国。国民は五万人ほどのこの世界基準では小国に数えられる国だ。
この国に属する騎士団がファーレンブルク神王国への進行途中に偶然レイディア村に立ち寄り、抵抗されたことにより逆上。それにより、村に住んでいた護衛騎士もろとも皆殺しにした。その間に子どもたちの何人かを弄んだ挙げ句……。
王国の騎士団員たちは好き放題した後、補給と言う名目で王国に戻った。
話している僕まで腹が立ってくる。レイディアじゃなくても、そんなやつらを許せるはずがない。
偶然にもレイディアは村を離れており、数時間後に戻った時に惨状を目の当たりにすることになる。
そしてどうやってかは知れなかったけど、犯人を突き止めて王国に攻め入り……騎士団員だけではなく、国民も含めた全員を殺し尽くした。しかもそれを五分ほどでやったらしく、例によって方法はわからない。単純計算で、一分に一万人なんて普通はできっこないけど。
五万を越える数の人をそんな短時間で……。ここで僕は考えるのをやめた。
他国ではこの惨劇は原因不明として処理されていた。僕たち王国、そして神王国も同じだ。
「――不可解だな。“あの”レイディア・オーディンが、意味も無くかのような大量虐殺をするかね?」
「仰る通りです。ですが、どんな理由があるにせよ、今まで黙っていたことや多くの命を奪ったことには変わりありません」
「だが、その理由も聞かずに牢に入れると言うのは、浅はかではないかね? これでは、何かを隠しているようにしか見えんぞ」
ヴォーデビルトさんに対して、ソフィ様は反論しようとしたが、呼吸を整えてから静かに答えた。
口を挟もうものなら、追い出されそうなそんな重たい空気。
「……そうですね。頭を冷やさなくてはなりません。では、お尋ねします。レイディアの話をお聞きになりますか?」
「もちろん」
口論のようなものをしていたヴォーデビルトさんを筆頭に、全員が同意した。もちろん僕も同じ気持ちだ。
そしてレイディアが再び姿を現す。当人からすれば、突然呼び戻されたはずなのに別段驚いた様子でも無い。落ち着いた表情で頭を掻きながら全員の顔を見渡した。
「用は大体見当がつく。だがな、正直なことを言えば、お断りしたいね。確かに理由はある、が、その理由は悪いがまだ話せん」
「レイディア、時々言うよね。“まだ”話せないって。それはいつか話してくれるって僕は、僕たちは信じてるけど……けど、今回のことについては、どうしても話してほしいよ」
ソフィ様には申し訳ないけど、さすがにこれ以上は僕も黙っていられない。
僕の発言にレイディアは少し驚く。
「あなたは私に言ったはずよ、責任を果たせって。なら、そう言ったあなた自身も、責任を果たすべきだと思うわ。それが、あなたにとっては“まだ”なのかもしれないけど、私たちにとっては“いま”なの。いい加減にわかりなさいよ!」
ミーシャが机に身を乗り出して、指を突きつけてはっきりともの申した。心の中で僕もガッツポーズ。
他のみんなも、よく言ったぞと言わんばかりの表情をしている。
最後に追い討ちをかけんと、ソフィ様が口を開いた。
「……レイディアはいつもわたしたちのことを考えてくれていて、いつも自分を犠牲にしてる。だから、少しでもわたしたちにも頼ってほしい。一人で背負い込まないで」
「――あんたは!!!」
その瞬間、ダイキがソフィ様に詰め寄った。予想外の行動に、全員に動揺が走る。が、レイディアが腕を横に出して、ダイキを制止した。
「ダイキ、落ち着け」
たった一言で動きを止めるダイキ。歯を食い縛りながらも後ろに下がった。
それからアルフォンスさんに目配せして、ダイキと一緒に二人は部屋を出ていく。レイディアは扉が閉じられたのを確認してから、ソフィ様に「大丈夫か?」と声をかけた。大丈夫、と頷きで返して姿勢を正す。
「驚かせてしまって、すまないな。詫びと言ってはなんだが、貴様らが知りたがっていることを話そう。ただし、条件がある。なぁに、簡単なことだ。いつ、どこであろうと他言無用なのと言葉に出すこと、考えることをしなければ良い。それを守れないのであれば、聞くな。破った者は――わかっているな?」
冷たい目から放たれる紛れもない殺気。肌に突き刺さるような感覚さえ感じる。
つまりは容赦しない――殺すってことだろう。
他言無用や言葉に出さないのはできるけど、考えることもってなかなか難しくない?
レイディアがそんなに重要視する情報なんて、四六時中考えてしまいそうな気がするんだけど……。
僕以外も悩んでいるようだった。情報は得たい、けど死にたくないと思っているんだ。だからどうしようかと。
でも、悩む時間はそんなに長くは無かった。なぜなら、最初にミーシャが「それでも聞く」と宣言したからだ。
王であるミーシャがそう返事してしまった以上、実質部下となる大公の人たちは同意せざるを得なくなる。けど、嫌そうなものではなかった。やれやれと言わんばかりに苦笑していた。
まぁ、たぶん僕も同じような顔だと思う。
「まったく、断ってくれれば良いものを……はた面倒な者たちだ」
盛大なため息をつくレイディア。渋々と言った感じで、真実を話す――と思いきや、一度目を閉じる。
「使いたく無かったし、本当にまだその時ではないのだろう。だと、頭では理解しているのに……私は、これだから甘いと言うのだ――神道・共」
――この時、僕たちはレイディアの特有魔法の能力と、信じ難い世界の闇を知ることとなる。
どちらも誰も予想していなかった真実で、否定も肯定もできる人は一人もいなかった。
ーーーーーーー
天井を見上げて思う。
考えることもするなって言われたけど、やっぱりあんな壮大なこと、考えずにいられる方が凄い。
念のためって意味だと僕は解釈することにした。
「僕も、もっともっと強くならなきゃ」
「ほんと変なミカヅキ。落ち込んでたと思ったら、やる気を出すなんて」
「自分でも変だと思うよ。でも、思い出したらじっとできないなって改めて、ね」
笑顔で頷いてくれるミーシャ。僕が何を言いたいかわかってくれたみたいだ。
結局、レイディアは牢屋に閉じ込められることを望んで今も……。
真実は僕たちの常識を大きく変えた。それと一人で立ち向かおうとしてたなんて、無茶をするのがレイディアらしいよ。
ダイキやレイディア村の何人かは反対したんだけど、レイディア自身が大人しくさせた。親みたいな存在の人が、牢屋に入れられるってなったら、僕も同じように反対したと思う。
ベランダに足を進めて、地平線まで広がる光景を目に写して深呼吸。
両手で両の頬をパチンと叩いて「よし!」と気合いを出した。
「僕、頑張るから」
「私も、頑張るよ」
そっと隣に寄り添うミーシャ。照れ臭く感じながらも、自然にお互いの手を重ねて、しばらく美しい世界を眺めていた。




