七十回目『耳』
ついにアオリスト法国との戦争が始まろうとしていた――前日のことである。
神王国の会議室。同盟両国の代表たちが集まり、戦争に赴くメンバーの選抜を行っていた。敵の総数が偵察の知らせによると、一万人。対して神王国側は総勢千人。単純計算で一人あたり二十人を倒せば良い。
数だけで見れば圧倒的に不利である。が、アイバルテイクはこれ以上増やしても、逆効果になると判断した。
騎士と言っても、ずっと全員が常日頃から緊張感を持って生活しているわけではない。つまり、一年の猶予が与えられ、それまでは大丈夫と心のどこかで思ってしまっている者が多からず少なくも無いと言うこと。
それは言い換えれば油断ともなる。そのような者がいきなり戦場に出ても無駄死にする可能性が高いと判断したのだ。
さらに、あまり戦力を偏らせるのも非合理的との考えもあった。騎士団が一番守るべきものは国民なのだから。
会議にはミカヅキも参加しており、ミーシャから何度か意見を求められ、つたないながらもしっかりと自分の見解を伝えた。加えて、アイバルテイクも彼の意見を参考にしていた。
経験は少ないが、ミカヅキの見る目は大したものだったのだ。全て……ではないにしても、的確な判断が多かった。これには王国の大公たちも驚いていたようだ。
そして、アイバルテイクは「最後に」と前置きを言い、ミカヅキへと体の向きを変えた。
「ミカヅキ・ハヤミ。君にも、今回の戦争に行ってもらいたいと思っている。もちろん、選ぶのは君自身だ。行くのも行かぬのも、好きに撰びたまえ」
ミカヅキは口を開け、見事なまでに驚いていた。期待は少しだけしていたが、自分がまさか本当に選ばれるとは考えていなかったからだ。そして皆の視線を浴びながら思う。
――断れない。
と。
アイバルテイクの提案に、ミーシャとレイは同意した。
「ミカヅキ。お前も来るか?」
レイがミカヅキに手を差し伸べる。
ミカヅキは深呼吸をし、その間に今まで言われたこと、教わったことを思い浮かべた。
そしてレイの手を、しっかりと掴んだ。
「――行くよ!」
レイは期待通りの返事に満足げな笑みを浮かべて、ミカヅキと正面を向いて握手した。
「改めて、よろしく頼む」
「こちらこそ」
こうしてミカヅキも出陣することとなった。
ーーーーーーー
当日。
敵を殺さないことを守り、勝利する。今回はレイディアに連れられていた小さな小競り合い程度のものとは違う。
偵察部隊によると、敵の総数はおよそ一万。
対して僕たちは千人程度。十分の一の人数だけど、アイバルテイクさんとレイが選んだ、文字通り選りすぐりの人たちだ。
それでも、不安は拭いきれない。当たり前だって。圧倒的に数が足りないことに変わりないんだから。
なのに、アイバルテイクさんは「これでも多いぐらいだ」なんて言ってたし、作戦も具体的なことは何も無くて、ただ「死なずに進め」だけだし……。
あと凄かったのはアイバルテイクさんの手際の良さ。レイディアがいない時から団長をやっていたこともあって、方針やメンバーが決まってからの行動の早さと来たらヤバかった。
メンバーを集め、指示を出し、準備をさせる。それら全てが三時間くらいで終わった。
改めて凄さはわかった。けど、やっぱり思ってしまう。
――どうやって勝つんだー!
と開戦するまではそう思っていたんだ。
――でも、現実は当たり前のように予想を越えてくるもので……。
目の前で繰り広げられている光景は、現実なのか? と疑うのは仕方ないと思う。まぁ、この人たちだものね、と半ば強引に納得することにした。
「や、やべぇ……」
普段とは違う口調になるほどヤバい。アイバルテイク団長はどこから聞き付けたのか、僕が殺さずに敵を倒そうとしていることを知っており、全員に「敵を殺さずに倒してみろ。やれるものならだがな。一番は貴様らの命だ、傲るなよ!」と宣言した。
無茶なことを言うと苦笑したけど、現状目に見える限り敵は一人も死んでいない。気絶させたり、戦意喪失させたりと方法は色々だけど実際に殺さずに倒していた。
さすがは選抜された人たちだ。
言い出した僕がやり遂げなくちゃ恥ずかしいじゃないか!
心の中で自分を鼓舞して敵に突っ込んだ。
「創造せよ」
次々と斬りかかってくる騎士たちを棍棒であしらい、剣を折るなどして引かせる。飛んでくる魔法には剣を造り出してぶつけて対応した。
横目でレイの方を確認すると、光が明滅したと思ったら騎士たちが次々と倒れていった。
アイバルテイクさんの方も同じように轟音が響いた次の瞬間に地面が盛り上がり、騎士たちが宙を舞う。
二人以外にもみんな当たり前だけど中々の実力者で、数の差を力押しでなんとかしていた。
「僕だって!」
瞳に五芒星が浮かび上がる。一緒に『強化』で身体能力を上げ、攻撃を更に俊敏にさせた。
どうやら、敵の騎士の実力は、僕と同等かそれ以下のようだ。今のところ軽い傷しかつけられていない。でも油断はしちゃいけない。こう言う時こそ気を引き締めて、対応しないと駄目だって言われ続けたもの。
棍棒を握り直して、意識を集中させた。
まさにそんな時だった。僕の目は、視界の隅の上空に何かを捉えた。
――何か、飛んでくる!
それが僕を狙って飛んできていることに気づき、剣をぶつけるも砕け散り軌道を変えることしかできなかった。
向かってくるものが槍だと認識した時には、『創造の力』が間に合わない距離まで迫っていた。なんとか当てれた一撃のおかげで体のすぐ横を通過して土埃を上げる。
速かった。凄まじいくらいに速かった。まるで銃で撃った弾丸のような、そんな速度だった。『先を知る眼』とあの剣が無ければ殺られていた。
全身に鳥肌が立っていくのがわかった。覚悟はしていたし、今まで何度もあったこと。だけど――死の恐怖には慣れそうに無い。
どうしてかはわからないけど、周りにいる騎士たちが攻撃の手を止めて下がり始めたことおかげで、気を取り直すことができた。もし構わず攻撃されていたらまずかった。
周りを意識しながら深呼吸して、心を落ち着かせる。
そして、次第に冷静になっていく思考が重要なことに気づいた。
――槍の持ち主は?
「――なんだ、当たらなかったのかぁ。ま、あれぐらい防いでくれなきゃ殺り甲斐が無いってもんだ」
突然騎士たちが道を開けて、大きな体を持つ男の人が姿を見せた。
僕は思う。
――槍で、殺り甲斐って……何でこの人は戦場でシャレを言ったんだろう?
それに、あれはもしかして……。
僕の目は、巨体の男の人の頭についている、二つの突起物に釘付けになった。
「耳、だよね?」
つまり、獣人族。神王国で何度も見たことはあったけど、戦場で見るのは初めてだ。と言うより、体と耳がどうも合ってないって言うか、何か違う気がするのは気のせいだよね……。
「……お前、どこを見てるんだ?」
「い、いえ、空を少し」
すぐに視線を上に向けてごまかした。我ながら悪あがきだとわかってはいるものの、触れてはいけない気がしたので。すると意外にも「そうか」と納得した。
納得するんかいっ、とツッコミかけてギリギリのところで抑えた。
「さてと、今宵の戦の相手、お前に決めたぞ! 」
ビシッと人差し指を向けて宣言してきた。人に指をさしたらいけないんだぞ。
「――ハッ」
駄目だ。首を振って我に返る。危ない、相手のペースに呑まれるところだった。まさか第一印象から仕掛けてくるとは、相当の手練れに違いない。
頬を叩いて緩みかけた精神を研ぎ澄まし、棍棒を強く握りしめてしっかりと構えた。
「ハハハハハッ、いきなり自分の顔を叩くとは、変なやつだな」
「気を引き締めるためにやっただけですよ」
「俺は、フェニクシド騎士団団長、ヴォルフガング・S・ベルセルク。気軽にヴォルフとでも呼べば良い。お前の名を聞かせてもらおう」
大きな男の人改め、ヴォルフさんが手を翳すと、槍が独りでに動いてその手に戻った。
――この人が『突撃獣ヴォルフ』か。
会議で相手側、つまりアオリスト法国の要注意人物は教えてもらった。その中でも一番危険だと言われた人が、今、僕の目の前にいる。しかも相手を僕に決めたと言ったように聞こえた。
一騎討ちを好み、猛獣の如く敵を荒々しく倒す、槍使いのフェニクシド騎士団団長。
何で、僕なの……?
なんて言っても始まらない。僕に狙いを定めたなら、他の人は狙わないはず。なら――ここで僕が食い止める。
「ガルシア騎士団所属、ミカヅキ・ハヤミ」
「ミカヅキ……ほぉ、珍しい名だな。じゃあ、始めようか、ミカヅキ」
いきなり呼び捨てにしたかと思ったら、ヴォルフさんは姿勢を低くして槍を構えた。
空気が、明らかに変わったのが僕でもわかる。さっきまでは普段のレイディアみたいに飄々とした感じだったのに、構えた途端張り積めたものになった。
ヴォルフさんは僕を見据えるだけで、動く気配が無い。来いってことなんだろうな。
見られてるかもしれないけど、まだ『創造の力』は使わずに、まずは小手調べをしよう。
「ふっ」
「おお、速いな」
棍棒の突きを、槍で軽くいなされる。なら、持ち手を変えて逆側で叩きつけの追撃。ヴォルフは手でガードしようとした。
――掴まれる!
刃がついてる剣とは違って、棍棒は簡単に掴まれてしまう。
戦場で武器を失うのは動けなくなったのと同じだと思え――だよねオヤジ!
右手を即座に離し、棍棒の右よりの部分を叩きつける。左側が浮く直前のタイミングで左手を離して、地面と垂直になったところで掴み直し、前に押し倒すように振り下ろす。
ヴォルフさんの槍は初撃のまま、僕の棍棒と同じように地面と垂直に立っている。簡単には防げないはず。
その瞬間、ニヤリと笑ったのが見えた。
「そ、そんな……!」
信じられなかった。防いだり躱わしたりするならわかる。
なのに、ヴォルフさんは――
「――良い攻撃だ」
何もせずに、文字通り体で受け止めた。
こんなのは初めてだった。咄嗟の切り替えと言っても、今は『強化』で身体能力を上げて、弱い威力じゃないはずなのに、無抵抗で受けるなんて……。
僕は誰が見ても明らかに動揺していた。予想外の事態に、頭が追い付いていなかったんだ。
「隙だらけだぞ?」
お腹に拳が迫る。その直前に『創造の力』でクッションを造り出して威力を弱めた。それでも一撃は重く、膝をついてしまう。
「ぐ、うぅ……」
なかなか痛い。クッションが無ければヤバかった。
よし、呼吸できる。魔力を込めずに、ただ力任せで殴ってきたみたいだ。
手加減されたってことなのか?
「今のが……。さあ、今度はこちらから攻めるぞ!」
休憩の時間は与えてくれないらしい。呼び名の通り突撃してきた。
何度もやられる僕じゃない!
「剣よ、舞え!」
上下の両方に刃がついている、通称両剣を数本造り出して、回転させながら飛ばした。
加えて、普通の剣も同時に放つ。四方八方からの同時攻撃。これなら防ぐのは難しいはず。
「ふっ、はぁあっ、おらぁあっ!」
槍を見事に使いこなし、全ての剣を叩き落とすか破壊した。
後ろにある剣まで防いだ。目で見ていたわけじゃない。なら、どうやって背中越しの剣の正確な位置を把握したんだ?
獣人族は、身体能力が人間族より、もとから高く育つのは知っている。でも、身体能力が高いだけで、背中に目はついていない。
僕の視線は、上へと向かい、とある部分を見つめた。
「――耳、か。僕たちじゃ聞こえないような、小さな音を聞いて場所を把握したんだ」
そんなことができるのか?
いや、実際ヴォルフさんはやっているんだ。
なら、これならどうかな。
「剣よ――」
剣をたくさん造るのは魔力の消費が激しいから、まだ使いたくなかったけど、出し惜しんでる場合じゃ無いよね。
無数の光の剣をドーム状に展開させる。
「剣の刺」
ほぼ同時に放たれる無数の剣。
これならさすがに特有魔法を使うはず。
戦場でまだ一度も使ったことが無いらしい。だったら、僕が最初に使わせる。
無数の剣が衝突と共に爆発を起こして、ヴォルフさんの姿を見えなくさせた。魔力を込めて、当たった瞬間に炸裂するように仕掛けておいたからだ。
ただの剣は簡単に防がれるけど、この方法なら少なくとも爆発のダメージは与えれる。
ヴォルフさんがいたところは、爆発のせいで土煙が舞い上がって状況がわからない。
そして、目を凝らしてよく見ると、煙の中に人影が立っているのがわかった。
まだだ。まだ倒せてない……。
「ふーっ、危なかった。もう少しで殺られるところだった」
煙の中から現れたヴォルフさんは――無傷だった。
あれだけの剣を、どうやって……?
身体能力が高いからでどうこうできる数じゃ無い。考えろ、考えるんだ。
現に無傷で立っているじゃないか!
「で、お前の攻撃はこれで終わりか?」
冷や汗が流れたのがわかった。手も足も出ない現状に、僕は俯いてしまう。
――これは稽古じゃない、本当の戦い――殺し合いなんだ。負ければ死ぬ。でも、僕は殺したくない。
目を閉じると、心臓の鼓動が聞こえた。ドクン、ドクン。しっかりと脈打つ鼓動が。
……まだ僕は生きている。
……まだ僕は負けていない。
……まだ僕は戦える。
なら――まだ勝てる!
顔を上げ、まっすぐ相手を見据える。
ヴォルフさんは僕と目が合うと、満足げに口角を上げた。
「そうだ。まだ終わりじゃ無いよな? もっと見せろっ、お前の力をよお!」
まだ戦争は始まったばかり。いつ休めるかなんてわからない。いつ終わるかもわからない。だからこそ、体力も魔力も温存しておかなきゃいけない。
致命傷を受けたわけでもない。傷は軽い切り傷程度。
――わかってる。たぶん、レイディアは「阿呆だな」って言うと思う。目に浮かぶもん。
でも、僕は決めたよ。
ここで、ヴォルフさんを倒す。
「ヴォルフさん、あなたを全力で倒す」
「来い、ミカヅキ!」
ここが僕の――戦場だ!




