六十九回目『進軍』
アオリスト法国の城、玉座の間にレイディアは連れて来られていた。
「王の前であるぞ、跪け」
玉座にふんぞりかえる法王の隣に立つ、白髪を綺麗に整えている初老の杖をついた男性。法王の一番の側近――デドイク・ラーゲンバルト。
怪我が原因で騎士団を抜け側近となる。彼は現役の頃、他国から『死の運び屋』として恐れられていた。
レイディアも噂で耳にしたことがあった。
どうも、彼と同じ戦場に立った者は、敵味方関係無しに全滅すると言う。
あいにく三大国とは戦うことが無かったらしいが、理由は未だに謎とされている。
味方すら恐れる中、法国でデドイクに気負うこと無く接したのは法国の騎士団団長と、まさに今レイディアの前にふんぞりかえる法王の二人だけだった。
レイディアは思う。――よくある設定だな、と。
しかし同時に理解していた。目の前で玉座にふんぞりかえる法王は、地味に面倒なやつだと。
なぜなら信用されることを狙ったのか、はたまた無意識のどちらにせよ、近くにいれば自分も死ぬかもしれない。なのに、構わず接する奴は、周りに人を集めやすい人種が多い。
ミカヅキが良い例だ。あいつは自分から人を味方につけようなどとは考えていない。
文字通り、彼のどこかしらに惹かれて集っている。そういうやつほど生き残り、使命やらなんやらを成し遂げる確率が高い。いわゆる主人公気質と言えよう。
しかしデドイクを恐れなかっただけで、法王がそうだと判断するのは早いかもしれない。
だが、レイディアほどの人物であれば、同席する貴族らしき者たち、護衛として周り立つ騎士たちを見ればわかる。
――やはりこの国は、完成している。
そう、この国は法王を中心とし、騎士が、民が綺麗に一つに纏まっている。レイディアはこの国を相手に戦争をさせて良かったと改めて思った。
もし、法国が帝国との戦争中に攻めてきたら、負けはしないが致命傷を与えられたいたことだろう。故にレイディアは準備してきたのだ。
「構わないよ、デドイク。これが彼なりの挨拶なのだろうよ」
「しかし……、王がそう仰るなら。王の寛大な配慮に感謝するんだな」
「ふっ、言ってくれる。カルマ・シュトローム・アオリスト王よ、一つ尋ねる」
デドイクの言葉に鼻で笑って返し、ゆっくりと王を見上げた。たった一つの確認したいことを訊くために。
王は姿勢を変えただけで、レイディアの申し出に返事はしなかった。しかしこれが王の聞いてやるの態度の表れだとレイディアは察する。
彼ならどちらにせよ、自分の意思を貫いただろうが……。
「何故、我々に、いや……我が国に宣戦布告をした?」
数秒の間、王は何も答えず、動くこともせず、ただじっと自分を見上げるレイディアを見下ろした。
横に立っているデドイクは、彼の口の聞き方が気にくわなかったのか拳を震わしている。が、王の考えを察しているのか、黙って堪えていた。
レイディアも急かすこと無く静かに答えを待った。
そして深く息を吸い、はぁーと盛大に声を出しながら吐き出す。
「――貴様がそれを、望んだからだ」
三秒程度の王の言葉に、この場にいた誰もが振り向いた。衝撃発言とはこう言うことを言うのだろう。
「王よ、今、なんと……?」
さすがの発言にデドイクも驚きを隠せないようだ。レイディアは露骨に目を細める。そして次の瞬間――、
「……ふっ、ふふふ、ふははははははっ。笑わしてくれる。だいたい理由は想像しているが、一応なぜだと問わせてもらおう」
「良かろう、答えてやる――」
――王が口にした真実に誰もが言葉を失う。ただ二人を除いては。
「王よ、今のは嘘偽り無いことかい?」
動揺が走る中、王に対しても軽い口調で話しかけるのは、レイディアより少し背の高い、がたいの良い男だった。正直巨漢と言っても良いほどだ。そして、短めの金髪をオールバックを突き抜ける獣のような耳が目についた。
レイディアもちらりと視線を横にずらす。
――ヴォルフガング・S・ベルセルク。
アオリスト法国、フェニクシド騎士団団長。槍使いの、通称『突撃獣ヴォルフ』と呼ばれている。本人はどう呼ばれようと構わないらしい。
呼び名や巨漢に似合わず槍捌きは相当な腕で、レイディアも警戒すべきだと判断したほど。しかし、詳しい戦い方は、“槍を使う”と言うことしか知られておらず、原因は彼にそれ以上の実力を出させた者が今までいなかったことに他ならない。
戦い好きで暴れ癖もあるが、団長としての戦況を見抜く慧眼も併せ持つ、優秀な人物と言える。
そして、ヴォルフは人と獣人の間に生まれた――半獣人。
先ほどのデドイクを法国内で恐れなかった二人の内の一人でもあった。
王からはかなりの信頼を得ていると、レイディアは今見える光景を見て判断した。
「ああ、全て事実だ。オレは嘘が嫌いだからな。貴様も知っておろう、ヴォルフよ」
「じゃあ、本当に戦争やるんだな。それがわかりゃあ充分だ。レイディアと戦えないのが残念だが、他の連中で勘弁してやるよ」
レイディアを一瞥し、楽しみが堪らないと言った表情のヴォルフ。
そんな折り、レイディアが口を開く。
「貴様ら程度にやられる我が国では無いわ。せいぜい足掻いてみたまえ、アオリスト法国の者共――んんっ!」
彼の言葉は途中で遮られた。ヴォルフが手に持っていた槍を、レイディアの胸の辺りに突き刺したからだ。
鋭い槍の先端はいとも簡単にレイディアの皮膚を突き破り、体内へと侵入し、傷口から血を垂れ流させた。
「お前こそ、俺たちをバカにするなよ? どんな考えがあるかは知らんが、殺すことはできなくとも、こうして槍を突き立てることはできるんだ」
「いっ、痛いねぇ、まったく……。さすがは獣と言うべきか。これは失礼した、謝罪しなければな」
ヴォルフを見つめるレイディアの目は、黒く、深く感じるほど暗く、ずっと見ていたら呑み込まれるような感覚に襲われかける。
直感的に危険を感じ取ったヴォルフは、王へと視線を移した。
獣人ならでは、いや、生き物としての本能と言うべきか。
――こいつには勝てない。
ヴォルフは生まれて初めてそんな考えが頭を過った。
「で、開戦はいつなんだ?」
「明日には攻めいる」
「そうこなくちゃ」
槍を引き抜き、満足げな表情で部屋を後にした。その間、レイディアを一度も見ることは無かった。
彼もヴォルフの姿を目で追うことはせず、その目は王を見据えていた。
「随分と早いな」
「神王国らの準備を待つほど、オレはお人好しではない。あわよくば落とせればと考えているからなぁ」
はははと王の高笑いでレイディアとの話は終わりを告げた。
――城の廊下を歩くヴォルフは、先ほどの感覚がまだ残っていた。
感じたことの無い、無言の威圧感……殺気とは別の何か。
そして、胸の奥からふつふつと沸騰したお湯のように込み上げるもの。恐怖――否。
「良いじゃねぇかあ! ますます楽しめそうだ。こんなに……こんなにも……右手が疼いたのは初めてだあぁぁぁぁあ!」
城に響き渡るほどの大声で現在の昂る気持ちを叫んだ。
丁度、角を通りかかったメイドは力無く倒れる。どうやら気を失ったようだ。
後ろから声をかけようとした騎士は口を開けたまま硬直していた。
お騒がせで賑やかな男である。
ーーーーーーー
その後レイディアは傷の手当てをされ、再び牢屋に戻されたが、今度は鎖は外された。王なりの配慮らしい。
仕方ないから感謝してやる、などと頭の中で呟くも、別のことで頭の隅へと追いやられる。
――久しぶりの本格的な戦争。一方的な殺戮ではなく、文字通り互いに犠牲者が出るだろう。帝国との全面戦争を前に、戦力を削ってどうするんだと言われそうだなぁ。
「仕方ないじゃないか。奴は必要なんだよ」
牢屋からでも見える、空の月を見上げる。今日は満月のようだ。
レイディアは思う。――満月をこうしてゆっくり見るのはいつぶりだろうか。
ずっと作業や指示だしなど多々諸々で、こうして静かな空間でゆっくりと眺めることができずにいた。レイディアは、やはり月は心を落ち着かせるものだと思う。
太陽のように明るく大地を照らすのも必要だが、穏やかな淡い光も必要だ。
人は誰しも空を見上げ、思いにふけることがあるだろう。彼もここではその中の一人なのだ。
「て言うか、傷が痛くて眠れないんですけど!」
と月の下の静かな空間をぶち壊すかの如く声をあげる。文句を次々と言葉として口から放ちながら、この戦争の行く末を思い浮かべていた。
彼は彼の思い描く未来へと準備を進めている。今回の戦争もその一つ。だが、いくら準備をしても、結局何が起こるかは誰にもわからない。それこそ、神でなければ……あるいは――。
待つのは性に合わない。とレイディアは思う。しかしこればかりは、先の展開が気になっても時間をビデオのように早送りはできない。
ため息をつきつつ、目を閉じて誘われるように眠りに落ちた。
――翌日、アオリスト法国の全勢力が、ファーレンブルク神王国へと進軍を開始した。王自らも戦場に赴いている。
一万に値する数を率いるは、もちろんヴォルフガング。堂々としたその背中を見るだけで、騎士たちの士気は上がった。
実力だけではなく、カリスマ性も併せ持つ男こそ、レイディアすら警戒するフェニクシド騎士団団長――ヴォルフガング・S・ベルセルクなのである。




