六十七回目『服従者』
――レイディアがやられた。
そう聞かされた時は信じられなかった。だから馬鹿みたいに焦って、結局レイに諭された。
でも冷静でいられるわけないじゃないか。僕なんかよりずっと強くて、誰にも負けないはずのレイディアが、簡単にやられるなんて信じたくなかった。
だから、アイバルテイクさんが話した経緯はほとんど覚えていない。けど、そのあとにソフィ様が言ったことは、僕の心の救いになった――。
「お騒がせして、申し訳ありません。レイディアのことなら心配しなくても大丈夫です。彼は――誰よりも強いですから」
肩の力が抜けていくのがわかった。そのまま顔を上げて、続きを聞くために耳を傾ける。
「ですが、アイバルテイクが申し上げたように、心配はいりません。レイディアがやられたと自身で伝えさたのですから。この発言は、彼の特有魔法が奪われた、または失われた可能性を表します。事前に万が一の時に備えて、わたしとレイディアにしかわからない暗号を考えていました」
「それが、レイディアがやられた、と言う言葉なわけか」
「――話を遮って悪いが、ずっと気になってたんだ。恐らく俺だけじゃなくて、この場にいる全員だろう。隠したいのは山々だろうが、教えてほしい。そのレイディアの特有魔法は、どんなものなんだ?」
――今まで黙っていたレイが、皆を代弁して重要な案件を尋ねた。
言葉の通りのようで、ソフィに視線が集中する。対してソフィは、静かに首を横に振った。
「詳しくはわたしも知りません。レイディアは誰にも話していないのです。ただこう言っていました。――私の力は、この世の理から外れるものだ。と」
「王にも真実を語らないとは、とんだ愚か者だな」
王国の四大公の一人、グラス・ウォンデリアンがそう口にした途端、部屋の空気が変わった。
肌に感じるほどの殺気に似た感覚。誰なのかとそちらに目を向けると、他でもない神王国の王であるソフィだった。
「――何も知らない方が、レイディアを罵倒するのはやめていただけますか?」
初老とも言える年齢に加え、王国の大公として長年生きてきたはずのグラスですら、ソフィの笑顔には恐れを抱いた。表面上は綺麗とも言える笑顔。だが決して、笑っていないことを本能的に理解した。
他の者もグラスほどでは無いとは言え、同じように圧倒されていた。それもそのはず。ソフィと彼女以外では、文字通り生きてきた時間が違うのだから。
――そんな中、まだ少年なミカヅキは状況が理解できずにいた。ソフィが優しい笑顔を見せているのに対して、他の者たちの表情がかたいのだ。首を傾げたくなる。
隣に座っているミーシャに至っては、小刻みに震えていた。
なんで? と一人頭の上に疑問符を浮かべるミカヅキ。置いてけぼり状態だった。
「ソフィ様、話の続きを」
「そうですね。……加えてお伝えすることがあります。レイディアはわたしに逆らうことはできません。わたしはレイディアに、『服従者』を使っていますから」
アイバルテイクの一言で、我に返ったかの如く、表情を真剣なものへと変えた。
そしてその口から出た『服従者』と言う言葉に、皆が各々の反応を見せる。
聞いたことがない名称に再び置いてかれるミカヅキ。どうやらそれはミーシャも同じのようで、ミカヅキの方をちらりと見て、視線をソフィに戻した。
「逆らえば死より恐ろしい、永久に魂を拘束される魔法。まさか……」
「勘違いなさらないで下さい。レイディア自身が望んだことです。この国への忠誠を誓う条件として提示してきたのです」
実際は他にも条件はあったが、そこまで事細かくは説明しなかった。別に他意はなく、必要ないと判断したに過ぎない。
それにグラスも納得しているようだった。
そしてここに来てついに、王国の貴族のトップとも言える人物、ヴォーデビルト・ラン・ローベンスが口を開いた。
「――失礼なことをお尋ねするが、貴様ら神王国の陰謀じゃないのか?」
狐のようなつり目から放たれる鋭い眼光をソフィは浴びる。
横から見ていただけのミカヅキですら緊張のあまり息を呑むほど、威圧感たっぷりの眼差しだ。
しかしさすがはソフィと言えよう。常人ならば竦んでしまうだろうに、鋭い目を逆に見返した。
「否定はします。ですが、証明はできません。――疑問に思ってらっしゃるのですね。なぜ我々神王国が同盟を結んだのか、と。……言葉を濁さず正直に申し上げれば、ミーシャ・ユーレ・ファーレントは、わたしが同盟を結んでも良いお方だと判断したからです」
「姫様――」
アイバルテイクが言葉の続きを止めようとするも、逆にソフィに制止された。彼は従い、この先を見守ることを選ぶ。
どうやらミルダも同じのようで、彼と似た表情をしていた。
「是非、理由をお聞かせ願おうか」
ソフィはちらりと横目でミーシャの様子を伺ってから、「わかりました」と頷きで返した。
「前国王が亡くなられたと言う情報は、すぐにわたしの耳に届きました。そして娘であるミーシャ姫が王位を継ぐことも。隙を突いて攻め落とすべきだ、そんなことが頭を過りました。ですが、見てみたいと思ったのです。まだ幼い少女が、どのようにして王と成り得るのかを」
今度こそミーシャに体の正面を向けて微笑みかけた。
「様子見の予定でした。そんなことを考えていると、ファーレント王国がわたしたちファーレンブルク神王国と同盟を結びたがっている、と報告が入りました。動き出すのにまだ時間がかかると思っていたのに、本当に驚きましたよ」
黙って聞くヴォーデビルトに、ソフィは胸を張って堂々と宣言した。
誰もが驚くような真実を。
「そして見てみたくなりました。ミーシャ姫が、王としてどのような道を進んで行くのか。同盟を結んだ最大の理由は――わたしの好奇心です」
言っている内容は驚愕ものだが、澄んだ水の如く綺麗で穏やかな声は、この場にいる者たち全員に一時の安らぎを与えた。
そしてミカヅキが、タイミングは今しかないと勇気を出して発言した。
「僕は、レイディアが裏切ることは無いと思います」
発言した瞬間に、彼に集中する視線。
政治のことなんてまだわからない少年、酷く言えばガキが意見したのは、それだけ注目が集まるものなのだ。
特にヴォーデビルトとグラスは、睨み付けていると言っても過言ではない。
「ミカヅキ・ハヤミと言ったか。貴様は、誰の許しを得て発言したのかね?」
ヴォーデビルトの問いは、発言の内容などではなく、なぜ発言したのか、と言う根本的なものだった。
不機嫌を隠さずに露にするヴォーデビルトに畏怖しながらも、ミカヅキが屈することは無かった。背中に冷や汗を流しながらも、決して迷うことなく、真っ直ぐと目を見返したのだ。
「ヴォーデビルト、あなたね――」
「良いんだ、ミーシャ。正しいのはローベンス公だよ。僕はこの席にいるべきじゃない」
ヴォーデビルトの態度にミーシャは怒ろうとしたが、ミカヅキはそれを止めて彼の言葉を肯定した。
さすがに本人に肯定されたとあっては、ミーシャは何も言えなくなる。それでも何か言いたげに口を開けたり閉じたりするも、最終的にはミカヅキの話を聞くことに決めた。
「ごめん。僕は確かにいるべきじゃないかもしれない――ですが、今はここにいます。なら、僕は僕のやるべきと思ったことをやります。じゃなきゃ、またオヤジに叱られますから」
ほんの十秒程度の演説のようなもの。だが、攻めての言葉を詰まらせるには充分のようだ。
ヴォーデビルトとて馬鹿でも愚かでも無いと自負している。目の前で恐れを抱きつつも、立ち向かうと決めたのだろう。とミカヅキの心境を察した。
――貴様のような者が勇気を出すときは、大抵自分以外の誰かのためと決まっている。
何より久しぶりだった。自分の目を、真っ直ぐと見られたのはいつ以来だろうか。――そして、まさかのヴォーデビルトの方から視線を反らす。正しくは深呼吸をしながら目を閉じたのだ。
これには他三人の大公どころか、ミルダすら驚いた。あのヴォーデビルト公が自ら身を引いたことはあり得ないことに等しいからだ。
信じられない光景を目の当たりにし、言葉を失う面々を差し置いて、ヴォーデビルトはミカヅキに再び問い掛けた。
「では、聞かせてもらおうか。貴様がレイディア・オーディンを信じる根拠を」
彼は決してミカヅキを認めた訳ではない。ただ評価を改めただけに過ぎない。しかしその一歩は、ミカヅキにとっては大きな前進だった。
「あ、ありがとうございます……」
ヴォーデビルトに勇敢に立ち向かったミカヅキ自身も、想定外の問いに驚きを隠せなかった。だがすぐに首を振り、気持ちを切り替えて返答する。
「僕はこの三ヶ月あまりの時間を、稽古のためにレイディアと共に過ごしてきました。その間、レイディアの色々な面を見てきました」
――それからミカヅキは思い付く全ての理由を、しっかりと自分の言葉として伝えた。問い掛けたヴォーデビルトは、時折頷く程度で何も言わず黙って聞いていた。
「――以上が、僕がレイディアを信じる理由です」
伝え終わったが、まだ“終わり”ではない。ヴォーデビルトを含め、皆の意見を聞かなければならないからだ。正直、彼の気力は限界すれすれである。
慣れない会議の場、なおかつそこでとてつもないプレッシャーの中での発言。自分で決意した事とは言え、度重なる重労働で今にも意識が飛びそうだった。
「……カルティア、どう思う?」
ヴォーデビルトはまず四大公の一人であり、ミカヅキを悪くは思っていない、カルティア・フォン・ヴィレンツェに尋ねた。
突然振られたにも関わらず、自然に落ち着いた口調で答える。
「私は信じても良いと判断しました。彼の言うことは一理あります。なにより我が国で、オーディンと一番長い時間を過ごしたのも彼でしょうから、貴重な意見だと考えます」
要点だけを簡潔に述べるカルティア。ヴォーデビルトはうむと頷き、ミーシャに向き直る。
「お待たせしました、ミーシャ様。我々はソフィ様、並びにオーディンを信じることをここに宣言します。手間を取らせ、申し訳ありません」
言い終えると次はソフィに体の向きを変え、無礼な態度を取ったことを謝罪した。これこそが貴族たちを束ねる者の度量と言えよう。ヴォーデビルトは最後にこう付け加えた。
「しかし、“ひとまず”はと言う意味であることを忘れないでほしい。あなたに背負うものがあるのと同様に、我々にも守らねばならぬものがあるのでね」
ソフィはお辞儀をして感謝の意を示した。
彼の言うように、お互いに国を、そして国民を守らなければならない義務がある。だが彼のこの態度は、ミーシャにはまだ荷が重いと気を遣っていることの表れと言える。
他国の王にすら引けを取らない威厳があろうと、ヴォーデビルトとて、祖国を愛する一人の国民なのだ。
――それからも話は進められた。今回の事態はソフィは自らの失態として、神王国だけで手を打とうとしたが、ヴォーデビルトが反対した。こういう時こそ、“同盟”の肩書きを利用すべきだと。
戦争自体を避ける手立ても思案したが、アオリスト法国程度に負けるようでは、アインガルドス帝国に勝つなど夢物語だろう。加えて、レイディアにも考えがあるはずだ。ならばあえて敵の策に乗るとし、戦争を行うことに決まった。
戦争に参戦するメンバーはカルティアが提案した方法で、同盟両国の騎士団長が騎士団員、並びに武道会上位者の中から選出することとなった。
断ることも可能とし、それによるペナルティなども無しである。これは騎士団員以外の一般国民も上位者に入っていたことへの配慮だ。
――数々の議論が飛び交う中、ソフィはふと、レイディアがこの場にいたら……と思った。確かに彼がいれば、独特な発想と巧みな話術で皆をまとめていた事だろう。
頼りきりだったのだと、こんな状況になって改めて思い知った。レイディアがどれだけ神王国に貢献していたのかを。
すぐに深呼吸をして心を落ち着かせる。願望を言っても、この状況を打破できないことは理解していた。本当にただ思い付いただけなんだ、と決めつける。そうしないと、ぼろが出そうだったからだ。
この場でそんなことは許されない。だからこそ、内心では不安になりつつも、表面上は王として振る舞った。
レイディアの不在。それは皆が考えていた以上に、大きな問題としてのし掛かっていた……。




