六十六回目『始まりはいつだって唐突で』
ことが起きたのは、武道会が終わり、レイディアがミーシャを叱りつけてから丁度一ヶ月が経った頃。
稽古は再開し、武道会のおかげで全体の指揮は上がっており、皆が順調に実力を伸ばしていた。
相乗効果で同盟両国の国民は活気づいている。当初の予定通りだとレイディアはドヤ顔を何度も見せたものだ。
――そうして色んなことがうまく軌道にのり始めた矢先、誰も予期していない事態が発生した。
ファーレンブルク神王国城の会議室。
「レイディアが、やられた……?」
アイバルテイクにより突然召集されたのは、ソフィ、ミーシャ、ミルダ、レイ、ミカヅキ、そして王国側の大公たち。全員が国のに大きく関わる者たちである。唯一、ミカヅキを除いてだが、アイバルテイクが聞いてほしいと指名した。
エクシオル騎士団の団長である彼が口にしたのは衝撃的な真実だった。
あのレイディアが、敵に倒されたあげく捕らえられたと言う。
「いったい誰に!?」
席から立ち上がり、身を乗り出しながら訊くミカヅキ。すぐにレイが落ち着けと座らせた。
しかしミカヅキの反応も頷ける。この場の誰もが同じように驚愕しているのだから。それだけレイディアの実力は両国が認めていることに他ならない。故にアイバルテイクも皆を集めたのだ。
「無理もない。だがこういう時ほど落ち着くべきだ、ミカヅキ。それに専用の武器を全て装備したあいつがやられるなど、まずありえん。相手が神やドラゴンなら納得だが。なにより、団員に伝言を頼んだのが良い証拠だ。そんなことより、君たちに集まってもらった理由は、もう一つの話にある」
まさかのレイディアの扱いに、神王国勢以外は唖然としていた。同時に、並の信頼以上であることも理解する。
ミカヅキもアイバルテイクの話を聞いて、神やドラゴンを頭の中で思い浮かべ、そしてレイディアを戦わせる。結果は――勝つ気がする、だった。
「まだ何かあるのですか?」
ミーシャがもったいぶるアイバルテイクに催促した。
いつもはこんな歯切れが悪くなることなど無いだけに、皆の不安を煽ることとなると判断する。それを振り切るように告げるべきことを言葉にした。
「アオリスト法国が、我がファーレンブルク神王国に宣戦布告、いえ、降伏をするように言ってきた。――レイディア・オーディンは我々の手中にある、おとなしく降伏せよ、と」
全員が言葉を失う。だが思考は停止させていなかった。さすがは国の代表たちと言うべきか。
しかし、アイバルテイクの表情は焦りも無ければ怒りも感じない。ただ、呆れたと言いたげなものなのは確かだ。
少なくとも、宣戦布告、並びに降伏勧告された側とは思えなかった。
「――詳しく話していただけますね?」
次々と語られることに驚きを隠せない面々。その中で唯一ソフィだけが表情を変えていなかった。なにせ宣戦布告を受けたのはソフィの国なのだから知っていて当然だ。
しかし、この場にいた者たち全員が確実に感じていた。表情も口調も落ち着いているが、ソフィが怒っていることに。内に秘めるものをしっかりと感じ取った。普段の彼女ならばそんなへまはしないだろう。
そう、本当に彼女は怒っていたのだ。
なぜなら、神王国にとってレイディア・オーディンは人質としての価値は無いと言っても過言ではない。本人が遠慮はいらないと常々言いふらしていたのが大きい。
そもそもがだ、ソフィはレイディアが負けたこと自体が怪しいと考えていた。理由があって、わざと負けたのではないか、と。
アイバルテイクも同じことを考えていたからこそ、周りと違い呆れていたのだ。
そしてソフィが怒っていたのは、レイディアがどんな策があるにせよ、ファーレント王国と同盟を組んでいるこの状況下で、戦争を引き起こそうとしているからだ。何の相談も無しに。
アイバルテイクも他の者たち同様に感じ、皆の意見を聞くのをあとにして、ソフィの言葉に従った。
それから一呼吸置いて、「まずは――」と今回の経緯を話始めた。
ーーーーーーー
――ことの発端は数時間前に遡る。
よくある小国からの進軍。いつものようにレイディアが対処に当たった。この時、アイバルテイクの命により、ガルシア騎士団員数名を実践経験を積ませるために同行させていた。もともとはレイの申し出である。
敵の半分を倒した時点で、なぜか敵は進軍してきたにも関わらずあっさりと撤退する。
それをレイディアは静かに見据えていた。彼は違和感を感じていたのだ。怪しいと。
この状況をレイディア以外の同行していた騎士団員たちも腑に落ちない様子だった。追撃を申請するも彼は拒否した。
「みすみす敵の罠にかかるなど、実力が無い者が口にしないことだ」
そうしてレイディアが騎士団員に対して軽い説教をしていた時、敵が撤退した方向に、遠目でもわかる紫の長い髪を風に靡かせる一人の少女が立っているのが見えた。次の瞬間、レイディアたちの眼前で凄まじい爆発が起こる。
咄嗟に身構えた騎士団員たちが目を開けると、彼らは自分たちがいつの間にか張られていた結界で守られていることを知った。同時に中にはレイディアの姿が無いことにも気づいた。
そして、彼らは目にした。
「無闇に力を使えば死ぬぞ」
「……っく、ふふ、これは……素晴らしいわ。世界中に恐れられる訳ね。でももうあなたは何もできない。そこに丸まってる人たちとおんなじよ」
先ほど目にした少女に剣を首に突きつけられているレイディアを。その光景を見て彼らは悟った。自分たちはレイディアに守られたのだと。
敵は何らかの方法を使って、レイディアに勝利したのだと。
「狙いは私だろう。この者たちは見逃せ」
「命令できる立場だと思っているの? まぁいいわ、本当のことだし。あなたに免じて、そこの人たちは見逃してあげる――なんてね」
女性が一瞬姿を消したと思ったが、気づいた時には少女の持つ剣が結界を貫き、騎士の一人の心臓辺りに刺さっていた。声を出して恐怖を露にするも、騎士はなんともないようだ。理由はすぐにわかった。
「ばふぁっ……ぐ……貴様ぁ……」
左手で胸を押さえて膝をつくレイディア。口からは炎よりも赤い血を垂らし、地面に滴り落ちる。
「オーディンさん!」
騎士団員の一人がいち早くレイディアが何をしたかを察して名を叫ぶ。
レイディアは同行した騎士団員全員の受けるはずのダメージを、自身のものにする『代わり身』と言う基本魔法を発動させていたのだ。
故に本来は刺されたはずの騎士団員が受けるはずの全てを、レイディアが代わりに受けた。
「……なに? 味方を体を張って守ったつもり? 多くの命を奪ってきたあなたが! ……丁度良いわ、練習台に使ってあげる。あなたの最強の特有魔法のね!」
それからの時間は騎士団員たちにとって、まるで惨たらしい拷問を見ているようだった。結界は破壊されて砕け散り、怒りに身を任せる少女に斬られているのは自分たちのはずなのに、傷を増やすのはレイディアただ一人。
抵抗しようにも魔法で体は動かず、何もすることはできなかった。
できることは、ただ悔しさを歯を食い縛って耐えることだけ。彼らは、陸に上がってしまった魚の如く、あまりにも無力だった。
「はぁ、はぁ、はぁ。これでも死なないなんて、意外としぶといのね」
「……」
体から流れ出る血で、地面は色を変えていた。レイディアの意識は辛うじてまだ保たれている。と言っても、いつ気を失ってもおかしくない状態には変わりない。いや、いつ死んでもおかしくないと言うべきだろう。
見ることすら拒んでしまうほどの傷を全身に刻んだところで、少女はつまらなそうに手を止めた。
「もういいわ。目的はあなたを連れていくことだし」
そう言って少女は身を翻して、レイディアを見下した。
「無様ね。いい気味よ。これで少しは――」
「――思い知ったか、とでも言いたいのか?」
全身の傷口から血を流し、見るも無惨な姿で立つことなど不可能のはず。なのに、レイディアは立ち上がりながら、少女の言葉を遮った。
さすがの少女も驚いていたらしく、無意識に一歩後ろに下がる。それは驚愕と共に恐怖を感じたことを意味した。
「どうした、私が貴様を見下ろしていることが、そんなに信じられないのかぁ? なめるなよ小娘、いや、リンと呼ぶべきだろうな。それとも名前で呼んだ方がいいか?」
正直何が起こっているのかわからなかった。先ほどまで膝をついて黙って傷を増やしていたのに、今はそんな傷など無いかのようにニヤけながら少女に問いかけている。
「な、な、どうしてっ、立てるはずが無い! あんなに斬ったのに、生きているのも奇跡のはず!」
「だから、なめるなと言っただろう? 私は簡単にはやられんさ。――さぁ貴様たち、もう動けるだろ。アイバルテイク団長に伝えてくれ。レイディアは敵にやられたと。一言一句間違えずに伝えてくれよー」
そうはさせまいと行動に出る少女だったが、騎士団員たちを攻撃することは叶わなかった。レイディアは既に、少女と騎士団との間に結界の壁を張っていたからだ。
「果てにあるは我が世界。いくら私の特有魔法を得たところで、これは簡単には破れんよ」
基本魔法の結界魔法の最高強度を誇る結界――『果てにあるは我が世界』。
今度はドーム状ではなく、完全に壁として張られていた。横を見ても上を見ても、結界はどこまでも続いているように見えた。
騎士団員たちはレイディアに従って撤退した。
少女は拳に力を入れて結界を殴る。その程度では壊せないのは重々承知の上。これはただの八つ当たりだ。
少女はまんまとレイディアにしてやられたことになる。
「コードネーム、リン。貴様とこうして再び会えるとは思わなかったぞ」
久しぶりに会った友人に声をかけるかの如く、はははと笑いながら話しかける。
「うるさい! あなたは全てを知っていながら、あたしを騙して真実を話さなかった。もしあの時、あなたがレイディア・オーディンだと知っていたなら、その場で殺していた」
「それは違うな。お主は決して私を殺さないさ。今も、そしてこれからも、な」
断言した。事実レイディアは確信していた。自らの体を傷だらけにした張本人に彼は微笑んだ。
少女はその態度に剣を振り上げるが、レイディアを斬ることはせずそのまま降ろして鞘に仕舞った。この時少女は気づく。レイディアの傷口から流れる血が止まっていることに。
あれだけの傷から出る血が、こうもあっさり止まるはずが無い。だがレイディアであればと考えると、不思議と納得できる自分がいた。
すぐに首を降って変な考えを消し去った。
「あたしはあなたを決して許さない。父を殺したあなたを! 命令が無ければ、ここであなたを殺している」
「そうかい。じゃ、連行されるとしようかね。案内よろし……く……」
レイディアはそう言いながらばたりとその場に倒れた。どうやら彼はついに意識を失ったようだ。常人ならばとっくに倒れているはずの怪我で、今まで意識があっただけでもおかしいと言うべきだ。
倒れたレイディアを見て、少女はぽつりと呟く。
「――どうして?」
と。それは敵である自分に対して、レイディアがなぜ微笑みながらあんなことを断言したのか、わからなかった。そしてその理由を少女は、知りたいと思ったのだ。
少女の表情は、困惑と寂しさの両方が混じっていた。
――こうしてレイディアは、アオリスト法国に捕まったのだった。そして彼を利用し、ファーレンブルク神王国を我が物としようと宣告してきたのである。
赤髪の少女がレイディアの特有魔法を手に入れ、レイディア自身も身柄を拘束している。この状況は、由々しき事態と言えた。




