六十五回目『王として』
武道会が終わってからの一週間は、騎士団員たちやお城勤めの人たちにも休日が与えられた。
その間の事務は、レイディアやミルダさんを初めとしたプロフェッショナルな人たちが一気に引き受けることになった。手伝おうかと打診したけど、「姫様と休んでいてください」と追い返されてしまった。
あのキリ顔に逆らう勇気は持ち合わせていない。色々無茶した過去もあるけども、過去は過去だよ、うん。
今はレイディアとの試合の無茶をした罰として、部屋で謹慎処分を打診した時の返事と一緒に言い渡された結果です。
部屋に常備されたソファに座るミーシャが、ベッドに横たわる僕に尋ねる。ミーシャも休日をもらったらしく、せっかくだから僕と一緒にいると言ってくれた。
「先が見えるのって便利なの?」
「全ての処理能力が上がって、まるでハイテクなコンピューターみたいになるんだ」
「今、なんて言ったの? は、はいてく? こんぴゆーたー?」
そうか。この世界には機械が存在しないから、それらを意味したり、そこから派生した言葉が無いんだ。
全く無いわけじゃないらしいんけど、ほとんどが存在しない。だからここの人に使うと、こう言う反応が返ってくる。
首を左右に傾げながら訊いてくるミーシャに、ドキッとしたのは内緒です。
コンコン。扉をノックする音が聞こえた。見事なまでのタイミングの良さに心臓が口から出るかと思った。違う意味でドキッとする。
誰だろう?
「私だ、入るぞ」
名前を名乗らない堂々とした態度は、間違いなくレイディアだ。声でわかってたんだけども。
「どうぞ」
ガチャと扉を開けるレイディア。まず僕を見て、次にミーシャに視線を移して、また僕の方を見てニヤリと笑った。
「お邪魔しましたー」
「ち、違う! 大丈夫だからっ、何もないから!」
――誰が見ても明らかな弄りにまんまと引っ掛かってしまった。
とにかくレイディアは話があるからとやって来たらしい。
冗談を言い終えた後は、ミーシャに礼儀正しく挨拶をしてから椅子に腰かけた。ちゃんとすれば普通にかっこいいのにな。
真面目な振る舞いをするレイディアは、まるで王族や貴族のように綺麗なものだった。なんと言うか、品の高さが伺える、みたいな。
「何を頬を膨らませてるんだ。野郎がやっても気持ち悪いだけだぞ」
「気持ち悪いとは失礼な」
この一言が無ければ、本当にかっこいいのに……。
それより、本当に気持ち悪いものを見るような顔で見ないでほしい。僕でもさすがに傷つくよ……少しは。
「そうなの? ミカヅキは気持ち悪いの?」
純粋な眼差しとは、これほどまでに眩しいのか。
「僕は気持ち悪くなんか無い」
「なら、みすぼらしい?」
「レイディア、僕に訊かないで。あまり変わってないし」
「ミスボラシイ、ってなに?」
会話が進まない!
レイディアめ、絶対にこうなるってわかっててやってるな。それに乗るミーシャも楽しんでいるみたいだし、これは僕が折れるしか無いのかな……?
「とまぁ、ミカヅキ弄りは大概にして、本題に入るとしようか」
どっと疲れがやって来た。何時間も稽古したみたいな疲労感だよ。
あっさりと終わるなら、初めから入ってほしいよ。
でも、何だかんだ言って、緊張が解れたのも事実だった。扉越しにレイディアの声を聞いた途端、自分でもわかるくらいに全身が強張った。それを知ってか否か、こうやって冗談を言って気を紛らわしてくれるのはありがたい。
時々過剰だけど……。
「単刀直入に言って、貴様は……愚か者だ!」
一瞬迷ったあとに出た言葉がそれ!?
と心の中でストレートなツッコミを入れつつ、なんとも言えない表情を返した。
「なんて顔をしてんだ、阿呆がバレるぞ。あ、バレてるか」
呼吸と一緒の感覚で罵声を浴びせてくるのはこの世界でもレイディアだけだと思う。
「ちょ、ちょっと。あなたさっきから――」
「お姫様。あなたは見ましたか、先日の私とミカヅキの決勝戦を。いや、ミカヅキの戦いぶりを」
勘に障ったのだろうミーシャが声を出した直後に、レイディアは一瞥するだけで黙らせて話始めた。
「見たわ。確かに怪我はしたけど、良い勝負だったはずよ」
何かを察したのか、ミーシャはレイディアの問いに素直に答えた。
「正直言って、今のこやつでは、帝国との戦争で――必ず死ぬ。まぁ恐らく、誰かを庇ってとかの身代わりだろうが」
「ーそんな訳無いじゃないっ。ミカヅキだって、まだあなたより弱いかもしれないけど、騎士団員くらいの強さはあるわ! なのにどうして“必ず死ぬ”なんて言えるのよ!」
ミーシャの突然の大声に僕だけがビックリしていた。
レイディアは表情を崩さず、目にかかる髪をかきあげながら話を続ける。
それにしても、今の僕が戦争に出れば……どうして断言できるのか確かに気になった。
「ミーシャ・ユーレ・ファーレント王よ、失礼ながら、あなたはまだ目が養われていないようだ」
「どういうこと!」
「王はこの者の戦い方を見たと言い、良い勝負だったと言った」
「だってそうだったじゃない。あなたは手加減してたでしょうけど、間違いは言ってないはずよ」
珍しく睨み付けるミーシャに、レイディアは全く怯むことなく見返す。声の音量を上げていく、いや荒立てるミーシャに対して、最初から一貫した落ち着いた口調のまま。
そしてレイディアは、一度ゆっくりとまばたきをしながらため息ではなく深呼吸をした。
「本当に気づいていないようだな。カルネイドは相当甘やかしていると見る」
さすがのミーシャもこの発言には我慢しきれなかった。自分のことだけならいざ知らず、親代わりのミルダさんまで良いように言われたのなら仕方ないのかもしれない。
「あなたね、ソフィ様に随分と信頼されているみたいだけど、そんな発言をして許されると思うの?」
立ち上がりながらレイディアに詰め寄る。
止めに入ろうかと思った時、レイディアの手が動くなと指示を出したのが見えた。だから何か考えがあるんだと見守ることにする。
確かに無意味なことは嫌いで面倒くさがりなレイディアが、わざわざミーシャを怒らせるだけな訳がない。とミーシャの心配をしていた、まさにその時だった。
「どうするのかね? 刑にでも処すかね? ならばこやつが、“自ら死に場所を求めている”ことすら、わからん奴の目を節穴だと言って何が悪いのか、聞かせてもらおうか?」
ミーシャの口は何かを言おうとして開いたけど、言葉を発することはできなかった。信じられないと驚愕の表情に変わっていく。
――僕が、死に場所を……?
唐突に出た言葉は、ミーシャだけじゃくて、僕にも言葉を失わせるには充分だった。
「王とは、民の声を聴き、民のことを知り、民を導く者。貴様はこの王国の王であろう? そんな貴様が、民どころか、身近にいる者の真実さえ見抜けずに何を言えるのか。そのように、いずれ王たる貴様を、今の有り様にした者をうつけと言って、何が間違っているのか――教えてもらおうか?」
ミーシャは何も言い返せなかった。それは至極簡単な理由で、間違っていないからだ。
でもほっとけなくて、横やりを入れようとした瞬間。
「――貴様は余計な口を開くなよ。己のできることとやりたいことをはき違えるな」
まるで僕がそうするのが先にわかっていたように、釘を刺してきた。その後すぐにミーシャに向き直り、再度問いかける。
「でだ、答えを聞かせてほしいんだが……その様子だとできなそうだな。まぁ良い、それが年相応の反応だろう。すまんな、期待しすぎた」
泣きそうになるのを必死に耐え、それに力を注いで返事とままならないミーシャ。
話が終わったのかレイディアは立ち上がり、部屋を出ようとするも振り替えって言い残したことを僕に伝えた。
「ミカヅキ。悪いが、話はまた今度だ。あと、姫を任せる」
軽く会釈をして、今度こそ部屋を出ていった。
扉を閉まるのを確認した途端、僕はミーシャに駆け寄った。そんな距離でもないけど、気持ちだけでもだ。
扉が閉まる直前に、レイディア以外の人が見えたような気がしたけど、ミーシャのことで頭がいっぱいになっていたこともあり、すぐに忘れてしまった。
どうしたら良いのかわからず、とにかく何とかしようとあたふたしていると、ミーシャは「となり、座って」とこちらを見ずに力なく言ってきた。
僕は素直に従って、隣に腰かける。すると肩に軽い、けどしっかりと感じる重みがのし掛かった。
見なくてもわかる、ミーシャの頭が僕の肩に乗せられているのだ。
何かを話そうと口を開くも、言いたいことが纏まらずに、結局口を閉じた。
それに今は待つべきだと思った。隣に座らせたのにはきっと理由があるはず。
――それからミーシャの声を聞くまで、10分ほどかかった……気がする。
「……あの人が言ったことは、たぶん、全部間違っていないと思う。私は感情を露にしてしまった」
「誰だって、大切な人のことを悪く言われたら怒ってしまうって」
本心で言ったことだ。でもミーシャは否定した。
「言っていたでしょ。私は王族の一員。そして今は、このファーレント王国の王なんだって。だから私は、簡単なことで動じてはいけない。それに、国民のことを考えて、みんなが幸せで笑顔で過ごせるようにするのも私の役目。そのために声を聞くだけじゃくて、心に秘める本当の願いもわかってあげないといけないの。でも、本当に、国民どころか、いつも一緒にいるミカヅキの隠れた本心も見抜けなかった」
ぽつりぽつりと、まるで小雨のように少しずつ語られるミーシャの思い。その声から感じる弱々しさは蝋燭の火のようで、息を吹きかけるだけで消えてしまいそうで、とても心が苦しくなった。
声をかけてあげようとしても、口から出るのは単なる相づちだけ。不甲斐ない、そんな言葉が頭を過る。
僕はすぐにその言葉を受け入れた。悔しいのに、何かするべきだと思うのに、何もできなかった。ただ肩を貸すことしか、今の僕にはできない。
「悔しいしむかつくけど、あの人はちゃんと見ている。私がやるべきなのに、やれてないことをやっている。だからこそソフィ様も信頼しているんだって、こんな状況になってようやく理解できた。ほんと、まだまだ子どもなのね……だから今だけ、今だけは――」
膝に一滴、また一滴と落ちて行くのが視界に入った。
一国の王として生きるミーシャにかかるプレッシャーがどんなものかなんて想像もできない。それでも重くのし掛かるものが少しでも軽くなれば良いと願いながら、僕は聴き続けた。
――全部僕がいけないんだ。拳に力を入れることはできない。ミーシャにバレたら気を遣わせてしまうからだ。
だから込み上げるものを必死に抑え込んだ。
でも、わからない。僕は死ぬためになんて戦ったつもりは無い。なのに、レイディアは断言していた。
思い当たる節が……。次に会った時に必ず訊くと心に決めた。
そして、僕は唯一できることをミーシャにしていた。
ーーーーーーー
ミカヅキがミーシャに肩を貸している頃。
部屋を出たレイディアは、扉の横に立っていたミルダと会議室で話をしていた。
「ったく、殺気がだだ漏れだっての」
「もちろん、わざとです。それと、また話はあったのではないですか?」
ミーシャに用があり、ミカヅキの部屋を訪れると、タイミングよくレイディアの声が聞こえたらしい。
そして、これもまた狙ったかのようにあの話を聞いてしまったミルダは、殺気を放って自らの存在を誇示し、レイディアはそれに気づいたと言うわけだ。
「皮肉ですかね、カルネイドさん。……とりあえずはあれで良い。あれ以上続けても逆効果だろうから、ちょうど良かったさ」
「そうですか。――あなたは今までも今回のようなことをやって来たのですか?」
「どんなことですか、っていつもなら冗談を返すんだが、あなたには真面目にお答えしよう。答えはYES。結局、誰かがやらないといけないんだよ。でなければ、組織と言うものは簡単に瓦解してしまう」
ミルダの言う今回のと言うのは、簡単に言えば誰かが“嫌われ役”を買って出ることを意味する。だがそれは言葉ほど単純なものではない。
できていないことを指摘する、見逃している重要なことに気づかせる、そう言った無ければならない者を指す。しかしそれは、並の者では勤まらない。
発言力、実力共に、他者が気づかないようなことをしっかりと見抜く、または気づく者で無ければならないのだ。加えて、立場と言うのも組織であれば必要になってくる。
重要な役割には間違いないが、必ずしも必要とは言えない。失敗すれば簡単に瓦解してしまうからだ。
だが、うまく機能すれば組織はしっかりと成り立ち、その上全体の能力向上にも繋がる。
つまり一石二鳥、それ以上にもなるのだ。
しかし、当然誰しも痛いところを指摘されるのは嫌がるもの。そこを指摘する者がどんなことになるかは想像できるだろう。故に、嫌われ役と言われるのだ。
そんな難役をレイディアがやっているのだとミルダは気づいた。
「あなたはそれで良いのですか?」
「必要無いのであれば、私はやらないさ。面倒極まりないからな。だが、この同盟には私のような者が必要なのさ。まぁでも、あなたには謝罪する。悪く言ってしまって、申し訳ない」
突然頭を下げるレイディアに、ミルダは驚いたが、すぐにいつものキリ顔に戻した。
「私のことは構いません。ですが、姫様にはちゃんと謝罪してもらいますからね」
今すぐに行け、とは言わないミルダ。彼女も、今がその時ではないことを理解していた。
レイディアは心の中で、さすがです、と称賛する。
「だが時折思うのだ。二人はまだ子どもだが、気づいた時には既に成長してしまっているんだろうな、と」
「同感です」
「まあ、私を超えるのは、随分先だろうがな」
ミルダはふふふと笑いで返事をした。彼女もレイディアも、時間は違えど、それぞれの姫に一番近くで寄り添い、仕える者同士。何か近しく感じるものがあるのかもしれない。
「一つ、訊いてもよろしいですか?」
「答えられるかはわからんが、とりあえず聞かせてもらおう」
改まってミルダは、ずっと気になっていたことを尋ねた。これは恐らく、彼女だけではなく、誰もが知りたいと思っていることだろう。
「あなたは――帝国との戦争に勝てるとお思いですか?」
レイディアはすぐには答えず、数秒の沈黙が部屋を支配した。
そして息を大きく吸い、ゆっくりと吐き出してから答えた。
「……わからない」
さも当然だと言わんばかりの表情。だが、ミルダは少し安心しているようだった。なぜなら、世界に名を轟かせるレイディアほどの実力者が、文字通り“わからない”と答えたからだ。
決して、負けるとは言わなかった。
「少し前までなら結果は見えていた。なのに面白いことに、ここ数ヵ月で、わからなくなってしまった。皆、早さを違えど、確実に実力を伸ばしている。希望はある、それが私の答えだ」
「ありがとうございます」
今度はミルダが頭を下げた。レイディアは微笑みを返す。
彼女とて、レイディアがミーシャに対して行った叱責のようなことは、本来は自分がやるべきことだったと理解していた。
だがやはり、レイディアが口にしたように、甘かったのだと思い知った結果だった。
それに対しての意味も含まれていた。彼はそんな意図があることを察したのだ。
その後の会話は、仕事のものへと変わって言った。必要なことを話終えると、お互いに持ち場へと戻った。




