六十三回目『疑問に思っていた』
「全力を出す気は無いようだな」
「当たり前よ。全力で戦ったら、国民も巻き込んでしまう。それは私とてできん」
このままじゃ決着がつかん、と言った後にあっさりと降参して敗北を認めたアイバルテイク。
この結果に観客からブーイングが来るかと思いきや、ほぼ全員が胸を撫で下ろすように一息ついていた。
無理もない。彼らの拳が交わる度に、心臓まで響く轟音とも言うべき音を出されてしまえば、見ているだけでも体力が削られる。案の定、心の中では不満に思う者もいたが、表に表すほどの気力が無かった。
物理的な意味で、一番心臓に悪い試合だったと口々に語った。
心臓を動かされているようで、きつかったと。
――そして決勝戦。
準決勝を勝ち上がった二名が戦うことになる。
組み合わせはミカヅキ対レイディア。
皆がこの二人が相対することに驚いたが、レイディアはさも当然のような表情をしていた。ヴァンが尋ねると、「別に驚くことは無いだろう」と笑われた。
それを聞いたヴァンは、お前はそういうやつだったな、と笑い返す。
――誰が敵になっても良いように、いつでも心の準備をしておく。これは、以前彼がヴァンに話した心構えだ。
誰が敵になっても良いように。頭から離れないこの言葉を聞いたヴァンは、少し不安になったのを今でも覚えている。
――オレたちも含まれてるのか?
こう思うのは必然なのだろう。だが、考えたくないと思う理性が働くのもまた道理。それでも考えを消すことはできない。
ヴァンですら、レイディア・オーディンが何を考えているのかはわからないのだから。これは彼に始まったことではない。故に気にすることは無いと言われればそれで終わりだ。
なのに、ヴァンは信用しているのに、込み上げる不安を消し去ることはできなかった。
ーーーーーーー
決勝戦はレイディアたちが戦った翌日に行われるため、彼は夕日が見える部屋で寛いでいた。外の方に椅子を向けて、だらりと体を預けている。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ……面倒だ」
誰もいないことを良いことに、人前ではできない盛大なため息をつく。騎士団の参謀としての仕事以外にも、武道会の運営、会場準備、人員配置などいくつも兼用している彼の気苦労は考えるまでもない。
故にため息も出てしまうと言うもの。彼の場合、今に始まったわけではないが。
沈み行く夕日を眠気MAXの表情で見ながら、ぼんやりと考え事をする。と言っても、今はほとんど頭は回っていない。
「眠ぃなぁ……。そういや、明日はミカヅキと試合か。どうしたものか」
彼が考えているのは、どの程度で終わらせるかと言うことだ。今のミカヅキの実力は把握済みで、力量を合わせることなど他愛ない。が、本当にそれで良いのかと迷っていた。
少しは見せるべきなのか、と。
レイディア・オーディンは過去に一度きりしか全力で戦ったことがない。彼が言う“本気”は、他の者たちが思うそれではない。彼なりに言うならば、“全力”と言うのが正しい。
だからこそ、試合最後にアイバルテイクが言ったのは、“本気”ではなく“全力”だった。この意味がわかるのはほんの数人程度だ。
今回の武道会は、ミカヅキにとって良い刺激や経験になっているのは間違いない。転移者である彼が、どんどん力を付けている。それも驚異的な早さで。
身体能力は並の騎士団員程度だろう。精神面はまだまだ成長途中なのは間違いない。落ち込んで復活してを繰り返してる様は、見てて面白い。本人は必死なのだから、口に出して言うことはしないが。
だか同時に、少しずつ。少しずつに変わりないが、前に進んでいるのは確かだ。
確実に実力をつけているからこそ、レイディアは考えなくてはならないことがある。
――もしミカヅキが敵になったら、と言うことだ。
今回の武道会に含まれる目的の一つ。戦える者たちの実力把握。
現在の戦力を確認するためではあるが、レイディアにとっては敵になっても対応できるようにと言うのが本音だ。
あらゆる状況を想定しなければならない。レイディアの心掛けていることの一つだ。
彼は参謀であるが故、最悪の場合は団長にうって変わって指揮をする可能性がある。更には彼の作戦、指示一つで多くの仲間の命が失われかねない。
そんな事態を招かないためにも、レイディアは何者よりも非情であり、冷静でなければならない、と彼自身は考えている。
個人ではなく、全体を見なければならない役割である以上、時には仲間を見捨てることを、選択せざるを得ない時がやって来るかもしれない。だがそれは決して、レイディア・オーディンの本心ではない。
彼はいつも、できることなら誰も失うことは無いようにと思案している。
しかし、そんな絵空事が通用しないのが現実だとも理解していた。
参謀でなければ、こんなに考える必要が無いのではと思ったことももちろんある。それでも行き着く先はいつも同じだった。
これこそが、レイディア・オーディンの曲げることのできない、“性分”と言うものなのだろう。
こんな彼だからこそ、国民のみならず、団員たちや、団長であるアイバルテイク、強いては王であるソフィにすら信用されているのかもしれない。
彼はよく、他者に“愚か者”だと罵ることがあるが、裏を返せばそのままでは良くない。いずれは私のようなどうしようもない者になってしまう、と言う忠告なのだ。
わかりづらいことこの上無いが、彼は不器用なのだ。
悪魔だの死神だの様々な負の象徴として恐れられようと、彼は自分の考え方とやり方を変えない。いや、変えられないと表すのが正しいとさえ思えてくる。
レイディアとミカヅキでは、幼子でもわかるほど明らかな実力の差がある。だがそれで安心するほど、レイディアはお人好しではない。
実際、実力が上のレイに勝利している。確かにあの試合でレイは、心の迷いを始めとしたしこりがあり、他にも偶然が重なった結果と言えよう。
かと言って、決して弱くは無かった。その事を踏まえ想定すると、ミカヅキには簡単に言葉にできる力以外のものを持ち合わせている可能性がある。本人に自覚は無いらしいが、彼を中心に人が団結、終結しつつあるのは事実。
つまり、生半可に差を埋めるとやられかねないと言うこと。
「だぁーっ、頭使うの疲れたー、チョコレート食べたいー」
文字通り思考することに疲れたレイディアは、ただただ今の欲求を言葉にして外に放った。そうすることで少しは気分が紛れるかもと考えたからだ。
彼の心の嘆きは、残念ながら風と共にどこかへ飛び去った。一人しかいないのだから必然的にそうなる。
コンコンとノックの音が聞こえたのは、そんな時だった。
「レイディア、ミカヅキだけど、少し話があるんだ。今、時間は大丈夫?」
大丈夫じゃない、と心の中で即答しつつ、
「ああ、構わない。入れば良いさ」
と口ではこう答えた。内心、言ってみた時の結果がどうなるか気になったが、仕方なく気を使ったと言うわけだ。
恐る恐ると言った様子で扉を開けて姿を見せるミカヅキ。
「気にせず入りな。そこに座れば良いから」
振り向きながら言うレイディア。ミカヅキは言葉に甘えて部屋にあるソファに腰かけた。
振り向いたレイディアの顔を思わず二度見する。
「れ、レイディア、起きてる?」
「もちろんだとも……すゃぁ」
目を閉じて、こくりこくりと頭を揺らしている。船を漕いでいると言うやつだ。
「ごめん、忙しかった?」
「――冗談だ。眠いのは本当だがな、気にするな。いや、やはり気にして話を簡潔に終わらせるのだ!」
ミカヅキが遠慮するや否や、すぐさま目をカッと開いて苦笑した。
ちょっとした気迫にたじろいでしまうミカヅキ。対してやれやれとため息をつくレイディア。いつもの光景である。
「まぁ、冗談はさておき、話ってのはなんだ?」
「どこまでが冗談なのか……。うん、話だった。明日の試合のことなんだけど」
「そんなことだろうとは思ったよ。てか、このタイミングで他の話って言ったら、恋愛相談くらいだろうな。気にするな、続けてくれ」
続けづらいよ、と心の中でツッコミを入れるミカヅキ。しかし途中で止めるわけにもいかず、結局言われた通り話を続けるところがミカヅキらしい。
「僕は負けないよ」
「当たり前だろ。負けるつもりで戦えなんて、私は教えた記憶は無いからな。で、そんなことをわざわざ宣言しに来たと、良い度胸じゃないか?」
「あ、いや、負けるつもりがないのは本当だけど、そうじゃなくて。本当に訊きたいのは、僕が異世界人なのは知ってると思うけど、レイディアも異世界人だったよねってこと」
「ああ、そうだ。私はこの世界の住人ではない……って、前にも教えたはずだが」
とてつもなく面倒そうな表情をするレイディア。なんとなく申し訳なくなるミカヅキ。お嫁さんの父親に会いに行く夫の気分はこんな感じなのだろう、とミカヅキは気分転換にとそう思った。
「どうやってこの世界に来たのかを訊きたいんだ。戻る手がかりになるかもしれないから」
それを聞いたレイディアは突然睨み付けるような表情に変えた。
「知って、どうすると?」
「それは……僕もレイディアのように、もともとはこの世界の住人じゃない。いずれはこの世界から離れなくちゃいけなくなるかもしれない。だから――」
若干気圧される形でミカヅキは答えたが、最後まで言い切れなかった。レイディアが遮ったことに他ならない。
「だから教えてくれと? 少しは成長したと思ったらこれか。甘ったれるなよ、少年。なぜ私が貴様の心の安心のために時間を費やさなければならんのだ? 貴様の行動原理はわかる、わかりたくはないがな。だが、貴様に問おう。貴様は――覚悟を決めたのではないか?」
レイディアの言葉の意味することが、ミカヅキはすぐにわかった。
――今まで何度も挫けそうになった。でも周りの誰かのおかげで立ち上がることができた。
だから決めたはすだ。――この世界で生きていく、と。
それをレイディアは見抜いていた。その事に驚くことはない。
ただ、言われた瞬間、全身に雷でも落ちたかのような衝撃が走った。
気づかされたんだ。忘れているのではないか、甘えているのではないか、助けてもらえるのが当然と思っているのでは、と。
口が必死に言葉を紡ごうとするも、うまく発することはできずに魚のようにパクパクさせる。
「まぁ良いさ、貴様がどんなことを考えていようと。私は貴様ではないからな」
「それは……」
「当然だ、と言う気か。ならなぜ貴様は今ここにいる? 当然と、自分でもわかりきっていることを確かめたくなったのではないのか?」
悔しいし腹が立ったけど、何も言い返せなかった。どれも間違っていないからだ。
拳を握りしめても、ミカヅキが求めた事実は変わらない。
「おいおい、落ち込む早さは世界一か? 誰も貴様の行いが悪いなんて言ってないんだが?」
「え、でも、今……」
「貴様自身が、ミカヅキ・ハヤミが選んで、決めたことだろう。ならば最後まで自信を持って貫けと言ってるんだ。てか、前にも言ったぞ。ったく、ちと試してみればすぐこれだ。甘いってんだよ」
厳しかった表情をようやく崩し、ため息と共に苦笑した。
ミカヅキもそれを見てほっと胸を撫で下ろす。ほんの数分の会話で、数時間の特訓をした時と同じ疲労感が体にのし掛かる。
「悪いことではないが、お主は感情の起伏が激しいな。それでは敵に口がうまいやつがいれば、簡単に騙されるぞ」
「うっ……気を付けるよ」
「私がこの世界に来たのは……恐らくだが、偶然だと考えている」
いきなり始まった問いへの答えに、最初は聞き流しかけるミカヅキだったが、何度か頭を降って耳を傾けた。
「誰かに呼ばれたにしては、場所は森だったし、特別な力も無かったし。迷いこんだって言うのが、正しい気がする」
「僕と違って、最初から特有魔法は無かったんだ」
ああ、と頷くレイディア。
転移者の誰もが選ばれた存在と考えていた訳ではないが、ミカヅキはレイディアの話にも少し驚きを見せた。
確かにミカヅキがこの世界に転移してきた理由は定かではない。が、誰かに、何者かに呼ばれたような節はあった。
それは結局、彼が受けた恩恵の知識を得る魔法では知ることはできなかった。文献を調べても、手がかりは得られず終い。
「だから私は正直、お主がこの、アルデ・ヴァランと言う世界に大きな影響を与える存在だと考えている。自覚は無いだろうが、お主は人の“心”に影響を与えることができる者だ。それがどんな結果を生むかは……お主次第だ」
ミカヅキはこの時妙な違和感を感じたが、すぐにそれは消えたため深くは考えなかった。
「――でもそんなことは関係ない。僕がやると決めたことをやり通せば良い、でしょ?」
少しドヤ顔ぎみに続きであろう言葉を先に言った。鼻で笑われたあと、蔑むような表情をされてしまうミカヅキ。
彼自身も何とも言えない表情をし返した。
「話したいことはまだあるだろうが、私はなにかと忙しいんでな。今日はここまでだ。明日に備えてさっさと寝るんだな」
コロッと笑い顔に変えて、難しい表情のミカヅキに優しい言葉をかけた。
あ、そうだった、と忘れていたことをごまかすために元気良く感謝を言い、ミカヅキは部屋を後にした。
話したいことは話せなかったし、はぐらかせたことになるのだろうが、ミカヅキは満足そうだった。
父親や祖父やオヤジとはまた別の存在。だけど、似たような曖昧な立ち位置。
レイディアはこの世界で、今もミカヅキを叱ってくれる、数少ない人物の一人なのだ。それが何故か嬉しかった。
ミカヅキにとって父親とは違う、“兄”とでも言うべき存在に、レイディアはいつの間にかなっていた。
――ミカヅキが部屋を出たあと、レイディアは再び夕日を見ようと外を向いた。しかし残念なことに夕日は既に沈みかけ。先端がちょこっと見える程度だった。
レイディアは残念そうに沈みきるまで眺めながら、誰かに
言うように呟いた。
「なぁ、知ってるか。主人公になれなかったなり損ないが、どんな道を辿るのか。私はもう選択した、覚悟を決めた。――貴様はどうだ、主人公よ」
部屋にはレイディア以外誰もいない。いつもの一人言なのだろう。
だと言うのに、一人言にしておくには意味が込められているような、本当は誰かに言うつもりだったような言葉選びだった。
重要なものであろうとなかろうと、これを聞いた者は誰もいなかった――。




