五十二回目『拳で語る』
「二人とも、派手にやったねぇ」
わははと笑いながら背中をバシバシ叩くのは、おばちゃんことマグリア・ワーティクス。医務室にこの人はありなど、色々な肩書きが増え続ける人物。
誰にでも気軽に接し、なおかつ治療関係に関しては右に出る者はいないと称されるほどの腕前の持ち主。
そして、誰だろうと自分のことをおばちゃんと呼ばせることで有名だ。……誰であろうと。
噂では、ちゃんと呼ばない者は特別治療を受けるらしく、その後は皆ちゃんとおばちゃんと呼ぶようになる。
内容は一人たりとも語ろうとはしない。体を震わせるだけである。
おばちゃんの力は中々に強力で、一撃一撃が満身創痍の体には染みるどころではない。
だが、痛がろうものなら、「何言ってんだい、わはは」と追撃を食らうので皆が耐え忍ぶ。
今回の武道大会では、医療班として参加者の治療を担当している。
開催前も稽古の最中に怪我した者たちの治療もしていたため、両国の有名人となっていた。
「おばちゃんの言う通りだぞ、まったく貴様らは加減と言うものを知らんのか……?」
呆れ顔でため息をつく。
病室に怪我人の様子見に立ち寄った彼が二人を見つけるやいなや、今回の試合でのお叱りが始まった。
「悪いと思ってるさ、まさかそんなことになってるなんてな……」
「すまなかった。俺も熱くなってしまったんだ。だが、仕方ないだろ?」
「それは私が言うべきことだ。まぁ、レイの言う通り、仕方ないこととしておくが、貴様らは両国の団長と副団長だ。皆の模範とならなければならない。それを忘れなければ良い」
「で、レイディア。お叱りのためだけに来たわけじゃねぇんだろ?」
「当たり前だ。ヴァン、残念だったな。レイ。シードの私が言うのも何だが、一回戦突破おめでとう。こやつに勝ったんだ、次も負けるんじゃねぇぞ?」
レイディアとて二人がしっかりしていることくらい理解している。だが、その上で釘を刺しておかねばと判断したのだ。
ついでにと言おうと考えていたことをヴァンのおかげで思い出した。
仲良く苦笑する二人につられて、厳しい表情を和らげてから窓の外を眺める。
「もう始まる頃か」
疑問符を浮かべるレイとは違い、ヴァンは彼の言葉の意味がわかった。
今日の注目の試合が始まるのだ。レイディアとヴァンにとって重要とも言える試合が……。
「行かないのか?」
「まぁな。相手には悪いが、勝敗は決まっている」
ヴァンの問いに、あたかも当然と言う表情で返答する。
ーーーーーーー
武道大会二日目。
続々と勝敗が決まっていく中、いくつか引き分けと言う何とも言えない結果になった試合もあった。
この場合、両者共に敗退した扱いとなる。つまりはリタイアである。
良くも悪くもお互いの力が拮抗しあったからだろう。
さすが二か国同盟の武道大会とあって、両国の民たちは全力で楽しんでいた。
そして、本日の注目の組み合わせは、エクシオル騎士団長アイバルテイクとガルシア騎士団二番隊隊長ベッツェロの二人だ。
彼は先日の襲撃で命を落としたウォンのことを知り、ずっと迷っていた入団を決めた。ウォンは彼にとって兄のような存在だった……。
「これは面白い試合が見られそうだぁ! どうしてかって? それはもちろん、両者の戦闘スタイルが同じだからだぁぁぁあ!」
実況のマトリが言ったように、二人は同じ戦い方をする。決して同じ太刀筋などと言うわけではない。
そうではなく、二人は……。
「光栄です、魔神とまで呼ばれたあなたと戦えるなんて。ボクの兄も、敵であるあなたに憧れを抱いていましたよ。団長であろうと、自らが先頭に立ち、団を導くと」
烈火の如く赤い長い髪を後ろで束ねた青年。エメラルドを思わせる翠色の瞳が、聡明さを感じさせる。
「君の兄が思うほど、誇れるものではないと自負しているが、称賛は素直に受け取っておこう」
自分の考えを伝えつつも完全に否定はせずに、称賛にしっかりと感謝を述べた。
ベッツェロは笑顔になる。そして確信した。
この人は兄の信じたそのままの人物だと。
「ファーレンブルク神王国、エクシオル騎士団団長、アイバルテイク・マクトレイユ」
「ファーレント王国、ガルシア騎士団二番隊隊長、ベッツェロ・ブランティーノ」
お互いに名乗り合ったタイミングで始まりの合図が鳴った。
構えていた二人が同時に距離を詰める。
互いに武器は持っていない。前に突き出すは剣ではなく、己の拳だった。
拳と拳がぶつかり衝撃が生じる。もちろんただの拳ではない。魔力を帯びた、剣にも負けないほどの威力の拳だ。
「ぐっ」
あまりの押しの強さに思わず声を漏らすベッツェロ。
この一撃で、勝敗は決したと言っても過言ではないのだろう。
過信していたわけではない。“魔神”とまで呼ばれ、兄が慕っていた人と戦うのだ、それなりの覚悟はしてきた。
だがここに来て拳から伝わってきたのは、絶対的強者の威圧感。
ベッツェロは後ろに飛び退き距離を取る。
アイバルテイクは追うことはせず、ゆっくりとした動作で拳を下ろす。しっかりとベッツェロを見据えながら。
「これが……これほどまてとは……すげぇ……」
たった一撃。たった一撃のはずなのに、もう何発も受けたような衝撃が体ではなく心に走った。
しかし走ったのは衝撃だけではない。
「終わり、ではあるまい。君の全力を受け止めよう」
この瞬間より、試合は稽古に変わった。
アイバルテイクが全体の総括稽古をしていたとしても、稽古内容の指示を出して、直接指導はほとんど無かった。だからこうやって相対することができるのは幸運とも言えた。
「よろしくお願いします!」
ベッツェロの顔つきが今までとはうって変わって、一層真剣なものになる。
拳を握り直し、深呼吸して精神を集中させる。
アイバルテイクは黙って見ているだけかと思いきや、距離を詰めて容赦なく彼に拳を突き出した。
「――空駆ける拳」
突き出された拳は空を切り、ベッツェロに当たらなかった。
寸でのところで再び後ろに飛び退いて躱わして見せた。
だがアイバルテイクの攻撃はこれで終わりではない。
拳を引き、今度はもう片方の手を広げた状態で突き出した。
「衝波」
手のひらから放たれたのは目に見えない衝撃波。
目に見えなくとも、ベッツェロは地面を抉っている部分から場所を特定して避けて見せる。
――『空駆ける拳』は、文字から連想するように、空中での移動が可能になる、彼の特有魔法。仕掛けがわかれば大したことが無いと思われがちだが、要は使い方次第だ。
「衝波・連撃!」
特有魔法を使い、高速で移動して全方向から衝撃波を放つ。
衝撃波がアイバルテイクに当たる直前、バンッと大きな音が鳴り風が生じる。
何らかの方法で防いだのか、アイバルテイクは無傷だった。
ベッツェロはアイバルテイクが何をしたか憶測だが何となく想像はついた。
衝撃波が当たると思った時、アイバルテイクが左の拳を揺らした。あの一瞬で、全方位に壁みたいのを張ったんだ。それで衝撃波が相殺された。
アイバルテイクの特有魔法がどんなものかはあまり知られていない。そもそも使うことが無いのだ。
戦いは基本魔法だけでどうにかなってしまっていたためである。
ならなぜ“魔神”と呼ばれたのか。
「良い攻撃だが、詰めが甘い。すべき攻撃とやらを見せよう。宿れ拳神――魔神拳」
アイバルテイクの手から肘にかけて上から被さるように、本来のものより一回り以上大きな黒い拳が纏われた。
これが、これこそが“魔神”の通り名の由来。
魔神拳を発動させた彼は、敗北したことが無い。
――『魔神拳』
基本魔法の一つで、自身の両手に魔神の拳のように変化させた魔力を纏う魔法。
本来なら長い手袋を着ける程度のものでしかないが、アイバルテイクのは他とは違って大きさを増している。
「宿れ拳神――魔神拳」
ベッツェロも同じように魔神拳を発動させる。
遠距離から近距離戦へと変えることを選んだ。やはり拳でぶつからなくてはならない、と。
――特有魔法での移動を駆使しながら、変則的に攻撃を繰り出すベッツェロ。
それでもアイバルテイクに一撃を与えることは叶わない。
「ここまでだ」
宣言した瞬間、十分な距離を取っていたはずなのに、アイバルテイクはベッツェロの目の前に移動していた。
黒い拳が彼に迫る。
この時、ベッツェロが見たのは、自分に迫る山のように巨大な拳。
実際は巨大化などしていないのだが、アイバルテイクの殺気や覇気などが合わさることで、現実とは違うものを見せたのだ。
拳はベッツェロの顔の直前で止まり、突き出した反動で起きた風で髪が靡いた。
「……参りました」
勝敗は決した。
――この後、ベッツェロはアイバルテイクから色々とアドバイスをもらい、「次こそは勝つ」と意気込んでその場を後にした。




